[62]
春休みの午後。
陽射しは柔らかく、風もどこかぬるい。
冬の冷たさは消えかけていて、季節がゆっくりと変わっているのが分かる。
そんな中――
ケンケンは、人気のない路地をひとり歩いていた。
足取りは重い。
どこか落ち着かない。
「・・・・弱いでござる」
ぽつりと呟いた。
頭に浮かんでいたのは、
あの鬼切神社での一件――
鬼人さん。
そして。
その鬼に、迷いなく殴りかかった男。
入来。
(鬼殿と対峙すると、拙者は動けない)
(足がすくんで・・・・何もできなくなるでござる)
拳を握る。
わずかに震えている。
「・・・・情けないでござる」
立ち止まる。
しばらく空を見上げたあと、
ポケットからスマホを取り出した。
少しだけ迷ってから――
発信。
コール音が、静かな路地に響く。
『・・・・なんだ?』
低い声。
入来だった。
ケンケンは一度息を吸う。
「入来殿」
「少し・・時間いいでござるか」
⸻
公園。
ベンチの周りには、子どもたちの声が遠くから聞こえる。
だが、その一角だけは妙に静かだった。
先に来ていた入来が、ベンチに座っている。
ケンケンはゆっくりと近づいた。
「入来殿・・・・すまないでござる」
入来は軽く手を上げる。
「別にいい」
そして、少しだけ目を細める。
「で?」
ケンケンは真っ直ぐ見た。
「・・・・教えてほしいでござる」
入来は首を傾げる。
「なにを?」
ケンケンは真っ直ぐ見た。
「なぜ・・鬼に拳を出せたでござるか?」
「・・・・あの時の入来殿みたいに」
「拙者も・・強くなりたいでござる」
一瞬、沈黙。
入来は小さく息を吐いた。
「・・・・別に」
「強いからじゃねぇよ」
ケンケンの目が揺れる。
「え・・・・?」
入来は視線を逸らす。
「普通に怖かったぞ」
「あれはバケモンだからな」
ケンケンは言葉を失う。
(・・・・怖かった?)
(あの入来殿が・・?)
入来は続ける。
「でもな」
少しだけ顔を上げた。
「やらなきゃ終わると思った」
その一言だった。
ケンケンの呼吸が止まる。
「・・・・終わる?」
入来は立ち上がる。
「何も手を出さず、やられたら」
「後悔するだろ」
「だから行っただけだ」
淡々としていた。
だが、その言葉は重かった。
ケンケンは俯く。
(後悔しないために・・行く・・・・)
「そんなこと・・できるでござるか?」
入来はニヤリとしてケンケンを見る。
「試すか?」
「え・・・・?」
次の瞬間。
空気が変わった。
入来の視線が鋭くなり、一歩、踏み出す。
それだけで――
圧。
ケンケンの体が硬直する。
(来るっ!)
(怖いっ!)
足が動かない。
呼吸が浅くなる。
入来は再びニヤリとして圧を解いた。
「ほらな」
「止まるだろ」
ケンケンは何も言えない。
悔しさが込み上げる。
(やっぱり・・無理でござる・・・・)
その時。
頭の中に浮かぶ。
鬼人さん。
そして――
踏み込んだ入来。
ケンケンは歯を食いしばる。
「入来殿、もう一度、お願いするでござる」
入来は空気を変える。
圧が強まる。
しかも、先ほどよりも強い圧。
「くっ・・・・」
「・・・・それでも」
苦悶の顔を浮かばせながら、
ケンケンは小さく呟いた。
「・・・・行くでござる」
震える足を――
無理やり前に出した。
一歩。
入来の目がわずかに変わる。
ケンケンは拳を振るう。
ブンッ
――遅い。
だが。
入来の頬を、ほんのわずかに掠めた。
静寂。
ケンケンの手が震えている。
「・・当たった・・・・?」
入来はニヤッと笑った。
「今のが“踏み込む”ってやつだ」
ケンケンは息を荒くする。
胸がバクバクしている。
怖いまま。
それでも――
一歩、出た。
「・・・・怖いでござる」
正直な言葉だった。
入来は肩をすくめる。
「当たり前だろ」
「怖くなくなることなんてねぇよ」
「怖いまま行くしかねぇ」
ケンケンはゆっくり頷いた。
「・・・・心得たでござる」




