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ラケシスは気持ちよさに驚愕していた。
いい香りと、オイルの滑らかさと、頭皮を強めに撫でられるだけで寝そうになる。
ぶわりと血流が速度をあげたみたいな感覚だ。
風呂って、人に洗ってもらうって、こんなに気持ちいいんだ。
初めての体験である。
この一家の人間達は、血族以外の他人との接触がほとんどない。
赤の他人である乳母はもってのほか。そんなものはいない。
やはり血族ではない母の手もほとんどなく、血の繋がった公爵本人、あるいは兄弟達が不器用ながらもある程度の年齢まで子育てして、あとは放置。
かつての娘達は嫁ぎに出たら、もう関わってはくれない。おそらく嫁ぎ先の家がそうさせるのだ。本人も願っているのかもしれないが。
とにかく自分のことは自分でやる。
助けはない。
そうやって育ってきた。
貴族たる知識、モラル、マナーは血の繋がった兄達が試行錯誤のすえ教養してくれ、なんとか成人させてくれる。
その繰り返しだ。
人の温もりなんて、ほとんどない。
誰も関わろうとしてくれないから。
疫病の神に愛されているモイラ一族は、人にも愛されずにいる。
街を歩けば瞳の色だけで身分がばれて避けられ、パーティーにいけば上辺だけの挨拶をされ、娼館に行っても相手にもされない。金で女を買おうとしても、大金に釣られてはくれない。
人の手や指は、こんなに気持ちいいのか。
入浴なんて興味がなかった。
湯を頭から被って、適当に洗って、終わり。
汚れを落とすだけの作業に他ならない。
けれど、こればかりはクロトの功績だと強く思う。
腕や足を洗われ、指先まで丁寧に磨かれる。少し伸びていた爪にやすりまで当ててくれているではないか。
指、気持ちいい。
薬指に触れられると、特に気持ちが良かった。
だが、ミシャの手つきはややぎこちない。
ミシャを見ると、湯気の立ち込めるこの部屋が暑いのだろう。汗を滴らせ、頬は紅潮している。
髪が頬や額に張り付いていた。
真剣な眼差し。
ミシャが妙に色っぽく見えた。
そんな顔で自分の指先一本一本を磨いてくれているなんて、征服欲がむくむくと湧き上がる。
問うた。
「初めてやんの?」
ぎくり、とミシャが反応した。
後ろめたそうに眉尻を下げる。
この子は嘘がつけないタイプだな、と思った。
「す、すみません、不慣れで……。勉強したのですが、初めてでして」
「いや、充分うめぇよ。気持ちいい。勉強したとおりにやってんの? 独学? 本?」
「は、はい。一応……書いてあったとおりにやっているつもりではあるのですが……あの、どうぞなんでも仰ってください」
いっきに不安そうになる表情。
おそらく自分がなにかを間違えているのかもしれないと不安になっているのだった。
(健気だねぇ)
ラケシスは垂れてくる前髪を掻き上げた。
ミシャを見つめる。指の先、指の股を丁寧に洗っている真剣な顔。
(可愛いかも)
素朴だが、飾らない中に確かに可愛さが備わっている。
華やかな顔立ちではないが、愛される顔だ。
少し悪戯心が芽生えた。
「どこまで洗ってくれんの?」
「……えっ」
ミシャが目を見開いた。
目が合う。
(あ、やっぱ可愛いわ、この子)
ラケシスはさらに聞いた。
「なぁ、どこまで?」
「え、っと、す、すべて……」
「へぇ。じゃあ舐めてくれんだ?」
さすがにそれはないか。
「ご、ご要望であれば」
驚いた。
本気でそう言っているみたいだ。
ラケシスはぱちくりとしてミシャを凝視する。
嘘でも冗談でもない。
だが、まだ勇気が出ない、そんな顔。
「……本にそうやって書いてあったのか?」
「は、はい」
なんの本を読んでやがんだ、こいつ。
男のその部分を舐める行為がどんな意味を持つのかもわからないというのか。
幼児かよ。
少なくとも男爵令嬢の身分を持っていながら、なにも知らないのか?
なら、からかってやろう。
「汗かいてきた。顔の汗、拭いて」
「はい、今すぐ」
ミシャはタオルを手に取った。
伸びてくる手を避ける。
「タオルは嫌だ。繊維が顔に残るから好きじゃねえ」
「えっ」
でもタオル以外にどうするのかという顔だ。
消えない悪戯心で吹っ掛けてみる。
「ご主人様の口はどうするって本に書いてあったんだよ。早くしろよ。しょっぱいの好きじゃねえんだけど。あー、ほら口に汗が入ってきた。早く。」
「え、あ、えっと、く、口は……」
タオルを胸の抱えながら必死に知識を思い出そうとしているミシャ。
困り顔がやけに可愛くて、自分にこんなに嗜虐的な性癖があったと初めて知る。
少しからかいすぎかと自覚して、冗談だと言ってやろうとしたときだった。
ミシャが膝を付いて、バスタブに両手を揃えて、顔を近付けてきた。
まさか──。
ラケシスはもちろん避けなかった。
なにをしてくれるのかを期待して、きっとそうなるであろうとわかっていて、そのまま近付いてくるミシャの唇を受け入れた。
ぺろ。ぺろ。
ミシャが遠慮がちにラケシスの上唇を舐める。
それで?
止める気はあるのかって?
──ない。
「足らねえよ。もっと」
「は、はい」
震える唇でミシャはラケシスの唇を食んで軽く吸った。
汗を拭ってやるように、心からラケシスの指示に従ってみせた。
……うまいな。
やたらとキスがうまい。
いや、汗を拭ってやろうとする懸命さがそうさせるのか。
ラケシスはさらに求めた。
「汗舐めちまったから、舌も拭けよ」
期待半分で舌をべろりと出してみせる。
まさかここまではしないだろうと思っていると、やはりミシャは忠実に従った。
舌の先のほうをぺろり。ぺろり、と舐める。
くちゅり、と音がした。
「もっと奥のほう。届かねえだろ。もっとこっち来いよ」
ミシャは黙って従った。
揃えていた左手を遠くのバスタブの縁に伸ばして、ぐっと距離を詰めてくる。
舌と舌が絡まる感触。
執拗に追ってくるミシャの舌。
ラケシスは頭をバスタブの縁に凭れた。
脱力する。
瞑目して、キスに没頭した。
感じるのは主人の意向に沿おうと絡む健気な熱い舌。
(あー……気持ちいい……イキそう……)
白目を剥いて気絶してしまいそうなほどの快感がラケシスを襲う。
キスってこんなに気持ちいいいんだ。
キス、気持ちいい。
全部、気持ちいい。
頭がとろけてしまいそうになる。
深いところを舐められて、ねっとりとした唾液がたらたらと落ちてきて、唇の端から初対面の女の唾液が零れ落ちるのもこれまた興奮する。
もっと。
ずっとキスしていたい。
キス好きかも。
気持ちいい。
(あー……)
ラケシスは思わずミシャの首の後ろを掴んで引き寄せていた。
しかしミシャはその力強さに耐えきれなかった。
つるりと手を滑らせて、ぼちゃんとバスタブに落ちてくる。
同じ湯に浸りながら、しばし目が合う。
ややあってから、見るからにミシャが狼狽した。
「ごごごごごごめんなさい、も、も、申し訳ありませ──ぎゃあ! ラケシス様、唇が……! すみません、噛んでしまったようです!」
言われて初めて唇を切っていることに気付いた。
親指で拭うと、瞳の色と同じ色が肌に滲んでいる。
自分の舌でぺろりと舐めると、やはり血の味がした。
「申し訳ありません」
ミシャが慌ててバスタブから出て、タオルを取った。
ラケシスはそのタオルを奪ってバスタブから出る。
体を雑に拭いた。
「あの、今すぐにお薬をお持ちします」
「いや、いらねえ。やっと我に返ったから」
「わ、われに?」
「そのまま歩き回ると床が汚れる。俺の服を貸してやるから、脱いで待ってろ」
「へ、あ、は、はい」
指示どおりに脱いでいる。
こいつ、世間知らずか?
いくら主人の言ったこととはいえ、男の部屋で服を脱ぐだと?
純粋に足が生えて歩いているみたいだと思いつつ、バスローブを着ながら、シャツを1枚放り投げてやった。
ミシャは見事に受け取った。
「……すみません…」
あからさまに落ち込んでいる。
どうやら自分の失敗だと思い込んでいるらしかった。
どう見たってラケシスの行き過ぎた悪戯なのに。
「いや、うまかったよ」
「……お気遣いありがとうございます。精進します」
「ああ。リネン交換もあんだろ? もうここはいいから、行けよ」
「はい、失礼します」
そうして入浴道具の片付けを始めるミシャ。
馬鹿、シャツの裾から見えそう──教えてやらないけど。
籠に瓶やタオルを収めていく途中で、ふと隠そうとしている本のタイトルが見えた。
あの本は──。
ラケシスは吹き出しそうになった。
馬鹿じゃねえの?
あの本を参考にしたのか?
いや、タイトルは確かに曖昧か。
それに、あの行動の意味も納得できる。
確かに序盤は入浴の話も出てくるし、世間知らずであれば信じ込んでもおかしくない。
けれど、赤ちゃんはコウノトリが運んでくると信じる子どもくらいでないと、これが侍女の仕事だと信じ込みはしないだろう。
ラケシスは喉をくつくつと鳴らして笑った。
(あー、ハマったわ。明日もキスさせよ)
頭をわしゃわしゃと拭きながら、寝室に向かった。




