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翌日の朝食後、ミシャは屋敷の最奥部である祭壇に案内されていた。
さほど大きくはない個室に窓はなく、黒い祭壇、黒い蝋燭、そして判然としない形の祀られた銅像。
「ここが疫病の神を祀る祭壇だ。毎朝磨きに来てくれ。」
「えっ。私でよろしいんですか? 不敬になりませんか」
クロトは銅像をちらりとだけ見て鼻で嗤った。
「問題ない。なぜだか君を気に入っているみたいだし、会いに来てやれば喜ぶと思う。俺達一族の中で、この神に愛されて喜んでる奴はいないしな」
そうして出て行ってしまう。
残されたミシャは手に持った灯りを適当に置き、黒の蝋燭に火を灯した。
おはようございます。
ご挨拶が遅れました。
ミシャです。
モイラ公爵家の侍女として懸命に働きます。
この家ではなんだかとてもうまく動けます。
どうかお見守りください。
心を込めてお掃除させていただきます。
埃を掃き、あらゆるところを磨く。
最後にもう一度祈って、蝋燭の火を消した。
一礼してドアを閉めようとして、こういう祭壇にはなにか食べ物を供えるのではないかと思い、朝食で残ったパンを持って戻ってきた。
厨房から埃に埋もれた皿を洗い、パンを置いて祭壇に置く。
再度の祈り。
まもなくこの屋敷に来て1日が経つが、失敗がない。
お見守りください。
御心のおかげです。
何度も強く祈って、今度こそその部屋をあとにした。
◇
その日の夜、ミシャは図書室にいた。
明日はいよいよラケシスとアトロポスが戻ってくる。
まず喫緊の課題はラケシスの風呂の補助だろう。
髪や背中を洗うのは当然として、服はどこまで脱がせるべきなのか。婦人の中にはすべてを委ねる人もいるというが、ラケシスはどうだろう。
しかし、実のところミシャはまともな教養がなかった。
家庭教師が事故にあって男爵家に来られなかったり、ミシャと室内にいると体調が悪くなったりして、どの教師もその役目を負ってくれなくなってしまった。
ならば兄弟達がということもなく、彼らは外部の人間よりも顕著にミシャを厭い、近付いてもくれない。子ども達を守りたい親も然り。
メイド達も男爵の意向を意識して、なにも教えてくれなかった。
だからミシャは本や他の令嬢の見様見真似で最低限のマナーを身につけただけで、貴族たる知識はほとんど皆無といっていい。
「この本と、この本かな」
ついでに服飾品と、男性ならではのマナー本も。
ミシャは抱えると自分の顔ほどの位置に積み上がる本を自室に運んだ。
読み込む。
「えっ……だ、男性の体のそこまで洗うの……」
図柄付きの本だった。
わかりやすいが、生々しすぎる。
「ええええ……こんなことまで……。こ、こんなに!? これはできないよぉ」
うーん、うーんと赤面しながら枕に顔を押し付ける。
しかし、これが侍女の仕事ならば──!
ミシャはその本が夜伽の前戯の指南本であることも気付かないまま、覚悟を決めてしまった。
◇
翌日、朝食後にまた芝刈りの続きをしていた。
芝生は長さが揃い、花壇の雑草も抜き、伸び放題だった庭はかなり改善された。
これでよし、と。
「え、誰?」
手の埃を払っていたところ、2人の男性が頓狂な顔でミシャを見つめていた。
彼らが誰なのか、ミシャはすぐに気付いた。
赤い瞳に黒髪を後ろに流したワイルドな雰囲気のラケシス。クロトと2歳差の次男、22歳。
クロトよりも長めの髪で顔の大半を隠してしまっているアトロポス。三男18歳。
鎌をその場に置いて、駆け寄る。
「初めまして。ミシャと申します。一昨日から侍女として住み込みで働かせていただいております。よろしくお願いしま──」
「え、一昨日から? ずっと屋敷にいたってことか? 夜通し? マジ?」
「なんとも、ないの?」
「はい! クロト公子様からも仕事がよくできるとお褒め頂きました。失敗もしておりません!」
えっへん!
クロトからの指示もすべて伝えた。アトロポスを積極的に外に連れ出すように言われていることや、食事は食堂で取ること、ラケシスの風呂の補助など。
ラケシスはクロトよりも吊り目で切れ長だ。
一方でアトロポスは垂れ目がちで、目元に黒子がちらりと見える。かなり肌の色が白い。
ラケシスは吊り目で信じられないような顔を浮かべている。
「本当に屋敷にいたんだな。俺達の血縁者か?」
「いえ、そのはずは……クロト公子様にも同じことをお訊ねいただいたのですが、私にはモイラ公爵家の血縁者はいないのです」
ラケシスとアトロポスは互いに見合った。
「おかえりなさいませ。お荷物をお運びします」
「え、あ。ああ」
彼らの旅行鞄を受け取り、う、重い、と思いつつそれぞれの部屋に置いていく。
「昼食のご用意ができましたら参ります」
「ああ……。あー、でも、あんたひとりで大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。昨日もひとりでできましたので」
「あー……」
ラケシスがなにかを言おうとして、迷っているらしい。
しばらく沈黙が続いたので一礼して退室した。
◇
そういうことか。
ミシャは受け取った籠を見て、考え込んでしまう。
昨日はひとりでできた。
間違いない。過たず、ひとりで運べた。
2人分だったから。
それが4人分となると、当然、籠も増える。
2人分で籠はふたつだった。
しかし今や籠は4つ。
往復しようか。
しかし食べ物をこんな外に放っていくのも考えものである。
門を隔ててすぐそこにいる門番に声を掛けた。
「あの、よもや食堂まで一緒に──」
「断る。申し訳ないが、我々は門と塀の周りの警戒を任されている。中に入ることは一歩たりとてない。」
「……そうですか」
「……あんた、大丈夫なのか? この屋敷に入ると、部外者は病気になったり怪我をしたりするんだぞ。家業がうまくいかなくなったり。我々は何度もそういう奴らを見てきてる。神の力は本当だ。早いところ逃げたほうがいい」
「……え、ええ。お気遣いありがとうございます」
手伝ってくれそうにはない。
となると、やはり零してしまうよりかは往復したほうがいいだろう。
せめて日陰になるようにと移動させようとした。
「やっぱり。無理だろ?」
ラケシスだ。
先程よりもだいぶラフな格好になっている。
風に乱れた髪を鬱陶しそうに描き上げて、なにも言わずに籠をふたつ持ち上げて踵を返した。
慌ててミシャも倣う。
「すみません、こんなに籠が増えるとは考えが及ばず」
「いいよ、別に。運ぶのはどうせ俺の役目だったし」
「ありがとうございます」
夜、この人の体を洗うのかと思うとミシャは自然と緊張した。




