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「すごいな……」
昼食の時間になって部屋を出ると、廊下の清潔さが目に飛び込んできた。
ふわふわと動き回っていた埃はいなくなり、磨かれてもいる。
髪の毛一本も落ちていない。
しかも、なにも壊れてない。
部外者がこの家に一歩でも入ると、物の壊れは当たり前、本人の体調が悪くなり、発見が遅くなるなど下手をすれば死んでしまう。その前に大抵の人間は逃げ出すし、その噂を聞いた人間達はこの家に近付きもしないし、足の一歩も踏み入れない。
ここにモイラ一族以外の人間が滞在する。
それだけでモイラ公爵家にとっては偉業なのだ。
長い間この家に居続けた両親は飽きてしまったのだろう。
大金を持って、身分を隠して遠くまで旅行を楽しむらしい。もう2度と戻っては来ないかもしれないとクロトは思っている。このまま公爵を引き継がせるつもりなのだと。
特に妻の公爵夫人は一族の人間ではなく、ほとんど別居していた。彼女の身を案じてのことだったが、その状況下でも3人の男子を産み、付き従ってくれた妻たる行いに、公爵は恩返しをしたいという気持ちもあるのだろう。
この家は呪われているといっても過言ではない。
剛腕の神は人一倍体力、腕力、脚力、大きな体躯に恵まれた子ども達が生まれ、鬼神のように強く武力に優れている。
知恵の神は人一倍頭の回転が速く、頭脳明晰なだけでなく冷静で、国の発展と一族の発展にその力を発揮することを厭わない。
彼らは輝いている。
未来発展のために、輝き続けるだろう。
しかし疫病の神に愛されたモイラ一族がもたらすのは、彼らへの不幸のみ。
色んな意味での故障。
心の故障。体の故障。物の故障。事業の故障。未来の故障。病が伝染するのと同じで、関わり続ける限り故障は広がっていく──はずなのだが。
なのに、なにも壊れていない。
こんなことは初めてだ。
永遠と応募のない侍女や執事の募集をかけてから、10数年。
やっと応募があったと思えば、巷では疫病神と呼ばれる不運な男爵令嬢で、家紋には事業のせいで借金がある。公爵家にとってみれば他愛もない額なのだけれど、貧しい男爵家にとっては莫大な金額らしかった。
その金額を返すといえば、ほいほい契約書まで作って飛び込んできたミシャ。
モイラ一族を知らないのか?
そんなはずはない。
剛腕の神に愛される王族よりも、知恵の神に愛されるあとひとつの公爵家よりも、産まれてから初めて注意されるのはモイラ一族には関わるな、これである。
知らない筈がない。
まさか、我慢していただけで、ミシャが既にどこかで倒れているのかもしれない。
通いでやってくれればいい。
部屋の掃除も週に一度でいいし、要所で短時間の仕事をしてくれればいい。
それだけで十分だ。
まさか住み込みなんて。きっと不可能だろう。
足早に食堂に入ると、ミシャがいそいそと料理を並べていた。
クロトに気付いて駆け寄り、頭を下げる。
「申し訳ありません。まだ準備が終わっておらず……。終わり次第、お呼びしに行こうかと思っておりました。すぐにご用意します」
「……構わないよ。前菜を食べているから、その間に用意してくれればいいよ」
「はい」
驚いた。
何事もなかったように顔色ひとつ変わっていない。
席に着き、グラスを傾けながらミシャを盗み見る。
具合が悪そうには見えない。
てきぱきと運ばれてきた食事を並べる手付きを見て、ふと口から疑問が突いて出た。
「なぜ疫病神と呼ばれているんだ。仕事はよくできるじゃないか」
ぴくり、とミシャの手がほんの一瞬だけ止まった。
苦笑しながらまた動く。
「なぜなのでしょう。歩くだけで、そこに私がいるだけで皆に迷惑を掛けるんです。持っていた果物を落として、人の足元に転がって、その人が転倒して骨を折ってしまったり、道を聞かれたから教えてさしあげたらその人は実は強盗犯人で、教えた先の家主さんが被害にあったり。
働きにももちろん出ました。なのに、せっかく出来上がったお店の商品を籠に入れて運ぼうとしたら取っ手が外れてすべて駄目にしてしまったり……。本当に役に立たなくて──いえ、足を引っ張るばかりで……。1日になにもなかったことなんて今までなかったんです。
でも、このお家ではなぜかスムーズに動けます! なにも壊れないし、なにも落とさないし、突風で窓が割れることもない……!
お仕事が楽しいです!」
ミシャはそう言って、最後の皿をクロトの前に置いた。
クロトは驚いた。心の底から驚いた。
この家では、なにも起こらない?
そんなことを言われたのは初めてだ。
人はいつだって、この家を憂いている。
「ミシャ」
「はい!」
「君は、もしかしてモイラ家と関係があるのか? 家系にモイラの傍系がいるとか」
ミシャは目をぱちくりして即座に否定した。
「いえ、家系図にはモイラ公爵家の方は載っておりませんでした。家族からもそのようなことはお聞きしておりません」
「……そうか」
この家でなにも起こらないのはモイラ家の血を受け継ぐものだけだ。
まさかとは思ったけれど、どうやらそうではないらしい。
確かに、疫病の神に愛されるモイラの血族は瞳が赤いのが特徴だ。
ミシャは黄色に近い薄い茶色。血は流れていない。
なら、なぜ?
彼女が単独で疫病の神に愛されていて、この家と馴染みやすいとか?
そんなことがあり得るのか?
たまたま?
考えていると、あっという間に食事を終えていた。
空になった皿がどんどんミシャの手によって籠に戻されていく。
何とはなしにその仕草を眺めていて、はっとした。
「すまない、君の食事を用意するようシェフに伝えるのを失念していた。」
「いえいえ! 家からパンを持ってまいりました。お気遣いありがとうございます。大丈夫です。」
「少し待ってくれ。追加で作らせる」
席を立とうとすると、軽く制された。
「本当に大丈夫です。先程、昼食を受け取りましたときにご挨拶を兼ねて新しい侍女でここで暮らすことをお伝えしましたら、アフターヌーンティーから私の分をご用意してくださると仰っておりました。追加料金分の詳細も、その際に公子殿下にお渡しできるよう書面を作ってくると」
腰を下ろす。
どうせすぐに逃げ出すだろうと思って、すっかり彼女の食事など頭から消えていた。
こんな失態は初めてだ。
クロトは公爵家の長男として、常に業務は完璧だったはずだった。
「そうか……。」
「お庭の芝生の伸びが気になりましたので、午後は整えてもよろしいでしょうか」
「……ああ、庭の道具は──」
ミシャはすぐにメモを取る。
小さなノートはよれていて、使い続けているのが見てとれた。そのノートの半分以上は使われている。
努力家なのだろう。
「アフターヌーンティーは執務室まで持って来てくれ」
「かしこまりました」
クロトは自室に戻りながら思う。
家族以外との会話って、いつぶりだろう。




