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Chapter 8 ― 風の都とAeris

挿絵(By みてみん)


 Chapter 8 ― 風の都とAeris(エアリス)  


 グランディアを離れてから、七日。

 ルティスたちは西へ向かっていた。

 オルドが最後に残した言葉。

 ――西へ行け。

 ――エアリオンへ。

 その言葉を頼りに、三人は山岳地帯を進んでいた。

 ルティスの腹部には、まだ傷が残っている。

 歩けないほどではない。

 けれど、長く歩けば鈍い痛みが戻ってくる。

「……大丈夫ですか?」

 ミナが心配そうに尋ねる。

「平気」

「でも、顔色悪いですよ」

「少し痛むだけ」

 ルティスはそう言って歩き続けた。

 隣ではカイルが苦笑する。

「無理するなよ」

「してないわ」

「してる奴は、だいたいそう言うんだ」

「……うるさい」

「おんぶするか?」

「ずるいです!」

 ルティスが返事をする間もなく、ミナが割り込んだ。

「眠い奴と怪我人は別だろ」

「……結構よ」

 ルティスはそう言ったが――

 ほんの少しだけ、口元が緩んだ。


 太陽が真上に昇る頃。

 三人は山の中腹にある、小さな集落へ辿り着いた。

 十数軒ほどの家が斜面に並び、その周囲を高い山々が取り囲んでいる。

 旅人が立ち寄ることも少ないのだろう。

 三人が歩いていると、住民たちが珍しそうにこちらを見ていた。

 宿を見つけ、荷物を置く。

 その日は無理に先へ進まず、身体を休めることにした。

 夕食の席。

 ルティスは宿の主人に尋ねた。

「この辺りに、昔から伝わる不思議な場所はありませんか?」

「不思議な場所?」

「空に浮かぶ街とか……」

 主人の手が止まった。

「……エアリオンか」

 ルティスが顔を上げる。

「知ってるんですか?」

「ああ」

 主人は窓の外を見る。

「風の都、エアリオン」

 カイルが身を乗り出す。

「どこにある?」

「それが分からん」

「え?」

「見た者はいる。だが、辿り着いた者はほとんどいない」

 主人は首を振った。

「この山に住んでいる者なら、一度くらい話を聞いたことがある。雲の上に浮かぶ街。風と共に現れ、風と共に消える街だ」

「現れたり、消えたりするんですか?」

 ミナが尋ねる。

「そう言われている」

 主人は頷く。

「いつも見えるわけじゃない。風の流れが変わった時だけ、山のどこかに姿を見せるらしい」

「風の流れ……」

 ルティスが呟く。

 その隣でミナが窓の外を見ていた。

「……」

「ミナ?」

「風が、おかしい」

「え?」

 ミナは立ち上がった。

「ちょっと外、見てきます」

 三人は宿の外へ出た。

 夕暮れの山。

 木々の間を強い風が吹き抜けている。

 ミナは目を閉じた。

 しばらく何も言わない。

 ただ風を感じている。

「……こっちは西から」

 ミナが片手を上げる。

 そして身体の向きを変える。

「でも、あっちは南から吹いてる」

「同じ場所なのに?」

「うん」

 さらに数歩移動する。

挿絵(By みてみん)

 髪が反対方向へ揺れた。

「ここは……北から」

 カイルが眉をひそめる。

「どうなってるんだ?」

「分かりません」

 ミナは空を見上げた。

「でも、自然な風じゃない」

 ルティスも風を感じようとする。

 だが、ミナほど細かな違いは分からない。

「何かがあるの?」

「たぶん」

 ミナが遠くを指差した。

 山々の間。

 そこだけ雲が不自然なほど低く垂れ込めている。

「……あそこ」

 ルティスはペンダントを取り出した。

 中央の針が、かすかに震えていた。

「反応してる」

「Aeris(エアリス)ですか?」

「分からない。でも――」

 針は西を示している。

「この先に、何かある」

 カイルが地図を広げた。

「でも道がないぞ」

「地図にも?」

「ああ。この先は崖と山しかない」

 ミナが笑った。

「じゃあ、風に聞いてみましょう」

「風に?」

「私、こういうの得意なんで」

 カイルがミナを見る。

「頼もしいな」

「もっと言ってください」

「調子に乗るな」

「褒めたのに!」

 ルティスは二人を見て、小さく息を吐いた。

「今日は休むわよ」

「え?」

 ミナが振り返る。

「もう暗くなる」

 ルティスは山の向こうを見る。

「行くなら明日の朝」

 カイルが頷いた。

「それがいい」

「……はーい」

 ミナは少し残念そうに答えた。


 翌朝。

 三人は日の出とともに集落を出た。

 山道をしばらく進み、やがて道を外れる。

「こっちです」

 ミナが先頭を歩く。

 風を感じながら、一歩ずつ進んでいく。

 西。

 ルティスのペンダントも、同じ方向を示している。

 最初のうちは順調だった。

 しかし一時間ほど歩いた頃。

「……おい」

 カイルが突然、足を止めた。

「どうしたの?」

「これ」

 足元を指差す。

 そこには三つの小さな石が積まれていた。

「石?」

 ミナが首を傾げる。

「俺が置いた」

「いつ?」

「一時間くらい前だ」

「……え?」

 ミナの顔から笑みが消えた。

 カイルは近くの木を見る。

 幹には、小さな傷。

「これも俺がつけた」

 ルティスは周囲を見る。

 岩。

 木。

 少し離れた崖。

 確かに見覚えがある。

「戻ってきた……?」

「そんなはず……」

 ミナが風を確かめる。

「ずっと西へ進んでたはずです」

 ルティスはペンダントを見る。

 針は今も西を指している。

「結界とかは特に感じられなかったけど」

「じゃあ、どうして同じ場所に戻る?」

 カイルが尋ねる。

 誰も答えられない。

 ミナは再び目を閉じた。

 風が髪を揺らす。

「……西から吹いてる」

 数歩進む。

「こっちは南」

 さらに進む。

「今度は北……」

「またか」

 カイルが呟く。

 ミナは眉を寄せた。

「おかしい……」

「ミナ?」

「風が変わってるんじゃない」

「どういうこと?」

「私たちが動くたびに――」

 ミナは周囲を見る。

「風の向きが変えられてる」

 ルティスが目を細める。

「誰かが?」

「分かりません。でも……」

 ミナは足元の草を見る。

「たぶん、私たちは道を間違えたんじゃない」

 風が吹く。

「風に、道を変えられてる」

「……風に?」

 カイルが空を見る。

「じゃやっぱりリーヴェルの時の森の結界とは違いそうだな」

「そうね」

 ルティスはペンダントを見る。

 針は西を指したまま。

「ペンダントはAeris(エアリス)の方向を示してる」

「でも、その方向へ歩けば戻される」

 ミナが言う。

「場所が分かっても、辿り着けない……」

 三人は黙った。

 エアリオン。

 見た者はいる。

 だが――

 辿り着いた者はほとんどいない。

 宿の主人の言葉が、ようやく意味を持ち始めた。

「……なるほどな」

 カイルが頭を掻く。

「そりゃ見つからないわけだ」

 ルティスは西を見る。

「でも、あるのは間違いない」

「はい」

 ミナも頷いた。

「だったら――」

 ルティスは歩き出す。

「仕組みを見つける」

「簡単に言うなあ」

「他に方法ある?」

「ない」

 三人は再び歩き始めた。


 それから何度も進路を変えた。

 西へ進めば南へ戻される。

 南へ進めば東へ出る。

 風を追えば、いつの間にか元の場所へ戻っている。

 まるで山そのものが巨大な迷路になっているようだった。

「……もう!」

 ミナが声を上げる。

「風のくせに!」

 カイルが振り返る。

「風に怒る奴、初めて見たぞ」

「だって、さっきから嘘ばっかりなんですよ!」

「風が嘘をつくのか?」

「ついてます!」

「風に聞けば分かるんじゃなかったのか?」

「今それ言います!?」

 ルティスが小さく笑う。

「仲良いわね」

「よくないです!」

「よくない」

 二人の声が重なった。

 しばらく進んだところで――

「待って」

 ルティスが足を止めた。

 木々の間。

 苔に覆われた何かがある。

「石?」

 三人で近づく。

 それは――

 古い石碑だった。

 半分ほど地面に埋まり、表面には古代文字が刻まれている。

 ルティスが苔を払う。

「読めるのか?」

「少しなら」

 文字を目で追う。

 風雨に削られ、多くは読めない。

 だが――

 一行だけ残っていた。

「……『風を追う者、都へ至らず』」

「風を追う者?」

 ミナが首を傾げる。

「都って、エアリオンのことですよね?」

「たぶん」

「でも……」

 ミナは困った顔をする。

「風の都なのに、風を追ったら駄目なんですか?」

「そう書いてあるな」

「じゃあ何を追えばいいんです?」

「俺に聞くな」

「カイルさん、こういう時役に立たないですね」

「剣で解決できるなら任せろ」

「石碑を斬っても駄目ですよ」

「分かってる」

 ルティスは石碑を見つめた。

 ――風を追う者、都へ至らず。

「風を追う……」

 何かが引っかかる。

 しかしまだ答えは出ない。

「もう少し調べよう」

 三人はさらに山の奥へ進んだ。


 昼を過ぎた頃。

 三人は大きな断崖へ辿り着いた。

 その先には何もない。

 ただ雲が広がっている。

「行き止まりですね」

 ミナが言った。

 カイルが崖下を覗く。

「落ちたら終わりだな」

「縁起でもないこと言わないでください」

 ルティスはペンダントを見る。

「……おかしい」

「どうした?」

「針」

 ペンダントの針は崖の向こうを指していた。

「向こう?」

 カイルが見る。

「何もないぞ」

「でも、針はこっちを指してる」

 ミナが崖際まで近づいた。

「ちょっと待って」

 目を閉じる。

 風が吹く。

 ミナの赤い髪が後ろへ流れた。

「……」

「どう?」

「変です」

「また?」

「違う」

 ミナは目を開けた。

 もう一度、風を確かめる。

「今までの風と違う」

「何が?」

「向き」

 ミナが崖の向こうを見る。

「今まで私たちが追ってた風は、全部――山の奥へ向かって吹いてた」

「それが?」

「この風だけ逆なんです」

「逆?」

「こっちへ吹いてる」

 ミナは崖の向こうを指差した。

「何もない場所から」

 ルティスが目を細める。

「……エアリオンから?」

 ミナの表情が変わった。

「……そういうことか」

「何か分かった?」

「風を追っちゃ駄目なんです」

 ミナが振り返る。

「私たちはずっと、風が向かう先を追ってた」

「うん」

「でも、あの風は全部――侵入者を遠ざけるための風だったんです」

 カイルも気づく。

「つまり……」

「エアリオンへ向かう風を探すんじゃない」

 ミナは崖の向こうを見る。

「エアリオンから吹いてくる風を――逆に辿る」

 風が吹く。

 まっすぐ雲の向こうから。

「この先です」

 ミナが言った。

 カイルが崖を見る。

「この先って……」

 何もない。

「崖だぞ」

「はい」

「はい、じゃない」

「でも風はこっちです」

「道がないだろ」

「……たぶんあります」

「たぶん?」

「風は、こっちだって言ってます」

「さっき風に騙されたばかりだろ」

「今度は大丈夫です!」

 一拍。

「……たぶん」

 カイルが眉をひそめた。

「増えたぞ、たぶんが」

「じゃあカイルさん、先に行きます?」

「なんで俺なんだ」

 ルティスは二人の横を通り過ぎた。

「ルティス?」

「確かめればいい」

「ちょっと待て」

 ルティスは崖際に立った。

 その先。

 空しかない。

 腹部に手を当てる。

 そして――

 一歩。

 踏み出した。

「ルティスさん!?」

 ミナが叫ぶ。

 その瞬間。

 ――フワッ。

 ルティスの足元で風が渦を巻いた。

「……!」

 何もなかった空間に淡い光が走る。

 一枚。

 また一枚。

 透明な石のようなものが、空中に浮かび上がっていく。

 それはやがて雲の中へ伸びる一本の橋となった。

「……道が出た」

 ミナが呟く。

 カイルはルティスを見る。

「お前な……」

「何?」

「なかったらどうするつもりだった」

「幻影移動(シャドウ・ステップ)でカイルかミナの影に移動するつもりだったわ」

「なるほど……影魔法って便利だな」

 ルティスは少しだけ笑った。

「行きましょう」

 三人は橋を渡り始めた。


 橋の先は、厚い雲に覆われていた。

 一歩進むたび、周囲が白くなる。

 やがて後ろの山すら見えなくなった。

「何も見えませんね」

「離れるなよ」

「分かってます」

 風だけが吹いている。

 しかし今度の風は三人を押し戻そうとはしなかった。

 むしろ導いている。

「この風……」

 ミナが呟く。

「優しい」

 ルティスは前を見る。

 ペンダントの針が強く震え始めた。

 Ignis(イグニス)。

 Aqua(アクア)。

 Gaia(ガイア)。

 三つの宝玉も淡く輝いている。

「近い」

 さらに進む。

 十歩。

 二十歩。

 そして――

 突然、風が止んだ。

「……?」

 次の瞬間、目の前の雲が左右へ割れた。

「……!」

 ルティスが息を呑む。

 青い空。

 その中に、巨大な都市が浮かんでいた。

 白い石造りの塔。

 空を渡る無数の橋。

 ゆっくりと回る巨大な風車。

 塔と塔の間を行き交う小さな飛行船。

 風を受け、色とりどりの布が空を泳いでいる。

 そしてそのすべてを支える巨大な大地が。

 雲より高い空に浮かんでいた。

「……本当に……」

 ミナが言葉を失う。

「浮いてる……」

 カイルも、しばらく何も言わなかった。

「どうやって造ったんだ……これ」

 ルティスは胸元へ手を当てる。

 三つの宝玉が、強く輝いている。

 その向こう。

 街の中心から青白い光が応える。

「……エアリオン」

 風の都。

 オルドが示した場所。

 そして――

 四つ目の宝玉が眠る街。

 ようやく三人は辿り着いた。


 ――風の都、【エアリオン】

 そこは、地上とはまったく違う都市だった。

 建物の間を風が流れている。

 空中には、小さな船が浮かんでいた。

 魔法で動く飛行船。

 街の中央では、巨大な風車がゆっくりと回っている。

 風に合わせて揺れる色とりどりの布。

 風を受けて回る小さな羽根を売る店。

 空を飛ぶ魚のような生き物を籠から逃がして遊ぶ子供たち。

 街全体が風と共に生きていた。

「……人がいっぱいいますね」

 ミナが驚く。

「ああ」

 カイルも周囲を見渡した。

「空に住んでる人間なんて、本当にいるんだな」

 近くを歩いていた男が振り返った。

「珍しいか?」

「え?」

 男は笑う。

「地上から来た人間を見るのは久しぶりだ」

 ルティスが尋ねる。

「この街の人たちは、ずっとここで暮らしているんですか?」

「ああ」

 男は空を見上げた。

「エアリオンは、風と共に生きる街だ」

「どうして空に?」

 男の表情が少し曇る。

「昔、この街が地上にあった頃――大きな災いがあった」

「災い?」

「ああ」

 男はそれ以上を語らなかった。

「それ以来、我々は地上から離れた」

 その時――

 ルティスの胸元で三つの宝玉が淡く光った。

 男の目が、その光を捉える。

「……その宝玉」

 ルティスが顔を上げる。

「知っているんですか?」

「もちろんだ」

 男は静かに答えた。

「この街の守護者が持つものと、よく似た力を感じる」

「守護者?」

「風竜だ」

 その言葉にミナの目が輝いた。

「竜……!」

 男は街の中央にそびえる塔を指差した。

「あの塔の上に、風竜が現れることがある」

「だったら、そこへ行けば……」

 その瞬間。

 ――ゴォォォン

 街の鐘が鳴った。

 男の表情が変わる。

 周囲を歩いていた人々も、一斉に空を見上げた。

「……またか」

「何?」

 カイルも空を見る。

 雲の向こう。

 黒い影がいくつも動いていた。

「……飛行船?」

 黒い船体。

 巨大な翼。

 そして船体に刻まれた紋章。

 ルティスの目が細くなる。

「暁の教団……」

 男の顔から血の気が引いた。

「奴らだ」

「前にも?」

「何度も来ている」

「何をしに?」

 男は中央の塔を見る。

「Aeris(エアリス)を狙っているんだろう」

「Aeris(エアリス)……」

 ルティスが呟く。

「そして、この街の風の力を」

 カイルが剣に手をかける。

「宝玉だけじゃないのか」

「色々欲しがりすぎじゃないですか!?」

挿絵(By みてみん)

 再び鐘が鳴る。

「子供たちを中へ!」

「窓を閉めろ!」

「飛行船を格納庫へ!」

 街が一気に慌ただしくなった。

 その瞬間、雲が大きく割れた。

「……!」

 巨大な翼。

 白銀の身体。

 青い瞳。

 一匹の竜が、空から現れた。

 ミナが息を呑む。

「……風竜」

 竜が翼を広げる。

 ――ゴォォォォッ!!

 強烈な風がエアリオン全体を包み込んだ。

 黒い飛行船が大きく揺れる。

「うわっ!」

 ミナが身体を支える。

 風竜は街の上空を旋回していた。

「街を守ってる……」

 カイルが剣を抜く。

 次の瞬間。

 飛行船から魔法弾が放たれた。

 ――ドォン!

 風竜が翼を振る。

 巨大な風の壁が生まれ――

 魔法弾を弾き飛ばした。

 ――ドォォン!!

「すごい……」

 ミナが呟く。

 だが、教団も攻撃を止めない。

 複数の飛行船が左右へ展開する。

「挟むつもりだ」

 カイルが言う。

 飛行船から、黒いローブを纏った教団員たちが飛び降りてくる。

「来ます!」

 ミナが弓を構える。

「街の人を巻き込ませるな!」

 カイルが走り出した。

「分かってる!」

 三人がそれぞれ動く。

 カイルが教団員を引きつける。

 ミナが遠距離から敵の魔法を撃ち落とす。

 ルティスは短剣を抜いた。

「――幻影(ファントム)」

 足元の影が伸びる。

 もう一人のルティスが現れ、教団員の視線を引きつけた。

「なっ……!」

 敵が幻影へ魔法を放つ。

 その背後。

 本物のルティスが影から現れた。

「遅い」

 短剣の柄を叩き込む。

 教団員が倒れた。

「ルティスさん!」

 ミナが叫ぶ。

「上!」

「……!」

 ルティスが空を見る。

 風竜は飛行船と戦っている。

 だがその動きが少しずつ鈍くなっていた。

「……風が、変わってる」

 ミナが呟く。

「どういうこと?」

「教団の魔法が、風の流れを乱してる!」

 ミナは街全体を見渡す。

「このままだと、風竜が街の風を使えなくなる!」

 ルティスも周囲を見る。

 巨大な風車。

 塔。

 橋。

 建物の間に張られた巨大な布。

 そして街全体を流れる風。

「……街そのものが、風竜を助けてる」

「そうです!」

 ミナが頷く。

「全部の風が繋がってるんです。でも、教団がその流れをバラバラにしてる!」

 ルティスは理解した。

「なら――戻せばいい」

「どうやって?」

 カイルが敵の剣を弾きながら叫ぶ。

 ルティスはミナを見る。

「ミナ」

「はい!」

「ここへ来た時と同じよ」

「え?」

「風を見るの」

 ミナが街を見渡す。

 ルティスは続ける。

「私たちじゃ分からない」

「……」

「でも、あなたなら分かる」

 ミナの表情が変わった。

「風の流れを戻せる?」

 一瞬だけ。

 ミナは黙った。

 そして――

「やってみます!」

 弓を構える。

 目を閉じる。

 街中を吹く風。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 無数の流れ。

 ミナの中でそれらが一本ずつ繋がっていく。

「……見える」

 目を開く。

「この街の風は――全部繋がってる」

 矢を放つ。

挿絵(By みてみん)

 ――ヒュン!

 一発目。

 風車の留め具。

 風車の向きが変わる。

 二発目。

 塔に張られた巨大な布。

 固定具が外れ、風を受けて大きく広がる。

 三発目。

 橋の上にある風向板。

 向きが変わる。

 さらに――

 二本の矢。

 同時に放つ。

 風が矢を包み――

 左右へ軌道を変えた。

「行って!」

 ――ヒュン!!

 二つの装置が同時に動く。

 風が変わった。

 一つ。

 また一つ。

 乱れていた流れが繋がっていく。

 そして――

 街全体を一つの巨大な風が駆け抜けた。

「……!」

 風竜が大きく翼を広げる。

 ――ゴォォォォォッ!!

 街中の風が、一気に空へ集まった。

 巨大な風の渦が空へ伸びる。

 黒い飛行船が大きく傾く。

「高度を保てない!」

「退け!」

「撤退しろ!」

 教団員たちの声が響く。

 黒い飛行船が一隻。

 また一隻。

 雲の向こうへ押し戻されていく。

 風竜は追わなかった。

 ただ、街の上空に留まっていた。

 やがて風が静かになる。

 エアリオンに、穏やかな空気が戻った。

「……行ったか」

 カイルが剣を収める。

 ミナも弓を下ろした。

 だが、ルティスは風竜を見つめていた。

 風竜の胸元。

 そこに、青白い光がある。

 Aeris(エアリス)。

 ルティスの胸元にある三つの宝玉も、静かに光っている。

 Ignis(イグニス)。

 Aqua(アクア)。

 Gaia(ガイア)。

 そして風竜の胸に宿る青白い光。

 四つの光が共鳴した。

「……呼んでる」

 ルティスが呟く。

「誰が?」

 カイルが尋ねる。

「風竜が」

 ルティスは中央の塔を見上げた。

「行ってくる」


 塔を登る。

 長い螺旋階段。

 一段。

 また一段。

 傷が痛む。

 それでもルティスは足を止めなかった。

 やがて最上階へ辿り着く。

 そこには風竜がいた。

 街を見下ろしている。

 白銀の翼。

 青い瞳。

 そして、胸元に輝くAeris(エアリス)。

 ルティスがゆっくりと近づく。

 風竜は逃げない。

 ただ青い瞳でルティスを見つめている。

 ――ドクン

「……っ」

 胸の奥が痛んだ。

 風竜が口を開く。

『……オ前ハ』

 ルティスが目を見開く。

「……あなたが、話してるの?」

『私ハ、オ前ヲ知ッテイル』

「私を?」

『遠イ昔――見テイタ』

 ルティスの胸がざわつく。

「私を知っているなら教えて」

『何ヲ?』

「エレナを」

 風竜の目が細くなる。

『……ソノ名ヲ覚エテイルノカ』

「知ってるの?」

 風竜は答えなかった。

 代わりにルティスの胸元を見る。

 Ignis(イグニス)。

 Aqua(アクア)。

 Gaia(ガイア)。

『オ前ノ記憶モ――同ジダ』

「……どういう意味?」

『イツカ、スベテ戻ル』

 ルティスが一歩近づく。

「その時……何があるの?」

 風竜の声が響く。

『オ前ハ、自分デ選バナケレバナラナイ』

「何を?」

『過去カ』

 ルティスの目が揺れる。

『ソレトモ――』

 風竜が空を見上げる。

『未来カ』

 ルティスは黙った。

 その言葉だけが胸の奥に残る。

「エレナは?」

 ルティスが尋ねる。

「エレナは、どこにいるの?」

 風竜は静かに答えた。

『ソノ答エハ――』

 一陣の風が吹き抜ける。

『次ノ場所ニアル』

「待って!」

 ルティスが手を伸ばす。

 その指先がAeris(エアリス)に触れた。

 青白い光が弾ける。

 風竜の身体が、無数の風へ変わっていく。

「待って!」

 ルティスが叫ぶ。

「エレナのことをもっと――!」

『雷ノ街ヘ行ケ』

 風竜の声が遠ざかる。

『ソコニ、次ノ答エガアル』

 そして風竜の姿が消えた。

 ルティスの手の中に一つの宝玉が残っていた。

 青白い光。

 Aeris(エアリス)。

 四つ目の宝玉だった。


 しばらくして塔を降りると、街は少しずつ復旧作業を開始していた。

 壊れた建物を直す者。

 飛ばされた荷物を拾う者。

 泣いていた子供を抱きしめる母親。

 さっきまで戦場だった場所を癒すように、穏やかな風が流れている。

 カイルとミナがルティスのもとへ歩いてきた。

「風竜は……?」

「もういないわ」

 ルティスが答える。

「そう……」

 ミナは空を見上げた。

 ルティスは手の中のAeris(エアリス)を見る。

「守護者と戦わずに手に入れちゃったんですか?」

「うん」

 カイルが尋ねる。

「何か分かったか?」

「少しだけ」

 ルティスはAeris(エアリス)を見つめる。

「風竜は、私を知ってた」

「お前を?」

「遠い昔に見たって」

 カイルとミナが顔を見合わせる。

「それから――」

 ルティスは少し間を置いた。

「いつか、すべて戻るって」

「……記憶が?」

「たぶん」

 そして。

 あの言葉。

 ――過去か。

 ――未来か。

 今はまだ、その意味が分からない。

「街を守り、人々とお互い支え合いながら一緒に生きてる。そんな守護者もいるんですね」

 ミナが街を見回しながら言う。

「宝玉も街を救うのに協力したからお礼ってことですかね?」

 ミナが言うが、恐らくそれは違う。

 風竜はこの先に何が起きるのか知っていた。

「次は?」

 カイルが聞く。

「雷の街」

 ルティスはペンダントを見る。

 四つの宝玉が静かに輝いている。

 中央の針がゆっくりと向きを変えた。

 東。

「東ね」

 ミナが遠くを見る。

 遥か地平線の向こう。

 黒い雷雲が渦巻いていた。

 その奥で紫電が瞬く。

「……あそこ?」

「たぶん」

 ルティスは四つの宝玉を見る。

 Ignis(イグニス)。

 Aqua(アクア)。

 Gaia(ガイア)。

 Aeris(エアリス)。

 残る宝玉は三つ。

 Volt(ボルト)。

 Lumia(ルミア)。

 そして――

 Umbra(アンブラ)。

 その最後の名前を思い浮かべた瞬間。

 ルティスの足元の影がほんのわずかに揺れた。

「……?」

 ルティスが足元を見る。

 誰も気づいていない。

 影の奥。

 一瞬だけ、銀紫の髪が見えた気がした。

「……エレナ?」

 だが、そこには何もない。

 ただの影だった。

「ルティス?」

 カイルが呼ぶ。

「……なんでもない」

 ルティスは顔を上げた。

「地上に戻ろう」

「おう」

「はい!」

 三人は歩き始める。

 風の都を背にして。

 来た時には隠されていた道。

 けれど今は穏やかな風が三人の進む道を示していた。

 ルティスは隣を歩くミナを見る。

「ミナ」

「はい?」

「ありがとう」

「……え?」

「あなたがいなかったら、ここには来られなかった」

 ミナが目を丸くする。

 そして、嬉しそうに笑った。

「もっと言ってください」

「一回だけよ」

「えー!」

 カイルが笑う。

「調子に乗るからやめとけ」

「カイルさんは黙っててください!」

 三人の声が、風の中へ消えていく。

 ルティスはもう一度エアリオンを振り返った。

 風の都。

 Aeris(エアリス)。

 そしてエレナを知っていた風竜。

 まだ、何も分からない。

 自分自身に封じられた記憶も。

 エレナがどこにいるのかも。

 八年前に何があったのかも。

 それでも――

 もう、止まるつもりはなかった。

 ルティスは胸元のAeris(エアリス)に触れる。

 青白い光が、指先を淡く照らした。

「……エレナ」

 小さく名前を呼ぶ。

 そして三人は東へ向かう。

 その先に待つ紫電の街。

 五つ目の宝玉。

 Volt(ボルト)へ


 ――Chapter 8 END

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