Chapter 3 ― Ignisの守護者
Chapter 3 ― Ignisの守護者
炎の湖が、大きくうねった。
ゴォォォォッ――!
巨大な炎の獅子が、二人を睨みつけている。
そのたてがみが炎のように揺れた。
ルティスは短剣を構える。
隣では、カイルが剣を握っていた。
「……あれ、本当に倒せるの?」
「さあな」
「さあなって……」
カイルは獅子から目を離さない。
「でも、やるしかないだろ」
「……そうね」
獅子が低く唸った。
次の瞬間――
地面が爆発した。
「来る!」
巨大な炎の爪が振り下ろされる。
ルティスは右へ飛び込んだ。
――ズガンッ!
石床が砕ける。
飛び込んだ勢いを利用し、ルティスは獅子の側面に回り込む。
「そこ!」
短剣を振る。
――キィン!
「……硬い!」
刃が炎に包まれた皮膚に弾かれた。
獅子が振り返る。
燃える瞳が、ルティスを捉える。
「まずい……!」
獅子の口が開いた。
その奥に、真っ赤な炎が集まっていく。
「伏せろ!」
カイルが叫ぶ。
ルティスが身を伏せた瞬間――
ゴォォォォッ!!
炎の奔流が頭上を通り過ぎた。
背後の壁が一瞬で赤く染まり、石が溶ける。
「……あれをまともに食らったら、骨も残らないわね」
「あいつ何食っても火傷しないよな」
「そう言う問題!?」
「猫科のくせに猫舌じゃないぜ、きっと」
「……変な人」
カイルが笑った。
その瞬間、獅子が再び突進する。
「来るぞ!」
カイルが前へ出た。
剣を横薙ぎに振る。
炎の獅子の爪と剣がぶつかった。
――ガァン!
「ぐっ……!」
カイルの身体が押し返される。
だが、踏みとどまった。
「今だ!」
「分かった!」
ルティスは獅子の足元へ、短剣を連打で切り込む。
ほんの一瞬。
獅子の動きが止まった。
「カイル!」
「任せろ!」
カイルが走る。
剣を振り上げ、炎の身体を斬り裂いた。
その瞬間。
獅子の胸の奥に、赤い光が見えた。
「……あれ!」
「核か!」
「たぶん!」
ルティスは獅子の懐へ飛び込む。
獅子が身体を捻る。
炎の爪が迫る。
ルティスは紙一重でかわした。
そのまま獅子の側を並走したまま、体を捻る。
「――ここ!」
短剣を逆手に構える。
赤い光へ向かって、一気に踏み込んだ。
――ズンッ!
短剣が、炎の核を貫いた。
獅子の動きが止まる。
「……!」
炎が、一瞬だけ静かになった。
そして――
巨大な身体が、無数の光の粒へと変わっていく。
赤い光が舞う。
炎の湖が、ゆっくりと静まっていった。
「……終わった?」
ルティスが呟く。
カイルは剣を下ろした。
「みたいだな」
静寂が戻った。
中央の祭壇だけが、炎の湖の上に残っている。
その上には、一つの赤い宝玉。
Ignis。
ルティスはゆっくりと近づいた。
怖さはなかった。
むしろ呼ばれているような気がした。
ルティスは、もう動かなくなった炎の獅子を見る。
「……」
ルティスは祭壇へ手を伸ばした。
指先がIgnisに触れる。
炎の粒が一つルティスの胸元へ落ちると同時に、ペンダントが淡く光る。
――ドクン
「……っ!」
胸の奥が大きく脈打った。
視界が揺れる。
炎。
赤い光。
そして、誰かが泣いている。
銀紫の髪。
白い服。
あの少女。
少女がこちらへ手を伸ばしている。
『ルティス……』
「……エレナ?」
名前が、自然に口から出た。
けれど――
次の瞬間には、すべて消えていた。
「……今の、何?」
ルティスは額を押さえた。
何かを見た。
確かに見た。
けれど、その意味は分からない。
ただ少女の表情だけが、妙に胸に残っていた。
悲しそうな顔。
それだけだった。
「大丈夫か?」
カイルの声が聞こえる。
「……平気」
「顔色が悪いぞ」
「ちょっと、変なものが見えただけ」
「何が?」
ルティスは答えなかった。
代わりにIgnisを見る。
「……この宝玉に触れたら、女の子が見えた」
カイルの表情が変わった。
「さっき呼んでたエレナって子か?」
「知ってるの?」
「いや」
カイルは少し考える。
「ただ……その宝玉が見せたってことか?」
「分からない」
カイルは祭壇を見た。
「宝玉は単なる魔法の道具じゃないらしい」
そのとき。
Ignisの下に刻まれた文字が、赤く浮かび上がった。
「……古代文字ね」
「読めるのか?」
「えぇ、これなら何とか」
ルティスは文字を追っていく。
「……『炎は願いを映す』」
「願いを?」
「その下に続きがある」
カイルは眉を寄せた。
「『願いを映すものは、同時に――』」
そこで言葉が途切れた。
「……読めないか?」
「違う」
ルティスは首を振った。
「文字が欠けてる」
ルティスは黙って文字を見る。
願い。
炎。
少女。
何が繋がっているのか、まだ分からない。
ただ――
この宝玉が、自分に何かを見せた。
それだけは確かだった。
ルティスはIgnisを手に取る。
赤い光が、掌の中で静かに揺れた。
「……まさか本当に宝玉を手にするとは思ってなかったわ」
その時。
――コツコツコツ
こちらに歩いてくる靴底の音、しかも複数。
カイルが振り返る。
「……今の音、聞いたか?」
「ええ」
二人は入口を見る。
遠くから、人の気配を感じる。
「……来たな」
カイルが剣を抜く。
「誰?」
「恐らく……」
足音が近づいてくる。
一つ。
二つ。
やがて、遺跡の入口に人影が現れた。
黒いローブ。
その奥に、複数の魔導士。
そして中央に――銀色の仮面をつけた男。
ルティスの胸がざわついた。
ベルナ村で見た男。
男はゆっくりと杖を持ち上げた。
「本当に手に入れるとはな」
低い声が響く。
「その宝玉をこっちに貰おうか」
ルティスはIgnisを握りしめる。
「……嫌」
男の仮面の奥で、何かが動いた。
「そうか」
杖の先に、黒い魔力が集まっていく。
「ならば――」
周囲の魔導士たちが一斉に魔法陣を展開した。
炎。
雷。
氷。
複数の魔法が、二人へ向けられる。
カイルが剣を構えた。
「ルティス」
「何?」
「逃げるぞ」
「……戦わないの?」
「相手の数を見ろ」
ルティスは周囲を見る。
一人。
二人。
三人……七人。
それ以上。
「……なるほど」
ルティスの足元に、黒い影が広がった。
カイルが笑う。
「話が早くて助かる」
「勘違いしないで」
「何を?」
「あなたを助けるためじゃない」
ルティスはIgnisを鞄へしまう。
「私が死にたくないだけ」
「それで十分だ」
男が杖を振り上げる。
「逃がすな!」
魔法が放たれた。
轟音。
炎と雷が遺跡を走る。
ルティスはカイルの腕を掴んだ。
「――飛ぶわよ!」
「え?」
二人の足元から、巨大な影が広がる。
「影魔法――!」
次の瞬間。
二人の姿が、影の中へ消えた。
魔法が祭壇を直撃する。
――ドォォォン!!
石壁が崩れ落ちる。
炎の湖が大きく揺れた。
しかし二人はもう、遺跡の外へ出ていた。
森の中。
しばらく走ってから、ルティスは足を止めた。
「……ここまで来れば、大丈夫」
カイルも息を整える。
「すごいな、今の魔法」
「そう?」
「影の中を移動しただろ」
「……まあね」
「珍しい魔法だよな」
ルティスの表情が少しだけ曇る。
「学院で習ったものを、自分なりに使ってるだけ」
「そうか」
カイルはそれ以上聞かなかった。
少しの沈黙。
やがてカイルが言う。
「そういえばまだ名前聞いてなかったな」
ルティスは偽名を名乗ろうかとも考えたが止めておいた。
「ルティスよ」
何を満足したのか、笑みを込めてカイルはこう言った。
「なぁ、お前について行っていいか?」
ルティスが振り返る。
「……どうして?」
「Ignisを探していた理由がある」
カイルは、燃え尽きた森の向こうを見る。
「俺の故郷は、昔、宝玉を巡る争いに巻き込まれた」
「……」
「町はなくなり、みんな死んだよ……」
静かな声だった。
「だから知りたい」
カイルは剣を鞘へ戻す。
「俺の家族や故郷を失った理由を知りたい」
ルティスはIgnisに触れた。
赤い光が、布越しにわずかに伝わってくる。
「……私も、知りたい」
「じゃあ――」
「でも」
ルティスがカイルを見る。
「あなたを仲間にするとは言ってない」
「……冷たい子だなぁ」
カイルが苦笑する。
ルティスは歩き始めた。
「ただ……」
一度だけ振り返る。
「いいわ。一人より、二人の方が生き残れそうだから」
カイルは少し驚いた顔をして――
笑った。
「十分だ」
二人は森の中を歩き始めた。
胸元には、最初の宝玉。
Ignis。
そして名前しか分からない、一人の少女。
エレナ。
その少女が何者なのか。
なぜ、自分は彼女を知っているのか。
その答えは、まだ遠い。
ただ――
ルティスのペンダントは、すでに次の方向を示し始めていた。
赤い光の隣。
青い宝石が、ほんの一瞬だけ――
淡く輝いた。
――Chapter 3 END




