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Chapter 2 ― Ignis

挿絵(By みてみん)


 Chapter 2 ― Ignis(イグニス)


 炎の獅子を追って、ルティスは森の奥へ進んでいた。

 ベルナ村の姿は、もう見えない。

 木々の間を抜けるたび、空気が少しずつ熱を帯びていく。

 それなのに森は静かだった。

 鳥の声もない。

 虫の音もない。

 いつの間にか、風さえ止まっている。

 聞こえるのは、自分の足音と。

 遠くから響く、何かが燃えるような音だけだった。

「……どこまで行くのよ」

 ルティスは小さく呟いた。

 少し先を歩いていた炎の獅子が振り返る。

 燃える瞳が、じっとルティスを見つめた。

「……待って」

 獅子は答えない。

 当然だ。

 分かっている。

 それでも、何か言いたくなる。

「せめて目的地くらい教えてくれてもいいでしょ」

 炎の獅子は再び前を向いた。

「……無視?」

 そのまま歩き始める。

「本当に道案内してるのかしら」

 ルティスは小さく息を吐き、あとを追った。

 胸元からペンダントを取り出す。

 中央の針は、炎の獅子が進む方向を示している。

 周囲に刻まれた七つの宝石。

 その中でIgnis(イグニス)を示す赤い宝石だけが、一定の間隔で明滅していた。

 まるで鼓動のように。

「……やっぱり、こっちなのね」

 ペンダントを服の中へ戻す。

 そして再び歩き出した。


 どれくらい進んだだろう。

 森の様子が変わり始めた。

「……?」

 ルティスは足を止める。

 木々の幹が黒い。

 燃えた跡――ではない。

 葉は生い茂っている。

 木そのものは生きている。

 なのに、幹の一部だけが炭のように黒く変色している。

 近づいて触れてみる。

「……熱い」

 わずかに熱を持っている。

 ルティスは手を離した。

 さらに進む。

 同じような木が増えていく。

 岩。

 地面。

 ところどころに、焦げたような痕跡があった。

 しかし火事が起きたようには見えない。

「森が燃えてるんじゃない……」

 ルティスは周囲を見る。

「何かの魔力に当てられてる?」

 学院で習ったことがある。

 強大な魔力が長期間一つの場所に留まれば、周囲の環境そのものが影響を受けることがある。

 だとすれば。この先にあるものは――

「……本当に宝玉なの?」

 少し先で炎の獅子が振り返った。

「分かった。行くから」

 ルティスが歩き出そうと足を踏み出す。

「……?」

 一歩踏み込んだルティスの足の横に足跡があった。

 ルティスは地面にしゃがみ込んだ。

「これ……」

 明らかにルティスの足より大きい。

 男性の可能性が高い。

 周囲を見る。

 誰もいない。

 炎の獅子は、すでに少し先へ進んでいる。

「……私以外にも、誰か来てる?」

 頭に浮かんだのは。

 銀色の仮面の男。

 ――暁の教団。

「……まさかね」

 そう呟きながらもルティスの手は自然と腰の短剣へ伸びていた。


 しばらく進むと突然――木々が途切れた。

「……!」

 ルティスは立ち止まった。

 森の奥。

 そこに巨大な石造りの遺跡があった。

 崩れた柱。

 苔に覆われた壁。

 半分ほど地面に埋もれた石像。

 石畳の隙間からは草が伸びている。

 長い年月、誰にも触れられていないように見えた。

「こんなところに……」

 学院の資料でもこの辺りに古代遺跡があるという話は聞いたことがない。

 ルティスはゆっくりと近づいた。

 炎の獅子は入口の前まで進むと、足を止めた。

「ここ?」

 獅子を見る。

 その姿が、揺れた。

「え?」

 炎がほどける。

 赤い火の粉となって、風もない空間へ舞い上がる。

「ちょっと――」

 次の瞬間、炎の獅子は跡形もなく消えていた。

「……消えた」

 静寂。

 ルティスはしばらく立ち尽くす。

「案内だけ?」

 返事はない。

「……そう」

 遺跡を見上げる。

「親切なんだか、不親切なんだか分からないわね」

 巨大な石扉。

 その上には、見たことのない文字が刻まれていた。

 ルティスは近づき、指先で文字をなぞる。

「……読めない」

 学院では古代文字も学んだ。

 簡単な碑文なら読むことができる。

 学院の授業で何度か教わった。

 けれど、これは違う。

 もっと古い。

 文字というより、何かの紋様に近い。

 その時。

 ――カチッ

「……?」

 石扉の奥から、小さな音がした。

 直後。

 ゴゴゴゴゴ……

「え?」

 巨大な石扉がゆっくりと動き始める。

 ルティスは一歩後退した。

 同時に。

 入口の左右にある燭台へ、炎が灯った。

 ――ボッ

 一つ。

 さらに奥。

 ――ボッ

 また一つ。

 ――ボッ

 暗闇の中、炎が次々と灯っていく。

 まるでルティスを奥へ導くように。

「……誘ってるの?」

 返事はない。

 胸元。

 ペンダントが熱を帯びている。

 取り出し確認すると、中央の針はまっすぐ遺跡の奥を指していた。

「……」

 ルティスは暗闇を見つめた。

 暁の教団。

 古代遺跡。

 七つの宝玉。

 何が待っているのか分からない。

 けれど。

「ここまで来て帰るのもね」

 短剣を抜く。

「……行くしかないか」

 一歩。

 遺跡の中へ踏み込んだ。


 長い階段が地下へ続いていた。

 一段。

 また一段。

 下へ進むほど空気が熱くなっていく。

「暑……」

 額に汗が浮かぶ。

 燭台の炎はルティスが近づくたびに灯り、通り過ぎても消えなかった。

「……ローブ置いてくれば良かったな」

 ルティスは振り返った。

 長い階段。

 その先には、入口の小さな光。

 誰もいない。

「入口では誰か踏み込んだような形跡があったけど、考えすぎか」

 再び歩き出す。

 しばらくすると階段の先に、広い回廊が現れた。

 壁には無数の紋様。

 炎。

 水。

 大地。

 風。

 雷。

 光。

 そして――

「……影?」

 黒い石で描かれた紋様。

 ルティスは足を止める。

 七つ。

 ペンダントと同じ。

「やっぱり……」

 偶然ではない。

 この遺跡と自分の持つペンダント。

 確実に何かの繋がりがある。

 さらに進む。

 その先に一枚の大きな壁画があった。

「……何、これ」

 中央に細長い亀裂のようなものが描かれている。

 その周囲には――七つの円。

 七つの円は一定の距離を保ったまま、中央の亀裂を囲んでいる。

「七つの……宝玉?」

 そう見えなくもない。

 しかし。

 ルティスには意味が分からなかった。

 円の外側には、人のようなものが描かれている。

 両手を広げ中央の亀裂へ向かって立っている。

 その横。

 古い文字。

「……これも読めない」

 ルティスは目を細める。

 一部だけ。

 学院で習った古代文字に似た形がある。

「……支える?」

 自信はない。

 そこから先は分からない。

「だめ。古すぎる」

 ルティスは壁画から離れようとした。

 その時。

「……?」

 床に何かがある。

 泥。

 靴跡だった。

「……」

 ルティスはしゃがみ込み指で触れると、まだ湿っている。

「新しい……」

 自分の靴の跡とは形も大きさも違う。

 遺跡に入る前に見た足跡に似ている気がした。

「やっぱり誰かいる」

 ルティスは立ち上がった。

 短剣を握る。

 耳を澄ます。

 炎の音。

 自分の呼吸。

 それ以外――

 何も聞こえない。

「……教団?」

 銀仮面の男が自分より先にここへ来た?

 いや。

 ベルナ村で別れた時、遺跡へ向かう様子はなかった。

 なら別の者が先回りした可能性もある。

「……面倒ね」

 ルティスは足跡を追った。

 だが。

 数歩先で跡は途切れている。

「何で?」

 周囲を見る。

 脇道はない。

 隠し扉らしきものもない。

「……引き返した?」

 分からない。

 ただ。

 一つだけ確かになったことがある。

 この遺跡には自分以外の誰かがいる。


 回廊を抜けると再び長い階段。

 そしてその最深部に、巨大な扉が現れた。

「……また扉」

 ルティスが近づく。

 そこには七つの円が刻まれていた。

「七つ……」

 胸元からペンダントを取り出す。

 同じだった。

 七つの宝石。

 配置まで似ている。

「このペンダント……」

 扉を見る。

「この遺跡と同じ時代に作られたもの?」

 だとすれば、ますます分からない。

 なぜそんなものが、学院を出た直前の自分の前に現れた?

「……誰が、あの箱を置いたの」

 答えはない。

 ただ、扉の赤い円が淡く輝き始めた。

 同時にペンダントの赤い宝石が光る。

「Ignis(イグニス)……」

 名前を口にする。

 ――ドクン

「……!」

 ペンダントが脈打つ。

 そして。

 ――ゴゴゴゴゴ……

 巨大な扉が動き始めた。

 隙間から猛烈な熱風が吹き抜ける。

「っ……!」

 ルティスは腕で顔を覆った。

 黒い髪が激しくなびく。

 熱い。

 息をするだけで喉の奥まで焼けそうになる。

 それでも目を開けておく。

 扉が完全に開く。

 その先に巨大な地下空間が広がっていた。


「……何、ここ」

 中央には湖がある。

 けれど水ではない。

 赤い炎が湖のように広がっている。

 ゴォォォォ……

 炎の湖。

 その中央、一本の巨大な石柱が立っていた。

 そしてその頂上に、一つの赤い宝玉が浮かんでいる。

「……あれが」

 ルティスは息を呑んだ。

 拳ほどの大きさの球体。

 深い紅色。

 中心では溶けた炎のような橙色の光が揺らめいている。

 強く。

 弱く。

 ゆっくりと。

 まるで呼吸しているように。

 宝玉の内部には細い光の筋が走っていた。

 炎の流れのように形を変え、中心へ集まり、また四方へ散っていく。

 周囲の炎が石さえ焼き尽くしそうなほど燃えているのに。

 その宝玉だけは燃えていない。

 むしろ周囲の炎すべてが、そこから生まれているように見えた。

「……Ignis(イグニス)」

 自然とその名が口から出た。

 ――ドクン

 宝玉が輝く。

「……え?」

 ――ドクン

 もう一度。

 胸元のペンダントも同じ間隔で光る。

 ルティスは石柱へ近づこうとした。

 その時。

 ――ゴォォォォッ!!

「……!」

 炎の湖が大きく波打った。

 炎が天井近くまで吹き上がる。

 ルティスは後退した。

 炎が集まる。

 ゆっくりと形を変えていく。

 四本の脚。

 巨大なたてがみ。

 燃える牙。

 鋭い爪。

 そして。

 燃える瞳。

「……」

 巨大な炎の獅子。

 森で自分を導いた獅子と同じ。

 だが大きさが桁違いに違う。

 目の前の獅子はルティスの何倍もあった。

「……さっきの」

 獅子が石柱の前へ立つ。

 Ignis(イグニス)を背に守るように。

「なるほど」

 ルティスは短剣を構えた。

「宝玉の守護者ってとこね」

 獅子がこちらを見る。

 その瞳に激しい炎が宿る。

 そして――

「……っ」

 ルティスの胸に奇妙な感覚が走った。

 熱い。

 苦しい。

 それなのに――

 懐かしい。

「……何?」

 視界が揺れた。


 炎。

 暗い空。

 誰かの手。

 自分はその手を握っている。

 小さな手。

 そして目の前に少女がいる。

 銀紫の髪。

 白い服。

「……誰?」

 少女は泣いていた。

 何かを言っている。

 けれど。

 聞こえない。

「何……?」

 少女が顔を上げる。

 悲しそうな目。

 泣いているのに。

 どこか――

 笑おうとしている。

 その唇がかすかに動いた。

『――ルティス』

「……!」


 映像が消えた。

「……っ!」

 ルティスは膝をつく。

 荒く息をする。

「今の……」

 知らない。

 あの少女を。

 知らないはずなのに。

 胸が痛い。

 ひどく。

 懐かしい。

 そして。

 会いたい。

 理由も分からないのに。

 そんな感情だけが残っている。

「……誰なの」

 答えはない。

 代わりに。

 ――グルルルル……

「……!」

 炎の獅子。

 ルティスは立ち上がる。

「今じゃないってことね」

 短剣を構える。

 獅子が咆哮した。

 ――ゴォォォォッ!!

 炎が一気に膨れ上がる。

 巨大な身体が、跳んだ。

「速っ――!」

 爪が振り下ろされる。

 ルティスは横へ飛ぶ。

 ――ズガァン!

 床が砕ける。

 石片が飛ぶ。

「……っ!」

 着地。

 すぐに走る。

 獅子が振り返る。

「来る……!」

 ルティスは足元の影へ意識を集中した。

 影が伸びる。

「――幻影(ファントム)!」

 影からもう一人のルティスが飛び出す。

 獅子の瞳が動いた。

 幻影へ向く。

「今!」

 ルティスが走る。

 影へ沈む。

「――幻影移動(シャドウ・ステップ)!」

 姿が消える。

 次の瞬間。

 獅子の横に飛び出し、短剣を振る。

 ――キィン!

「硬い……!」

 刃が弾かれた。

 直後、炎の尾が振るわれる。

「っ!」

 腕で受ける。

 ――ドン!

 身体が吹き飛んだ。

「……痛っ」

 床を転がる。

 すぐに起き上がる。

 だが。

「……?」

 獅子は追ってこない。

 ただ、こちらを見ている。

「何なのよ……」

 ルティスは息を整える。

 獅子が一歩踏み出す。

 ルティスも身構えた。

 再び、獅子が跳ぶ。

「――幻影(ファントム)!」

 二人。

 三人。

 ルティスの幻影が散る。

 獅子は一瞬だけ迷い。

 一体へ爪を振るった。

 幻影が消える。

「こっち!」

 本体が背後へ回る。

 短剣。

 ――キィン!

「また……!」

 通らない。

 獅子が振り返る。

 口の奥に炎が集まる。

「まず――」

 ――ゴォォォォッ!!

 炎が一直線に放たれた。

「っ!」

 ルティスが走る。

 炎が追う。

「嘘でしょ!?」

 右。

 左。

 炎はルティスを追い続ける。

「――幻影移動(シャドウ・ステップ)!」

 影へ沈む。

 離れた場所へ飛び出す。

 炎が床を焼いた。

「はぁ……はぁ……」

 ルティスは獅子を見る。

 強い。

 今まで戦った魔物とは違う。

 でも。

「……待って」

 違和感。

 何かがおかしい。

 最初の爪。

 今の炎。

 どちらも危険だった。

 一歩間違えれば死んでいた。

 なのに。

「……違う」

 ルティスはゆっくりと立ち上がった。

 獅子を見つめる。

「本気じゃない」

 獅子の瞳がわずかに細くなった。

「……やっぱり」

 本気なら自分はとっくに死んでいる。

 避けられたのではない。

 避けられる場所へ――

 攻撃されている。

「私を殺したいんじゃない?」

 答えはない。

 炎だけが揺れる。

「じゃあ……」

 ルティスは短剣を下げない。

「何を見てるの?」

 その瞬間、石柱の上。

 Ignis(イグニス)が。

 ――ドクン

 一度だけ強く輝いた。

「……試してる?」

 獅子が低く唸る。

 それが肯定のように聞こえた。

「何を?」

 ルティス自身を?

 力を?

 それとも――

 宝玉を持つ資格?

「……資格とかだったら嫌なんだけど」

 ルティスは小さく息を吐く。

「そういうの、学院だけで十分だから」

 獅子の炎が膨れ上がる。

「……冗談通じないのね」

 短剣を握り直す。

「いいわ」

 足元に影が広がる。

「何を見たいのか知らないけど――」

 ルティスは獅子を睨んだ。

「付き合ってあげる」

 獅子が地面を蹴った。


 爪。

 炎。

 牙。

 ルティスは走る。

 影から影へ幻影移動(シャドウ・ステップ)。

 幻影を走らせる幻影(ファントム)。

 だが獅子は少しずつ。

 ルティスの動きに対応し始めていた。

「……流石に攻撃パターン読まれたか?」

 幻影を見てもすぐには攻撃しない。

 匂いなのか。

 魔力なのか。

 本体を探している。

「まずいな……」

 このままでは影魔法も通用しなくなる。

 その時。

「……女の子が一人でかよ」

「……!」

 声。

 男の声。

 ルティスが振り返る。

「誰!?」

 返事はない。

 入口。

 柱の影。

 誰もいない。

「……教団?」

 獅子が吠える。

「っ!」

 今はそちらを気にしている場合ではない。

 炎の爪。

 ルティスが避ける。

 床が砕ける。

 そこへ。

 さらに炎。

「――幻影移動(シャドウ・ステップ)!」

 消える。

 だが、獅子が振り返った。

「……え?」

 ルティスが現れるより早く。

 その場所へ爪を振るう。

「読まれた!?」

 影から飛び出した瞬間。

 巨大な爪が迫る。

「しまっ――」

 ガキーンッ!

 ルティスと獅子の爪の間に一本の剣が突き刺さり、爪がルティスを裂くのを止めていた。

「――そこを離れろ!」

 男の声。

 今度は近い。

「……え?」

 ルティスが振り返る。

 入口の方から一人の男が走ってくる。

 茶色の少し長めの髪。

 無造作に跳ねた髪の隙間から鋭い目が覗いている。

 頬にはうっすらと無精髭。

 白いシャツの上に軽い革鎧。

 肩からは、暗い色の短い外套。

 背には使い込まれた長剣の鞘をぶら下げている。

挿絵(By みてみん)

「伏せろ!」

「ちょっと――!」

 男が地面に刺さってる剣を抜く。

 ルティスの横を駆け抜けた。

 獅子の爪が振り下ろされる。

「おおおっ!」

 男が剣を振る。

 ――ガキィン!

 爪と剣が激突した。

 火花が散る。

「ぐっ……!」

 男の身体が押される。

 靴底が床を滑る。

 それでも踏みとどまった。

「重っ……!」

「当たり前でしょ!」

「良かった、元気そうだな!」

 男が剣を押し返す。

「離れろ!」

 ルティスが後ろへ跳ぶ。

 男も横へ逃れる。

 獅子の爪が床へ叩きつけられた。

 ――ズガァン!

 石床が大きく割れる。

「……まともに受けるもんじゃないな」

 男が剣を構え直す。

「今、受けてたじゃない」

「やってから気づいた」

「……馬鹿なの?」

「初対面で酷いな」

 ルティスは男を睨む。

「誰?」

「質問は後だ」

「さっきから見てたでしょ」

「気づいてたのか?」

「声出したじゃない」

「ああ」

「何で隠れてたのよ」

「状況を見てた」

「私が殺されそうなのも?」

「それは悪かった」

「……」

「そんな顔するなよ」

「どんな顔よ」

「刺しそうな顔」

 ルティスは短剣を見る。

「試してみる?」

「遠慮しとく」

 男が笑った。

 こんな状況なのに。

 妙に落ち着いている。

 ルティスは目を細めた。

「……教団じゃないでしょうね」

 男の表情が少しだけ変わる。

「暁の教団か?」

「知ってるの?」

「まあな」

「答えになってない」

「少なくとも、俺は黒いローブを着たりしない」

「はっきり答えれないのは怪しい証拠」

「銀の仮面も趣味じゃないな」

 ルティスが短剣の先を男に向ける。

 男は肩をすくめた。

「分かった分かった」

 剣を構えながら。

「カイルだ」

「……カイル?」

「ああ」

「何しに来たの?」

「それを話すには少し長くなる」

 獅子が低く唸る。

 カイルが横目で見る。

「……で」

「何?」

「こいつ、話が終わるまで待ってくれると思うか?」

「思わない」

「俺もだ」

 獅子のたてがみが大きく燃え上がった。

 炎の湖が波打つ。

「来るぞ!」

「分かってる!」

 二人が左右へ分かれる。

 獅子がルティスを見る。

 次にカイルを見る。

「……」

 その瞳が先ほどまでとは違う。

 ルティスだけではなくカイルまで試すように。

「……巻き込んだ?」

「気にするな」

カイルはそう言ってルティスを見る。

「一人より二人の方が生き残れそうだ」

「あなたのこと、信用してないんだけど」

「奇遇だな」

「何が?」

「俺もまだ、お前のことを知らない」

「……」

「だから」

 カイルが剣を構える。

「生き残ってから考えようぜ」

 ルティスは一瞬黙った。

 知らない男。

 何者なのかも分からない。

 どうしてここへ来たのかも。

 教団とどんな関係があるのかも分からない。

 けれど目の前の炎の獅子、一人で突破できるとは思えない。

「……分かった」

 ルティスは短剣を構える。

「決まりだな」

「ただし」

「何だ?」

「足、引っ張らないで」

 カイルが笑う。

「そっちこそ」

「……言ったわね」

 二人が並ぶ。

 炎の獅子が身を低くした。

 巨大な爪が石床を掴む。

 カイルが剣を握る。

「お嬢ちゃん」

「……お嬢っ……!」

「俺が前に出る」

「勝手に決めないで」

「じゃあどうする?」

「あなたが前」

「同じじゃねえか」

「私が決めたの」

「……面倒な奴だな」

「よく言われる」

 カイルが笑った。

「気が合いそうだ」

「それはない」

 獅子が咆哮する。

 ――グオオオオオッ!!

 炎の湖が大きく波打った。

 熱風が吹き荒れる。

 ルティスの黒髪がなびく。

 カイルの外套が激しく揺れる。

 そして炎の獅子が、二人へ向かって突進した。

「来る!」

「行くぞ!」

 カイルが正面から走る。

 ルティスの足元に影が広がる。

 その瞬間、炎の湖の中央。

 赤い宝玉。

 Ignis(イグニス)が激しく輝いた。

 まるで初めて並んだ二人がこの炎を越えられるのか、見届けようとするように。


 ルティスはまだ知らない。

 この男とこれから長い旅をすることを。

 そして。

 炎の向こうにある宝玉が――

 自分自身に封じられた八年前の記憶へと続く。

 最初の一つになることを。


 ――Chapter 2 END

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