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Chapter 1 ― 最初の宝玉

挿絵(By みてみん)


 Chapter 1 ― 最初の宝玉


 魔法学院を追放されてから、三日が過ぎた。

 ルティスは、一人で街道を歩いていた。

 背中には、小さな荷物。

 腰には、使い慣れた短剣。

 そして胸元には――

 一つのペンダント。

 服の下に隠れているそれを、ルティスは時折、指先で確かめていた。

 アルヴェリア魔法学院を出る直前に、雨の中で見つけた、古い箱。

 誰が置いたのか。

 なぜ、あそこにあったのか。

 何も分からない。

 ただ。

 ルティスが触れた時だけ、その箱は開いた。

 そして中に入っていたのが――

 このペンダントだった。

「……」

 ルティスは歩きながら、それを取り出した。

 円盤状の古びた金属。

 表面には、見たことのない古代文字と七つの名前が刻まれている。

 Ignis(イグニス)。

 Aqua(アクア)。

 Gaia(ガイア)。

 Aeris(エアリス)。

 Volt(ボルト)。

 Lumia(ルミア)。

 そして――

 Umbra(アンブラ)。

 中心には、不思議な針。

 普通のコンパスとは違う。

 北を示すわけではない。

 この三日間、何度も試した。

 東へ歩けば針は西へ。

 西へ歩けば東へ。

 ルティスがどちらを向こうと、必ず同じ場所を示す。

 そして七つの宝石の中で。

 Ignis(イグニス)を示す赤い宝石だけが、淡く明滅していた。

「……やっぱり」

 針の先。

 街道の向こうには、遠い山々が見える。

 その手前。

 深い森。

「……あっち」

 ルティスはペンダントを握った。

挿絵(By みてみん)

 この三日間、Ignis(イグニス)に近づいているらしい。

 最初は微かだった赤い光が少しずつ強くなっている。

 だが、分からない。

「……なんなの、これ」

 なぜ。

 自分の前に現れたのか。

 誰があの箱を置いたのか。

 そもそも本当に七つの宝玉へ導くものなのか。

 何一つ分からない。

 そして――

 もう一つ、分からないことがある。


 ルティスは足を止めた。

 風が吹く。

 草原が揺れる。

 遠くで鳥の声が聞こえる。

 それだけ。

 なのに。

 最近。

 時々――

 誰かに見られているような気がする。

「……」

 振り返る。

 誰もいない。

 街道が来た方向へ長く伸びているだけだった。

「……気のせい」

 前を向こうとした。

 その時。

『……ルティス』

「……!」

 声。

 ルティスは勢いよく振り返った。

「誰!?」

 返事はない。

 右。

 左。

 草原。

 街道。

 誰もいない。

「……また」

 このペンダントを手に入れてから、何度か聞いている。

 女の声。

 自分の名前を呼ぶ声。

 知らない声、のはずなのに。

「……」

 胸の奥が痛い。

 懐かしい。

 そんな感覚だけがある。

 ルティスはペンダントを握った。

 七つの宝石。

 その中で。

 Umbra(アンブラ)を示す黒い宝石が――

 ほんの一瞬だけ。光を吸い込むように暗くなった。

「……Umbra(アンブラ)?」

 黒い宝石に触れる。

 何も起きない。

「あなたが呼んでるの?」

 もちろん。

 答えはない。

 風だけが黒い髪を揺らして通り過ぎていった。

「……変なの」

 ペンダントを服の中へ戻す。

 そして。

 再び歩き出す。

 学院を追放されてから変なことばかりだ。

 いや。

 本当に変わったのは――

 自分の方なのかもしれない。


 三日前。

 まだ自分は学院の生徒だった。

 魔法を学び。

 授業を受け。

 いつか立派な魔導士になる。

 そんな未来が当たり前に続くと思っていた。

 それが。

 たった一度、影魔法を使っただけで――全てを失った。

『――ルティスを、学院から永久追放とする』

 今でもあの言葉を覚えている。

「……」

 ルティスは俯いた。

 後悔しているのか何度も考えた。

 影魔法を使わなければ今も学院にいられた。

 部屋も。

 授業も。

 友人たちも失わずに済んだ。

 けれどあの時、目の前には魔物に襲われた生徒がいた。

 普通の魔法では間に合わなかった。

「……助けただけなのに」

 小さく呟く。

 誰も答えない。

 ルティスが影魔法を使えることに気がついたのは、学院入ってからだった。

 最初から使えたわけではない。

 誰かから教わったわけでもない。

 ある夜、授業で学んだ魔法を一人で練習している時に偶然生まれたものだった。

 一人だけ、信頼している学院の先生に相談した時にも絶対に人前で使うなと念を押されたことを思い出す。

 その後も隠れて影魔法の技術は磨いていたが、忠告通り授業でも模擬戦でも影魔法は使用したことがなかった。

 首を横に振った。

「違うか」

 助けたことを後悔しているわけではない。

 同じ状況になったら、きっとまた使うだろう。

 たとえその先に何が待っていると分かっていても。

「……馬鹿だな、私」

 少しだけ笑う。

 でも今はその自分の選択の先に必ずついてくること。

 学院には戻れないという結果。

 これからどうするのか。

 何も決まっていない。

 だったら。

 せめて――

 このペンダントが示す先を確かめてみよう。

「何もなかったら……」

 そこで言葉が止まった。

 何もなかったら?

 その後は?

「……その時考えればいいか」

 今は。

 それくらいでいい。


 昼前。

 街道沿いに小さな村が見えてきた。

 入口には、古びた木製の看板。

【ベルナ村】

「……村」

 ルティスは少しだけ安堵した。

 学院を追放されてからというもの、街道沿いの安宿や野宿で過ごしてきた。

 まともな食事もあまり取っていない。

「今日は……ちゃんと寝たいな」

 そんなことを考えながら村へ近づく。

 だが。

「……?」

 ルティスは足を止めた。

 静かだ。

 人がいないわけではない。

 畑にも。

 家の前にも。

 何人か村人がいる。

 それなのに妙に静かだった。

 子供の姿もない。

 店の半分ほどは昼前だというのに扉を閉めている。

「……何かあったの?」

 村へ入る。

 中央には井戸。

 その周囲に数人の村人が集まっていた。

「また上がってる」

「昨日よりひどいぞ」

「森には近づくな」

「猟師にも伝えろ」

 ルティスは足を止める。

 井戸から白いものが上がっている。

「……湯気?」

 井戸なのに。

 湯気?

 近くにいた男へ声をかける。

「すみません」

「ん?」

「あの井戸……どうしたんですか?」

 男が少し怪訝そうにルティスを見る。

「旅の人か?」

「はい」

「三日前からちょっとな」

「……三日前?」

「ああ」

 ルティスの表情が変わる。

「最初は、ちょっと水がぬるい程度だった」

 別の村人が言った。

「昨日から急に熱くなったんだ」

「今朝なんて、汲んだばかりの水に手を入れられなかった」

「原因は?」

「分からん」

 男は森を見る。

「あっちの森もおかしい」

「森?」

「夜になると赤く光るんだ」

「赤く……」

「火事かと思って見に行った奴もいた」

「どうなったんですか?」

 男が黙る。

「……戻ってきてない」

「え?」

「昨日の朝からな」

 周囲の空気が重くなる。

「だから、あんたも近づかない方がいい」

「……」

 ルティスは森を見る。

 その時。

 胸元で。

 ――カチッ

「……!」

 ペンダントを取り出す。

 中央の針がまっすぐ、森を指している。

 Ignis(イグニス)の赤い宝石。

 先ほどよりも明らかに強く光っていた。

「……まさか」

 三日前。

 熱くなった井戸。

 夜の森を照らす赤い光。

 そして。

 Ignis(イグニス)。

「……偶然じゃない」

 何かが、あの森にある。


 とはいえ、すぐ森へ飛び込むほど。

 ルティスも無謀ではなかった。

「……まず休もう」

 腹も減っている。

 何より。

 旅の準備が足りない。

 水。

 食料。

 地図。

 必要なものはいくらでもある。

 ルティスは村を歩き。

 通りの角に小さな宿屋を見つけた。

 木造二階建て。

 壁には古びた看板。

「……ここでいいか」

 扉を開ける。

 カラン。

 小さな鐘が鳴った。

「いらっしゃい」

 カウンターの奥。

 恰幅のいい女将が顔を上げた。

「一人かい?」

「はい」

「旅の途中?」

 ルティスは一瞬、答えに詰まった。

 旅。

 なのだろうか。

 目的地も。

 帰る場所も。

 決まっていない。

「……そんなところです」

「……そうかい。一泊なら銀貨一枚。食事付きならもう一枚」

 女将はそれ以上、聞かなかった。

 ルティスは財布を取り出し、中身を確認する。

「……」

 少ない。

 学院を出る時に持っていた金だけ。

 これから仕事も探さなければならない。

「一泊お願いします」

「食事は?」

「……お願いします」

 ルティスは少し考えてから言った。

「あいよ」

 女将はそう言って部屋の鍵を渡す。

「二階の奥。小さい部屋だけど、今日は空いてるよ」

「ありがとうございます」

 ルティスが階段へ向かおうとした。

 その時。

「そこのお嬢さん」

 声。

 振り返る。

 入口近くの席。

 一人の老人がこちらを見ていた。

「……私?」

「そうじゃ」

 老人が立ち上がる。

 その視線はルティスの顔ではなく、手に持ったままだったペンダントへ向いている。

「それ……」

 老人の表情が変わった。

「それを、どこで手に入れた?」

 ルティスは反射的にペンダントを握った。

「どうして?」

「いいから教えてくれ」

「……拾いました」

「どこで?」

「学院の近くです」

「学院?」

「アルヴェリア魔法学院」

「……」

 老人の顔からわずかに血の気が引いた。

「そうか……」

「何か知ってるんですか?」

 老人は答えない。

 周囲を見る。

 宿の中。

 窓。

 入口。

 そして。

 声を落とした。

「まず、それを隠せ」

「どうして?」

「いいから」

 老人がルティスを見る。

「見られれば――面倒なことになる」

「誰に?」

 少しの沈黙。

「宝玉を探している者たちじゃ」

「……宝玉?」

 老人はもう一度ペンダントを見る。

「それはおそらく――七つの宝玉を探すために作られたものじゃろう」

「……」

 ルティスの表情が変わった。


「七つの宝玉について知ってるんですか?」

「知っていると言っても、昔話程度じゃ」

 老人は椅子へ座る。

 ルティスも向かいへ腰を下ろした。

「学院で聞いたことがあります」

「なら話は早い」

 老人は静かに言う。

「Ignis(イグニス)――炎」

「Aqua(アクア)――水」

「Gaia(ガイア)――大地」

「Aeris(エアリス)――風」

「Volt(ボルト)――雷」

「Lumia(ルミア)――光」

 そして。

 老人が少しだけ声を落とす。

「Umbra(アンブラ)――闇」

 ルティスは無意識に胸元へ手を伸ばした。

「七つの宝玉は、世界のどこかに隠されている」

「……本当に?」

「分からん」

「え?」

「言ったじゃろ。昔話じゃ」

「……」

「じゃが」

 老人がペンダントを見る。

「それが本物なら――昔話では済まんのかもしれんな」

「このペンダント、Ignis(イグニス)を指してるみたいなんです」

「森か?」

「……はい」

 老人の表情が曇る。

「井戸の水が熱くなったのも関係してると思うか?」

「私には分かりません」

 ルティスは答える。

「でも……確かめたい」

 老人がじっとルティスを見る。

「やめておけ」

「どうして?」

「宝玉に関わって、幸せになった者の話など聞いたことがない」

「……」

「七つすべてを手にした者は――世界の理すら変えられる」

「世界の理……」

「死者すら蘇らせる」

「……え?」

「そんな話まである」

 老人は鼻で笑った。

「もっとも、どこまで本当かは知らん」

 ルティスは黙る。

 世界の理を変える。

 死者すら蘇らせる。

 あまりにも大きな話だ。

「それを信じて探してる人がいる?」

「ああ」

 老人の顔から笑みが消える。

「……暁の教団」

「何、それ」

「宝玉を『神の遺産』と呼ぶ連中じゃ」

「宗教団体?」

「そう思わん方がいい」

 老人が首を振る。

「古い遺跡を荒らし、記録を奪い、宝玉に関わる者を追う」

「何のために?」

「知らん」

「……知らないこと多いですね」

「昔話に詳しいだけの老人に何を期待しとる」

 ルティスが少しだけ笑う。

「それもそうですね」

「おい」

 老人も苦笑した。

 その時。

 老人の表情が、止まった。

「……」

「どうしました?」

 老人は答えない。

 窓の向こうを見ている。

 顔から完全に笑みが消えていた。

「……お嬢さん」

「何?」

「そのペンダント」

「?」

「隠せ」

 先ほどとは違う。

 明らかに声が震えている。

「早く!」

 ルティスが振り返った。


 街道の向こう。

 一人の男が立っていた。

 黒いローブ。

 深く被ったフード。

 その顔には、銀色の仮面。

 手には黒銀の杖を持ち、先端に施された結晶が妖しく紫黒の光を放っていた。

「……誰?」

 ルティスが呟く。

 老人が震える声で答えた。

「……暁の教団じゃ」

「え?」

 まるで呼び寄せたようなタイミング。

 ルティスは男を見る。

 銀色の仮面の男は動かない。

 ただ。

 こちらを見ている。

 正確には――ルティスを。

「……」

 嫌な感じ。

 学院で魔物と対峙したことはある。

 実戦訓練も受けた。

 けれど。

 これは違う。

 敵意とも。

 殺気とも違う。

 まるで観察されている。

「……私に用?」

 銀色の仮面の男が歩き始める。

 一歩。

 また一歩。

 迷いなく。

 宿へ向かってくる。

 ルティスは短剣へ手を伸ばした。

 男が杖を持ち上げる。

「……!」

 その先に黒い魔力が集まり始めた。

「影……?」

 ルティスの目が見開かれる。

「影魔法……?」

 自分以外の人間が使うところなど見たことがない。

 その時。

 ――ゴォン

 鐘。

 村中に響いた。

 ――ゴォン

 ――ゴォン

「何だ!?」

「黒ローブだ!」

「教団が来たぞ!」

 外から。

 村人の叫び声。

 ルティスは宿を飛び出した。

 村の入口。

 家々の間。

 路地。

 そこから――

 黒いローブの者たちが次々と現れる。

「……囲まれた」

 ルティスは短剣を抜いた。

 銀色の仮面の男が初めて口を開いた。

「胸に下げているものを渡せ」

「……嫌」

 即答。

 男が僅かに首を傾ける。

「それがお前に何をもたらすのか、分かっているのか?」

「知らない」

「なら渡せ」

「もっと嫌」

「……」

「何なのか分からないから、調べるの」

 銀色の仮面の男はしばらくルティスを見ていた。

「お前が持つものではない」

「なら誰のもの?」

 返事はない。

「あなたの?」

 沈黙。

「答えられないんだ」

 ルティスは短剣を構える。

「だったら渡さない」

 男の杖が上がる。

「なら――」

 黒い魔力。

「奪う」


 黒い光が飛ぶ。

「っ!」

 ルティスが横へ飛ぶ。

 ――バン!

 背後の地面が抉(えぐ)れた。

「危なっ……!」

「捕らえろ」

 教団員が動く。

 二人。

 三人。

「……本気?」

 一人が杖を振る。

 足元から黒い影が伸びる。

「!」

 足首へ絡みつく。

「影を……」

 自分とは違う。

 けれど同じ系統の魔法。

 ルティスは足元の影へ魔力を流した。

「――幻影(ファントム)!」

 ルティスの影から1体の人型の影が生まれる。

「なっ!?」

 教団員たちの視線が幻影へ向く。

「今!」

 ルティスが影へ沈む。

「――幻影移動(シャドウ・ステップ)!」

 姿が消える。

 次の瞬間、教団員の背後に現れる。

 教団員は慌てて体勢を整えようとすが。

「遅い!」

 短剣の柄を首元へ叩き込む。

「ぐっ!」

 一人が倒れる。

「殺してはいないから」

 ルティスの戦闘は、影魔法と短剣を組み合わせた近接戦闘を基本としている。

 魔導士が短剣を携帯すること自体は珍しくない。

 魔力を使い切った時や、敵に接近された時のための護身用として、小型の短剣を持つ魔導士は多い。

 だが、ルティスの短剣は、それらとは少し違う。

 一般的な魔導士が持つ護身用の短剣よりも一回り大きく、刃も厚い。

 護身用というより、最初から実戦で振るうことを前提とした武器に近い。

 そして何よりこの短剣は、ルティスが長年使い続けてきたものだった。

 影魔法を使えるようになった頃に手に入れた武器であり、ルティスは何度となくこの短剣を握ったまま魔力を流してきた。

 結果、少しずつルティスの影の魔力が染み込んでいった。

 誰かが意図して作った魔法武器ではない。

 特別な素材から作られた神器でもない。

 ルティスが長年使い続けた結果、影魔法との親和性を持ち鍛えられた武器なのである。

 そのためルティスが握った時だけ、短剣は影魔法に極めてよく馴染む。

 ルティスにとって短剣は、単なる武器ではない。

 影魔法を使うための杖でもなければ、護身用の道具でもない。

 長い時間をかけて――自分の影の一部になった武器。

 だからこそ、ルティスの戦い方は他の魔導士とは大きく異なる。

 幻の影を作り相手の認識を惑わせる、幻影(ファントム)。

 影から影へ移動する、幻影移動(シャドウ・ステップ)。

 相手の死角へ潜り込み、そして――短剣で斬る。

 影で惑わせ、影を渡り、死角へ潜り込み、影を宿した刃で仕留める。

 これが、ルティスが長い時間をかけて身につけた独自の戦闘スタイルだった。

 ルティスは短剣を構え直した。

「次は?」

 教団員たちが一瞬怯む。

 しかし。

 銀色の仮面の男だけは動かなかった。

「……なるほど」

「何?」

「その影……」

 仮面の奥から鋭い視線。

「そう言うことか」

「……?」

 そう言うこと?

「何を知ってるの?」

 男は答えない。

 代わりに杖を振る。

 黒い刃が飛ぶ。

「っ!」

 ルティスが避ける。

 地面が裂けた。

「……強い」

 他の教団員とは明らかに違う。

 銀色の仮面の男が再び杖を向ける。

 その瞬間――

 胸元のペンダントが。

 ――ドクン

「……え?」

 赤い宝石が激しく輝いた。

 中央の針が突然、大きく回転する。

「何……?」

 回る。

 回る。

 そして――

 森。

 針が森の奥を指して止まった。

 Ignis(イグニス)の宝石が燃えるような赤に染まる。

 次の瞬間。

 森の奥が、赤く染まった。


 ――ゴォォォォッ!!

「……!」

 轟音。

 巨大な炎が森の奥から吹き上がった。

「なっ……!」

 熱風が村を駆け抜ける。

 家々の窓が震える。

 村人たちが悲鳴を上げる。

 教団員たちも思わず森を見る。

「何だ!?」

 炎が木々の間を走る。

 だが不思議なことに森そのものは燃えていない。

 炎が集まり形を作っていく。

 四本の脚。

 巨大なたてがみ。

 鋭い牙。

 燃える瞳。

「……獅子?」

 巨大な炎の獅子。

 その身体の中心。

 胸元で赤い光が脈打っている。

 ――ドクン

 それに呼応するように胸元にあるペンダントのIgnis(イグニス)の宝石が輝く。

「炎の……宝玉」

 宿の入口から老人の声。

 ルティスは獅子を見る。

「……Ignis(イグニス)?」

 獅子がゆっくりと頭を上げる。

 燃える瞳が村を見渡す。

 そして――

 ルティスを見た。

「……」

 視線が交わる。

 その瞬間、胸の奥が熱くなった。

「……っ」

 知らないこんな獣。

 見たことなどない。

 なのに懐かしい。

 頭では知らないのに。

 身体のどこかが何かを覚えている。

 そんな感覚。

「何……これ」

 そして。

 ほんの一瞬。

 頭の中に知らない景色が浮かんだ。


 炎。

 暗い空。

 誰かの手。

 そこまで。

 その先は霞んで見えない。

『……ルティス』

「……!」

 あの声。

 すぐ近く。

「あなたは……誰なの?」

 答えはない。

 視界が。

 現実へ戻る。


 炎の獅子はまだルティスを見ていた。

「捕らえろ」

 銀の仮面の男。

 黒い魔力が弾ける。

「っ!」

 ルティスは身を翻す。

 黒い魔法が地面を削る。

 炎の獅子が低く唸った。

 ――グルルルル……

 空気が震える。

 銀の仮面の男が獅子を見る。

 次に。

 ルティス。

 そして。

 ペンダント。

「……なるほど」

「何が?」

 男は答えない。

 炎の獅子が大きく息を吸い込む。

「……まずい!」

 次の瞬間。

 ――グオオオオオッ!!

 咆哮。

 大地が揺れる。

 森から炎が吹き上がる。

「うわっ!」

 教団員たちが後退する。

「引け!」

 銀仮面の男が命じる。

「しかし――」

「構わん」

 男は炎の獅子を見る。

「場所は分かった」

 そしてルティスへ視線を戻す。

「それに――」

 仮面の奥。

 目が細くなる。

「もう一つ、確かめられた」

「……何を?」

 返事はない。

 教団員たちが、次々と村の外へ退いていく。

「待って!」

 ルティスが一歩出る。

 銀の仮面の男が最後に振り返った。

「いずれ分かる」

「……」

「また会おう」

 男の足元から黒い影が広がる。

 次の瞬間、その姿が影の中へ消えた。


 静かになった。

 誰も動かない。

 誰も声を出さない。

 村人たちは森の入口に立つ巨大な獅子を見ている。

 ルティスもただ、見つめていた。

 炎の獅子。

 七つの宝玉。

 暁の教団。

 銀仮面の男。

 そして。

 自分を呼ぶ知らない声。

「……」

 三日前までルティスの世界は学院だけだった。

 授業を受け。

 魔法を学び。

 時々。

 友人たちとくだらない話をする。

 そんな日々がずっと続くと思っていた。

 けれどたった三日で何もかも変わった。

 学院を追放され。

 行く場所を失い。

 その直後。

 七つの宝玉へ導くという謎のペンダントを手にした。

 そして今。

 目の前には。

 伝承でしか知らなかったものへ繋がる存在がいる。

「……あなたが、Ignis(イグニス)?」

 炎の獅子が低く唸った。

 ――グルル……

「……違う?」

 分からない。

 だが。

 ペンダントの針は、獅子そのものではなく。

 その向こう――

 森の奥を指している。

「……」

 ルティスは目を細めた。

「もしかして」

 獅子を見る。

「あなたが持ってるんじゃなくて……」

 その先。

「案内してる?」

 獅子は答えない。

 ただ。

 ゆっくりと背を向けた。

 森へ。

 一歩。

 また一歩。

 歩き始める。

「……やっぱり」

 ルティスが短剣を握り直す。

「待って」

 獅子は止まらない。

 ペンダントを見る。

 Ignis(イグニス)の赤い宝石がさらに強く光っている。

 まるで――

 来い。

 そう言われているようだった。


「行くのかい?」

 後ろから女将の声。

 ルティスが振り返る。

「……はい」

「危ないよ」

「分かってます」

「分かってる顔には見えないけどね」

「……そうですか?」

「ああ」

 女将が腕を組む。

「あの獣が怖くないのかい?」

 ルティスは一瞬黙った。

 そして。

 森を見る。

 巨大な炎の獅子。

 足が少し震えている。

「……怖いです」

 正直に答えた。

「なら、やめておきなよ。自警団とかに任しときゃいいんだよ」

「……」

 逃げる。

 それもできる。

 このまま、別の街へ行けばいい。

 ペンダントを捨てて。

 宝玉も。

 暁の教団も。

 知らなかったことにして。

 普通に、新しい生活を探す。

 でも。

『……ルティス』

 あの声。

 銀仮面の男の言葉。

『いずれ分かる』

 そして胸元のペンダント。

「……知りたいんです」

 女将がルティスを見る。

「何を?」

「……全部」

 なぜこのペンダントが自分の前に現れたのか。

 七つの宝玉とは何なのか。

 暁の教団は何をしようとしているのか。

 銀仮面の男は、なぜ自分の影を見てあんな反応をしたのか。

 そして。

「私を呼んでるのが……誰なのか」

「……」

「だから」

 ルティスは森を見る。

「行ってみます」

 女将はしばらく何も言わなかった。

 やがて小さく息を吐く。

「そうかい」

 宿へ戻る。

「?」

 少しして小さな袋を持ってきた。

 ルティスへ投げる。

「わっ」

 受け取る。

「何ですか?」

「パンと干し肉」

「……」

「あと水」

 水筒も渡される。

「でも」

「宿代に入ってるサービスだよ」

「……絶対入ってないですよね」

「細かいこと気にするんじゃないよ」

 ルティスは袋を見る。

 そして少しだけ笑った。

「……ありがとうございます」

 女将が笑う。

 老人も宿の入口からこちらを見ていた。

「お嬢さん」

「はい?」

「一つだけ覚えておけ」

 老人の表情は先ほどまでとは違い真剣だった。

「宝玉の力を欲しがる者は多い」

「……」

「じゃが」

 老人は続ける。

「力を持つことと、その力をどう使うかは――別の話じゃ」

 ルティスは少しだけ考えた。

「……覚えておきます」

 老人が頷く。


 ルティスは森へ向かって歩き始めた。

 炎の獅子は少し先にいる。

 ルティスはベルナ村を振り返る。

 これが正しい道なのかは分からない。

 この先に、何が待っているのかも分からない。

 それでも。

「……行こう」

 今度は自分に向けて言った。

 炎の獅子が振り返る。

 燃える瞳。

 そして。

 再び森の奥へ進む。

 ルティスもそのあとを追った。

 木々の中へ入る。

 一歩。

 また一歩。

 村の音が少しずつ遠ざかる。

 代わりに森の奥から低い音が聞こえ始める。

 ゴォォォ……

 何かが燃えている。

 いや。

 呼んでいる。

 そんな気がした。

 胸元で古いコンパスが揺れる。

 七つの宝石。

 七つの名前。

 その最初の一つ。

 Ignis(イグニス)。

 そしてルティス自身に、八年前から封じられている記憶。

 そのすべてが今、ゆっくりと動き始めていた。

 炎の獅子を追って、ルティスはさらに森の奥へ進んでいく。

 この先で初めての宝玉と。

 一人の剣士に出会うことを――

 彼女はまだ知らない。


 ――Chapter 1 END

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