↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/22

Chapter 19 ― 最後の願い

挿絵(By みてみん)


 Chapter 19 ― 最後の願い


 世界が、軋んだ。

 巨大な手が境界へ触れた瞬間、エアリオン全体が大きく沈んだ。

 中央塔が悲鳴のような音を上げる。

 壁に刻まれた古代文字が次々と明滅し、窓の外では浮遊島を繋ぐ橋が激しく揺れていた。

「……っ!」

 ルティスは短剣を床へ突き立てた。

 立っていられない。

 胸の奥で、Umbra(アンブラ)が激しく脈打っている。

 ――ドクン

 ――ドクン

 ――ドクン

 六つの宝玉も同じだった。

 鞄の中から漏れ出した六色の光が、ルティスの周囲で揺れている。

 だが、そのどれよりも強く反応しているのは――Umbra(アンブラ)だった。

「ルティス!」

 カイルが駆け寄ろうとする。

「待って!」

 ルティスは手を上げた。

 足元の影が、境界へ向かって細長く伸びている。

 まるで向こう側から、何かに引かれているように。

「Umbra(アンブラ)が……」

 ルティスは顔を上げた。

 境界の向こう。

 ASTRA(アストラ)の遥か彼方。

 巨大な存在が、こちらを見ている。

 ASTRA(アンブラ)の神。

 その視線が向けられているのは――自分ではない。

 もっと正確に自分の内側。

「……私じゃない」

 ルティスが呟く。

「え?」

 ミナが振り返る。

 ルティスは胸元を押さえた。

「見てるのは……私じゃない」

 ――ドクン

「Umbra(アンブラ)だ」

 境界の向こうで、エレナの表情が変わった。

「……そういうこと……?」

「エレナ?」

 エレナは神を見上げる。

「八年前、Umbra(アンブラ)はこちら側へ残った」

 そしてルティスを見る。

「本来いるはずだった場所から、切り離されたまま」

「じゃあ……」

 ルティスも神を見る。

「取り戻そうとしてるの?」

「私にも全部は分からない」

 エレナは首を横に振った。

「あれを神と呼んでいるのだって、古い記録にそう残っているから。世界を作った存在なのか、本当に七つの宝玉を生み出した存在なのか……誰も確かめたことなんてない」

 その言葉を聞きながらルティスは胸の奥に奇妙な感覚を覚えていた。

 Umbra(アンブラ)が怯えているわけではない。

 喜んでいるわけでもない。

 ただ、遠く離れていた何かへ反応している。

 呼ばれている。

 そんな感覚だった。

 その時。

 ――カチッ

「……え?」

 小さな音がした。

 ルティスは胸元を見る。

 ペンダント。

 旅の始まりから持ち続けてきた、古い羅針盤。

 六つの宝玉を見つけてから、一度も動かなかった針が――震えている。

「これ……」

 針が動き始めた。

 Ignis(イグニス)。

 Aqua(アクア)。

 Gaia(ガイア)。

 Aeris(エアリス)。

 Volt(ボルト)。

 Lumia(ルミア)。

 六つの刻印を順番になぞるように回っていく。

 そして。

 中央。

 何もない場所で止まった。

 ――ドクン

 Umbra(アンブラ)が応えた。

 次の瞬間。

 ペンダントの七つの刻印が、一斉に光った。

「なに……これ……」

 ルティスの脳裏に。

 雨の音が蘇った。


 学院を追放された日。

 冷たい雨。

 誰もいない道。

 泥に汚れた靴。

 そして。

 土の中から見つけた――古びた箱。

 どうしてそこにあったのか。

 誰が置いたのか。

 なぜ自分に開けられたのか。

 何も分からなかった。

 ただ、あの箱を開いた瞬間からすべてが始まった。

 六つの宝玉を巡る旅も。

 カイルとの出会いも。

 ミナとの出会いも。

 エレナへ辿り着いたことも。

「……まさか」

 ルティスは顔を上げた。

 巨大な神を見る。

「あなたがこれを……?」

 答えはない。

 神は何も語らない。

 ただ、ペンダントが光っている。

「ルティス!」

 エレナが声を上げた。

「そのペンダント、見せて!」

 ルティスは胸元から外し、境界へ向ける。

 エレナが目を凝らした。

「その文字……」

「読めるの?」

「少しだけ」

 ペンダントの外周。

 今まで模様だと思っていた細かな刻印。

 そこへ淡い光が流れている。

 エレナの表情が変わった。

「……帰還」

「え?」

「たぶん……これは、帰還を示す術式」

 ルティスはペンダントを見る。

「帰還って……何を?」

 エレナの視線がルティスの胸元へ落ちる。

「Umbra(アンブラ)」

 ルティスは息を呑んだ。

「六つの力を集めて、七つ目を……境界へ導く」

「じゃあ、このペンダントは……」

「宝玉を探すためだけのものじゃない」

 エレナは神を見る。

「Umbra(アンブラ)をASTRA(アストラ)へ戻すために、六つの宝玉を集める道標だったんだと思う」

 ルティスは何も言えなかった。

 八年前。

 Umbra(アンブラ)は自分の中へ入った。

 オルドによって記憶を封じられ。

 それから何年も自分自身でさえ、その存在を知らなかった。

 だが境界の向こうに、ずっとそれを探していた存在がいた。

「でも……」

 ルティスの中で、一つだけ引っかかった。

「だったら、どうしてあの日だったの?」

「何?」

「八年前じゃない」

 ルティスはペンダントを握る。

「学院を追放された日」

 エレナも黙る。

「ずっと私の中にUmbra(アンブラ)があったなら、どうして箱が届いたのは、あの日だったの?」

 誰も答えない。

 だがルティス自身には思い当たることがあった。

 あの日。

 初めてだった人前で隠さず影魔法を使った。

 学生を救うために。

 オルドとの約束を破って自分の力を大きく外へ放った。

「……あの日だ」

 ルティスが呟く。

「私が影魔法を使ったから」

 エレナが目を見開く。

「それまでUmbra(アンブラ)の気配は、境界のこちら側に埋もれていた。でも……」

「その時だけ」

 ルティスは神を見る。

「向こうまで届いた」

 ――ドクン

 Umbra(アンブラ)が脈打った。

 まるでその答えを肯定するように。

 ルティスはペンダントを握り締めた。

「だから……これを私に?」

 ルティスは神を見る。

 そして、胸元を押さえた。

 神の手が、さらに境界へ入ってくる。

 Umbra(アンブラ)が引かれる。

 身体ごと。

 一歩。

 ルティスの足が境界へ向かって滑った。

「ルティス!」

 カイルが腕を掴む。

「っ……!」

「連れていかせるかよ!」

 ルティスは踏みとどまった。

 そして、神を見る。

「返してほしいのかもしれない」

 短剣を握る。

「でも――嫌」

 エレナが目を見開いた。

「ルティス?」

「だって、何も分からないもの」

 神が何者なのか。

 Umbra(アンブラ)とは何なのか。

 返したら何が起こるのか。

 それすら。

 誰も知らない。

「Umbra(アンブラ)が私のものだなんて思ってない」

 胸元へ手を当てる。

「でも八年間、私の中にあった」

 ――ドクン

「だからって、何も知らない相手に『はい、どうぞ』って渡せるわけないでしょ」

 カイルが笑った。

「お前らしいな」

「褒めてる?」

「たぶん」

「たぶんって何よ」

 その時。

 ――ズンッ!!

 神の手が動いた。

 中央塔が大きく傾く。

「きゃっ!」

 ミナが床へ手をつく。

「話してる場合じゃなさそうですね!」

「だな!」

 カイルが剣を構え直す。

 ルティスはペンダントを握った。

「だったら――」

 七つの刻印。

「私たちで決める」


 その時。

 黒い魔力が走った。

 ルティスたちの横を抜け。

 一直線に神へ向かう。

「ノア!」

 レオンが叫ぶ。

 ノアの杖から放たれた魔力が、境界を越える。

 神の手へ。

 触れた。

 そして。

 消えた。

「……!」

 弾かれたのではない。

 防がれたのでもない。

 ただ。

 存在そのものを掻き消された。

 ノアが動きを止める。

 次の瞬間、神の指が僅かに動いた。

 ――ドンッ!!

 ノアの身体が吹き飛んだ。

「ノア!」

 レオンが咄嗟に走った。

 床へ叩きつけられる寸前、その腕を掴む。

 二人の身体が床を滑った。

「ぐっ……!」

 レオンが長剣を床へ突き立てる。

 ようやく止まった。

 ノアの杖が遠くへ転がる。

 銀色の仮面にも細い亀裂が走っていた。

「……これが」

 ノアはゆっくりと顔を上げる。

 巨大な神を見た。

 その目にはまだ恐怖がなかった。

 むしろ。

 さらに強い執着が宿っている。

 レオンはそれを見て。

 ノアの胸ぐらを掴んだ。

「まだやるつもりか」

「……」

「お前、死ぬぞ」

「それがどうした」

 レオンの表情が歪んだ。

「どうしたじゃない!」

 怒鳴ったあと。

 レオンは一度、言葉を飲み込んだ。

 そして。

 低い声で続ける。

「……俺を助けただろ」

 ノアの目が動いた。

「あの森で」

「……」

「教団の連中に殺されかけたのを、お前は止めた」

 ノアは何も言わない。

「だったら今度は俺が止める」

 レオンは手を離した。

「勝手に死ぬな」

 一瞬。

 ノアの表情が止まった。

「借りは返した」

 レオンは長剣を構える。

「ここから先は別だ」

 ノアはしばらくレオンを見ていた。

 やがて。

「……余計なことを」

 それだけを言った。


 空がさらに裂けた。

 ASTRA(アストラ)から吹き込む風。

 エアリオンから吸い込まれる風。

 二つが塔の中で衝突する。

 石片が舞う。

 魔法陣の光が激しく乱れる。

「ルティス!」

 エレナの声。

「このままじゃ境界そのものが崩れる!」

「閉じられる!?」

「七つの力があれば!」

 ルティスは七つの円を見る。

 ペンダントも反応している。

「どうやって?」

「分からない!八年前は、こんな状態じゃなかったの!」

 ルティスは歯を食いしばる。

 その時、ペンダントから七本の細い光が伸びた。

「……え?」

 六本は。

 六つの宝玉へ。

 最後の一本は。

 ルティスの影へ。

 そして光の向きが変わった。

 それぞれが違う方向へ伸びていく。

「これ……」

 ルティスは目を見開いた。

「場所を教えてる?」

 七つの力。

 七つの位置。

 中央塔の魔法陣と。

 ペンダントの配置が重なっていく。

 ルティスは気づいた。

「違う……」

「何がです?」

 ミナが尋ねる。

「これは、七つを集めるだけの道具じゃない」

 ペンダントを見る。

「七つを――どこへ置くのかを教えてる」

 ヴァルディアで見た言葉が、再び脳裏へ蘇る。

 ――七つは、一つになるためにあるのではない。

 ――七つは、互いを支えるためにある。

「もしかしたら……一人で使うんじゃない……?」

 ルティスは鞄を開いた。

 紅い宝玉を取り出す。

「カイル!」

「なんだ!?」

 Ignis(イグニス)を投げる。

 カイルが受け取った瞬間。

 紅い炎が剣を包んだ。

「うおっ!?」

「Ignis(イグニス)はカイル!」

「何で俺だ!」

「一番似合う!」

「それだけ!?」

「嫌なら返して!」

「いや、使う!」

 次。

 碧空色。

「ミナ!」

「はい!」

 Aeris(エアリス)。

 ミナが両手で受け取る。

 その瞬間、乱れていた風が彼女の周囲だけ整った。

「……分かる」

 ミナが目を閉じる。

「風の流れが……全部」

「お願い」

「任せてください!」

 紫電を纏う宝玉。

「レオン!」

 Volt(ボルト)を投げる。

 レオンが片手で受け止める。

 紫色の雷が黒い長剣へ走った。

「……俺か」

「動くの速いでしょ」

「理由はそれだけか」

「十分じゃない?」

 レオンは僅かに口元を緩めた。

「悪くない」

 そして。

 碧い宝玉。

 Aqua(アクア)。

 ルティスは一瞬だけ止まった。

 視線の先。

 ノア。

「……ノア」

 碧い宝玉を投げる。

 ノアが受け取った。

 その場にいた全員が一瞬、黙った。

「……私に渡すのか」

「今だけ」

「信用していると?」

「してない」

 即答だった。

「でも、使えるでしょ」

 ノアはAqua(アクア)を見る。

「無論だ」

「じゃあお願い」

 ノアが僅かに首を傾げる。

「随分と勝手だな」

「あなたに言われたくない」

 カイルが吹き出した。

「違いねえ」

 残る。

 Gaia(ガイア)。

 Lumia(ルミア)。

 そしてUmbra(アンブラ)。

 ルティスは黄金に輝く宝玉を握った。

 境界の向こうを見る。

「エレナ!」

 Lumia(ルミア)を掲げる。

 だが、渡せない。

 境界がある。

「どうやって……」

 その時、ペンダントの光がLumia(ルミア)とエレナを繋いだ。

「……!」

 白金色の光が境界を越える。

 宝玉そのものはこちら側。

 だが、その力だけがエレナへ届いた。

 エレナの身体が白金色の光に包まれる。

「ルティス……」

「そっちから支えて!」

 エレナは光を見つめる。

 そして。

 強く頷いた。

「うん!」

 残ったのは。

 Gaia(ガイア)。

 ルティスは翠の宝玉を見る。

「一人……足りない」

「私が使う」

 ノアが言った。

「二つ程度なら――」

「待って」

 ルティスは止めた。

 ペンダントを見る。

 Gaia(ガイア)の刻印。

 そこから伸びる光。

 誰にも向いていない。

 下。

 真下へ伸びている。

「……下?」

 ミナも気づく。

 ルティスは床を見る。

 中央塔。

 その下。

 巨大な浮遊島。

 そして。

 六つの副塔。

「……そういうこと」

 ルティスはしゃがんだ。

「Gaia(ガイア)は、誰かが持つんじゃない」

 宝玉を魔法陣の中央へ置く。

「ここを支えてもらう」

 ――ズン

 翠色の光が床を走った。

 中央塔から六つの副塔へ。

 さらに。

 エアリオン全体へ。

 巨大な浮遊島が低く唸る。

 揺れていた塔が少しずつ安定していく。

「街そのものを……」

 ミナが呟く。

 ルティスは頷いた。

「Gaia(ガイア)は大地だから」

 残るのは。

 一つ。

 ルティスは胸元へ手を置いた。

「Umbra(アンブラ)は――私」

 ――ドクン

 七つ。

 すべての場所が決まった。


「行くよ!」

 ルティスが叫ぶ。

 Ignis(イグニス)。

 カイルの剣が炎を纏う。

 Aqua(アクア)。

 ノアの杖の周囲を、水のような青い魔力が流れる。

 Gaia(ガイア)。

 エアリオン全体を緑の光が支える。

 Aeris(エアリス)。

 ミナが風の流れを整える。

 Volt(ボルト)。

 レオンの黒剣を雷が走る。

 Lumia(ルミア)。

 境界の向こうで、エレナが白金色の光を掲げる。

 そして。

 Umbra(アンブラ)。

 ルティスの影が広がった。

 七つ。

 誰か一人の力ではない。

 誰か一人のためでもない。

 別々の場所。

 別々の意思。

 それでも。

 互いを支えている。

挿絵(By みてみん)

「閉じる!」

 七つの光が一斉に境界へ伸びた。

 神の手が止まる。

 空気が震えた。

「っ……!」

 ルティスの膝が沈む。

 強い、あまりにも。

 神の力は七つを合わせてもなお。

 比較することすら馬鹿らしいほど巨大だった。

「ルティス!」

 カイルの声。

「大丈夫!」

「全然そう見えねえぞ!」

「今は言わせて!」

 炎が強くなる。

 ミナの風が七つの力の流れを整える。

「右です!」

「何が!?」

「全部です!」

「分からん!」

「とにかく右!」

「おう!」

 レオンの雷が境界の縁を走る。

 ノアのAqua(アクア)が暴れる魔力を受け流していく。

 ルティスは一瞬。

 ノアを見る。

 上手い。

 悔しいほどに。

「……本当に使えるのね」

「当たり前だ」

「ちょっと腹立つ」

「集中しろ」

「あなたに言われたくない!」

 それでも七つの力は、少しずつ境界を押し戻していく。


 神の手がゆっくりとASTRA(アストラ)へ戻っていく。

 ルティスには奇妙なことが分かった。

「……抵抗してない?」

 神は押し返されているのではない。

 ただ、閉じていく道を見ている。

 そしてルティスを。

 Umbra(アンブラ)を見つめている。

 ――ドクン

 Umbra(アンブラ)が脈打つ。

 神から何かが届いた。

 声ではない。

 言葉でもない。

 暗闇。

 無数の光。

 七つの輝き。

 長い時間。

 そして。

 失われた一つを探すような。

 遠い感覚。

「……」

 ルティスは胸を押さえた。

 やはり、神はUmbra(アンブラ)を求めている。

 でも。

「ごめん」

 小さく呟く。

「今は、返せない」

 神は答えない。

「あなたが何なのか」

「Umbra(アンブラ)が何なのか」

「全部分かってから決める」

 影が七つの力を繋ぐ。

「だから――」

 ルティスは神を見る。

「今は帰って」

 境界がゆっくりと狭くなっていった。


「ルティス!」

 エレナの声。

 ルティスが顔を上げる。

 境界の向こう。

 エレナの姿が少しずつ遠くなっている。

「エレナ!」

 レオンも気づいた。

「待て!」

 白い光を纏ったエレナが兄を見る。

「お兄ちゃん」

「こっちへ来い!」

「……」

「今なら――」

「駄目」

 レオンの表情が歪む。

「まだなのか……」

「ごめん」

「謝るな」

 エレナが目を見開く。

 レオンは長剣を握ったまま。

 妹を見る。

「謝るな……」

 今度は静かな声だった。

「お前が生きてるって分かった」

 エレナの目に涙が浮かぶ。

「それで十分だなんて言わない」

「……うん」

「絶対に連れ戻す」

 エレナが少し笑った。

「うん」

「今度は、こんな方法じゃなく」

 レオンは一度。

 ノアを見る。

 そして再び妹を見る。

「ちゃんとした方法で」

「待ってる」

 レオンはそれ以上何も言わなかった。

 ただ、小さく頷いた。


「ルティス」

 エレナが呼ぶ。

「何?」

「ごめんね」

「だから、なんで謝るの?」

「また、あなたに任せちゃった」

 ルティスは少し考えた。

 そして首を横に振る。

「違うよ」

「……?」

「八年前とは違う」

 あの夜。

 何も知らず。

 何も選べず。

 気づけばUmbra(アンブラ)を抱えていた。

 記憶さえ失った。

 でも今は違う。

「これは、私が決めた」

 エレナがルティスを見る。

「神に返さないことも」

「境界を閉じることも」

「あなたを今すぐ連れ戻さないことも」

 少しだけ。

 声が詰まる。

「全部」

 エレナは静かに笑った。

「……強くなったね」

「……そうかも」

 境界がさらに細くなる。

「エレナ」

「うん」

「今は閉じる」

「うん」

「でも――終わりにはしない」

 エレナの表情が変わる。

「必ず、別の方法を探す」

 ASTRA(アストラ)の光が少しずつ遠ざかる。

「境界を壊さないで」

「世界を巻き込まないで」

「あなたに会える方法を」

 エレナの瞳から一筋だけ涙が落ちた。

「……待ってる」

「今度こそ?」

 ルティスが尋ねる。

 エレナは笑った。

「今度こそ」

 ルティスも笑う。

「約束」

「うん」


 境界があと僅かになる。

 神の姿はもうほとんど見えない。

 最後までその視線だけがUmbra(アンブラ)へ向けられていた。

 そして神の姿が消えた。

「エレナ!」

 レオンが叫ぶ。

 妹が最後に兄を見る。

「お兄ちゃん!」

「……必ず迎えにいく!」

 一瞬。

 エレナの目が大きくなる。

 そして。

 笑った。

「うん!」

 ルティスを見る。

「ルティス!」

「なに!?」

「またね!」

 ルティスは短剣を握りながら。

 大きく頷いた。

「また会おう!」

 ――パチン

 境界が閉じた。


 七つの光がゆっくりと消えていく。

 最初にエレナへ伸びていたLumia(ルミア)の光。

 次にVolt(ボルト)。

 Aeris(エアリス)。

 Aqua(アクア)。

 Ignis(イグニス)。

 そしてエアリオンを覆っていたGaia(ガイア)。

 最後にルティスの影が静かに足元へ戻った。

 ――ドクン

 Umbra(アンブラ)も眠るように静かになる。

「……終わった?」

 ミナがその場へ座り込んだ。

「もう……矢一本も撃ちたくないです……」

 カイルが剣を鞘へ戻す。

「俺も腹減った」

「今それですか?」

「今だからだよ」

 ルティスもその場へ座り込んだ。

「……私も」

「ルティスさんまで……」

「もう無理」

 そのまま仰向けになる。

挿絵(By みてみん)

 天井の崩れた向こう。

 空が見えた。

 黒い亀裂が。

 一つ。

 また一つ。

 消えていく。

 青空が戻ってくる。

「……綺麗」

 ルティスが呟いた。

 誰も答えなかった。

 でも。

 みんな。

 同じ空を見ていた。


 少し離れたところでノアがAqua(アクア)を見ていた。

 青い光はもう消えている。

 ルティスが身体を起こす。

「ノア」

 ノアが見る。

「返して」

「……」

「それ、私たちが苦労して取ったんだから」

 数秒、ノアはAqua(アクア)を見つめた。

 そしてルティスへ投げる。

「わっ!」

 慌てて受け止める。

「普通に渡してよ!」

「受け取っただろう」

「そういう問題じゃない!」

 カイルが笑った。

 ミナも疲れた顔のまま笑う。

 だが、レオンだけはノアを見ていた。

「……諦めたのか」

 ノアの動きが止まる。

「何をだ」

「神の力だ」

 短い沈黙。

 ノアは閉じた空を見る。

「いいや」

 レオンの目が細くなる。

「まだ、間違っていたとは思っていない」

 ルティスもノアを見る。

「世界が壊れかけたのに?」

 ノアは銀色の仮面へ手を触れた。

 神の攻撃で入った亀裂。

「知らなければならないことが増えた」

「……本気?」

「ああ」

 ルティスは大きくため息をついた。

「全然懲りてない」

「懲りる理由がない」

「あるでしょ!」

 ノアは背を向ける。

「次に境界を開く時は――」

「開かせない」

 ルティスが即答した。

 ノアの足が止まる。

 振り返らない。

 数秒。

 静寂。

 そして。

「ならば――止めてみろ」

 黒い影がノアの足元へ広がった。

「待て、ノア」

 レオンが呼ぶ。

 だが。

 影が閉じた時。

 そこにノアの姿はなかった。


 しばらく誰も口を開かなかった。

「……追います?」

 ミナが尋ねる。

 カイルが首を横に振る。

「今日はもういいだろ」

「同感」

 ルティスは再び床へ座り込んだ。

 レオンだけがノアの消えた場所を見ている。

「レオン?」

「……いや」

 長剣を鞘へ戻す。

「行こう」

「どこへ?」

 カイルが答えた。

「飯」

「……」

 レオンがカイルを見る。

「今の流れでか?」

「今の流れだからだ」

 ミナが笑った。

「カイルさん、それしか考えてないんじゃないですか?」

「失礼だな。酒も考えてる」

「飲む気ですか!?」

 ルティスが笑う。

 それからレオンを見る。

「一緒に来る?」

「俺が?」

「うん」

「……」

「嫌ならいいけど」

 レオンは閉じた空を一度だけ見た。

 その向こうに。

 妹がいる。

 もう。

 姿は見えない。

 それでも。

「……まぁいいだろう」

 ミナが目を丸くした。

「来るんですね」

「悪いか」

「いえ」

 ミナは笑った。

「ちょっと意外だっただけです」

 四人は崩れかけた中央塔をゆっくりと降り始めた。


 エアリオンに風が戻っていた。

 最初はほんの微かな風。

 やがて街路を抜け。

 橋を渡り。

 巨大な風車へ届く。

 止まっていた羽根がゆっくりと動いた。

 一度。

 二度。

 そして。

 正しい方向へ回り始める。

 ミナの赤茶色の髪が同じ方向へ流れた。

「……帰ってきました」

「何が?」

 ルティスが尋ねる。

 ミナは空を見る。

「風です」

 青い空。

 白い雲。

 もう。

 黒い亀裂はない。

 ルティスは胸元を見る。

 ペンダント。

 七つの刻印は再び光を失っていた。

 針も。

 動かない。

 でも。

 今度はその理由を知っている。

 Umbra(アンブラ)を探し。

 六つの宝玉を導き。

 境界へ帰すための道具。

 神が望んでいた答えと自分が選んだ答えは違ったが。

 ルティスはペンダントを握った。

「……でも」

 小さく笑う。

「エレナを連れ戻したらね……」

「何か言いました?」

 ミナが振り返る。

「ううん」

 ルティスは歩き出した。

「お腹すいたって言っただけ」

「嘘ですね」

「なんで分かるの?」

「顔です」

「どんな顔よ」

 カイルが先を歩きながら笑った。

 レオンもほんの僅かに口元を緩めた。


 誰もいなくなった中央塔。

 七つの円が刻まれた魔法陣。

 すべての光は消えていた。

 静寂。

 風だけが崩れた天井から入り込む。

 その中央。

 Umbra(アンブラ)の円。

 ――ピシッ

 細い黒い線が走った。

 ほんの一瞬。

 その向こうから。

 ASTRA(アストラ)のものとも。

 この世界のものとも違う。

 淡い光が漏れた。

 そして。

 消える。

 二つの世界は確かに離れた。

 けれど。

 一度触れた世界の痕跡までは――

 まだ、消えていなかった。


 ――Chapter 19 END


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。