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Chapter 16 ― レオンの真実

挿絵(By みてみん)


 Chapter 16 ― レオンの真実


 夜明け前。

 森には、まだ夜の色が残っていた。

 細い街道を、三人は歩いていた。

 ルティス。

 カイル。

 ミナ。

 地下研究室を離れてから、ほとんど休んでいない。

 空は僅かに白み始めている。

 けれど木々の間には濃い影が残り、冷たい風が枝を揺らしていた。

「……眠いです」

 ミナが小さく欠伸をする。

「歩きながら寝るなよ」

「寝ませんよ」

「さっき木にぶつかりそうになってただろ」

「あれは木が近づいてきたんです」

「そんな木があってたまるか」

 二人のやり取りを聞きながら。

 ルティスは胸元へ手を当てた。

 ――ドクン

 小さな鼓動。

 Umbra(アンブラ)。

 今は静かだった。

 地下研究室で暴れていたのが嘘のように。

『どうして私なの?』

 ノアに尋ねた。

 けれど、答えは得られなかった。

 なぜエレナは、自分ならUmbra(アンブラ)を受け止められると知っていたのか。

 なぜ自分は、八年間もその力を内側に抱えていられたのか。

 そしてなぜ自分は――影魔法を使えるのか。

 オルドなら答えを知っていたかもしれない。

 でも先生はもういない。

『オルドには、まだ利用価値があった』

 ノアの言葉を思い出す。

 ルティスは唇を噛んだ。

「……嫌な奴」

「ん?」

 カイルが振り返る。

「何でもない」

「ノアのことです?」

 ミナが聞く。

「……何で分かったの?」

「顔に書いてあります」

「どんな顔よ」

「今すぐ一発殴りたい顔です」

「それはお前もだろ」

「私は三発くらいです」

「多いな」

 ルティスは小さく笑った。

 その時、ミナの表情が変わった。

「……待って」

 足を止める。

 カイルの手が剣の柄へ伸びる。

「どうした?」

「風が……」

 ミナが目を閉じる。

 森を抜ける風。

 枝葉の揺れ。

 草の擦れる音。

「誰かいます」

「何人だ?」

「……一人」

 カイルが剣を抜いた。

 ルティスの足元で影が揺れる。

 街道の先。

 木々の間から、一人の男が姿を現した。

 長い黒髪。

 黒い外套。

 背には黒い長剣。

「……レオン」

 ルティスが呟く。

 男は三人から少し離れた場所で足を止めた。

 カイルは剣を下ろさない。

「一人か?」

「ああ」

 ミナが周囲へ意識を向ける。

 やがて。

「……本当に一人みたいです」

「何の用だ」

 カイルが尋ねる。

 レオンはルティスを見た。

「昨日の続きを話しに来た」

「昨日の?」

「俺が――なぜノアに剣を向けたのか」

 ルティスは黙ってレオンを見る。

「それと」

 レオンは続ける。

「エレナについてだ」

「……いいわ」

「ルティス」

 カイルが僅かに制する。

「大丈夫」

 ルティスは答えた。

「私も、レオンに聞きたいことがある」


 街道から少し外れた場所。

 倒木のそばで四人は足を止めた。

 誰も座らない。

 カイルはレオンから目を離さず、ミナも弓を手にしたままだった。

「それで?」

 ルティスが尋ねる。

「どうして昨日、私たちを助けたの?」

「助けたつもりはない」

 昨日と同じ答えだった。

「俺自身が、確かめたかった」

「何を?」

「ノアを信じていいのか」

「……」

「そして」

 レオンの目が僅かに伏せられる。

「俺がやろうとしていることを――エレナが望むのか」

 ルティスの表情が変わる。

「それって……」

「俺はエレナを取り戻したい」

 レオンは言った。

「そのために教団へ入った」

「その気持ちは、今も変わらない」

 迷いのない言葉だった。

「じゃあ、どうしてノアに逆らったの?」

「昨日、はっきりしたからだ」

「何が?」

「俺とノアは――同じものを求めているわけじゃない」

 森の風が四人の間を抜ける。

「ノアは境界の向こうを知りたがっている」

「ASTRA(アストラ)を知り」

「Umbra(アンブラ)を知り」

「八年前に何が起きたのかを知ろうとしている」

「そして、そのためなら――」

 レオンがルティスを見る。

「人すら手段にする」

 ルティスは何も言わなかった。

『オルドには、まだ利用価値があった』

『今のお前は――死なせるには価値がありすぎる』

 ノアの声が蘇る。

「昨日、お前を見て分かった」

 レオンが続ける。

「ノアはお前を殺そうとはしていない」

「むしろ逆だ」

「お前を必要としている」

「……えぇ」

「だからこそ危険だ」

 カイルが眉を寄せる。

「殺す奴より、生かして使う奴の方が危険ってことか?」

「場合によってはな」

 レオンは否定しなかった。

「ノアにとって重要なのは、お前がどう感じるかではない」

「Umbra(アンブラ)が安定しているか」

「境界を開くために使えるか」

「それだけだ」

「……」

「昨日」

 レオンは拳を握る。

「ルティスがどうなると聞いた」

「ノアは『死にはしない』と答えた」

「それで分かった」

 少しの沈黙。

「俺が欲しい答えと、ノアが出す答えは違う」

 ミナが静かに尋ねる。

「だから術式を斬ったんですか?」

「ああ」

「でも」

 ルティスが言う。

「あなたはまだ、エレナを取り戻したい」

「当然だ」

 即答だった。

「八年前」

 レオンは遠くを見る。

「俺はあの場所にいなかった」

「境界が開いた時も」

「エレナがASTRA(アストラ)へ渡った時も」

「何も知らなかった」

「気づいた時には――」

 声が少しだけ低くなる。

「妹はいなくなっていた」

 ルティスは黙る。

「それから調べた」

「だが、何も分からなかった」

「学院も」

「研究者も」

「八年前のことを知っている者は、ほとんど口を閉ざした」

「そこへノアが現れた」

「……何て?」

「境界を開けば、失われたものを取り戻せる、と」

 レオンの視線が落ちる。

「俺はそれに賭けた」

「だから教団に?」

「ああ」

「ノアを信じて?」

「少なくとも」

 レオンは少し考える。

「あの男は、俺より多くを知っていた」

「それで十分だった」

 カイルが腕を組む。

「でも、今は違う」

「……ああ」

「ノアのやり方?」

「それだけじゃない」

 レオンは首を振った。

「ノア自身も、すべてを知っているわけじゃないわ」

「……!」

 ルティスが顔を上げる。

「昨日もそうだったでしょう?」

「私がどうしてUmbra(アンブラ)を宿せたのか――ノアも知らなかった」

「ああ」

「ノアは答えを持っているんじゃない」

 レオンが言う。

「答えを探している」

「俺たちと同じようにな」

「でも」

 ミナが眉を寄せる。

「その探し方が違う」

「そういうことだ」


 少しの沈黙。

 ルティスはずっと気になっていたことを尋ねた。

「レオン」

「何だ」

「あなたは影魔法について、どこまで知ってる?」

 レオンの目が僅かに細くなる。

「何故それを聞く?」

「私が影魔法を使えるようになった理由」

 胸元へ手を置く。

「昨日、ノアに聞いても分からなかった」

「先生も教えてくれなかった」

「でも」

「Umbra(アンブラ)が私の中にあることと、影魔法には関係があるんでしょう?」

「ある」

 レオンは即答した。

「ただし」

「お前の場合は、普通の影魔法使いとは事情が違う」

「普通の……?」

 カイルが首を傾げる。

「影魔法使いなんて、他にもいるのか?」

「少ないがな」

「でも禁術なんですよね?」

 ミナが聞く。

「現在ではそう扱われている」

 レオンは木の根元へ視線を落とした。

「だが、影魔法そのものは八年前に生まれたものじゃない」

「もっと古い?」

「ああ」

「古い記録には、何百年も前から影を操る者がいたと残されている」

「魔女」

「異端者」

「影歩き」

「呼び方は時代によって違う」

「でも、どうして使えるの?」

 ルティスが尋ねる。

「普通の魔法とは違うんでしょう?」

「違う」

 レオンは少し考え。

 言った。

「境界だ」

「……境界?」

「この世界とASTRA(アストラ)」

「その間には、完全な壁があるわけじゃない」

「遥か昔から」

「ごく僅かな亀裂が生じることがあったらしい」

「そこから流れ込んだ力が――」

 レオンが地面の影を見る。

「人間の魔力の流れを変えた」

「魔力の流れ……」

「その特殊な流れを」

 レオンは続ける。

「古い記録では――『影脈』と呼んでいる」

「……影脈?」

 ルティスが初めてその言葉を口にする。

「ああ」

「影脈を持つ人間は、Umbra(アンブラ)そのものを宿していなくても影魔法を使える」

 カイルが顔をしかめる。

「ちょっと待て」

「じゃあ、ノアは?」

「影脈を持っている」

 レオンは断言した。

「ただし」

 レオンの表情が僅かに険しくなる。

「あいつの影脈は、自然な状態じゃない」

「どういう意味?」

「教団が強化した」

「……強化?」

「古い術式を使ってな」

「本来なら扱えるはずのない量の影魔力を流せるようにしている」

 ルティスはノアの影魔法を思い出す。

 黒い壁。

 影の波動。

 そして。

 自分と似ているようで、どこか違う力。

「じゃあ」

 ルティスが自分の手を見る。

「私にも影脈があるの?」

「分からない」

「え?」

「調べた記録だけでは判断できない」

 レオンは答える。

「お前はUmbra(アンブラ)そのものを宿している」

「普通の影脈持ちと同じ基準では考えられない」

「……」

「Umbra(アンブラ)の影響で影魔法を使えるのか」

「元々、影脈に近い性質を持っていたからUmbra(アンブラ)を受け止められたのか」

「あるいは――」

 レオンが一度言葉を止める。

「その両方なのか」

「分からない」

 ルティスは小さく息を吐いた。

「また分からない、か」

「悪いな」

「ううん」

 ルティスは首を振る。

「分からないことが分かっただけでもいい」

 オルド。

 エレナ。

 ノア。

 レオン。

 誰も完全な答えを持っていない。

 なら、自分で探すしかない。

「それで」

 カイルがレオンを見る。

「教団は何をしようとしてる?」

「境界を開く」

「それは知ってる」

「その先だ」

 レオンは黙る。

「ノアは」

 やがて口を開いた。

「境界の向こうにあるものを確かめようとしている」

「ASTRA(アストラ)?」

「それだけじゃない」

 ルティスの表情が変わる。

「どういうこと?」

「以前、ノアが言った」

 レオンの声が低くなる。

「『戻ってくるのは、失われた者だけではない』」

「……」

 森の空気が僅かに冷たく感じられた。

「それって……何?」

 ミナが尋ねる。

「俺にも分からない」

「ノアは?」

「おそらく――」

 レオンが言葉を選ぶ。

「ノア自身も、確信していない」

「分からないものを開けようとしてるのか?」

 カイルが顔をしかめる。

「だから俺は昨日、止めた」

 レオンは答えた。

「エレナを取り戻したい」

「だが」

「何が出てくるか分からない扉を開けて」

「その結果、この世界がどうなるかも分からない」

「そこまでしていいのか――」

 レオンは拳を握る。

「俺には、もう分からない」


「これを見ろ」

 レオンが懐から一冊の古い記録書を取り出した。

 革張りの薄い冊子。

 表紙には見覚えのある紋様。

 七つの円。

「これ……」

 ルティスが受け取りページを開く。

 古代文字。

 図。

 そして。

 中央に描かれた一本の亀裂。

 その左右。

 二つの領域。

 片方には読める文字があった。

 ――彼界(ジ・アザー・サイド) 。

「向こう側……」

 ルティスが呟く。

「アルカで見た言葉と同じです」

 ミナが覗き込む。

「どこでこれを?」

「教団の資料庫だ」

「盗んできたのか?」

「少し拝借しただけだ」

「それを世間では盗んだって言うんだよ」

「返すつもりはある」

「本当かよ」

 レオンは無視した。

「ノアは最近、この記録と似た資料を集めている」

「境界に関するものを中心にな」

「これに何が書いてあるの?」

「全部は読めない」

「だが」

 レオンが中央の亀裂を指す。

「境界は、ただ二つの世界を隔てる壁ではないらしい」

「……」

「かつて」

「こちら側と向こう側は――互いに影響していた」

 ルティスは図を見る。

 七つの円。

 中央の亀裂。

 向こう側。

「ASTRA(アストラ)……」

 その時だった。

 ――ガサッ。

 茂みが揺れた。

 四人が同時に振り返る。

「風じゃないです」

 ミナが弓を構える。

 カイルが剣を抜く。

 レオンも黒い長剣へ手を伸ばす。

「来るぞ」

 森の影が、膨らんだ。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 黒い獣のような形が、地面から這い出してくる。

「影……!」

 ルティスの表情が変わる。

 以前にも戦った、教団が使う影の魔物。

 だが、今回は何かが違う。

 影たちはルティスを見ない。

 カイルも。

 ミナも。

 ただ一人。

「……俺か」

 レオンが呟いた。

 すべての影がレオンだけを見ていた。

挿絵(By みてみん)

「どういうこと?」

「後で話す!」

 影が跳んだ。

 真っ直ぐ。

 レオンへ。

 ――ギィン!

 黒い長剣が爪を受ける。

「っ!」

 レオンが押し返す。

 二体目。

 背後。

「レオン!」

 ルティスが影へ沈む。

「――幻影移動(シャドウ・ステップ)!」

 次の瞬間。

 レオンの背後、短剣が影の胴体を切り裂いた。

 黒い霧。

 だが、すぐに再生する。

「核があります!」

 ミナが叫ぶ。

「胸の奥!」

「見えてる!」

 矢が飛ぶ。

 ――ヒュッ!

 影の胸へ突き刺さる。

 僅かに黒い身体が歪んだ。

「そこか!」

 カイルが踏み込む。

 剣が横薙ぎに走る。

 ――バキン!

 核が砕ける。

「なかなかな腕だな」

 レオンがカイルに言う。

「お前に褒められても嬉しくないね!」

 カイルの返答にレオンが笑う。

 一体。

 消滅。

「あと二つ!」

 影が左右へ分かれる。

 だが。

 どちらも。

 レオンへ向かう。

「やっぱり……」

 ルティスが気づく。

「こいつら――私たちを狙ってない!」

「レオンさんだけです!」

 ミナも気づいた。

「教団か」

 レオンが低く呟く。

「何?」

「昨日、俺は術式を壊したことを根に持ってるんだろう」

 長剣を振るい影の爪を弾く。

「教団から見れば――裏切りだ」

「処分しに来たってことか!?」

 カイルが叫ぶ。

「おそらくな!」

「お前のところ、ずいぶん物騒だな!」

「今さら気づいたのか!」

「そんなこと言ってる場合ですか!」

 ミナが矢を放つ。

 一本。

 二本。

 影の動きを止める。

「ルティスさん!」

「分かってる!」

 足元の影が伸びる。

「――幻影(ファントム)!」

 もう一人のルティス。

 幻影が走る。

 影の魔物が一瞬だけ反応する。

 その死角へ本物のルティスが潜り込む。

「――影刃(シャドウ・エッジ)!」

 影を纏った刃。

 胸の核へ。

 ――ザンッ!

 黒い身体が大きく歪む。

「レオン!」

「分かっている!」

 黒い長剣。

 一閃。

 ――バキン!

 二つ目の核が砕けた。

 残る一体。

 影は後ろへ跳んだ。

「逃げる?」

 ミナが弓を向ける。

「逃がすな!」

 カイルが踏み込もうとする。

「待て!」

 レオンが叫んだ。

「……?」

 影は逃げなかった。

 その身体がゆっくりと地面へ沈んでいく。

「消えた……?」

「違う!」

 ルティスが叫ぶ。

「下!」

 黒い筋。

 地面を走る。

 速い。

 真っ直ぐレオンへ。

「レオン!」

「――!」

 レオンが振り返る。

 だが、遅い。

 背後の影から黒い腕が飛び出した。

 狙いは。

 心臓。

 長剣を戻す時間はない。

「っ!」

 あと僅か。

 その時。

 ――ズン

「……?」

 黒い腕が止まった。

 レオンの胸まで指一本ほどで、影の身体が震えている。

「何……?」

 ルティスが目を見開いた。

 影の魔物を。

 別の黒い影が――背後から貫いていた。

 細い。

 鋭い影。

 まるで槍のように。

 胸の核を正確に貫いている。

 ――バキン

 核が砕けた。

 黒い腕が崩れる。

 そして、影の魔物そのものが霧となって消えた。

「……」

 静寂。

 誰も動かなかった。

 森に風の音だけが戻ってくる。

「今の……」

 ミナが弓を下ろす。

 カイルがルティスを見る。

「お前じゃないよな?」

「……うん」

 ルティスは答える。

「私じゃない」

 今の影魔法は自分のものではない。

 レオンは胸の前で消えていく黒い霧を見つめていた。

 そして、森の奥を見る。

「……ノア」

「え?」

 ルティスが振り返る。

「今のが?」

「断定はできない」

 レオンは目を細める。

「だが――あいつの魔力に似ていた」

「ノアが……」

 ミナが森の奥を見る。

「レオンさんを助けた?」

「……」

 レオンは答えない。

 その時、足元に小さな黒い欠片が落ちていることに気づいた。

 拾い上げる。

 影の核の破片。

 その表面。

 小さな刻印。

 レオンの表情が変わる。

「……やはりな」

「何?」

 ルティスが近づく。

「教団の制御印だ」

「じゃあ」

 ミナが息を呑む。

「本当に教団が?」

「ああ」

 レオンが立ち上がる。

「こいつらは、教団が放った」

「狙いは?」

 ルティスはもう分かっていながら尋ねた。

「俺だ」

 レオンは答えた。

「昨日、ノアに逆らった」

「術式を壊した」

「教団から見れば――十分な裏切りだ」

「処分……」

 ミナが呟く。

「おそらくな」

「待てよ」

 カイルが森を見る。

「だったら、おかしいだろ」

「何が?」

「教団がレオンを殺しに来た」

「なのに」

 剣先で影が消えた場所を示す。

「最後に、それをノアが潰した?」

「……」

 誰も答えない。

 ルティスの頭に昨日の言葉が蘇る。

『答えない』

『抵抗する』

『だから殺した』

『愚かとしか言いようがない』

 オルドのこと。

 そして。

『必要だから生かす』

『必要だから使う』

 ルティスは森の奥を見る。

「……同じなんだ」

「何が?」

 ミナが尋ねる。

「オルド先生の時と」

 レオンがルティスを見る。

「あの時、教団の人たちは勝手に先生を殺した」

「ノアは、それを無能だって言った」

「まだ聞きたいことがあったから」

「まだ利用価値があったから」

「……」

 ルティスはレオンを見る。

「たぶん――あなたも同じ」

「俺にも利用価値がある、と?」

「うん」

 ルティスは頷いた。

「ノアは、あなたを処分するつもりがない」

「少なくとも――今は」

 レオンは何も言わなかった。

「助けたってことですか?」

 ミナが聞く。

「違うと思う」

 答えたのはルティスだった。

「……え?」

「ノアはレオンを助けたんじゃない」

 黒い霧が完全に消えていく。

「勝手に殺されるのを――止めただけ」

「……」

「オルド先生の時みたいに」

 レオンは長い間何も言わなかった。

 やがて黒い長剣を鞘へ戻した。

「……あいつらしいな」

 それだけ言った。


 朝日が木々の向こうから差し込み始めていた。

「これからどうする?」

 ルティスが尋ねる。

「教団に戻る」

「えっ!?」

 ミナが声を上げた。

「今、殺されかけたんですよ!?」

「ああ」

「戻るんですか!?」

「ああ」

「なんで!?」

 レオンは少しだけ考えた。

「確かめるためだ」

「何を?」

「教団の中で、誰が俺を処分しようとしたのか」

 そして。

 森の奥を見る。

「ノアが――何を考えているのか」

「危険すぎるだろ」

 カイルが言う。

「分かっている」

「だったら――」

「それでも戻る」

 レオンの声に迷いはなかった。

「俺はまだ、教団を捨てたわけじゃない」

「……」

「ノアが間違っているとも、まだ断言できない」

「でも」

 ルティスが言う。

「昨日は止めた」

「ああ」

「今日、教団はあなたを殺そうとした」

「ああ」

「それでも?」

「それでもだ」

 レオンはルティスを見る。

「俺はエレナを取り戻したい」

「その気持ちは変わらない」

「だからこそ」

「何が正しいのか――自分で確かめる」

 ルティスは黙ってレオンを見る。

 昨日、自分も同じことを思った。

 誰かに答えを与えられるのではなく。

 自分で確かめる。

「……分かった」

 ルティスが言った。

「止めない」

「ルティスさん?」

「でも」

 レオンを見る。

「一つだけ」

「何だ」

「死なないで」

「……」

「エレナに会いたいんでしょう?」

「ああ」

「だったら」

 ルティスは少し笑う。

「勝手に死んだら駄目だから」

 レオンは一瞬だけ言葉を失う。

「……お前に言われるとはな」

「何よ」

「いや」

 僅かに口元が緩んだ。

「覚えておく」

 レオンは歩き出す。

 数歩、進んだところで足を止めた。

「ルティス」

「何?」

「その記録書は持っていけ」

「これ?」

 手の中の古い冊子。

「ああ」

「教団へ戻るなら、持ってた方がいいんじゃない?」

「だからだ」

「……?」

「俺が持っていれば、取り上げられる」

「お前たちが持っていた方がいい」

「……分かった」

「それと」

 レオンが振り返る。

「ノアは、もっと古い資料を集めている」

「何の?」

「境界について」

 そして。

「七つの宝玉について」

 ルティスの表情が変わる。

「次に奴が動くとすれば――」

 レオンは言った。

「境界そのものを調べる場所だ」

「境界そのもの……」

 ルティスは手元の記録を見る。

 七つの円。

 中央の亀裂。

 そして。

 彼界(ジ・アザー・サイド) 。

 向こう側。

「アルカ……?」

 ミナが呟く。

「いや」

 ルティスは首を振る。

「アルカは境界を観測する場所だった」

「だったら……」

 カイルが尋ねる。

「他にもあるってことか?」

 ルティスは古い図を見つめる。

 まだ分からない。

 でも。

 一つずつ。

 繋がり始めている。

 七つの宝玉。

 Umbra(アンブラ)。

 ASTRA(アストラ)。

 八年前。

 境界。

 そして。

 自分。

「行こう」

 ルティスが言った。

「どこへ?」

 ミナが尋ねる。

「まず、この記録書の中身を調べる」

「ノアが何を探してるのか」

「境界の向こうに何があるのか」

 そして。

 胸元へ手を当てる。

「どうして――私だったのか」

 その答えも。

 きっと、どこかで繋がっている。

 ルティスは顔を上げた。

 朝日が森の向こうから差し込んでいる。

 一方。

 レオンは三人とは反対の道を歩いていた。

 教団へ戻るために。

 その足元で、一瞬だけ影が揺れた。

 レオンが足を止める。

 振り返る。

 だが。

 そこには誰もいない。

「……ノア」

 小さく呟く。

 返事はない。

 ただ。

 森の奥。

 朝日がまだ届かない場所で、一つの影が静かに消えた。



 ――Chapter 16 END


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