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Chapter 14 ― 八年前の夜

挿絵(By みてみん)


Chapter 14 ― 八年前の夜


 ヴァルセリアを出て、二日。

ルティスたちは、アルヴェリア魔法学院へ向かっていた。

八年前。

自分の人生から切り離されたように、ぽっかりと抜け落ちていた夜。

そこで何が起きたのか。

エレナはなぜASTRA(アストラ)へ行ったのか。

なぜUmbra(アンブラ)が自分の中にあるのか。

そしてオルドは、なぜ自分の記憶を封じたのか。

今度こそ、それを確かめる。

けれど学院へ近づくにつれて、ルティスの足取りは少しずつ重くなっていった。

やがて遠くに、巨大な白い塔が見えてくる。

「……」

ルティスが立ち止まった。

高い城壁。

いくつもの尖塔。

そして、空へ伸びる巨大な時計塔。

アルヴェリア魔法学院。

「……変わってない」

懐かしい。

そう思った。

それなのに胸の奥が、少し苦しい。

ここは、自分が魔法を学んだ場所。

オルドと出会った場所。

エレナと過ごした場所。

友人たちと笑った場所。

そして自分が追放された場所。

カイルが学院を見上げる。

「ここにいたんだな」

「うん」

それ以上、カイルは聞かなかった。

ミナが巨大な正門を見上げる。

門の表面には、幾重にも重なった魔法式が浮かんでいた。

「普通に入れないんですか?」

「無理」

「即答ですね」

「正門には、関係者以外を弾く結界があるの」

ルティスは門を見る。

「それに……荒っぽい方法で入って目立ちたくない」

「荒っぽい方法って?」

「壊すとか」

「やめましょう」

「……冗談よ」

「今の間が怖いです」

カイルが呆れたように息を吐いた。

「他に入口は?」

「どこかに裏道があったと思うけど……」

「……ルティス?」

背後から声がした。

三人が振り返る。

そこには、学院のローブを身につけた一人の青年が立っていた。

青年は信じられないものを見るように、ルティスを見ている。

「……やっぱり」

ルティスも青年を見る。

どこか見覚えがある。

「学院に……戻ってきたのか?」

「ちょっと違うわ」

「じゃあ?」

「ここで、どうしても調べたいことがあるの」

「……調べたいことか」

青年はルティスの表情を見た。

けれどそれ以上は聞かなかった。

「そうか」

 そして、正門を見る。

「でも、正門から入るのは難しいよね」

「そうね」

「だったら、古い研究棟の裏へ回ろう」

「え?」

「昔の研究者たちが使っていた通路がある」

青年は学院の方を見る。

「俺なら開けられる」

ルティスは少し驚いた。

「どうして、そこまでしてくれるの?」

青年は一瞬黙った。

それから少し困ったように笑った。

「……借りを返したいんだ」

「借り?」

「君は覚えてるだろ」

「……」

ルティスは青年の顔を見つめる。

そして記憶の中に、一人の少年が浮かんだ。

魔物。

悲鳴。

血。

そして――

自分が伸ばした影。

「……あなた」

「うん」

青年が頷いた。

「あの時、君に助けてもらった」

ルティスは、ようやく青年のことを思い出した。

「……彼」

カイルとミナを見る。

「私が学院にいた頃、助けた人なの」

「助けた?」

カイルが聞き返す。

「魔物に襲われてた」

ルティスは少しだけ黙る。

「あの時……私は影魔法を使った」

ミナが聞く。

「学院にいた頃から、影魔法を?」

「うん」

ルティスは自分の足元を見る。

「禁止されてたんだけどね」

「禁止?」

「影魔法は、昔から危険な魔法だって言われてたから」

カイルが尋ねる。

「……それで?」

ルティスは少しだけ笑った。

「学院を追放された」

「えっ!?」

ミナが思わず声を上げる。

「人を助けたのにですか?」

「それくらい、影魔法は恐れられてたの」

「でも……」

ミナは納得できない様子だった。

「助けなかったら、この人は……」

「うん」

ルティスは青年を見る。

「だから、いいの」

青年が両手を強く握った。

「ルティス」

「何?」

「……あの時」

言葉を探している。

けれど一度口を開くと、今まで溜め込んでいたものが次々と溢れてきた。

「ずっと言いたかったんだ」

「……」

「ありがとう」

ルティスの目が僅かに開く。

「君があの時いてくれたから、俺は今もここにいる」

青年は続ける。

「なのに、君だけが学院を追われて……俺は何もできなかった」

「それは――」

「分かってる」

青年は首を振った。

「今さら俺が何を言っても、あの時のことは変わらない」

それでも。

「でも、これだけは言いたかった」

まっすぐルティスを見る。

「あの時、助けてくれて――本当にありがとう」

「……」

ルティスは何も言えなかった。

追放された日のことは、今でも覚えている。

冷たい視線。

閉ざされた門。

一人で学院を出ていった自分。

影魔法を使わなければよかったのか。

もっと別の方法があったのではないか。

そう考えたこともある。

でも目の前に、あの日助けた人間が立っている。

生きて。

ここで魔法を学び続けている。

それを見て。

胸の中に残っていた何かが、少しだけ軽くなった。

「……うん」

ルティスは小さく笑った。

「助けてよかった」

青年も、少しだけ笑った。

カイルがそのやりとりを真剣に見守っていた。

「あ……ごめん」

「何?」

「入口だったよね」

青年が鼻の頭を掻きながら指を指す。

「……こっちだ」

青年は照れたように歩き出した。

ルティスは、その背中を見つめる。

あの日、自分がしたことは間違いではなかった。

そう思えた。

三人は青年の後を追った。

 

 古い研究棟の裏。

蔦に覆われた石壁の前で、青年が足を止めた。

「ここだ」

壁へ手を当てる。

魔力を流す。

――ゴゴゴ……

石壁の一部が横へ動いた。

その奥から、地下へ続く細い階段が現れる。

挿絵(By みてみん)

「昔の研究者たちが使っていた通路だ。今はほとんど使われてない」

「オルド先生も?」

ルティスが尋ねる。

「ああ。よく使ってたよ」

オルド。

ルティスは廃墟で再会した姿を思い出した。

あれは本当のオルドではなかった。

彼自身の記憶と魔力から残されたもの。

それでも。

声も。

笑い方も。

自分を心配する顔も。

あの頃のままだった。

「俺はここまでだ」

青年が言った。

「この先へ行ったことはない」

「ありがとう」

「それと」

青年は少し笑う。

「今日、君を見たことは誰にも言わない」

「……ありがとう」

ルティスは青年を見て、言った。

三人は地下へ下りていった。

 

 階段を下るほど、空気が冷たくなる。

古い魔法灯。

石壁。

長い廊下。

「……覚えてます?」

ミナが小声で尋ねる。

「少し」

ルティスは壁へ触れた。

「この匂いも」

「匂い?」

「古い紙と……魔法薬」

カイルが鼻を動かす。

「俺には埃の匂いしかしない」

「カイルさん、雰囲気ないですね」

「埃は埃だろ」

「静かに」

ルティスが二人を止めた。

前方。

灯り。

「誰かいる」

三人が警戒する。

ゆっくり進む。

そして古い研究室へ出た。

棚には大量の本。

壁には複雑な魔法陣。

机には古びた研究記録。

その奥。

一人の老人が立っていた。

白髪。

長いローブ。

細い眼鏡。

老人はルティスを見る。

「……やはり来たか」

ルティスの目が細くなる。

「私を知ってる?」

「ああ」

「あなたは?」

「グレイアム」

老人が答える。

「かつてオルドと共に、古代魔法を研究していた」

ルティスが息を呑む。

「オルド先生と……」

「ああ」

グレイアムは、どこか懐かしむように笑った。

「研究仲間であり――古い友人でもあった」

「どうして私が来ると思ったんですか?」

「ヴァルセリアから連絡が来た」

「世界古代文書館?」

「ああ」

グレイアムは頷く。

「アルカ遺跡へ入り、ASTRA(アストラ)と境界について調べている黒髪の魔導士がいるとな」

「……」

「そこまで辿り着いたのなら」

グレイアムはルティスを見る。

「次に君が来る場所は、ここしかないと思っていた」

「そういうこと……」

「それに」

グレイアムの表情が変わる。

「オルドから、預かっているものがある」

ルティスの呼吸が止まる。

「先生から?」

「ああ」

グレイアムは机の引き出しを開いた。

中から、一冊の古びた研究記録を取り出す。

「これは――オルドが死ぬ少し前、私に託したものだ」

ルティスが研究記録を見る。

「先生が……?」

「ああ」

グレイアムは、それを机へ置いた。

「いつか君が真実を求めてここへ戻ってきたら、渡してほしいとな」

 

 三人が机を囲む。

グレイアムが記録を開いた。

七つの宝玉。

Ignis(イグニス)。

Aqua(アクア)。

Gaia(ガイア)。

Aeris(エアリス)。

Volt(ボルト)。

Lumia(ルミア)。

Umbra(アンブラ)。

そして巨大な円形の魔法陣。

「八年前」

グレイアムが話し始める。

「我々は七つの宝玉について研究していた」

カイルが尋ねる。

「宝玉の力を?」

「それだけではない」

グレイアムは首を振る。

「我々が調べていたのは――宝玉と境界の関係だ」

「境界……」

ルティスの胸の奥。

Umbra(アンブラ)が僅かに揺れる。

「この世界と、もう一つの世界を隔てる境界」

「ASTRA(アストラ)」

ルティスが呟いた。

グレイアムが顔を上げる。

「その名まで知ったか」

「アルカ遺跡で」

「……そうか」

「あの遺跡について知ってるんですか?」

「記録だけはな」

「何のための施設だったんです?」

「我々の研究では――」

グレイアムが古い図面を取り出す。

その端、古代文字の下に小さく書き添えられている。

『境界観測施設――ARCA(アルカ)』

「境界を観測するために造られた施設だったと考えている」

「やっぱり……」

アルカ遺跡で見たもの。

二つの世界。

石門。

境界。

ASTRA(アストラ)。

すべてが繋がる。

「ただし」

グレイアムは続ける。

「我々の目的は、境界を開くことではなかった」

「じゃあ?」

「閉じることだ」

三人が黙った。

「八年前、境界が急速に不安定になっている兆候が見つかった」

「原因は?」

「分からなかった」

「だから調べていた?」

「ああ」

グレイアムは七つの宝玉を描いた図を見る。

「宝玉の力を利用して、境界を安定させる方法を探していた」

ルティスの脳裏にVolt(ボルト)の塔で見た言葉が蘇る。

『七つは、一つになるためにあるのではない』

『七つは、互いを支えるためにある』

「……支える」

「何?」

カイルが聞く。

「ううん」

ルティスは首を振った。

「前に、似た言葉を見ただけ」

グレイアムがページをめくる。

途中から紙が焼けている。

「だが」

グレイアムの声が低くなる。

「暁の教団が我々の研究に気づいた」

「教団……」

「奴らは、この学院の地下へ侵入した」

グレイアムは一度、言葉を止めた。

「資料が盗まれ、研究者が襲われた。それが八年前――」

ルティスの胸が。

――ドクン

Umbra(アンブラ)が反応する。

「その夜、何があったの?」

「それを話す前に」

グレイアムはルティスを見る。

「もう一つ、君に伝えなければならないことがある」

「……何?」

「オルドのことだ」

ルティスの表情が変わった。

オルドが傷の治療をしてくれたあの廃墟で聞いた言葉。

『本当の私は、もう死んでいる』

「……いつ?」

ルティスが尋ねる。

「先生は……いつ死んだの?」

グレイアムは。

静かに答えた。

「君が学院を追放される――数日前だ」

「……」

ルティスは動かなかった。

数日前。

オルドと過ごした日々が一瞬、過ぎる。

親のように自分のそばにいてくれた。

魔法を教えてくれた。

叱られた。

笑われた。

何度も。

相談した。

いつものように。

先生として。

「暁の教団が?」

「ああ」

グレイアムが頷く。

「八年前から、オルドは境界に関する研究の一部を隠し続けていた」

「……」

「Umbra(アンブラ)のことも」

ルティスを見る。

「君のこともな」

ルティスの拳が。

ゆっくり握られる。

「教団は、それを探していた」

「それで……先生を?」

「ああ」

グレイアムの声が低くなる。

「最後まで何も渡さなかった」

「研究も」

「Umbra(アンブラ)のことも」

「そして――」

僅かに間を置く。

「君のことも」

「……」

ルティスは俯いた。

学院を追放された日。

ずっと引っかかっていた。

どうしてオルド先生は来てくれなかったのだろう。

あれほど自分を気にかけてくれていた人が。

最後の日だけ。

なぜ。

何も言ってくれなかったのか。

あの廃墟でその理由を知った。

でも。

今。

ようやくその意味が全部繋がった。

来なかったのではない。

――来られなかった。

「……オルド先生」

ルティスが呟いた。

声が震える。

「いつも私のことばかり優先して考えてた……」

グレイアムがほんの少しだけ笑った。

「先生というより、父親の立場だったんだろう」

「……」

「少なくとも」

老人はオルドの研究記録へ手を置く。

「あいつは最後まで、そのつもりだった」

ルティスは唇を噛む。

涙は、落とさなかった。

ただ、震える手でオルドの研究記録へ触れた。

 

 最終ページ。

そこには。

見覚えのある文字があった。

オルドの筆跡。

『ルティスへ』

その文字を見た瞬間。

胸の奥が熱くなる。

ルティスはゆっくり読み始めた。

『もし君が、この記録を読んでいるのなら』

『自分の過去を知る覚悟ができたのだろう』

『私は、君から記憶を奪ったのではない』

『あの夜の記憶を、一時的に君自身の奥へ封じた』

『君を守るために』

『そして――』

『いつか君自身が、その記憶を必要とする日まで』

ルティスの指が文字をなぞる。

――ドクン

胸の奥。

Umbra(アンブラ)が脈打つ。

「……っ」

「ルティス?」

ミナが近づく。

「待って……」

頭の奥。

何かが外れる。

鍵。

扉。

これまで断片的にしか見えなかったもの。

自分自身に封じられていた記憶。

それが一つに繋がっていく。

ルティスの意識は八年前へ落ちた。

 

 八年前。

アルヴェリア魔法学院。

地下第七研究室。

七つの宝玉が巨大な魔法陣の周囲に並べられていた。

炎。

水。

大地。

風。

雷。

光。

そして――

闇。

中央には。

オルド。

その隣に。

エレナ。

そして。

ルティス。

「本当に、これで閉じられるの?」

エレナが尋ねる。

「理論上はな」

「理論上……」

「だから実験は慎重にする」

オルドは苦笑した。

「失敗するつもりで始める研究者はいない」

「それ、安心していいの?」

「たぶんな」

「先生のたぶんは怖いよ」

ルティスは七つの宝玉を見ていた。

「先生」

「なんだ?」

「これ……怖い」

「宝玉が?」

「うん」

特に黒い宝玉。

Umbra(アンブラ)。

見ているだけで不思議な感覚がする。

オルドはルティスの隣へしゃがんだ。

「怖いと思えるなら大丈夫だ」

「どうして?」

「怖さを知らない人間の方が、私は怖い」

「……よく分からない」

「今は、それでいい」

エレナが笑う。

ルティスの手を握った。

「大丈夫」

「エレナ?」

「私が一緒にいるから」

その時だった。

――ゴン!

地下の奥。

重い音。

オルドの表情から笑みが消えた。

「……来たか」

「何が?」

エレナが振り返る。

「二人とも、ここから離れなさい」

「先生?」

「早く!」

――ドォン!

研究室の扉が吹き飛んだ。

「きゃっ!」

エレナがルティスを庇う。

煙。

その向こう。

黒いローブ。

一人。

二人。

次々と。

そして、中央。

銀色の仮面。

「オルド」

静かな声。

「その研究を渡してもらおう」

オルドが杖を構える。

「断る」

「境界は、いずれ崩れる」

「だから閉じる」

「違う」

銀色の仮面。

ノアが言う。

「閉じるべきではない」

「……」

「開くべきだ」

「何のために?」

ノアは答えなかった。

「エレナ!」

オルドが叫ぶ。

「ルティスを連れて行け!」

「先生は!?」

「いいから行け!」

エレナがルティスの手を掴む。

「行こう!」

「でも先生が!」

「早く!」

二人が走る。

その背後、魔法が激突する。

爆発。

光。

黒い影。

その中。

一人の教団員が魔法陣へ杖を突き立てた。

「術式を起動!」

「やめろ!」

オルドが叫ぶ。

七つの宝玉が一斉に輝いた。

 

「エレナ!」

「走って!」

「どこへ?」

「ここから離れるの!」

「先生は?」

「オルド先生は大丈夫!」

そう言いながらエレナ自身が何度も後ろを見ていた。

怖い。

それでもルティスの手を離さない。

その時、廊下の前に黒い影が広がり、通路を塞ぐ。

エレナが止まる。

「……ダメ。振り切れない」

「誰から?」

「下がって」

「エレナ?」

エレナがルティスの前へ立つ。

「ルティス」

「何?」

「もし――」

エレナの声が震える。

「この先、何が起きても」

「……?」

「自分で決めて」

「何を?」

「誰を信じるか」

黒い影が襲いかかる。

「ルティスは私が守る!」

エレナが魔法を放った。

光。

影。

衝撃。

ルティスが目を閉じる。

そして。

次の瞬間。

地下全体が、揺れた。

――ドォォォン!

「……!」

研究室から巨大な魔力が放出している。

「魔法陣が……!」

エレナの顔色が変わる。

二人は研究室へ引き返した。

 

 七つの宝玉。

すべてが暴走していた。

「先生!」

「来るな!」

オルドが叫ぶ。

空間が歪む。

壁が。

床が。

世界そのものが。

裂けていく。

――ピシッ

黒い亀裂。

その向こう。

存在しないはずの景色。

暗い空。

無数の光。

遠い大地。

「……ASTRA(アストラ)」

オルドが呟いた。

ノアが満足そうに亀裂を見上げている。

「開いた」

その声には恐怖ではなく、何か別のものがあった。

だが、次の瞬間。

七つの宝玉の一つ。

Umbra(アンブラ)が激しく揺れた。

「まずい!」

オルドが叫ぶ。

黒い魔力が研究室を飲み込む。

「ルティス!」

エレナが抱きつく。

「……怖い!」

「大丈夫!」

「エレナ……!」

Umbra(アンブラ)。

黒い宝玉。

そこから溢れた魔力がルティスへ向かっていた。

オルドが息を呑む。

「……共鳴している」

エレナはルティスを見る。

そして、Umbra(アンブラ)を見る。

彼女は知っていた。

これまでの研究から。

ルティスの魔力がUmbra(アンブラ)と極めて高い適合性を持っていることを。

その力を受け止められる可能性があるのが――ルティスだと。

「……ルティス」

「何?」

「怖がらないで」

「無理だよ……」

「うん」

エレナが。

ルティスの両手を握る。

「怖いよね」

「……うん」

「私も怖い」

そして、まっすぐルティスを見る。

「でも、あなたなら受け止められる」

「どうして?」

「ずっと調べてたから」

「……?」

「あなたの魔力と、Umbra(アンブラ)のこと」

ルティスには、まだ意味が分からない。

「このままUmbra(アンブラ)が暴走したら」

エレナが言う。

「境界も、ここも……もっと壊れる」

「じゃあ、どうすればいいの?」

エレナの目が揺れる。

それでも、言った。

「あなたの中へ」

「……」

「Umbra(アンブラ)を受け入れて」

ルティスが震える。

「私の……中?」

エレナがルティスの額へ、自分の額を重ねる。

静かに言う。

「私を信じて」

ルティスは泣きながら頷いた。

「……うん」

Umbra(アンブラ)へ。

両手を伸ばす。

黒い光。

指先へ触れる。

――ドクン

「……っ!」

激痛。

黒い魔力が――

腕から。

身体へ。

胸へ。

流れ込む。

「ルティス!」

エレナが抱きしめる。

「……っ、あぁぁぁ!」

ルティスの身体から吹き出した、影が研究室いっぱいに広がる。

挿絵(By みてみん)

オルドが目を見開く。

「……受け入れている」

暴走していた黒い魔力が。

少しずつ。

ルティスの中へ収まっていく。

やがて。

黒い宝玉そのものが、黒い光へ変わる。

そして――

ルティスの胸の奥へ消えた。

――ドクン

静寂。

ルティスはエレナの腕の中で荒い呼吸を繰り返していた。

「……大丈夫」

エレナが涙を浮かべながら笑う。

「ちゃんと……受け止められた」

だが。

「違う!」

オルドが叫んだ。

二人が振り返る。

境界。

亀裂。

まだ――

広がっている。

「Umbra(アンブラ)の暴走は抑えられた!」

「だが、境界そのものが閉じていない!」

亀裂の周囲から空間が少しずつ崩れ始めている。

「このままでは――こちら側まで巻き込まれる!」

エレナが亀裂を見る。

オルドを見る。

そしてルティスを見る。

その表情が変わった。

「……先生」

「何だ?」

「向こう側から閉じれば?」

オルドの顔色が変わる。

「……駄目だ」

「できますよね?」

「駄目だっ!」

「先生」

「戻れなくなる!」

ルティスがエレナを見る。

「……何の話?」

エレナは答えない。

「エレナ?」

エレナはルティスの頬へ手を触れる。

「ルティス」

「何?」

「ごめんね」

「……何が?」

「約束」

「約束?」

「いつか一緒に、世界を見るって」

ルティスの目が大きく開く。

「……うん」

「覚えてる?」

「覚えてるよ」

「そっか」

エレナが笑う。

涙が一粒、頬を流れた。

「よかった」

「エレナ?」

「約束――忘れないで」

「何言ってるの?」

「私は」

エレナが立ち上がる。

「ずっと、あなたを見てるから」

ルティスがエレナの腕を掴む。

「待って」

「ルティス」

「行かないで」

「……」

「嫌」

ルティスの手が強くエレナの服を掴む。

「一緒にいるって言った」

「うん」

「世界を見るって」

「うん」

「だったら!」

エレナがルティスを抱きしめた。

「ごめんね」

「嫌……」

「ごめん」

「エレナ……!」

そしてその腕が離れる。

「先生」

エレナはオルドを見る。

「ルティスをお願いします」

「……」

「お願いします!」

オルドが拳を握る。

「……必ず……!」

エレナは最後にもう一度、ルティスを見た。

「またね」

そして――

走った。

「エレナ!」

境界へ。

「待って!」

ASTRA(アストラ)へ。

「エレナァァァ――!」

白い服が。

黒い亀裂の向こうへ消えた。

 

 光。

爆発。

轟音。

ASTRA(アストラ)側から。

巨大な魔法陣が広がる。

「……エレナ」

オルドが呟く。

境界が少しずつ閉じ始める。

だがルティスは動けなかった。

「……」

「ルティス」

「……エレナ」

「ルティス!」

「返して」

影が揺れる。

「エレナを返して……」

――ドクン

Umbra(アンブラ)

取り込んだばかりの力がルティスの感情へ反応する。

「いかん!」

影が爆発的に広がった。

「エレナを返して!」

「ルティス!」

オルドがルティスを抱き止める。

「離して!」

「落ち着け!」

「エレナが!」

「分かっている!」

「私が行く!」

「駄目だ!」

「離して!」

黒い魔力。

不安定。

まだ。

ルティスとUmbra(アンブラ)は完全には馴染んでいない。

このまま感情が崩れれば、何が起こるか分からない。

オルドは決断した。

「……すまない」

「先生?」

「いつか」

杖をルティスの額へ向ける。

「君自身が受け止められる時まで」

淡い魔法陣がルティスを包む。

「何……?」

「この夜の記憶だけを封じる」

「嫌……」

「消すのではない」

オルドが言う。

「君自身の中へ――預ける」

「先生……」

「いつか」

優しい声。

「君が自分で向き合える日まで」

ルティスの視界が霞んでいく。

研究室。

ASTRA(アストラ)。

Umbra(アンブラ)。

オルド。

そして――

エレナ。

『いつか一緒に、世界を見る』

その声を最後に。

八年前の夜は閉じられた。

 

 それから。

年月が流れた。

封じられたのはあの夜に関わる記憶とエレナの存在だった。

だからあの夜以降もルティスは学院で過ごし続けることが出来た。

魔法を学び、友人と笑い、失敗して叱られて。

そして。

オルドは――変わらず、そこにいた。

『先生、これ分からない』

『昨日も説明したぞ』

『聞いたけど分からなかった』

『それを聞いていないと言うんだ』

『もう一回』

『仕方ないな』

別の日。

『先生』

『今度は何だ?』

『影魔法って、本当に悪い魔法なの?』

オルドは。

少し黙った。

『魔法に善悪はない』

『じゃあ、なんで禁止されてるの?』

『人は、分からないものを恐れるからだ』

『先生は怖くない?』

オルドは笑った。

『君が使うならな』

『どういう意味?』

『自分で考えなさい』

『ずるい』

『教師だからな』

何も知らないルティスのそばで。

オルドだけが。

八年前の真実を抱えていた。

Umbra(アンブラ)のことを。

エレナのことを。

そして。

ルティス自身に封じた記憶のことを。

何年も。

何年も。

何も言わずに。

ただ。

ルティスを見守り続けた。

 

「……ルティス」

声。

「ルティスさん」

目を開く。

現在。

古い研究室。

ミナが心配そうに顔を覗き込んでいる。

カイルも隣にいた。

「……戻ったか」

「……うん」

ルティスは。

自分の頬へ触れた。

濡れていた。

「全部……」

声が震える。

「思い出した」

グレイアムが静かに見る。

「そうか」

「エレナが……」

胸へ手を当てる。

「私にUmbra(アンブラ)を託した」

「ああ」

「それからASTRA(アストラ)へ」

「境界を閉じるためにな」

ルティスは目を閉じた。

今まで何度も見てきたエレナ。

影の中。

意識の向こう。

境界の向こう。

あれは。

ずっと。

ASTRA(アストラ)から自分へ繋がろうとしていたのだ。

そして。

もう一人。

「オルド先生……」

ルティスが研究記録を見る。

八年前の事件の後も。

ずっと自分のそばにいた。

「先生は……ずっと苦しかったと思う」

「そうかもしれない」

グレイアムは静かに言った。

「だが、オルドは君自身がその記憶を受け止められるようになるまで待つ覚悟があった」

「……」

「だから」

グレイアムは少し笑った。

「彼の望みは叶った」

ルティスは唇を噛んだ。

「それなのに……」

追放された日。

あの日だけオルドはいなかった。

「先生は、私が追放される数日前に……」

「ああ」

「教団に殺された」

「そうだ」

「私のことを隠すために?」

「それだけではない」

グレイアムは答えた。

「境界の研究も」

「七つの宝玉の本当の役割も」

「Umbra(アンブラ)のことも」

「オルドは、教団へ渡さなかった」

「……」

「そして最後まで」

ルティスを見る。

「君がUmbra(アンブラ)を宿していることも話さなかった」

ルティスは俯いた。

拳が震える。

「あいつは最後まで」

オルドの記録へ手を置く。

「君の先生だった」

ルティスの目から。

一粒。

涙が落ちた。

「……はい」

今度は。

無理に止めなかった。

 

 その時だった。

――ドォン!

地上。

巨大な爆発。

「……!」

カイルが剣を抜く。

ミナが弓へ手を伸ばす。

もう一度。

――ドォォン!

天井から砂埃が落ちる。

「何だ!?」

廊下の向こう。

叫び声。

『侵入者だ!』

『研究棟を守れ!』

そして――

『地下第七研究室を探せ!』

グレイアムの顔色が変わる。

「……来たか」

「暁の教団?」

さらに。

声。

『八年前の記録を確保しろ!』

『Umbra(アンブラ)を確保しろ!』

ルティスの目が細くなる。

「……私ね」

カイルが前へ出る。

ミナも弓を構える。

「逃げます?」

ルティスはオルドの記録を見る。

それから、自分の影を見る。

「……逃げない」

黒い影が足元へ広がる。

「今度は――私が止める」

 

――ドン!

研究室の扉が吹き飛んだ。

黒いローブ。

教団員たち。

「いたぞ!」

「ルティスを確保しろ!」

カイルが走る。

「させるか!」

剣が敵の杖を弾く。

ミナの矢。

もう一人の袖を壁へ縫い止める。

「動かないでください!」

「――幻影移動(シャドウ・ステップ)」

ルティスが影へ消える。

「どこだ!?」

「後ろ」

教団員が振り返る。

そこにいたルティスが――

揺らぐ。

「幻影!?」

 本物は敵自身の影から現れる。

「――影刃(シャドウ・エッジ)!」

黒い刃が杖を切断する。

魔法陣が消えた。

「……やっぱり凄いな」

カイルが敵の攻撃を受け止めながら言う。

「何?」

「人の影から出てくるやつ」

「便利でしょ」

「敵じゃなくてよかったよ」

「私もです!」

ミナの矢が飛ぶ。

だが、敵は増えていく。

「グレイアム!」

ルティスが叫ぶ。

「記録を!」

「分かっている!」

老人がオルドの記録を抱える。

その時。

研究室の床。

八年前の魔法陣が――

光った。

「……!」

グレイアムが振り返る。

「馬鹿な!」

「何?」

「誰かが外から術式を繋いでいる!」

七つの円。

六つの紋様が輝く。

そして。

Umbra(アンブラ)を示す黒い円。

――ドクン

ルティスの中のUmbra(アンブラ)が応える。

「……っ!」

「ルティス!」

「大丈夫!」

床に。

黒い線。

亀裂。

「止めろ!」

グレイアムが叫ぶ。

「八年前の術式を再現する気だ!」

ルティスの表情が変わる。

「……だから」

自分たちが集めた六つの宝玉。

そして。

七つ目は――自分の中。

今までノアは何度も自分たちの前に現れた。

それでも宝玉を奪い切ろうとはしなかった。

「最初から……」

その時。

――パチパチパチ。

拍手。

「よく辿り着いた」

静かな声。

教団員たちが左右へ分かれる。

その奥。

銀色の仮面。

ノア。

そして。

その隣。

黒い長剣を携えた男。

レオン。

「ノア……」

「八年前のことを思い出したようだな」

ルティスの目が鋭くなる。

「全部知ってたのね」

「何を?」

「Umbra(アンブラ)が私の中にあること」

「もちろん」

「だから私たちに宝玉を集めさせた?」

ノアは少しだけ首を傾けた。

「そう思うか?」

「答えて」

「あの時、七つの宝玉は揃っていた」

ノアは両手を広げる。

「あの夜、全てここから消えていた」

ノアはグレイアムを見る。

「誰かが世界中にある、もとある場所に戻したんだろう」

「……」

「だが」

ノアの杖が床の魔法陣へ向く。

「またここに六つ揃った」

そしてルティスを見る。

「七つ目も、ここにいる」

レオンが僅かに眉を動かした。

「ノア」

「何だ?」

「ルティスをどうする」

「必要なことをする」

「……またそれか」

レオンの声が低くなる。

「境界を開けば、エレナは戻るんだな」

「ああ」

「本当に?」

ノアはレオンを見る。

「まだ疑っているのか?」

「答えろ」

短い沈黙。

「境界が開けば」

ノアが言う。

「エレナへ辿り着ける」

レオンの目が細くなった。

「……前と答えが違う」

一瞬。

ノアが黙る。

ルティスはそのやり取りを見逃さなかった。

「レオン」

ルティスが呼ぶ。

「……何だ」

「エレナに会った」

レオンの表情が変わった。

「……何?」

「ASTRA(アストラ)にいる」

「……」

「生きてる」

レオンの手から僅かに力が抜けた。

「本当か……?」

「えぇ」

「話したのか?」

「少しだけ」

「エレナは……」

レオンが言葉を探す。

「何か言っていたか?」

ルティスはヴァルセリアで途切れた声を思い出す。

『レオンは――』

「あなたのことを言おうとしてた」

「……何を?」

「そこまでは聞けなかった」

レオンが目を伏せる。

「でも」

ルティスは続ける。

「エレナは、境界を無理に開こうとしている教団を止めようとしてる」

「……」

「あなたが本当にエレナを取り戻したいなら」

レオンを見る。

「ノアがやろうとしてることを、自分で確かめた方がいい」

ノアの杖が僅かに動く。

「レオン」

「……」

「惑わされるな」

レオンはゆっくりとノアを見る。

「惑わされているかどうかは」

低い声。

「俺が決める」

ルティスの胸に八年前のエレナの言葉が蘇った。

『どんなことがあっても――』

『自分で決めて』

『誰を信じるか』

ルティスはノアを見る。

「八年前」

一歩。

「あなたたちは境界を開いた」

「エレナは、それを閉じるためにASTRA(アストラ)へ行った」

「そして今」

ルティスは床の魔法陣を見る。

「また同じことをしようとしてる」

「同じではない」

ノアが答える。

「何が違うの?」

「今回は――」

銀色の仮面が、ルティスへ向く。

「Umbra(アンブラ)が安定している」

――ドクン

胸の奥が脈打った。

「……っ」

ルティスは胸元を押さえる。

足元の影が僅かに揺れた。

「君の中で」

「だから?」

「Umbra(アンブラ)は、境界へ干渉するための鍵となる」

「……鍵?」

ノアは答えない。

代わりに杖の先を床へ向けた。

――カツン

硬い音が研究室に響く。

その瞬間。

床に刻まれていた魔法陣の一部が光った。

一つ。

二つ。

三つ。

円環を描くように、古代文字が浮かび上がっていく。

「何をした?」

カイルが剣へ手をかける。

「八年前に途切れた術式を、繋ぎ直す」

「ノア」

レオンが低い声を出した。

「まだやるつもりなのか」

ノアはレオンを見ない。

「そのために、ここへ来た」

「だが――」

「レオン」

静かな声だった。

「忘れたのか?」

レオンの表情が強張る。

「我々が、何のためにここまで来たのか」

「……」

レオンの手が剣の柄へ伸びる。

しかし、まだ抜かない。

ルティスは二人を見た。

レオンが迷っている。

初めてはっきりとそう感じた。

「ルティス」

カイルが一歩前へ出る。

その右手は、すでに剣の柄を握っている。

「下がってろ」

「嫌」

即答だった。

「おい」

「私がやらなきゃ」

ルティスはノアを見る。

「私が決着つける!」

「ルティスさん」

ミナが左へ並ぶ。

弓を握ったまま。

「私もここにいます」

「……ミナ」

反対側では。

カイルが小さく息を吐いた。

「結局こうなるのか」

「帰っててもいいけど」

「誰が帰るか」

三人が並ぶ。

ノアはその姿を静かに見ていた。

挿絵(By みてみん)

そして。

「勘違いするな」

「何を?」

「これは君一人の問題ではない」

ノアの杖が。

ゆっくりとルティスへ向けられる。

「六つの宝玉」

「境界」

「ASTRA(アストラ)」

そして。

「Umbra(アンブラ)」

――ドクン。

再び、胸の奥が脈打った。

先ほどより強い。

「……!」

ルティスの影が大きく揺れる。

自分では動かしていない。

それなのに黒い影が床を這い。

魔法陣へ向かって伸び始める。

「ルティス!」

カイルが腕を掴む。

「私じゃない……!」

止めようとする。

だが、影は止まらない。

まるで。

床の魔法陣に呼ばれているように。

「……何、これ」

ミナが息を呑む。

ノアだけがその光景を静かに見ていた。

そして床の魔法陣が強く輝いた。

――ゴォン。

研究室全体が震える。

壁に積もっていた埃が落ちる。

古代文字が次々と光り七つの円が浮かび上がった。

そのうち六つには淡い光。

そして。

最後の一つ。

黒い円だけが。

深い闇のように沈んでいる。

「これは……」

グレイアムが目を見開く。

「まさか……」

ノアが杖を掲げる。

「始める」

「何を!?」

ルティスの問いに銀色の仮面が続ける。

「八年前の続きを」

その瞬間。

――ドクン!!

「っ……!」

胸の奥。

Umbra(アンブラ)が激しく脈打った。

同時に黒い円が光リ始める。

ルティスは息を呑む。

何が起きようとしているのかまだ分からないが、ただ一つだけ。

この魔法陣は自分の中にあるUmbra(アンブラ)を求めている。

「……Umbra(アンブラ)」

その名を口にした瞬間、ノアが告げた。

「そうだ」

銀色の仮面の奥から、冷たい視線が向けられる。

「境界を開くために――」

「Umbra(アンブラ)を解放しろ」

研究室に低い魔力の唸りが響き始めた。


――Chapter 14 END


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