第4話
吟遊詩人ギルドの執務室には、朝から険悪な空気が漂っていた。
アルディア伯爵家で『呪歌うたい』の少女――アフル――を見出してから、およそ一年。ギルドは幾度となく伯爵家と話し合いを重ねてきたものの、結論は出ないままだった。
現在もアリオンが彼女の教師として屋敷へ住み込み、少女の様子を見守っている。それでも、正式にギルドの管理下へ置かれたわけではない。
その膠着した状況に、ついに堪えきれなくなった男がいた。
「オズワルド、何を考えている!」
「何、とは?」
「とぼけるな!」
執務机を叩かんばかりの勢いで詰め寄るギルバート。オズワルドより三つ年上の古参であり、徹底した管理思想から原理主義者と囁かれる男だった。それにに対し、オズワルドは椅子に腰掛けたまま静かに視線を向けた。
「ギルバートこそ、落ち着け」
「ああ、落ち着いてるよ。だが、お前のやっていることが納得いかない」
オズワルドはその苛立ちを理解している。それでも、声色は変えなかった。
「だから、何をそんなに言っている」
「……『呪歌うたい』の件だ。いつまで、このままにしておく」
「あれはギルドだけでの問題ではない。貴族が絡んでいる」
「だからといって、放置はできないだろう。たしか13だったか? 下手をすると暴走するぞ」
「今はそんな兆候はない。周囲に愛されて、大事にされている」
オズワルドの返答に、ギルバートは苦々しく眉をひそめた。
「だが、万に一のこともある。監視は必要だろうが」
「市井の者ならそれもできるな。だが、貴族相手にそれができるか?」
「……何かあったら、どうする……王都が、沈むぞ……」
オズワルドは答えなかった。ただ静かに机の上の書類へ視線を落とす。その沈黙に、ギルバートは苦々しく言葉をぶつけた。
「責任は、取れるんだろうな?」
執務室には重苦しい沈黙が落ちる。その沈黙を照らすように、窓から穏やかな朝の光だけが差し込んでいた。
◇◇◇
ギルドでオズワルドとギルバートが険悪になってから、数日が過ぎた。
その日の午後も、アルディア家では穏やかな空気が流れていた。アリオンは、アフルが11歳の頃から教師として一年以上、通っている。いつしか、彼はアルディア家に部屋を与えられ、屋敷で寝起きするようになっていた。
そのせいもあるのだろう。この頃のアフルは、彼のことを「先生」ではなく「アリオン」と呼ぶようになっている。そして、アリオン自身もアフルのことを妹のように名前で呼ぶ。
師弟でありながら、兄と妹のように見える二人の姿を屋敷の使用人たちは、微笑ましく見守っているのだった。
「アフル。昨日、つっかえていたところ、直せたかな?」
「うーん。多分、大丈夫だと思うの。聞いてもらってもいい?」
「ああ、いいよ」
穏やかな光が溢れる庭で、アフルは竪琴を奏でながら歌い始めている。少女らしい細い声だが、力強さもある。そのことをアリオンは確認するように耳を傾けていた。やがて、彼女が一曲歌い終わると、満足したような声を出す。
「今日は昨日より良かった。」
「本当?」
アリオンの褒め言葉にアフルは表情をほころばせる。もっとも、そのあとの声に、むすっとした表情も浮かべていた。
「ああ。でも、最後だけ癖が戻る。」
「えー……また?」
「まただ。」
「むぅ……。」
練習の合間に飲むお茶を運んできた使用人は、二人のやり取りにくすっと笑っていた。
「お二人とも、本当に兄妹みたいですね。」
アフルはその声に「えへっ、そう見えたら嬉しい」と照れたように笑う。それに対して、アリオンは「ちょっと、それは問題じゃないかな?」と言いながら苦笑していた。
「さ、もう一回やってみようか」
「うん」
アリオンの声に、アフルがまた歌い始める。その時、どこからともなく飛んできた小鳥が枝に止まっていた。それに続くように何羽もやってくる。その光景にアリオンはやれやれという表情を浮かべていた。
(今日も来てるな……)
そう思いながらも、アリオンは表情を変えることがない。小鳥がやってくるのは、もうアルディア家では普通の光景になっていたのだ。それよりも、アフルの歌の方向性を導くことが一番の役目。そのことを知っている彼は、穏やかに声をかけていく。
「アフル。そこはもう少し声を抑えて……いや、無理に抑えない。囁くように歌ってごらん」
アリオンの言葉にアフルは頷くと、同じフレーズを先ほどよりも穏やかに歌い始めていた。その時、カサリと木の葉が揺れ、何枚かがひらひら落ちる。何事かと思ったアリオンの目にリスが木の幹を器用に走っているのが映っていた。
(な、なんで、リスまで……)
小鳥だけではない。今度はリスまで寄ってくる。このことに、思わず彼は頭を抱えたくなっていた。そんな彼の気持ちも知らないのだろう。リスまで近寄ってきたことにアフルの楽しそうな声が響く。
「わ、リスさんだ。可愛い!」
その声と同時に歌がやむ。すると、小鳥もリスも一斉にその場から姿を消しているのだった。
◇◇◇
季節は動く。冬が終わりに近づいた春の初めの一夜。その夜は王宮で大掛かりな夜会が開かれる夜だった。主だった貴族は夫婦で招待されている。それだけではなく、各ギルドの主だったメンバーも招かれる。その招待客の中に、吟遊詩人ギルドの長であるオズワルドが含まれているのも当然と言えば当然だった。
「オズワルド殿」
「アルディア伯爵閣下。今宵はご夫人もご一緒なのですね」
「シュゼット以外を連れてくると思っているのか?」
アンリのその声に、思わずオズワルドは笑っていた。「仲がよろしいことで」と、彼は笑みを浮かべる。それに対して、アンリも持っていたグラスをちょっと傾けていた。そんな彼に、オズワルドは穏やかに話しかける。
「そうそう。アリオンからも話を聞いておりますが、アフル嬢の歌はますます磨きがかかっているようですな」
「そうなんだよ。毎日、暇さえあれば歌っているよ」
「本当に、いい方をご紹介くださいましたわ」
アンリの隣にいるシュゼットも、微笑みながらそう告げている。その二人の様子に笑いながらも、オズワルドは心の中で呟いていた。
(元気なのはいい。しかし、その歌こそが心配なんだ)
だが、そんな思いを隠すように明るい声でこたえてもいる。
「それはよかったです。また、聞かせていただきたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「そうですね。今度はアフルの誕生日にでもご招待しましょうか」
「それはありがたいですな。楽しみにしておりますよ」
穏やかな調子で話し続け、自然に分かれる二人。そのまま、他の招待客とも話をしていたオズワルドは、遅くならないうちにギルドへと戻っていた。
(やはり、夜会よりもこちらの方が安心する)
そう思っている彼の元に、秘書をかねた事務員が眠気覚ましのコーヒーを持ってきていた。
「ギルド長、お疲れ様でした。王宮の夜会はいかがでしたか?」
「相変わらずだよ。みんな、仮面をかぶっている。ま、アルディア伯と話ができたのはよかったな」
そう言いながら、オズワルドは山積みになっている書類に手を伸ばす。
「そうだ。ギルバートはこの頃、おとなしくしているか?」
ふっと気になってそう問いかけた時――
執務室の扉が乱暴に開かれた。
「ギルド長!」
血相を変えた事務員が飛び込んでくる。
「アルディア家で呪歌が暴走したようです!」
その声に、オズワルドは書類を取り落とし、隣にいた事務員は「詳細を調べろ!」と、すぐさま周囲へ指示を飛ばしていた。




