第3話
レオンにアフルの能力を確認してもらってから数日後。アリオンはいつもと変わらない様子でアルディア家を訪れていた。
「アフル、おはよう」
「おはようございます。アリオン先生」
「じゃあ、今日はこの前の続きをやってみようね」
「はい」
アリオンの声に素直に頷き、歌い始めるアフル。その声が澄み切っていることを彼は改めて感じていた。ふと、窓辺に目をやると、何羽かの小鳥がいつものように羽繕いをしている。
(やっぱり来る。それにしても、少しずつ数が増えているな……)
おそらく、アルディア家が吟遊詩人ギルドへ相談を持ち掛けたのも、この奇妙な現象が気になったからなのだろう。小鳥が増え続ける観客になる。こんなことは、誰も思ってはいなかったはずだ。
そして、その日は音楽教師もやってきている日だった。アリオンのレッスンが一段落したところで、教師は静かに声をかける。
「アリオン君、ちょっといいかね」
「はい。なんでしょうか」
「本日の君のレッスンだがね。どういう意図でやっていたのかな?」
その声には、どこかアリオンを一人前の教師とは見ていない響きがあった。だが、それも仕方がないと思うアリオンは、落ち着いた声で答えていた。
「意図といいますか……できるだけ、自然に声が出せるようにと考えております」
「アフル様はアルディア家のご令嬢だ。品位を落とすようなことをさせるわけにはいかないのだよ」
「わかっております。ただ、アフル様には無理をさせずに自然に歌われる方がよろしいかと」
「それは……あの小鳥が原因かな?」
アリオンの返答に納得のいかないものを感じてはいる。だが、今日も確実に小鳥は来ている。そのことを知っている教師は、確認するように声をかけていた。
「……はい」
「あれで本当に上達するのか?」
「小鳥は間違いを教えてはくれません」
「……?」
アリオンの言葉に、教師は訳が分からないという顔をするだけ。それに対して、アリオンは静かに話し続けていた。
「アフル様には怖がらずに声を出していただく必要があると思っております」
「……あのように数が増えてもかね?」
「はい。あの子たちが集まってくれる日は、アフル様も自然に歌えております。あの子たちはとても敏感ですから。怖がっていたら、すぐに逃げてしまいます」
この声に教師は深く考え込んでいるようだった。たしかに、アリオンが来てからのアフルの歌声は、以前よりも自然になっている。貴族教育の常道とは異なる。だが、歌そのものを育てるという意味では、この青年のやり方にも一理あるのだろう。
「……なるほど。私とは違う考え方だが、君なりの理屈は理解した」
そう言いながら、教師は静かにアリオンに手を差し出していた。
◇◇◇
屋敷から少し離れた丘一面には、色とりどりの花々が咲き誇っていた。柔らかな風が花の香りを運び、遠くでは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
「お父様、お母様、こっちよ!」
花畑の中を駆けていくアフルに、シュゼットが苦笑しながら声をかける。
「アフル、はしゃぎすぎないの」
「だって、お花がいっぱい!」
その無邪気な笑顔に、シュゼットはアンリと顔を見合わせ、小さく笑った。
「仕方のない子ね」
「アフル、転ばないように気をつけるんだよ」
「わかっています、お父様」
後ろから見守るステラは、少し困ったようにため息をつく。
「お嬢様、お洋服が汚れます」
「ステラ、たまには好きにさせてあげて」
シュゼットにそう言われると、ステラもそれ以上は何も言えず、小さく頭を下げた。
そんな中、アフルは振り返ってアリオンを見る。
「ねえ、アリオン先生。ここで歌ってもいい?」
「いいよ。竪琴、持っておいで」
「は~い」
嬉しそうに竪琴を抱えてきたアフルは、花畑の真ん中へ座ると、静かに弦を爪弾き始めた。
澄み切った歌声が風に乗って丘へと広がっていく。
すると、一羽、また一羽と小鳥が近くの枝へ舞い降りた。
「今日は小鳥がずいぶんと多いですね」
ステラが思わず呟いた、その時だった。
草むらが、かさりと揺れた。一匹の野ウサギが、警戒する様子もなく姿を現す。
さらに木の上からはリスが降りてきて、まるで歌を聴くようにその場へ腰を下ろした。
誰一人、動けなかった。
「……何が、起こった?」
呆然と呟くアンリに、アリオンも目を離せないまま小さく答える。
「伯爵様。私の理解を超えております」
「だ、だよな……」
その場にいる大人たちが言葉を失う中、ただ一人、アフルだけは目を輝かせていた。
「わぁ、ウサギさん。可愛い!」
嬉しそうに微笑む少女の声に、アンリは思わず苦笑する。
(娘よ。それはわかる。わかるんだが……)
目の前に広がる光景は、あまりにも常識外れだった。
小鳥は枝に並び、リスは木の根元へ腰を下ろし、ウサギは耳をぴんと立てたまま動かない。
皆、まるで少女の歌に耳を傾けるように、静かにその場へ集まっていた。
◇◇◇
家族で花畑へ出掛けた数日後。アンリは屋敷の奥にある図書室でオズワルドと古文書を広げていた。
「アンリ殿。このように貴重なものを見せていただいて、まことにありがたいと思っております」
「そうですか? こちらもアリオン君という優秀な者を派遣していただけましたからね。お礼も兼ねていますよ」
「ところで、こちらの文章は? 少し、文字が消えているようなのですが……」
「ああ、これは、こちらの写本を参考にしてください」
そこにいるのは伯爵とギルド長という姿はない。互いに歴史を探求するという興味のままに語り合う同志という雰囲気が流れていた。そんな時、オズワルドが思い出したように声を出す。
「このところ、小鳥が多いようですね」
「ええ。不思議なことに、この数日で急に増えまして」
オズワルドの声に、アンリも何事もないように返事をする。
「ほう。王都では珍しいですな」
「そうですね」
「何か、いつもと違うことでも?」
「そういえば、妻と娘が花をもっと植えたいと言い出しましてね。庭師が張り切りすぎたようです」
ちょっと首を傾げたアンリがそのように告げていた。先日、花畑にいったことでアフルが「花を植えて」といったのは間違いない。だからこそ、彼は娘の望みを精一杯かなえたともいえるのだった。そんなアンリの声にオズワルドも穏やかにこたえている。
「お嬢様は可愛らしいですからね。では、それで鳥も集まるのでしょう」
「一休みして、庭をご覧になりますか?」
「ええ、ぜひ」
そう言って、庭に案内されたオズワルドだが、一歩、足を踏み入れた途端、違和感を覚えていた。
(ずいぶんと小鳥が多いな。……いや、それだけではない。ハトもいるな……ん? あれは、カラス?)
様々な大きさの鳥が一か所に固まっている。それだけでも異様なのに、縄張り意識の強いカラスがじっとしている。それがオズワルドには信じられなかった。
(何が、起きている?)
その時、彼の耳に届いたのは、澄み切った子供の歌声。それを耳にした瞬間、オズワルドが目を見開く。
(……まさか)
慌ててあたりを見回した彼の目に飛び込んできたのは、竪琴を奏でながら歌う少女の姿。
「アンリ殿、あの少女は?」
「あれがアフルです。オズワルド殿は初めてでしたか?」
「そ、そうですな……。こうしてお目にかかるのは初めてです」
そう言いつつも、彼の視線はアフルから離されることはない。オズワルドの胸に、古文書で幾度となく読んだ一節が静かによみがえっていた。




