第2話
その日、アルディア伯の屋敷からの帰り道、アリオンは一軒の酒場を目指して歩いていた。中からは、心を惹きつけられるメロディーがかすかに聞こえてくる。
(よかった……アイツはいる)
そう思ったアリオンは、安心したような顔で店の中に入っていった。
「よ、マスター。繁盛してるね。悪いけど、レオン借りるよ。そうだな……ちょっとややこしい話があるから、そこの隅の席、かまわないかい?」
店の主人にそう気安く声をかけ、酒と適当なつまみを注文した彼は、テーブルの間をすり抜けて目当ての相手のそばに一直線に向かっていた。
ちょうど曲が終り、客の盛大な拍手と歓声を浴びながら次の曲の準備をしていた吟遊詩人の肩を軽く叩く。
「レオン、ちょっと用があるんだ。あっちにいかないか? 皆さん、ちょいとこいつを借りるよ。また用がすみ次第、解放するから待っててくれよな」
「おいおい、急になんだってんだ。この時間がかき入れ時なのは、お前も知ってるだろうが」
アリオンの態度に、相手はちょっとむったしたような顔になる。だが、誘われた席には酒やつまみの類も用意してある。仕方がないなぁ〜、とでも言わんばかりの顔で席についていた。
「で、なんだって? たしか、どっかのお屋敷の仕事があるってきいてたぞ。こんなところで飲んでていいのか?」
お互いに酒を注ぎあって腰を落ちつけるとその相手、レオンはいきなりそう言ってきた。
黒い髪に黒い瞳が印象的なこの相手にそう詰め寄られたことでアリオンは思わず苦笑いしていた。
「まったく、お前にはかなわないな。ちょっと、お前に相談したいことができたんだよ」
そう言いながらもアリオンはどう話を切り出そうかと悩んでいるようだった。
そんな彼をレオンは話を急かすことなく、アリオンが口を開くのを待っていた。
やがて……
「なあ、レオン。お前、呪歌が歌えるだろう?」
いきなりそう言われたことで思わずレオンはむせこんでいた。
急に何を言い出すんだ、とばかりにその黒い瞳がアリオンのハシバミ色の瞳を殺気を持って見据える。
レオンのそんな様子に気づきながらもアリオンは言葉を続けていた。
「レオン、お前にしか頼めない。明日、明日でいいな? アルディア伯の屋敷まできてくれ。実際にお前の目で確かめてもらいたいことがあるんだ」
◇◇◇
翌日の朝、レオンとアリオンの二人は、アルディア伯の屋敷の前に立っていた。
「レオン、昨日はすまなかった」
「いいって。まさか、あの場で『呪歌』と言われるとは思わなかっただけさ」
アリオンの謝罪にレオンはカラカラと笑いながら応える。
「若手は知ってないだろうけど、そこそこ以上のやつらは、みんな知ってるからな。うちが『呪歌』がらみだってこと」
「たしかに、だよな」
お互いに笑う中、アリオンが静かに通用口を開ける。それは通い始めてから半年の間に自然に身に付いたのだろう。その姿に、レオンが慌てたようになる。
「お、おい、アリオン。勝手に入っていいのか?」
「あ、大丈夫。今日は朝から東屋で練習するって、昨日のうちに許可もらってるから」
「お、おい……それって、……」
アリオンの言葉から、今日の誘いが計画的だったことを悟ったのだろう。レオンの表情が険しくなる。だが、それを気にした様子もなく、アリオンは淡々と言葉を続けていた。
「だましたみたいで悪かったよ。でもな。どうしても、お前に見てほしかったんだ」
「わかったよ。今夜の酒代で辛抱してやる。さっさと案内しろ」
歩きながらも二人の話は続いていく。
「改めて確認するけど、お前は間違いなく『呪歌』を歌えるよな?」
「当然だろう。それが俺の家だからな。でも、気休めくらいのもんだぞ。俺たちがいつも歌っている、英雄譚みたいなことはできないぞ」
レオンの声にアリオンは苦笑している。
「だよな。一人で敵の軍勢、壊滅させたなんて、普通じゃ考えらないもんな。でもさ、『呪歌』の歌い手かどうかの区別はつくよな?」
「ま、他の奴らよりはわかると思うぞ。それがどうした?」
アリオンがそれに返事をすることはない。そのことに不満げな顔をするレオンだが、案内された先に少女がいることに驚いてもいるようだった。
「アリオン、あの子は?」
「彼女がここのお嬢様。可愛らしいだろ? アフル様というんだ」
珠中の玉を自慢するような顔でアフルのことを紹介するアリオンの様子にレオンは呆れたような顔をしていた。
そんなレオンを残して、アリオンはアフルのそばに近寄る。そのまま、流れ始める竪琴の音と歌声。アフルの口から流れる子供らしい声の中に宿っている力に気がついたレオンは顔色をなくしていた。
「こんな子供が? それに、そんな家系じゃないだろう? なんて力なんだ……」
アフルの歌う声を聞いた途端、レオンにはそれが『呪歌』なのだとはっきりわかっていた。今朝もアフルの声に導かれるように小鳥が集まってきている。
「鳥を呼ぶか……本物……下手すると……」
アフルの力の可能性に気が付いたレオンは、そう呟くことしかできないようだった。
◇◇◇
その日の夜、二人はまた酒場で飲んでいる。だが、その表情はどこか深刻なものもあるようだった。
「おい、アリオン。とんでもないもん、見せやがったな」
「だから、お前にしか頼めなかった」
レオンは運ばれてきた酒を一気にあおる。いつもの軽口とは違う。その横顔には、まだ朝に見た光景が焼き付いているようだった。
「そりゃ、わかるがな……でも、どうする?」
「どうするって?」
アリオンの疑問の声に、レオンは思わず肩をすくめていた。
「決まってるだろう。ギルドに報告するかどうかって話だ」
「報告は……必要、か?」
「ああ。あれは本物だ」
「……本物」
アリオンは手元の杯へ視線を落とした。自分でもそう思っていた。だからこそ、レオンを呼んだのだ。
「今は鳥が寄ってるだけみたいだがな。それだけで済むはずがない」
「どうして?」
「お前は知らんか。『呪歌』は厄介なんだよ」
「何が?」
「感情と密接に結びついている。今は大事にされているみたいだから、鳥を呼んでるだけだ」
レオンの口調から軽さが消える。酒場の喧騒は変わらない。それなのに、その席だけが静まり返ったように感じられた。
「たしかに……お屋敷の誰もがアフル様を大事にしている」
「だから、今はいいんだよ。でも、思春期がヤバイ」
「思春期?」
「お前だって、経験あるだろう? 好きな娘ができて舞い上がったり、逆に落ち込んだりさ」
「おい、レオン!」
思わず声を荒げたアリオンに、レオンは肩をすくめて笑う。その笑みも、すぐに消えた。
「ま、それはいいとして、怖いという気持ちが膨らむのもこの時期だって」
「たしかにな」
「その時に『呪歌』が暴走してみろ。人が……死ぬぞ……」
レオンの声に、思わずアリオンの表情がこわばる。彼の口からは低い声が漏れていた。
「なあ、レオン。『呪歌』を封印することはできるのか?」
「できん」
「ギルドに、報告したくない……」
「なんでだ?」
この件はギルドこそが適任だろう。そう思うレオンは、アリオンの声に問いかけなおす。
「彼女は貴族の娘だ。大事にされているし、跡取りだぞ」
「あ~、そっちか……だが、ギルドなら安全だぞ」
「わかってる。だけど……まだ何も知らない子供なんだ」
その声に、レオンの目が細められる。その彼の口からはあきらめたような声が漏れていた。
「しゃあないな。今だけ黙っといてやる」
「本当か?」
「ああ。そのかわり、お前が責任もって導くんだぞ」
レオンはそう言うと、残っていた酒を静かに飲み干した。
アリオンは黙って頷いた。その一つの頷きだけで、レオンには十分だった。




