第1話
その日、吟遊詩人のギルドには一通の依頼書が舞い込んでいた。それに目を通したギルド長、オズワルドはひとしきり考えるような表情を浮かべる。それを目にした事務員が不思議そうな顔をしていた。
「ギルド長、どうされましたか? 何か面倒な依頼ですか?」
「いや……そういうわけではないんだ。竪琴指導の依頼だな」
「依頼の書類をギルド長にですか? 受付にちょっと注意をしておきます」
憤慨する事務員の声。だが、それをギルド長は片手で制していた。
「いや、これはこっちに回ってきて正解だ」
「どうしてですか?」
「アルディア家からの正式依頼だ。依頼書ではなく、書状という形になっている」
オズワルドの言葉に、事務員が落ち着いた顔色に戻っている。アルディア家といえば、ファクリスでも古い伯爵家。そういう家からの書状を無視することはよくない。もっとも、『竪琴指導の依頼』という言葉にひっかかりはある。だが、ここはギルド長に任せればいい。そう判断した彼は、落ち着いた声でオズワルドに訊ねていた。
「では、ギルド長。依頼は受領ということでよろしいでしょうか?」
「だな。断るわけにはいかんだろう。さて……これは人選が難しいな」
そう言うと、オズワルドは少し考え込み始めている。『竪琴指導の依頼』は珍しいことではない。ファクリスの貴族令嬢たちは幼い頃から音楽に親しみ、竪琴を学ぶ者も少なくない。しかし、そうした指導は多くの場合、各家が抱える音楽教師が務める。吟遊詩人ギルドへ正式に依頼が届くのは、より専門的な指導を望む場合か、特別な事情がある場合だった。
「たしか……アルディア家の令嬢も音楽教師についていたな」
「はい。あの家はお抱えの音楽教師を雇っています。でも、こちらへ依頼してきたということは、お抱えの教師では足りない何かがあるのでしょうか?」
「……その可能性はある」
「ですが……伯爵家ですよ?」
「ああ」
「音楽教師もいるのに、なぜ我々へ?」
事務員の声にオズワルドも眉をひそめている。これが貴族からの依頼だから不思議なのだ。彼らはギルドは使うが、己の内には入れない。ギルド長としての経験から、何かがあるのだとオズワルドは勘づいていた。
「竪琴を教えられる者なら何人もいる」
「ですね。レオンあたりも人気がありますが……」
「いや、あいつは出さない。そうだな……アリオンを呼べ」
オズワルドの声に、一瞬だが不思議そうな顔をする事務員。だが、次の瞬間には真顔に戻ると大きく頷いている。そのまま、彼は部屋を出ると、アリオンを呼びに行っているのだった。
◇◇◇
オズワルドのもとへ、あの依頼が届く十日ほど前。ファクリス王都の一角にあるアルディア伯爵家の邸内は春の日差しにあふれていた。一人娘のアフルが10歳になった頃から始めた歌と竪琴。その練習の成果を見てほしいという音楽教師の声に伯爵夫妻がこたえたのだった。
「伯爵様、お時間をいただきまして、ありがとうございます」
「気にすることはない。アフルがどれだけ頑張ったのか私も気になっていたからね」
「そのように言っていただけてありがたいです。お嬢様の上達ぶりには目を見張るものがありましたので」
「まあ、そんなに? たしかに先生がいらっしゃらない時も竪琴を離さないみたいだし……本当に好きなのね」
穏やかな春の風が邸内をそよいでいく。そこに竪琴を抱えて、ちょっと誇らしげな顔をしたアフルがちょこちょこと入ってきた。彼女は父親と母親に覚えたばかりのカーテシーのまねごとをする。
「よくできていてよ、アフル」
「お母様、ありがとう」
母親の誉め言葉に、アフルはパッと表情をほころばせる。そのまま、音楽教師のそばに近寄ると、竪琴を教師へそっと渡した。
「まずは歌から聞かせてくれるのかな?」
「そうなの、お父様。先生がね、まずは歌を聞いてもらってって」
「そうか。では、聞かせてもらえるかな?」
父親の声にアフルはちょっと誇らしげに頭を上げると、大きく息を吸う。次の瞬間、柔らかな声があたりに響いていた。技術的にはまだ未熟。だが、澄み切った声は聞く者の耳を和ませる。
「シュゼット、どう思う?」
「聞いていて安心しますわ。いつまでも、聞いていたいと思える感じ」
「そうだな」
ひそやかに交わされている両親の声はアフルの耳には届いていない。彼女は無心に歌を歌っているだけ。その姿を満足げに見ていた教師の視線が、窓辺に向けられる。次の瞬間、彼はひきつったような表情になっていた。
(今日もだ……今日も、集まっている……)
彼の視線の先にある窓辺には小鳥が何羽が止まっている。羽繕いをしたり、互いにつつきあったりする様子は、春の光景としてはほほえましい。だが、彼自身しか知らない事実もあるのだった。
(増えている……確か、先日は2羽ほどだったはず。それが、今日はすでに3羽か……)
アフルの歌声に引き寄せられるように、小鳥たちは集まっている。それを目にした教師はアフルの歌が終わったとき、静かにそばに近寄っていた。
「今日も上手にできましたね。では、次は竪琴を弾きながら歌ってみましょう」
「はい、先生」
素直に教師の手から竪琴を受け取るアフル。そのまま、ピンと音を確かめるように弾いた彼女は、また別の曲を歌い始めていた。
先ほどまでとは違い、歌と竪琴の音色が重なり合う。その瞬間、空気そのものが震えるような感覚が場を満たした。窓辺に集まっていた小鳥たちが一斉に歌い始める。
その様子が伯爵夫妻にも見えたのだろう。二人はお互いに顔を合わせると、頷きあっている。そして、歌い終わったアフルは窓辺に目をやると嬉しそうな表情を浮かべていた。
「今日も一緒に歌ってくれたのね。ありがとう!」
その声に合わせるように、小鳥たちが飛び立つ。そして、母親であるシュゼットは静かにアフルのそばに近寄っていた。
「アフル。とても上手に歌えたわね。あちらでお母様と一緒にお茶を飲みましょう。アンリ、それでよろしいわよね?」
夫であるアルディア伯アンリに確認するように告げるシュゼット。その声に頷いたアンリは音楽教師に目をやっていた。
「頼んだよ、シュゼット。そうだ、先生。相談したいことがありますので、こちらへ」
「はい……私もご相談したいことがございますので……」
その日、夜遅くまでアルディア家の一室では伯爵と音楽教師の話が続けられていた。そして、翌日――
アルディア伯アンリの名前で、吟遊詩人ギルドに『竪琴指導の依頼』という、普通ではありえない依頼が届けられたのだった。
◇◇◇
「シュゼット」
ギルドから依頼を引き受けたので、担当者を派遣すると連絡を受けた日。アンリは悩んだような表情を浮かべながら、妻の名を呼んでいた。
「今日、ギルドから吟遊詩人がくる」
「あら、珍しいですわね。お招きになりましたの?」
「違う。アフルの教師として招いた」
アンリの声に、シュゼットは不思議そうな顔をする。だが、彼女も先日の光景を思い出したのだろう。ゆっくりと頷きながら、確かめるような声を出していた。
「……あの子の、ためなのですね?」
その声にアンリは頷くだけ。それだけで、シュゼットは理解したのだろう。軽く目をつぶり、息を整える。
「わかりました。あなたがそのように決められたのです。わたくしが反対する理由などございませんわ」
二人がそのように頷きあっていた時、屋敷の扉が叩かれる。そして、その音と一緒に明るい青年の声が響いていた。
「吟遊詩人ギルドから参りました。アリオンと申します。今回はご依頼、誠にありがとうございました」




