第5話
穏やかだった院長室の空気がピンと張り詰めていた。己を『呪歌うたい』だと告げたアフルの顔色は蒼白なものになっている。エリザは信じられないという表情を浮かべるだけ。そして、フィレスはどこか達観した表情を浮かべていた。
(知っていたのね……でも、彼が教えていないはずもないわね……)
フィレスの脳裏に浮かんでいるのは、一人の青年。彼ならば、アフルに『呪歌』という言葉を教え、『呪歌うたい』という存在のことも教えられるはず。そう思ったフィレスは、どこか痛ましげな表情でアフルをみつめている。
その彼女は感情が抑えきれない様子で言葉を続けていた。
「私の、私の、せいで……お父様も、お母様も……屋敷のみんなまで……!」
アフルの震える声に、エリザは思わず身を乗り出した。
「アフル、そんなこと、ないわよ……」
「違う、私のせいなの。わたしの、せい、なの……」
感情が渦のようになり、部屋の中に満ち溢れる。そのまま、アフルは己の中にため込んでいたものを吐き出すように喋り始めていた。
◇◇◇
その日は、冬の厳しい寒さがそろそろ緩もうか、という時期だった。
アフルの両親であるアルディア伯夫妻は、宮廷で開かれている夜会に出席して留守。そして、その頃のアフルは13歳になったばかり。彼女は屋敷の使用人たちと両親の帰りを待ちわびているのだった。
「ばあや、お父様やお母様はまだお戻りにならないの」
退屈な時間を紛らわせるために、竪琴を奏でていたアフル。彼女は自分の乳母だったメイド長のステラに問い掛けていた。
「そうですね。もう少ししたら、お戻りになられると思いますよ」
「そうなのね。じゃあ、もうちょっとだけ待っていようかしら?」
無邪気な笑顔を浮かべてそう言うアフル。そんな彼女の様子に、屋敷の使用人たちは温かいまなざしを向けていた。
このところ、吟遊詩人ギルドの使者が訪れるたび、屋敷の空気は重くなっていた。詳しい事情は知らなくとも、その原因がアフルにあることだけは誰もが感じ取っていた。
しかし、誰もそのことでアフルを疎ましくなど思っていない。ギルドの申し入れを受け入れれば、彼女が屋敷からいなくなる。その方が、彼らにとっては我慢できないことだったのだ。
「でも、あまり遅くまではいけませんよ。明日もいろいろお勉強がありますからね」
アルディア伯夫妻が夜会から戻ってくる時間。それが、夜半も大きく回った頃になるのは間違いない。そんな遅い時間まで、子供のアフルを起こしておくつもりがステラにあるはずもない。彼女は、アフル自身が明日の予定を思い出せるように、そっと言葉をそえていた。
その声に、アフルは素直に頷いている。彼女は竪琴を抱えると、自分の部屋へと引き取っているのだった。そんな彼女の姿を見送った使用人の一人が、恐る恐る口を開いている。
「あの……このところ、ギルドの方がよくおみえになっていらっしゃるのは、お嬢様に関係することでしょうか」
「ええ、そうよ。お嬢様は、ギルドが欲しくて仕方のない力をお持ちのようなの」
「じゃあ、お嬢様はどうなってしまわれるのですか」
不安げな表情でそう言ってくるメイド。それは、屋敷の使用人たち全員の思いだったろう。そんなメイドの声に、その場にいた若い男が反応している。彼がアフルの師であるアリオン。彼は吟遊詩人ということもあり、ギルド内部のことも、伯爵家のことも知っている存在だった。
「大丈夫だ。伯爵がギルドの言うことを聞くはずがないし、ギルドも確信しているわけじゃない。そして、なによりもこの家は国王陛下の信頼が厚い。心配する必要はないよ」
「でも、あまりにも頻繁です。心配にもなります」
「それだけ旦那様が拒否なさっているからです。ギルドにすれば簡単に諦められないのでしょう。でも、あなた方が気にしているのはわかるわ。だからといって、心配しすぎないように」
アリオンとステラの言葉に、張りつめていた空気はようやく少しだけ和らいだ。使用人たちはようやく安堵し、それぞれ持ち場へ戻っていった。
一方その頃、部屋へ戻ったアフルは困ったような顔をしていた。今夜は両親を起きて待っていたくて、内緒で昼寝をしていたのだ。そのせいか、ベッドに入っても少しも眠くならない。
「どうしよう……ちっとも、眠れないわ……お父様やお母様は、帰ってこられたのかしら」
もしそうならば、両親の顔が見たい。そう思ったアフルは、寝室からそっと抜け出していた。階下にはまだ灯りが残っている。誰かいるはずだと、アフルは安心して階段を下りていく。
「あら、ばあやたちの声がしないわ」
明るく感じたのに、人の声が聞こえてこない。そのことが嫌な予感となってアフルの胸を締め付ける。それでも、彼女は階段を降りる足を止めていない。やがて、彼女は屋敷の入り口ホールに続く扉をそっと開けているのだった。
「う、うそ……」
扉を開いた先に広がっていた光景。
それは、アフルには信じることのできないものだった。大理石の床が血の海となっている。そして、そこに倒れている人影。
「お父様、お母様……」
アフルの口から、小さな悲鳴が上がっている。血溜まりの中に倒れていたのは、彼女が大好きな両親。思わず、そのそばに駆け寄ろうとしたアフル。
その彼女の前に、姿を見せた男。 血に濡れたナイフを持った男は、ニヤリと下卑た笑いを見せていた。
「こんな可愛い子供がいたのか。思ってもいなかったな」
「いやよ……こっちに来ないでよ……」
震えながらそう呟かれる声。そんな中、彼女の中で何かがグイっと首をもたげたようだった。恐怖に震えながら、男から目を離すことができないアフル。その彼女の口から、声にならぬ声、音にならぬ音が響いていたのだった。
その響きは壁を伝い、窓を揺らす。
音にならぬ音だというのに、それは屋敷中に響き渡る。
「お、お前……呪歌うたいか……」
苦悶の表情を浮かべながら、男はアフルを見据えている。しかし、男の声がアフルの耳に入っている様子はない。彼女の視線は、血塗れで倒れている両親から放されることがない。
アフルはただ、歌い続けていた。それが恐怖に突き動かされたものであることを彼女自身がわかっていない。そして、その声は屋敷にいるすべての人々を呼び集めていた。
「お、お嬢様……やめてください……くるしい、です……」
可愛がってくれる人々の声。それすらもアフルの耳には届かない。彼女は何かに操られているように、ただ、音を奏で続けている。その音を聞いたアリオンは、一瞬で事態を悟った。
「アフル……もう、いい。やめるんだ……」
そんな声を同時に、彼女を抱きしめる力強い腕。その力に、アフルはようやく我に返りつつある。
「アリオン……わたし……」
力なく呟かれるその声。そんな彼女にアリオンは何も言わない。彼女の視界に両親の姿が入らないように包み込んでいる。その彼の腕の中で、「自分は何をしていたのだろう」という疑問だけを残したまま、アフルの意識は途切れていった。
◇◇◇
アフルの泣きじゃくる声で紡がれる過去の話。それを耳にしたエリザは思わず彼女を抱きしめていた。
「あなたが悪いんじゃないの。悪いんじゃないのよ!」
「でも……でも、わたし……」
エリザの言葉もアフルの耳には入ってこない。それでも、彼女はアフルの体を抱きしめ続けている。
「あなたはここにいていいの! 私たちと一緒に笑って、暮らしていればいいの!」
その言葉にアフルの青い瞳から涙が溢れる。それを見たエリザの脳裏には、昼間の森での光景が思い出されているのだった。




