第5話
夜も更けた吟遊詩人ギルドは、突然の一報によって騒然としていた。
「おい、詳しいことを知ってるやつは!」
「今、一報が入っただけです!」
「本当に呪歌なのか?」
「それも確認中です!」
「呪歌が暴走?」
誰かが思わず漏らしたその言葉に、一瞬だけ空気が凍りついた。
「……呪歌って、暴走するんですか?」
若い職員の問いに答える者はいない。
長くギルドに勤める者たちでさえ、そんな事例を聞いたことがなかったからだ。
「幹部を全員呼べ!」
「この時間ですよ!?」
「叩き起こせ!」
オズワルドの怒声が執務室に響き渡る。
その一言で、居合わせた職員たちは一斉に駆け出した。
アルディア伯爵家で、何が起きたのか。その答えを知る者は、まだ誰もいない。
届いているのは「呪歌らしき現象が発生した」という断片的な報告だけ。その真偽すら、まだ確認できてはいなかった。
「アリオンを呼べ!」
オズワルドの声に、間髪入れず返事が返る。
「連絡がつきません!」
その報告を聞いた彼は、ぎゅっと唇を噛みしめた。
つい先ほどまで夜会で言葉を交わしていたアルディア伯夫妻。そして、あの屋敷で見たアフルの笑顔が脳裏によぎる。
理由は分からない。
だが、その穏やかな光景が音を立てて崩れていくような、言いようのない胸騒ぎだけが彼の心を支配していた。
◇◇◇
招集されたギルドの幹部たちが続々と会議室へ入ってくる。夜中にたたき起こされたため、普段なら隙なく整えている身なりも、どこか乱れていた。だが、それだけ彼らが事態を重く見ていることを物語っていた。
「全員、揃ったか?」
オズワルドが重々しい声を上げる。その時、彼は一つの席がまだ空いていることに気が付いていた。
「ギルバートは? あいつには連絡しなかったのか?」
その声に、周囲の者が顔を見合わせた。
「そういえば、昼過ぎから姿を見ていません。」
「呼びにはやっていますが……」
「何かあったのか?」
小さなざわめきが広がる。
その時だった。会議室の扉が静かに開く。
「失礼します……」
話題の主であるギルバートが姿を現した。
「来たか。」
「よかった……」
幹部たちの表情がわずかに緩む。
ギルドきっての原理主義者であるギルバート。前例のない今回の騒動では、誰もがその見識を必要としていた。しかし、オズワルドは彼の顔色が優れないことに気付いていた。
「ギルバート、どうした? 具合が悪いのなら、無理をする必要はないぞ」
「大丈夫です……今回、予想外のことが起こりましたので……」
その言葉に、居並ぶ幹部たちは「それも当然だ」というように小さく頷き合う。だが、オズワルドだけは、その口調にかすかな違和感を覚えていた。
もっとも、今はそれを追及している場合ではない。
まずは事実を整理すること。
そう判断した彼は、連絡係に割り当てた事務員を呼び寄せた。彼は、幹部たちを前に緊張しているのだろう。手にした書類はかすかに震えている。それでも事務員は気持ちを落ち着かせるように一度息をつくと、努めて冷静な口調で報告を始めた。
「昨日、夜半。アルディア伯爵家にて争いが発生。当主夫妻が殺害され、犯人は警邏によって拘束されたとのことです」
「なんだって?」
その報告に、幹部の一人が思わず声を上げる。オズワルドは無言で続きを促すように視線を向けた。
「屋敷内にいた使用人も生死不明。アフル嬢も現場に居合わせましたが、アリオンが保護したとの報告を受けています」
「……『呪歌』は……暴走したのか?」
事務員の報告を聞き、ギルバートがぽつりと呟く。事務員は手元の報告書に目を落としながら答えた。
「アリオンからは『呪歌』の暴走とは断定できないとの報告が入っています。ただ、『呪歌』が事件に関係している可能性は高いとも伝えられています」
「……暴走、しなかったのか……。では、使用人が生死不明というのは?」
「現場が混乱しているため、まだ正確な確認が取れていないようです。また、アリオンからはアフル嬢を保護し、こちらへ向かうとの連絡も入っています。詳しい状況は、ご本人から直接ご説明いただくのがよろしいかと」
事務員は深く一礼すると、静かに会議室を後にした。
扉が閉まった瞬間、それまで張り詰めていた空気が一気に弾ける。会議室は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
「オズワルド! だから言っただろう! 『呪歌』は危険だと!」
オズワルドは何も答えなかった。
「あれほど言った。早く保護しろと。そうしていれば、こんなことにはならなかったはずだ!」
ギルバートの言葉に、オズワルドは反論できなかった。そして、彼の声を耳にした幹部の一人がポツリと漏らしていた。
「だが、『呪歌』が人を殺したわけではないんだろう?」
「甘い! あれは王都を沈めるものだ。かつての記録を忘れたのか?」
「そこまでは言えない」と口を開きかけた幹部もいただろう。だが、原理主義者であり、『呪歌』のことは誰よりも知っていると目されているギルバート。彼の言葉だからこそ、誰もそれ以上の口をはさめないようだった。
その時、部屋の扉が静かに叩かれる。「なんだ」というオズワルドの声をともに、事務員が顔を出していた。
「ギルド長、アリオンが戻ってきました。アフル嬢は女性職員に預けました」
「わかった。すぐにここに連れて来い」
「そう思いましたので、もう連れて来ています」
事務員がそう言うのと同時に、アリオンがゆっくりと部屋に入ってくる。室内にいた幹部たちの視線が一斉に彼に向けられる。その中、アリオンはゆっくりと言葉を紡いでいた。
「アルディア伯爵家の事件。あれは、間違いなく『呪歌』が絡んでいます」
「……やはり、か」
ギルバートが低い声を上げる。それにかぶさるように、アリオンの声が続く。
「でも、あれはアフル嬢のせいではない。彼女は自分を守ろうとしただけです。歌はその意思に応えた。しかし、その力は彼女自身にも制御できなかったんです!」
アリオンの声が会議室に響き渡る。それを耳にした誰もが、何も言えないようになってしまっていた。
◇◇◇
この事件が発生した直後、王家の動きは異様に早いものだった。
警邏が確保した犯人の身柄は、その場で司法の手に渡る。そして王家は、当主を失ったアルディア伯爵家を王家の管理下に置き、跡継ぎであるアフルが成人するまで後見することを発表した。
これには周囲が首を傾げる部分もあった。だが、古い宮廷人はアルディア家が王国建国以来の旧家であることを知っている。そのような家を簡単に取り潰せないことも理解していたのだろう。
「アルディア家の話、聞かれましたか?」
「ええ。娘だけが残されたとか」
「王家が後見するそうですな」
「アルディア家ですし、そうなるでしょう。あそこはたどれば、いろいろな家とつながっていますから」
そんな中、残されたアフルはアリオンの保護のもと、吟遊詩人ギルドで身を寄せていた。
だが、いつまでもそこに留まるわけにはいかない。王家の決定と前後して、彼女はフィレスが院長を務める修道院へ預けられることになった。
「アフル、一緒にいてあげたいんだけど、それも無理なんだ」
「……」
「明日から修道院で暮らすことになる。でも、今のアフルには、そのほうがいいのかもしれない」
そう告げたアリオンは、アフルを連れてフィレスの待つ修道院へと向かう。その門の前では、穏やかな微笑みを浮かべたフィレスが、二人の訪れを静かに待っているのだった。




