第1話
修道院では穏やかな時間が流れていた。窓の外では、柔らかな春風に若葉が揺れる。庭では子どもたちの笑い声が響き、冬の静けさが遠い昔のことのように感じられていた。
そんなある日、エリザはフィレスのもとに午後のお茶を運んでいた。
「フィレス様お茶が入りました」
「ありがとう、エリザ。ところで、アフルは何をしているの?」
エリザの差し出すカップを受け取りながらそう訊ねるフィレス。その声に、エリザは微笑みながらこたえていた。
「相変わらず、森に入ったり、歌を歌ったりです。子供たちもあの子の歌がお気に入りでしょっちゅうせがんでいますわ」
「そうなのね」
その声に、フィレスは安心したように息を吐く。そんな様子を見ながら、エリザは思い出したように話を続けていた。
「フィレス様、本当にアフルは変わりましたね」
「そうね……あの子が来てからもう4年になるのかしら?」
「はい、そうです。あの時は13歳の女の子と聞いていましたが、そんな風には見えませんでしたわ」
そう呟くエリザの脳裏にはかつてのアフルの姿が映っている。あの時は、周囲のすべてを恐れる小さな小鳥のようだった。そんな印象も残っている。そして、フィレスも思い出すように口を開いていた。
「そうね。誰が話しかけても返事もしないし」
「うつむいたままでしたものね」
「でも、あなたの後ろはついて歩いていたわ」
「よく、先輩に笑われました。『エリザ、またアフルっていう雛を連れて歩いているのね』って」
その時の様子を思い出したのだろう。二人は互いに笑いあう。その時、エリザはフィレスの机の上に置いてある手紙に気が付いていた。
「フィレス様……それは?」
どう見ても、村の者が出したとは思えない立派な封筒だった。よく見ると、封蝋まで施されている。村で目にする手紙とは明らかに違う。その様子に、エリザは何か大切な知らせなのだと直感していた。
「あぁ、これね……」
そう言いながら、フィレスは封筒へ手を伸ばす。ペーパーナイフで封を切ると、中から一通の手紙を取り出した。
「エリザも、わたくしの実家のことは知っているでしょう?」
「はい。ジェミニ伯爵家と伺っております。季節ごとに寄進をいただいておりますし、子どもたちへのお菓子まで送ってくださって……本当に感謝しておりますわ」
「ありがとう。わたくしは好きで修道院へ入ったというのに、両親はいまだにわたくしのことを手のかかる子どもだと思っているのよ」
そう言って小さく笑うフィレスに、エリザは何と返せばよいのか迷ったように口をつぐむ。その様子を気にすることもなく、フィレスは穏やかな口調で続けた。
「両親は、時折こうして王都の様子も知らせてくれるの。どんなものが流行っているか、人々がどんな話題で持ちきりなのか……そんなことまでね」
「修道院には、あまり必要のないお話ですね」
「そうとも限らないわ。修道院にいても、外の世界で何が起きているのかを知っておくことは大切なことなのよ」
そう言うと、フィレスは紅茶のカップを静かに脇へ置き、手紙へと視線を落とした。部屋には紙を開く小さな音だけが響き、エリザはその様子を静かに見守っていた。
◇◇◇
その頃、アフルは子どもたちと一緒に森へ薬草を摘みに出かけていた。修道院でも薬草は育てているが、春の薬草摘みはちょっとした楽しみでもある。なんといっても、冬の間は室内で過ごすことが多い。子どもたちにとっては、久しぶりの外遊びの時間でもあるのだった。
だからだろう。森へ入ると、子どもたちは待ちきれなかったように駆け出していく。その後ろ姿を見守りながら、アフルは優しく声をかけていた。
「お姉ちゃん、こっち?」
「そうよ。でも、気を付けてね。春先はいろんな動物が出てくるから」
「うん!!」
元気よく返事をした子どもたちは、夢中になって草むらをのぞき込んでいる。アフルはその様子を微笑ましく見つめながら、一人ひとりに声をかけた。
「葉っぱの形をよく見てね。似ている草もあるから、分からなかったら必ず聞くのよ」
「はーい!」
その返事に満足そうに頷きながら、アフルも薬草を摘み始める。
すると、しばらくして子どもたちの驚いたような声が響いた。
「ねぇ、お姉ちゃん。ここだけ、何にもないよ」
「たしか、ここって薬草あったよね?」
その声を聞いたアフルは足早に駆け寄る。
子どもたちの指差す先では、青々と茂っていたはずの薬草が、根元だけを残してきれいになくなっていた。
「あぁ……」
思わず小さく肩を落としたアフルは、辺りを見回してから苦笑していた。
(ほんとに……きっと、今回もウサギだわ。ううん、シカかもしれない)
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
急に黙り込んだアフルを心配した子どもが、不安そうな表情で見上げる。その視線に気づいたアフルは、慌てて笑顔を作った。
「うん。なんでもないよ。ここでウサギさんがご飯を食べたのかもしれない」
「ウサギって薬草食べるの?」
「食べるわよ。柔らかい葉っぱが大好きだから、あっという間に食べちゃうの。困るわよね」
「うん、困るー!」
子どもたちの笑い声が春の森へ響く。その声につられるようにアフルも笑みを浮かべると、「もう少し向こうへ行ってみましょうか」と優しく声をかけ、子どもたちを連れて次の薬草の群生地へ歩き出していた。
◇◇◇
森で午後を過ごしたアフルと子どもたちは、笑い声を響かせながら修道院へ戻ってきた。その玄関先に立っている人影にアフルは嬉しそうな声をかけていた。
「アリオン! レオンさんも!」
「よ、元気そうだな」
「お兄ちゃんたちだ―。今日もお歌、聞かせてくれる?」
「もちろんだ。ん、今日は森に行ってたのか?」
薬草かごを持っていることに気が付いたレオンがそう声をかける。それに対してアフルは笑いながらかごの中身を見せていた。
「そうなんです。この時期はやっぱり、森に入ろうかって」
「春先の森は、動物も動き始めるからな。大丈夫だったか?」
「大丈夫! でもね! ウサギさんが薬草食べちゃった―!」
子供の声に、レオンは思わず苦笑いをしている。それを見たアフルもつられたように笑い出す。
「ほんとにこの時期って厄介なんですよね。ウサギだけじゃなくて、シカも草を狙ってるから」
「そりゃそうだろう。あいつらだって食べなきゃいけないんだ」
「ですよね。あ、アリオン。院長様が用事があるって」
アフルの声にアリオンも頷いている。
「みたいだな。そのことで手紙をもらった。ちょうどレオンもいたしさ。誘ってきたんだ」
「そうなんですね。レオンさん、お忙しかったんじゃないんですか?」
「アフルが気にすることじゃないよ。俺がアリオンについてきただけなんだし」
その声にアフルが安心したような表情を浮かべる。その時、子供が大きな声を出していた。
「お兄ちゃんのお歌もうまいよ。でもね、お姉ちゃんのお歌のほうが好き! この前も、小鳥がきてたんだ!」
その声にアリオンとレオンはお互いに顔を見合わせる。
「相変わらずか」
「そうみたいだね」
彼らはは誰にも聞こえないような声で、そっと囁きあっている。そんな二人をアフルは修道院の中へと案内しているのだった。




