第2話
早春の午後、院長室に通されたアリオンとレオンは窓の外から庭に目をやっていた。そこには、先ほど森で採ってきた薬草を子供たちと仕分けるアフルの姿がある。
「すっかり、元気になったようだな」
「あぁ、来るたびに思うよ。今日は誘ってくれてありがとな、アリオン」
レオンの声にアリオンはちょっと肩をすくめる。そんな二人とフィレスの前に紅茶を出したエリザは静かにフィレスの後ろに腰かけていた。
「アリオン、レオン。いつもありがとう」
「フィレス様、それはこちらの言葉です」
「あなた方が来てくれることで、子どもたちも楽しんでいるの。だからよ」
「なら、遠慮なく」
穏やかな時間が流れる中、フィレスはふと思い出したように口を開いた。
「それはそうと、王都では動きがあるようね」
「アフルも17歳か。王家も、そろそろ本人の意思を確かめる頃だろうな」
「そのようね。先日も家から連絡があったわ」
レオンは苦笑しながら肩をすくめた。
「わかってたんだけど、やっぱりお貴族様なんだな」
フィレスは小さく首を振る。
「あら、そんなことはなくてよ。わたくしは、ただのフィレスですもの」
フィレスのその言葉をアリオンもレオンも信用していない。もちろん、二人がそう思うのにも理由があった。
この修道院には、幼い頃に行儀見習いとして預けられた商家や貴族の娘たちが数多くいた。やがて彼女たちはそれぞれの家へ戻り、家を支えている。中には、騎士団長の妻となった者もいる。
そんな彼女たちにとって、修道院で過ごした日々は、嫁いだあとも簡単には消えない。季節の便りや近況報告、寄進の相談――そんな何気ないやり取りの中で、王都や各地の出来事は自然と修道院へ運ばれてくる。誰一人として情報を集めようとしているわけではない。ただ、大切な場所へ近況を伝えているだけだ。しかし、その積み重ねは時として、王都の正式な通達よりも早く情勢を伝えることさえある。
そのことを身をもって知っているのがアリオンとレオン。二人は出された紅茶を飲みながら、ため息をついていた。
「だからって、情報が入るスピードが尋常じゃない。俺たちより早い時があるだろうって」
「ほんとにそれ。レオンの言うとおりだよ」
「それは、ファクリエル様のお導きですわ」
(絶対に違う)
アリオンとレオンは、まったく同じ言葉を胸の内でつぶやいた。アフルが修道院へ預けられてから四年。その間、このやり取りを聞いたのは一度や二度ではない。
フィレスにとっては「ファクリエル様のお導き」。二人にとっては、修道院が育んできた人の縁がもたらす情報網。その認識の違いだけは、時間がたっても変わることはないようだった。
◇◇◇
「それはそうと、これは大事なことだから、あなた方にも伝えるべきだと思うの」
飲んでいた紅茶を横に置いて、フィレスは真剣な表情になっている。その視線の先にあるのが封を切られた封筒。おそらく、これが家からの便りなのだろう。そのことをアリオンもレオンも教えられずとも知っている。
「王家は、今の時点では、あの子を王都へ戻そうとしているわけではないの」
フィレスの言葉にアリオンもレオンも不思議そうな顔をする。だからこそ、彼らの口からは疑問しか出てこない。
「では……?」
「王家は、真実を明らかにしたいとは思っている。それは間違いないわ。なんといっても、アルディア家は王国でも最も古い家柄と言われていたのだから」
そう言うと、フィレスはまた紅茶に口をつける。そのまま、一口、紅茶を含んだ彼女は穏やかな声で話し続けていた。
「けれど、そのためにあの子へ真実を押しつけるつもりもないようなの。だから、真実を知るかどうかは、アフル自身が決めるべきことだと考えているようよ」
「……」
「あれだけの事件ですもの。あの子が受け入れられないことも想定しているのだと思うわ」
スッとフィレスの視線が下に落ちる。その目は封筒から出された便箋にも向けられているよう。便箋に綴られた言葉は穏やかなものではあるが、その裏にあるものを読み取れないフィレスではなかった。
「だからこそ、まずは本人の意思を確かめたいのでしょうね。」
「それが、王都への呼び出しになる、ということですか?」
フィレスに確認するように告げるアリオンの声はどこか固い。そんな彼の姿にフィレスはゆっくりと頷いた。
「ええ。でも、それは命令というよりも問いかけなのでしょうね。あの子が何を望み、どこまで知りたいのか。その答えを、王家は待とうとしているのでしょうね」
そんな時、レオンが思い出したように声を上げた。
「でも、フィレス様。おかしくないですか? どうして、そこまでアルディア家のことを考えた動きになるんです?」
その問いにアリオンも思わずハッとなる。フィレスの話はアフルを守ろうとする王家の姿勢としては理解できる。しかし、伯爵家の事件に王家がここまで心を砕く理由までは見えてこない。
王命という形でアフルを王都へ呼び戻し、真実を告げる。それで済む話ではないのか。そう思ったアリオンも改めてフィレスへ視線を向けた。
二人の様子を見たフィレスは、すぐには答えず後ろに控えていたエリザへ静かに声をかける。
「エリザ。紅茶が冷めたみたいだわ。あなたの分も淹れ直して、こちらへいらっしゃい」
その声に頷いたエリザは新しい紅茶の用意を始めている。その間に、フィレスは何をどのように話そうかと考えているようだった。やがて、温かい紅茶の湯気が立ち上る。香りの高いそれを口に含んだフィレスはホッとため息をついていた。
「レオンの疑問はもっともよね。誰が聞いても不思議に思うでしょう。でも、アルディア家だからなのよ」
「その理由がわからないんです。どうして、ですか?」
フィレスに詰め寄らんばかりの勢いのレオン。そんな彼に対して、フィレスは態度を変えることなく、言葉を続けていた。
「そうね……古い家と言えば、どのようなイメージがあるかしら?」
「古い家ね……金持ってる。地位がある。そんなところか?」
「レオン、そこまで言っちゃいけないだろう」
あけすけなレオンの言葉にアリオンが焦ったようになっている。そんな二人にフィレスはゆっくりと話しかけていた。
「レオンの言いたいこともわかるわ。たしかにそうだもの。でも、古い家にあるのは、それだけじゃないわ」
その言葉に、レオンは何かに気づいたようだった。眉間にしわを寄せ、一心不乱に考え込んでいる。やがて、彼は低い声を絞り出していた。
「……系図、か」
その声にフィレスはかすかに頷く。
「アルディア家は古い家だけに、あちらこちらとつながっているのよ。だから簡単に潰してしまうと、黙っていられない方もいらっしゃるわ。あの家が王家の直轄になったのも、それが原因の半分なの」
「そうですわね。貴族なんて、あちらこちらの家とつながるのが当然と思ってますもの」
エリザの静かな声もそこに重なる。それを聞いたアリオンとレオンは、思わず顔を見合わせた。エリザは二人の反応を不思議そうに見つめながら、静かに言葉を続けた。
「古い家の系図は、一冊の本になってしまうこともございますもの」
「一冊……?」
思わず、レオンの口からそんな声が漏れる。貴族社会とは、思っていた以上に複雑だった。二人はただ、言葉を失うしかなかった。




