第3話
フィレスは穏やかな笑みを浮かべたまま、静かに紅茶のカップを置いた。
「アリオン。わたくしがあなたを呼んだのは、この話がしたかったからなの」
「そうだったんですね」
「まだ、確定ではないわ。でも、そのうちに呼び出しがあると思ったほうがいいの」
その一言に、アリオンの表情がわずかに引き締まる。その隣では、レオンが疑問の声をあげる。
「いや、フィレス様の話を疑うわけじゃないけど、本当に?」
「ええ、本当に。家からの手紙だけじゃない。知り合いからの手紙にも王都が騒がしいとあったの」
その言葉に、アリオンとレオンは思わず顔を見合わせた。
(だから、この人の情報網って半端ないんだよな)
レオンが、隣に座るアリオンへ視線だけを送る。
(うん。絶対にこの人は敵に回したくない)
アリオンも目だけで小さくうなずく。そんな二人を見て、フィレスはふっと笑みを深める。
「それで、相談なんだけど、いいかしら?」
その笑みが少しだけ真剣なものへ変わる。
「は、はい。なんでしょうか」
「アフルにもこの話をしようと思っているの」
その言葉に、部屋の空気が静かに張りつめる。アリオンが返事をするよりも早く、エリザが思わず口を開いた。
「フィレス様、それは……」
エリザの様子を見つめたまま、フィレスは静かな声で問い返した。
「なにか問題でもあるかしら、エリザ」
「アフルはまだ17歳です」
フィレスは穏やかな表情を崩さないまま、小さくうなずく。
「もう、17歳なのよ。エリザ、あなたが修道女になった年は?」
「……16歳です」
一瞬だけ視線を落としたエリザは、小さく答える。
「修道女は、その年齢で神へ一生を誓うのよ。人生を決めるだけの覚悟を求められる。それなら、アフルにも真実を知る権利があるのではないかしら?」
エリザは返事ができなかった。重い沈黙が部屋を包む。
「あの子はもう子供ではないわ。わたくしたちが守ることだけを考えていては、あの子自身が何も選べなくなってしまう」
「ですが……」
なおも言葉を探すエリザに、フィレスは優しく微笑んだ。
「もちろん、無理に王都へ行きなさいとは言わない。決めるのは、あの子自身よ」
「……はい」
フィレスの言葉はわかっている。でも、納得はできない。そんな表情を浮かべながら、エリザはそう返すことしかできなかった。
◇◇◇
部屋の中はどこか重い空気が流れている。その中に、扉を軽く叩く音が響いていた。
「お入りなさい」
フィレスの声に扉がゆっくりと開く。入ってきたアフルの髪に薬草がついている。それを見たフィレスは髪に手を伸ばしながら、優しく問いかけていた。
「髪に薬草が付いていてよ。今日は子供たちと一緒によくやってくれたわね」
「あ、ありがとうございます。それと……薬草の仕分けが終わったので、いつもの棚に置いておきました」
「わかったわ。そうそう、あなたにちょっと話があるの」
フィレスの声に何かを感じたのだろう。アフルが少し体を固くしている。だが、その場にアリオンがいることにも気が付いたのだろう。その表情が少し柔らかくなる。
「あなたがここに来てから、どれくらいになったかしら?」
「四年です。院長様」
「そうだったわね。そして、あなたがわたくしにお願いしていることも、変わっていないのよね?」
フィレスの声にアフルはかすかに頷いている。その彼女の姿にエリザはホッとしたような様子と一緒に、不安も持っている。
「あなたの願いを叶える前に、やらなければいけないことがあるの」
「やらなければ、いけないこと?」
不安そうにフィレスの言葉を繰り返すアフル。その彼女の様子をアリオンとレオンは見守ることしかできない。そして、フィレスはゆっくりと言葉を続けていた。
「そう。もう少しすれば、あなたに手紙が届くはずよ。それを読んでから、あなたの気持ちを聞かせてちょうだい」
「……手紙、ですか?」
自分に届く手紙などあるのだろうか。
アフルは戸惑ったようにフィレスを見つめる。しかし、フィレスは穏やかな笑みを浮かべるだけで、それ以上は何も語らなかった。
「今日はもう部屋へ戻りなさい。」
「……はい。」
一礼して部屋を出ていくアフルの背中を、四人は静かに見送っていた。
◇◇◇
三日後の昼下がり。修道院の門を、一台の馬車が静かにくぐってきた。
とはいえ、この修道院に馬車が訪れること自体は珍しくない。しかし、その馬車に掲げられていた王家の紋章を目にした修道女たちは、思わず手を止めた。
「院長様。王都より使者がお見えです」
エリザの声を受け、フィレスは執務室から静かに姿を現した。
使者は筒から一通の書状を取り出すと、居住まいを正し、朗々とした声で告げる。
「ジェミニ伯爵令嬢フィレス殿。王家よりのお言葉を伝える」
「謹んで承ります」
修道院長ではなく、伯爵令嬢として名を呼ばれた。王家は、自分を修道院長ではなくジェミニ家の人間として呼んでいる。その意味を悟ったフィレスは、静かに頭を垂れた。
「ジェミニ伯爵令嬢フィレス殿。アルディア伯爵令嬢アフルとともに、王城へ登城されたし。なお、これは国王陛下のご命令である。疑うことなきよう」
宣言を終えた使者は、王印の押された書状を両手でフィレスへ差し出した。王印を認めたフィレスは、恭しく書状を受け取り、再び頭を下げる。しかし、使者は返答を求めることはなかった。
「では、王城でお待ちしております」
それだけを告げると、使者は踵を返し、そのまま修道院を後にする。
馬車の音が遠ざかるまで、誰一人として口を開かなかった。やがてフィレスは静かに書状へ視線を落とし、小さく息をつく。
「……やはり、来たわね」
「……院長様」
使者がフィレスを『伯爵令嬢』と呼んだ。そのことに修道女たちは戸惑いを隠せない。エリザもまた、落ち着かない様子でフィレスを見つめていた。
「エリザ、気にしないで。それよりも吟遊詩人ギルドへ連絡を。アリオンとレオンに、できるだけ早く来てもらいたいの」
「……わかりました」
エリザはすぐに手紙を書き上げ、村の者へ託した。
それから三日後。修道院へ駆けつけたアリオンとレオンは、フィレスの顔を見るなり声をあげる。
「フィレス様、やはり?」
「ええ。思っていたより少し早かったけれど」
その一言で、二人は静かに息をつく。驚きはあったものの、先日の話を聞いていたからこそ、すぐに状況を受け止めることができた。
「それで、どうされますか?」
アリオンの問いに、フィレスは迷うことなく答える。
「アフルに決めさせるわ」
「ですが……王家からの召喚状でしょう?」
「ええ。だからといって、あの子の意思を無視して連れて行くつもりはありません」
毅然と言い切るフィレスに、アリオンとレオンは思わず顔を見合わせた。
「わたくしにもお願いできる方はいらっしゃるわ。少しくらいなら時間をいただくことはできるでしょう」
「だ、だから……それが怖いんですって……」
レオンが小さく呟くと、フィレスは困ったように肩をすくめる。
その時だった。
「院長様。アフルをお連れしました」
エリザに導かれ、アフルが静かに部屋へ入ってくる。
「アフル、あなたに手紙が届いたわ」
「手紙、ですか?」
不思議そうに首をかしげるアフルへ、フィレスは静かに書状を差し出した。
「ええ。あなたに王城へ来てほしいという手紙よ」
アフルは書状へ視線を落としたまま、言葉を失う。
そんな彼女を穏やかに見つめながら、フィレスは静かに問いかけた。
「――あなたは、どうしたい?」




