第3話
裏門からこっそりと抜け出したアフルは、一目散に目的地へと向かっていた。2年前ならば見分けることもできなかった薬草。それが今ではきちんと見分けることができる。そして、薬草が生えているのは森の入り口。奥にさえ入らなければ大丈夫。そう信じて、アフルは小走りに森の入り口を目指した。
「ど、どうしましょう……」
目指す場所についたアフルだが、その口からは呆然とした声が上がっていた。
ここは先日も薬草を摘みに来た場所。その時は、次に困らないようにちゃんと根っこと若芽を残していたはず。だというのに、そこにはただ空き地が広がっているだけだった。
「誰かが採ったの? でも、こんなにきれいになくなるなんて……」
嘆いたところで、薬草が生えてくるはずはない。となると、彼女に残された道は二つ。このまま手ぶらで修道院に戻るか、別の場所に生えている薬草を採って帰る。この時、彼女の頭には空になっている薬草棚だけが浮かんでいた。
「このまま帰ってもいいけど……でも、困る人が絶対にいるわ。だったら……今のうちに薬草を採って帰ったほうがいいわよね」
そう呟いた彼女は、薬草かごを持ち直している。野犬が出たという話は聞いている。けれど、鳥の声しか聞こえない。これなら大丈夫――そう思った彼女は森の中へと一歩足を踏み入れていた。
◇◇◇
その頃、修道院ではちょっとした騒ぎが巻き起こっていた。
森に行こうと楽しみにしていた子供たち。野犬が出たのなら仕方がない、と部屋でおとなしくすることにしていた。だが、じっとしていると退屈なのは間違いない。
彼らはお互いに頷きあうと、部屋からこっそりと抜け出していた。もっとも、修道院から出るということはしない。彼らは大好きなお姉ちゃんのところに行こうとしていたのだ。
「お姉ちゃん、部屋にいるかな?」
「どうだろう?」
「いつもなら、外にいるよね」
「うん。でも、今日は特別だよ」
「だね」
みんなでワイワイ言いながら、アフルの部屋の扉を開ける。しかし、そこには誰もいるはずがない。子供たちは顔を見合わせると、修道院の中をうろちょろし始めていた。
最初は「どこかで仕事をしているだけ」と思っていた。けれど、どこを探しても姿が見えない。大好きなお姉ちゃんの姿が見えないことに、子供たちは不安になり始めていた。
「あら、あなたたち、部屋にいたんじゃないの?」
子供たちが修道院の中をうろちょろしていることに気が付いたエリザがそう声をかける。子供たちは彼女にむかって、自分たちが気が付いたことを一斉に喋っていた。
「あのね、あのね!」
「お姉ちゃんがいないの!」
「お部屋にもいないの!」
その声に、エリザの表情が一瞬でこわばる。そして、次の子供の言葉に思わず天を仰いでいた。
「お薬のたな、からっぽだったよ」
アフルが何をしているのかが、その場でエリザにはわかったのだろう。それでも、その場では子供たちに部屋へ戻るようにと穏やかに告げている。だが、一転して院長室の扉を外れるかの勢いで開いていた。
「エリザ、どうしたというの?」
「アフルの姿が見当たりません!」
その声にフィレスも思わず固まってしまっている。そんな彼女に、エリザは子供たちが見つけたことを告げていた。そのまま、二人は薬草棚の前に走っていく。
「ほ、ほんとうだわ……いつのまに……」
「この前、収穫作業中に怪我をした村人がいましたので、その時に……」
「そのあと、薬草は?」
「本日、果物を採りに行く予定でしたので、その時にと思いまして……」
エリザの声にフィレスは何も言うことができない。彼女の言っていることは当然のことだからだ。ただ、あまりにもタイミングが悪かった。そう思った二人は互いに顔を見合わせると、急いで森に入る準備をしているのだった。
◇◇◇
フィレスとエリザが森に入ろうとしていた時、アフルはその森の中を闇雲に走っていた。背後からは何かの気配を感じる。だが、後ろを見ても何もない。そのことに恐怖を感じたアフルは森の奥へと入ってしまっていた。
彼女が迷い込んだ場所は、森の奥にぽっかりと開いた場所。風がそよそよとそよぎ、小鳥が歌っている。薬草を採りに来たのを忘れたように、アフルは表情を明るくしていた。その彼女の口から、聞こえるか聞こえないかの響きでファクリエル讃歌が漏れている。
それは、女神を讃える歌。彼女以外の神々は、人に愛想を尽かしてこの世界を離れてしまった。しかし、ファクリエルのみが人を愛し、この世界に残っている。そのことに感謝し、彼女に捧げられる歌。
アフルの静かで柔らかな歌声。それがあたり一面に響いている。いつもであれば、伴奏を付ける楽器。そして、他の修道女の声。それらが混然一体となり、重厚で厳粛な讃歌を奏でている。
しかし、今日はアフルの声のみ。その響きは柔らかな中に、どこか力を宿しているように聞こえる。そして、その声に引き寄せられるかのように、森に住む動物や小鳥が近寄っていたのだ。
だが、それは信じられない光景。なぜなら、滅多に見ることのできない珍しい動物までもが、アフルのそばにやって来ている。そして、その光景はアフルの姿を求めて森の中にやってきたフィレスとエリザの目にも映っている。
「院長様……あれは……」
(やっぱり、だったのね……)
どこか呆然とした様子のエリザ。そして、フィレスは何かを思い出したような表情になっている。本来なら、アフルに声をかけないといけない。だが、この場でそれをするのは神への冒涜になるのではないか。そんなことを思わせる光景が広がっている。
だが、その空気を震わせるものが姿を現していた。ガサリと音がして草が揺れるのを見たエリザの顔が引きつっている。
「院長様……ど、どうしましょう……」
震えるエリザの手が示す先にいるのは村人の言っていた野犬の群れ。ちょっと数えただけで10頭はいるだろうか。思わずフィレスも背中に冷たいものが流れるのをとめられなかった。
だが、野犬たちは彼女たちに近づいてこない。アフルの歌うファクリエル讃歌に引き寄せられるかのようにじっとしている。
「院長様、野犬があんなにおとなしくなるなんて、考えられませんわ」
「そ、そうね……こちらには気が付いていないようね」
あたりに気づかれないようにひそやかに話をする二人。そんな二人に気が付かないのだろう。アフルの歌は低く高く続いていく。
小鳥は枝に止まり、鹿やウサギは静かに近寄ってくる。そんな中、野犬は尻尾を丸め、静かに伏せをしていた。
その光景はにわかに信じられることではない。そして、フィレスがアフルに近寄ろうとした時、足元の小枝をパリンと踏んでいた。
途端に、動物たちが動きを始める。小鳥は飛び立ち、鹿とウサギは跳ねて逃げる。野犬はどこか毒気を抜かれたようにのっそりと動いて、その場から離れていた。
「……一体、何があったの?」
エリザは目の前の光景に震えることしかできない。そして、フィレスはゆっくりとアフルに手を差し出していた。
「……アフル」
その声に、夢から覚めたような表情をアフルは向ける。そして、泣きそうな声でフィレスにこたえていた。
「院長様……私、また、やってしまいました」
その言葉の意味がフィレスにはわからない。そして、アフルは涙を浮かべることしかできなかった。




