第2話
朝の鐘が鳴り終わった修道院は、一日の始まりらしい賑わいに包まれていた。礼拝を終えた子どもたちは、朝食を待ちきれないように庭を駆け回り、修道女たちは洗濯や掃除の支度に追われている。
そんな中、一人の子どもが宝物のように目を輝かせながら、アフルのもとへ駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、おはよう!」
「おはよう。今日も元気ね」
「うん。ねえ、今日は森に行くんでしょう?」
「その予定だけど、どうかした?」
すっとアフルがしゃがみこんで子供の目を見る。そんなアフルの修道服の袖を子供はぎゅっと握りしめていた。
「えっとね……その時、一緒に行きたいなって」
「あら、どうしましょう。私だけでは決められないわ」
「どうして?」
「この前は一緒に行ったよ」
アフルの返事に子供たちは口々に言い返す。そんな子供たちの頭を優しくなでながら、アフルは応えていた。
「森には遊びに行くんじゃないんだもの」
「えーっ」
「木の実、いっぱい採るのに」
「それに、お姉ちゃんと一緒がいいの!」
不満げに口をとがらせる子供たち。その様子を見ていた年長の修道女が苦笑しながら近寄ってきた。
「また、困らせているの?」
「エリザ様。子供たち、お仕事だっていってもわかってくれなくて……」
アフルの困ったような表情に、エリザはくすりと笑った。
「それだけ、あなたが人気者なのよね。いいことじゃない」
「でも、今日はほんとにお仕事なんですもの」
アフルの声に子どもたちはそろって頬をふくらませる。そのことに困ってはしまうが、だからといって、流されることもない。
なんといっても、木の実が色づくこの季節は修道院にとって大事な仕事がある。それが、保存食を作るための果物を、森へ採りに行くこと。もちろん、遊びではない。大人たちが周囲に気を配りながら行う、大切な仕事だった。
当然、エリザもそのことを知っている。だからこそ、彼女は大きく手をパンパンと叩きながら子供たちに言い聞かせていた。
「あなたたちがアフルと一緒に行きたいって言ってくれるのは嬉しいのよ。でもね、今日は冬の砂糖漬けのための果物を採りに行くの」
「あの、あまーいやつ?」
「そうよ」
「だったら、お手伝いできるよ」
目的が分かったことで、子供たちの勢いはますます強くなっていく。そのことにたじたじとなってしまうエリザ。アフルに「助けなさいよ」という視線を向けるが、そのアフルも子供たちにもみくちゃにされている。
「ねえ、お姉ちゃん。果物採りに行くなら、いい場所教えてあげる」
「うんうん。この前、村のおじいちゃんに教えてもらったとっておきがあるんだ」
もうこうなったら、子供たちを止めることはできないのではないか。アフルとエリザがそう思ったとき、バタバタと駆け込んでくる足音が響いた。
「院長様はおいでですかい?」
息を切らした村人だった。額には玉のような汗が浮かび、乱れた前髪を何度も手の甲でぬぐっている。いつもなら身なりをきちんと整えて修道院を訪れる男が、今日は上着も土埃にまみれたままだった。その姿を見たエリザの表情から笑みが消える。
「何かあったのですか?」
ふだんとは違う相手の様子に気が付いたエリザが鋭い声をかけていた。
「朝、早くから、すんません。実は、村の若い衆が、森に野犬が集まってるのをみたって!」
その声に、「お姉ちゃん!」「一緒に行く!」と騒いでいた子どもたちの声が、嘘のように止む。
頬をふくらませていた子も、不安そうにアフルの袖を握り直す。庭を走り回っていた子どもたちも、いつの間にかその場へ集まり、大人たちの顔を見上げていた。
「今の話を詳しく聞かせてください。エリザ、まだ誰も森には行っていませんね」
「はい、院長様」
男の叫び声が聞こえたのだろう。修道院の中からフィレスが姿を見せる。その姿とエリザとのやりとりに、男は安心したような表情を浮かべていた。
「よかったぁ……今日は、森に行くって話、耳にしたもんだから……」
心底、安心したのだろう。額の汗を男はまたぬぐっている。と、その時に自分の格好にも気が付いたのだろう。ちょっと焦ったような表情になってもいた。
「す、すんません。こんななりで来ちまって!」
「いいのですよ。それだけ、急いで知らせに来てくださったのですから」
「さ、さいですか?」
「ええ。もうすぐ、森に行こうとしていましたもの。知らずに入っていたらどうなっていたか……」
その声に男も大きく頷いている。その姿に、フィレスは「台所で一休みしてね」と声をかけているのだった。
◇◇◇
村人の知らせに、修道院は騒然となっていた。ただ、幸いなことに早い時間だったおかげで誰も森に入っていない。そのことを確認したフィレスは大きく息を吐いていた。
「お疲れ様、エリザ。これで一安心だわ」
「さようでございますね。台所の者が森に入ったかと思っていましたが、まだでしたし」
エリザの声に、フィレスは頷いている。そのまま、お茶を淹れたカップに手を伸ばすと、それ以外のことを訊ねていた。
「子供たちの様子は? アフルと一緒に森に行くとか騒いでいたわよね」
「はい。ただ、あの子たちも危ないことはわかっています。ちょっと膨れた子はいましたが、全員、部屋に戻っています」
「そう。だったらよかったわ」
そう言うと、彼女は思い出したように言葉を続ける。
「そうそう、エリザ。子供たちに先日いただいた砂糖菓子を一つずつ渡してね」
「よろしいのですか? あれは……」
思わず驚いたような声を上げるエリザ。だが、フィレスは気にも留めない様子でお茶を飲む。
「子供たちの楽しみを取り上げたのよ。お詫びは必要でしょう?」
「そうですね。では、そのように手配させていただきます」
そう言って、フィレスの前を下がるエリザ。その頃、アフルは森への果物採集が中止になったことで、片づけをしていた。その視線がふと薬草を入れている棚に向いている。
「あら? 切り傷用の薬草がなくなってる……たしか、野犬が出たって言ってたわよね……」
アフルは薬棚の前に立ったまま、小さく息をつく。切り傷用の薬草は修道院では欠かせないものだ。子どもが転んだ時も、畑仕事で手を傷つけた時も、いつも当たり前のように使われている。収穫期が続いたせいだろうか。薬棚には、最後の一束すら残っていなかった。
「もし、村の人が野犬に襲われたら……」
思わず口からこぼれた言葉に、自分で驚くように唇を結ぶ。そんなことにならないのが一番だ。それでも、万が一ということはある。怪我をした人が運ばれてきた時、薬草が足りないせいで手当てが遅れるようなことだけは避けたかった。
フィレス様に相談したほうがいい――そう思わなかったわけではない。けれど今は修道院中が野犬の知らせで慌ただしく動いている。薬草のことまで気づく人はいないだろう。だったら、自分が少しだけ行って、少しだけ摘んで帰ってくればいい。
(確か、薬草は……森の入り口近くに生えていたはず……)
森に野犬が集まっているのは知っている。でも、入り口近くなら大丈夫ではないか。そう思ったアフルは薬草摘みに使うかごを手に取っていた。
「薬草がないと困る人が出るかもしれない。大丈夫、森の奥には入らないんだもの。それに、すぐに帰ってくれば、問題ないわ……」
そう呟くと、アフルは薬草摘みのかごを抱えたまま、修道院の人々が慌ただしく動く隙を縫うように、そっと裏門を抜けていった。




