第1話
今の彼女の暮らしを見て、人は『不幸』というのかもしれない。けれど、それを決めるのは他人ではない。幸せか、不幸か。それは、本人だけが決められるものだった。
たしかに、かつての彼女は絹とレースで彩られていた。しかし、今の彼女が纏うもの。それは、絹でもレースでもない。飾りも何もない、質素で実用的な修道服。
「アフル。どうして、そんな道を選んだの」
まるで、彼女が選んだことを否定するような声。しかし、それにアフルが応えることはない。彼女はただ、静かに微笑んでいるだけ。
そして――
いつものように、子供たちの輪の中にアフルの姿はあった。ここに集められているのは身寄りのない子供たち。修道院はそんな子供たちの生活の場でもあるのだった。
「さ、今日もファクリエル様にお祈りしましょうね」
「アフルお姉ちゃん、どうして?」
そんな子供の声にアフルはニッコリと笑っている。そのまま、目線をあわせるようにしゃがむと、その子の手を握っていた。
「ファクリエル様は、わたしたちを見守ってくださっている神様ですもの」
「そうなの?」
「ええ」
「だったら、どうして、お父さんとお母さんを取って行っちゃったの?」
泣き出しそうな子供の声に、アフルの表情もこわばっている。だが、彼女はその子供を抱きしめるようにして言葉を紡いでいた。
「うん、どうして、って言いたくなるわよね。でも、それでもなの」
「わかんない」
「すぐにわからなくてもいいわ。そのうちにわかるから。だから、今はお姉ちゃんと一緒にお祈りしよう?」
そう言うと、立ち上がり子供の手を引いていくアフル。別の日には、沢山の洗濯物を抱えて歩く姿もあった。そんな彼女をみつけた修道院の院長であるフィレス。彼女は洗濯物を抱えてフラフラしているアフルに、温かな声を掛けているのだった。
「アフル、いつもご苦労様」
「院長様、そんなことはありません。これは、私の仕事ですもの」
抱えた洗濯物の横から顔を出し、返事をするアフル。その髪が光に透け、青い瞳は穏やかな光を浮かべている。人目を引くことが間違いない容貌。だが、修道服に身を包む者に、そのようなことは関係ない。
「あ、院長様。ちょうどよかったです」
「何か用かしら?」
改めて声をかけられると、一瞬、たじろいだようになる。でも、アフル自身が言いたいことがあったのだろう。持っていた洗濯物を足下に置くと、まっすぐにフィレスの顔を見ているのだった。
「院長様。いつになったら、私を正式な修道女にしてくださるのですか」
アフルの問い掛けにフィレスは返事をしようとはしない。そんな彼女に、アフルは再度、詰め寄っていた。
「私がここに来てから、2年が経とうとしています」
「……もう、そんなになったのね」
どこか感慨深げなフィレスの声。だが、アフルはそんなことは関係ないというように言葉を強くしていた。
「そうです。2年です。同じ時に見習いとして入った仲間は、みんな修道女になっています」
「そうね。普通なら、2年ほど修行して、修道女になるものだわ」
穏やかに続くフィレスの言葉は、ゆったりとしている。それに対して、アフルはいら立ちを隠せないようになっていた。
「それなら……どうして、私は、まだ、見習いなのですか!」
血を吐くような叫び声。胸元で組まれた指先は力が入りすぎているのか白くなっている。そんな彼女に、フィレスは調子を変えずに問いかけていた。
「アフル、それならば私からも訊くわ。まだ、気持ちは変わらないの」
フィレスの言葉に隠された思い。それをアフルは敏感に感じ取っている。一瞬、うつむきかけた彼女だが、次の瞬間にはフィレスの顔をじっと見つめていた。
「院長様、お言葉はありがたいです。しかし、私の気持ちは変わりません」
「……そうなのね」
先ほどの激情がスッと引いたアフルの声。それにフィレスはどこか力なくこたえている。そんな彼女に、今度はアフルがおずおずと訊ねていた。
「あの……ひょっとして、私がここにいることが、院長様方のご迷惑となるのでしょうか」
おろおろとした表情になりながら問いかけるアフルの姿。それに対して、フィレスはニッコリと笑いながら言葉を返していた。
「いいえ、そんなことはないわ」
「よかったです……」
「でもね。本来であれば、あなたはここにいるべきではない。そのことも、わかっているのでしょう」
フィレスの声は、アフルを咎めるものではない。そのことがわかっているのだろう。彼女は「……わかっております」と口籠ることしかできない。
フィレスが言いたいことはわかっている。そして、そのことが当然だろうというのもこの2年で気が付いてきた。しかし、アフル自身がどうしても、それを承知することができない。
「院長様、私はここにいたいです。ここで、修道女として生きていきたいです」
「アフル……」
アフルの気持ちはわからないでもない。そう言いたげな表情が、フィレスの顔には浮かんでいる。それを目にしたアフルは言葉をいいつのる。
「院長様。わたしの願いは、許されないことでしょうか」
丁寧に櫛けずられた金髪が光に透ける。青い瞳に浮かぶのは不安と懇願の色。口からもれる声には、どこか必死な響きもある。それに気が付いたフィレスは、慈愛の表情ともいえるものを浮かべている。
「あなたがここにいる。そのことは、私が認めている。だから、気にする必要はないの」
「……院長様!」
フィレスの声にアフルの表情が一瞬で明るくなる。そんな彼女を見ながら、フィレスは静かに言葉をつづける。
「でも、忘れちゃいけないこともあるはずよ。あなたにはやることがあるはずだわ」
「……そう、かも……しれません……」
フィレスの言葉に、アフルは思わず首を垂れている。どう返事をすればいいのだろう、と悩むような表情。そんな彼女をみたフィレスは、気分を変えるかのように別のことを話していた。
「それはそうと、またファクリエル様に捧げる讃歌をお願いしてもいいかしら」
「あ、はい。いつでも大丈夫です」
「よかったわ。あなたの讃歌はいつ聴いても気持ちがいいもの。ファクリエル様も喜んでいらっしゃるわ」
「だったら、嬉しいと思います」
フィレスの言葉に、ちょっとはにかんだような表情を浮かべるアフル。そこは先ほどまでの激情が少しも感じられない。その姿に、フィレスは大きく安堵の息を漏らしていた。
フィレスは静かに目を伏せる。だが、その表情に浮かぶ憂いが消えることはなかった。
そんな時、一緒に暮らしている子供たちの一団がやってくる。彼らはアフルの姿を見つけると、嬉しそうに近寄ってきた。
「お姉ちゃん! 今から礼拝堂に行こうよ。大きいお姉さんがお歌を一緒に歌おうって」
「そうなのね。院長様、わたし、礼拝堂に行ってきますね」
そのアフルの声にフィレスは静かに頷く。そして、子供たちは嬉しそうにアフルと手をつなぐと、礼拝堂へと向かっていた。
やがて礼拝堂から、静かな讃歌が様々な声の色で流れ始める。その中でひときわ澄んだ歌声は、間違いなくアフルのもの。子どもたちを、修道女たちを、この修道院で暮らすすべての人を、優しく包み込んでいく。
フィレスは耳を澄ませる。その歌が美しいことを、誰よりも知っているからこそ――彼女は静かに目を閉じた。




