第4話
王都の空は抜けるような青空が広がっていた。だが、それは夏の暑さを感じさせるものではない。実りの秋と言われる豊かな青が空一面に広がっていた。
そんなある日、アフルはいよいよアルディア女伯爵としての一歩を踏み出そうとしていた。
「ローラン様、マルグリット様。今まで本当にありがとうございました」
「そんなこと言わないの。これからも、遊びに来るのよ?」
「そうよ、アフルさん。リオンもルカもあなたの歌を楽しみにしているんだから。絶対に遊びに来るのよ」
マルグリットとセシリアは、アフルを抱きしめながらそう言っている。その後ろからはローランが穏やかな声で話しかけていた。
「アルディア伯爵。これからは、同じ伯爵としてお付き合いさせていただきたい」
「……ローラン様」
思いもよらぬ言葉に、アフルは戸惑いの表情を浮かべる。そんな彼女を見て、ローランは穏やかに微笑んだ。
「なに、こんな年寄りだからこそ、相談相手にもなろうというもの。さすがに、まだユリウスでは荷が重かろうて」
「父上……それでは私の立つ瀬がありません」
ユリウスの声に、その場にいた人々の明るい笑い声が重なる。その声に送られるように、アフルは馬車へ乗り込んだ。
その日――。
見習い修道女アフルとして生活していた彼女は、アルディア女伯爵アフルとしての一歩を踏み出したのだった。
◇◇◇
「エリアス室長、質問よろしいでしょうか?」
「なんでしょうか、アルディア女伯爵様」
アルディア家の一室。かつて、アンリが使っていた執務室をアフルが使う。その机の上に広げられているのは、アルディア家が保管していた古文書と系図。
部屋の片隅にいるのは、侍女長であるステラ。彼女はこの場にアフルがいることに、喜びの色を隠すことができないようだった。そして、アフルと同じ机をはさんでいるのは教会記録室室長であるエリアス。
だが、彼から女伯爵と呼ばれることに、アフルはどこか居心地が悪くなっていた。だからこそ、おずおずと話を切り出している。
「エリアス室長……アフル、と名前で呼んでいただけませんか?」
アフルの申し出にエリアスは片眉を上げている。
「そうですね……では、私のことも室長と呼ぶのはやめていただけますか?」
その声に、アフルはどうしようという表情を浮かべている。だが、よく考えてみれば、お互いが立場で呼び合っているのだ。それなら、自分だけ名前で呼んでもらうわけにはいかない。そう思ったアフルは、思い切って口を開いていた。
「で、では……エリアス様」
「はい、アフル様」
ようやく、エリアスの口調が穏やかなものになった、と感じたアフルはホッと安心したような息を吐いていた。そのまま、自分が気が付いたことを告げている。
「わたし、いろいろ教えていただいて考えたんです。私以外にも呪歌を歌える貴族の方はいらっしゃるはずです。その方は、そのことを隠さないといけないんでしょうか?」
アフルの問いかけにエリアスは系図を横にやりながらゆっくりとこたえている。
「そうなりますね」
「でも、おかしいじゃないですか! 私も呪歌を歌います!」
「でも、あなたは『慈愛の聖女』でもあらせられます」
エリアスの声にアフルはギュッと唇をかんでいる。その口からはかすかな声が漏れてくる。
「でも……それでは、その人たちは救われません」
「では、あなたはどうなさりたいのですか?」
エリアスの静かな問いかけに、アフルは思わず息をのんだ。
自分は何を望んでいるのか。その答えは、王城で家系図を見た時から変わっていなかった。
「……私は、その方々を救いたいのです」
震える声だった。それでも、その瞳だけはまっすぐエリアスを見つめている。
「呪歌を歌えるというだけで苦しまなくてもいいように。その方たちが、自分らしく生きていけるようにしたいんです」
しばらくの沈黙が部屋を包む。やがてエリアスは小さく頷いた。
「そのお言葉を聞くことができて安心いたしました」
穏やかなその声に、アフルは思わず目を丸くする。
「それならば、私も教会の一人として、お力添えいたしましょう」
◇◇◇
エリアスとの話を終えたその日の午後、アフルは吟遊詩人ギルドへと足を運んでいた。
受付にいた職員は、女伯爵が訪れてきたことに緊張と戸惑いを隠せない。
「あ、あの……アルディア女伯爵様……ご用がおありでしたら、こちらからお伺いいたしましたのに……」
冷や汗を流しながらそう告げる職員に、アフルは満面の笑みで応えた。
「そんなふうにおっしゃらないでください。相談したいことがあるのです。お願いする立場なのですから、こちらから伺うのは当然でしょう?」
「そ、それは……そうなのかもしれませんが……」
どうすれば、この女伯爵を説得できるのだろう。
受付の頭の中には、そんな思いしか浮かんでこない。そんな時、背後から明るい声が飛んできた。
「気にするなって」
「レオン様……」
「この女伯爵様は、そんなこと気にするようなお方じゃない。もっとも、ギルドに貴族家の当主が来ること自体、まずねぇけどな」
「そ、そうですよ!」
レオンの言葉に、受付は大きく頷く。一方、アフルは不思議そうに首を傾げていた。
「でも、レオンさん。お願いがあるのは私なのですよ。それなら、私が伺うのが当然でしょう?」
「なるほどな。あんたにとっちゃ、それが当たり前か」
レオンの言葉にアフルは素直に頷く。一方の受付は、もはや何も言えずに立ち尽くしていた。そんな職員へ、レオンは気さくに声をかける。
「じゃあ、この伯爵様をギルド長のところまで案内してくる。俺たちの分の茶と菓子、頼むな?」
「は、はいぃぃ……」
職員の引きつったような返事を背に、レオンはアフルを伴ってギルド長の執務室へ向かっていった。
執務室では、アリオンが山積みになった書類に囲まれながら仕事をしている。その隣には、顧問となったオズワルドの姿もあった。
その光景を目にしたアフルは、どこかほっとしたような表情を浮かべる。
「アリオン、お邪魔します。オズワルド様もお変わりないようで安心いたしました」
「アフル、ちょっとその辺に座ってて。」
「アリオン、伯爵殿にそれはないだろう?」
二人の関係を知るオズワルドは、あえて苦言を呈する。だが当のアフルはまったく気にした様子もなく、勧められた椅子へ素直に腰を下ろした。
やがて仕事に一区切りつけたアリオンも席を立ち、事務員が用意した紅茶を囲んで向かいに座る。
「わざわざ来なくてもよかったのに」
その言葉に、アフルはくすりと笑った。
「受付でも同じことを言われました」
そう答えると、紅茶を一口飲み、静かにカップを置く。
「でも、お願いがあるのは私なのです。それなら、私が伺うのが当然でしょう?」
アリオンは苦笑しながら肩をすくめた。
「……それで、今日は何の相談?」
アフルはまっすぐアリオンの目を見つめる。
「わたし、いろいろ考えたんです。きっと、これからも、わたしみたいに呪歌を歌える人が貴族の中に現れると思うんです」
「……それは、否定できないね」
「だから、その方たちが望んだ時には、手を差し伸べられるようにしたいんです」
アフルの言葉に、アリオンとレオンは思わず目を見開く。傍らにいたオズワルドも、感極まったように手を震わせていた。
「それって……アルディア家が呪歌うたいを保護するってこと?」
「保護だなんて、大それたことではありません。安心して過ごせる場所になれたら、それでいいんです」
「それが……保護、なのではありませんか?」
オズワルドが静かに言葉を挟む。
アフルは小さく首を振り、自分の思いをゆっくりと言葉にした。
「わたし、アリオンやレオンさんに救われたんです。そして、ちゃんと教えていただくことが、どれほど大切なのかも知りました。
だから、アルディア家は居場所を作ります。
その代わり、ギルドには、その方たちへ歌を教えていただきたいんです。
わたしは……アルディア家が、その方たちにとって帰ってこられる家になれたら、それだけで十分なんです」




