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呪歌と姫君  作者: Aldith
第5章 未来へ続く歌

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第3話

その日のジェミニ伯爵家の一室は、色とりどりの布地で埋め尽くされていた。柔らかな絹や上質なレースが机いっぱいに広げられ、その隣には大小さまざまな宝石が並べられている。

部屋の中央では、王都でも評判のデザイナーが何枚ものデザイン画を前に腕を組み、真剣な表情で頭を悩ませていた。


「マルグリット様、セシリア様……これは、どういうことなのでしょうか?」


布地と宝石に囲まれたアフルは、困ったように二人を見つめる。どうして自分がこんな場所へ連れてこられたのか、まったく理解できていないようだった。そんな彼女に、マルグリットとセシリアは顔を見合わせると、穏やかに微笑んだ。


「あなたの今シーズンのドレスを仕立てますのよ」

「ええ。それも一着では足りませんわ」


その言葉に、アフルは目を丸くする。


「で、ですが……ドレスはたくさん作っていただきましたわ」


必死に訴えるアフルへ、マルグリットはまるで聞き分けのない子どもを諭すように優しく声をかけた。


「今までのお支度は、王宮へお連れするための急ごしらえでしたもの」

「これからは違います」


そう言って、マルグリットはアフルの肩へそっと手を置く。


「あなたはアルディア伯爵家の当主として、多くの方々の前に立つことになります。昼のお茶会、夜会、音楽会、教会の式典――場にふさわしい装いを整えることも、当主としての務めなのですよ」

「そ、そんなに必要なのですか……?」

「もちろんですわ」


即座に頷いたのはセシリアだった。


「季節によって流行も変わりますし、昼と夜では装いも異なりますもの。あら、こちらのお色も素敵ですわ。少し合わせていただけます?」

「はい、セシリア様」


デザイナーが淡い青の布地をアフルの肩へそっと当てる。


「こちらもお似合いですが……銀糸の刺繍を入れるのでしたら、こちらの藤色も捨てがたいですね」

「確かに。それなら真珠も映えますわ」

「いえ、アフル様でしたら青も素敵かと……」


三人の会話は、いつの間にか完全に盛り上がっていた。


「あ、あの……」


当の本人だけが、完全に置いていかれている。その時、部屋の扉が静かに開いた。


「おや、まだ終わっていなかったのか」


姿を見せたローランに、アフルの表情がぱっと明るくなる。


「ローラン様!」


助けを求めるような視線を向けられたローランは、一瞬だけ事情を察したように苦笑すると、小さく肩をすくめた。


「諦めなさい」

「え?」

「こうなった婦人方に男のできることは何もない」


そう言い残すと、ローランは静かに扉を閉めて去っていった。


「そんな……」


小さく肩を落とすアフルをよそに、部屋の中では再び布地と宝石が広げられていく。


「では、このドレスにはこちらの髪飾りを合わせましょうか」

「ええ、それなら昼のお茶会にもぴったりですわ」


こうしてアフルの長い一日は、まだ始まったばかりだった。



◇◇◇



数週間後――


「まぁ……」


思わずマルグリットが微笑みを浮かべる。仕立てたばかりの淡い青のドレスに身を包んだアフルは、鏡の前で落ち着かなさそうに裾を見つめていた。


「やはり、よくお似合いですわ」

「ええ。本当に」


セシリアも満足そうに頷く。


「今日はこのまま、お茶会へ参りましょう」


マルグリットの言葉に、アフルはひきつったような表情を浮かべている。そのまま、彼女は二人に連れられて、初めてのお茶会に参加しているのだった。


「まぁ、マルグリット様ではございませんこと?」

「セシリア様もご一緒ですのね。ご機嫌よろしゅう」

「こちらこそ、ご招待ありがとうございます。


お茶会の会場でにこやかに挨拶を交わすマルグリットとセシリアの陰で、アフルは小さくなっている。そんな彼女の姿を目ざとくみつけた夫人の一人が興味をもったように声をかけてきた。


「マルグリット様。ずいぶんとお若いお嬢様をお連れですのね?」

「ご紹介しますわ。彼女はアルディア伯爵家の後継と陛下から認められたアフル・アルディアですの」

「まぁ、この方が?」

「可愛らしい方ね」

「ずいぶんお若く見えますのね」


マルグリットの紹介に婦人たちのさんざめきが起こる。その勢いに、思わずアフルは尻込みしかけているようだった。そんな彼女の様子にセシリアが苦笑を浮かべている。


「アフルさん、逃げなくてもいいのよ」

「で、でも……セシリア様……」


マルグリットの後ろで二人はコソコソと喋っている。そんなアフルの姿に、先日の王の宣言を思い出した夫人がいる。彼女は興味深そうにアフルの姿を上から下まで眺めていた。


「先日のお話は聞いておりますわ。このお嬢さんが陛下の前で歌を披露なさったの?」

「ええ、そうですわ。陛下からは大変、温かいお言葉をいただきましたの」

「そんなに……では、その歌をお聞かせ願えないかしら?」


その声にアフルが少し緊張したような表情を浮かべる。そんな彼女に、マルグリットが穏やかに声をかけ、セシリアがそっと背中を押す。二人の顔を見たアフルは、息を整えると、そっと歌を紡ぎだしていた。

細いが澄み切った声が青空に響いていく。その声に誘われるように、あちらこちらから小鳥が舞い降りてきた。その様子に、お茶会に参加していた夫人たちの驚いたような声が響く。


「小鳥がこんなに……」

「あのお嬢さんの肩にも止まっているわ」

「こんなことって、あるんですのね……」

「慈愛の聖女って、こんな感じだったのかしら?」


一人の婦人が思わず漏らした『慈愛の聖女』という言葉。その呼び名は、その日のお茶会をきっかけに、瞬く間に王都の社交界へと広まっていく。

社交界だけではない。アフルは教会でもファクリエル女神へ讃歌を奉納していた。澄み渡る歌声に、小鳥たちが静かに集まってくる。その光景を見守っていたアリオンとレオンは、顔を見合わせて小さく息を吐いた。


「……鳥だけだな」

「ああ、鳥だけだ」


二人は思わず苦笑する。王城での出来事を知る彼らにとって、それだけで十分に安心できる光景だった。

やがて、その評判は社交界だけでなく王都中へと広がっていった。そして数日後――。

アルディア家再興を祝う授爵式が王城で執り行われる。王族をはじめ、王都の有力貴族が列席する大広間は、厳かな空気に包まれていた。

淡い青のドレスに身を包んだアフルは、静かに王の前へと歩み出る。緊張で胸は高鳴っていたが、その足取りだけは不思議と揺らぐことはなかった。

王は玉座から一歩前へ進み、静かにアフルを見つめた。その表情は国王としてではなく、一人の年長者が未来を託す少女を見守るような穏やかさを帯びている。


「最近、社交界で『慈愛の聖女』と呼ばれておるようだな」

「もったいないお言葉です」


アフルはそう返事をすることしかできない。そんな彼女に、王は穏やかな表情でこう告げていた。


「いや。余が見たものもまた同じであった。

アルディア伯の歌は、人の心を癒やし、小さき命を惹き寄せる。建国以来伝わる『慈愛の聖女』の名に、これほどふさわしい者はおるまい。

ゆえに余は、その呼び名を正式な称号として認めよう。」


まだ、「アルディア伯」と呼ばれることには慣れていない。それでも、自分はもう修道院で暮らす少女ではない。アルディア家を継ぐ者として。そして『慈愛の聖女』の名を受け継ぐ者として。アフルは胸の前で静かに両手を重ねる。修道院で過ごした日々も、失った家族との思い出も、これから歩む未来も、そのすべてを胸に刻みながら。

そして彼女は、まっすぐに顔を上げた。

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