第2話
アリオンから新しい吟遊詩人ギルドの話を聞かされたアフルは、その後もしばらく黙ったままだった。
ギルドは変わった。オズワルドは顧問となり、アリオンが新たなギルド長を務める。そして、ギルバートも一人の構成員としてギルドへ残る道を選んだ。
それは、四年前の事件を知るアフルにとっても、思いもよらない結末だった。だが、その話を聞けば聞くほど、一つの思いが胸の中で大きくなっていく。
(このままでは、また同じことが繰り返されるかもしれない……)
呪歌が危険なものだという誤解は、まだ世の中に残っている。その誤解がある限り、自分と同じように苦しむ人が現れるかもしれない。その日の夜、アフルはローランとユリウスへ、自分の考えを静かに打ち明けていた。
「わたし……王様にお願いしたいことがあります」
穏やかな口調だったが、その瞳には確かな意思が宿っている。
「一年かけて調べてくださったことを、皆さまへ伝えていただきたいのです。呪歌のことも、『慈愛の聖女』のことも……そして、吟遊詩人ギルドが変わったことも」
その言葉を聞いたローランは静かに頷く。
「なるほど。それが君の望みなのだな」
「はい。もう、わたしのような人を生んでほしくありません」
その願いは、すぐに王宮へ届けられた。そして数日後――。
国王は改めてアフルたちを王城へ招いていた。今回集められたのは、アルディア伯爵令嬢アフルと後見人であるフィレス、ジェミニ伯爵ローラン。そして、新たな吟遊詩人ギルド長となったアリオンと、その補佐役を務めるレオンである。
一年にわたる調査の結論を、この国へ正式に示すための時が、ついに訪れようとしていた。
◇◇◇
宰相の声が貴族が集まる謁見の場に響いていく。
「国王陛下の命により、一年間にわたり、教会および関係各所と調査を進めてまいりました。その結果を、本日ここに正式にご報告いたします」
その声に集まった人々は「ついにか……」という表情を浮かべる。彼らも一年前のアフルが引き起こした奇跡ともいえる場に同席したのだ。結果が知りたいのは当然ともいえよう。そして、宰相の言葉を受けたエリアス記録室長が一礼をする。彼の傍らにある机に積み上げられているのを見たレオンがギョッとしたような表情を浮かべていた。
(な、なあ……あれって……)
(言うな、レオン。言ったら、現実になる)
謁見場の隅に控えているアリオンとレオンの動揺をエリアスは気にする様子もない。彼は机に置かれた羊皮紙を人々の目に見えるように高く掲げていた。
「こちらが教会保管の原家系図になります。この場におられる皆様もご承知の通り、建国以来、改変なく継承されてきた原家系図でございます」
エリアスの声に、貴族たちのどよめきが響く。そのどよめきの中、聖杖を手にした総司教が口を開く。
「教会は、建国以来の原家系図および古文書を精査した結果、『慈愛の聖女』と呼ばれる方がアルディア家の血筋であることを認めます」
そう告げた総司教はアフルにそっと視線を向ける。
「同時に、現在のアルディア伯爵令嬢アフル殿も、その正統な系譜を受け継ぐ者であることを、ここに認めます」
総司教の声を受けた王はゆっくりと玉座から立ち上がる。そして、王笏を床につくとしっかりとした声で宣言していた。
「教会の見解を受け、王家もこれを認める」
その声に、その場にいた者たちは一斉に頭を下げる。記録と教会が認め、王がそれを宣言した。そのことの重大さを誰もが理解しているからだった。そして、王はアフルに向かって穏やかに声をかける。
「アルディア伯爵令嬢、前へ」
その声に、驚いたような表情を浮かべるアフル。だが、そばにいるフィレスが背中を押したのだろう。ゆっくりと王の前に出ると丁寧に一礼をする。
「そなたの歌が、この国に真実をもたらした」
王からかけられた言葉は、アフルにとっては何よりのもの。思わず、涙がこぼれそうになるのをこらえた彼女は静かに頭を下げる。その光景に、静かではあるが大きな拍手が謁見場を満たしているのだった。
その拍手が静まるのを待って、王は静かに言葉を紡いでいた。
「一年に及ぶ調査により、一つの事実が明らかとなった」
静まり返る場に響くのは、王の声だけだった。
「現在、『まじない歌』と呼ばれている歌は、建国当初より伝わる『呪歌』そのものである」
人々の間に、小さなどよめきが広がる。
「長い年月の中で、その本来の姿は失われた。人々は祝福の歌として受け継ぎ、吟遊詩人ギルドは、その危険な側面のみを守り伝えてきた」
王はゆっくりと言葉を続ける。
「どちらも誤りではない。だが、そのどちらも呪歌のすべてではなかった」
王は一度言葉を切ると、アフルへ静かな視線を向けた。
「そのことを示したのが、『慈愛の聖女』である」
謁見の間が、再び静まり返る。
「建国以来、教会へ伝えられてきた記録には、歌によって人々を癒やし、小鳥を呼び寄せ、その生涯を人々へ尽くした一人の女性の姿が記されている」
王の声は穏やかだった。しかし、その一言一言には確かな重みがあった。
「長らく人々は、それを奇跡として語り継いできた。だが今回、教会の原家系図と古文書の調査によって、『慈愛の聖女』がアルディア家へ連なる血筋であり、同時に古代の呪歌うたいの系譜を受け継ぐ者であったことが明らかとなった」
王は玉座から一歩前へ進む。
「すなわち、『慈愛の聖女』は教会の奇跡ではない」
その一言に、誰もが息をのんだ。
「慈愛の聖女もまた、呪歌うたいであった」
その事実は、一年間に及ぶ調査が導き出した結論であり、建国以来続いてきた歴史の認識を改めるものでもあった。王の宣言を耳にした貴族たちは、誰一人として声を発することができない。
教会が奇跡として語り継いできた『慈愛の聖女』は、一人の呪歌うたいであった。それは、呪歌が災いだけをもたらすものではないことを、この国が正式に認めた瞬間でもあった。
謁見の間を包む静寂の中、王は静かにアフルへ視線を向ける。
「先ほど、総司教より、アルディア伯爵令嬢アフルが『慈愛の聖女』の正統な系譜を受け継ぐ者であると認められた」
王の声は穏やかでありながら、謁見の間の隅々まで力強く響いていく。
「王家もまた、その見解を受け入れる」
居並ぶ貴族たちは静かに頭を垂れた。教会が認め、王家が認めた。もはや、その血統に疑いを差し挟む者はいない。
王は居並ぶ貴族たちを静かに見渡した。異を唱える者は、一人としていない。王はゆっくりと王笏を握り直す。
「四年前の事件以降、アルディア家は王家預かりとして、その名と家督を守ってきた」
アフルは思わず顔を上げる。
「それは、正統なる継承者が再びその家を継ぐ日を待つためであった」
王は真っすぐにアフルを見据えた。
「一年にわたる調査の結果、令嬢アフルこそがアルディア家の正統なる継承者であることが確認された」
一拍置き、王は高らかに宣言する。
「よって本日をもって、王家預かりとしてきたアルディア家の家督を、アルディア伯爵令嬢アフルへ正式に返還する」
王笏が静かに床を打つ。重く澄んだ音が、謁見の間いっぱいに響き渡った。
次の瞬間――。
「おめでとうございます」
誰からともなく上がった祝福の声をきっかけに、謁見の間は大きな拍手に包まれた。その音を聞きながら、アフルは目の前が滲んでいくのを感じていた。
父と母が守り続けたアルディア家。失われたと思っていたその家が、今、自分のもとへ帰ってきたのだ。震える手を胸の前で重ねると、アフルは静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声は決して大きくはなかった。それでも、その一言には、亡き両親への想い、支え続けてくれた修道院の人々への感謝、そして新たな未来へ踏み出そうとする決意が込められていた。




