第5話
アフルはギルドで己の希望を口にした。その願いは、王家と教会にも迅速に伝えられていた。
五年前の事件で被害者となったアフルが、自ら同じ境遇の者へ手を差し伸べたいと願った。その決意は、王家にとっても教会にとっても見過ごせるものではない。まして彼女は、今や『慈愛の聖女』の称号を持つ存在だった。
ギルドへ相談を持ちかけてから、およそひと月。
王家と教会の関係者が一堂に会し、ギルド長アリオンと補佐役のレオン、そしてアフルも招かれていた。
それだけでも、この話し合いが国を動かすほど重要なものであることは明らかだった。
「それでは、アフル殿の提案について議論を始める」
宰相の落ち着いた声を合図に、会議が始まった。
アリオンは現在の吟遊詩人ギルドの状況を説明し、保護や育成の課題を一つひとつ挙げていく。それを受け、教会は修道院との連携について意見を述べ、王家も制度面での支援を約束した。
議論は長時間に及んだが、大きな反対意見は出なかった。
五年前の悲劇を二度と繰り返してはならない。
その思いは、その場に集った誰もが共有していたからである。
そして、いくつかの細かな調整を経て、一つの方針が決まった。
呪歌の才を持つ子どもたちの新たな居場所は、アルディア家が担う。
保護や生活面は教会が支え、教育は吟遊詩人ギルドが受け持つ。
王家はこの制度を正式に認め、必要な支援を行う。
こうして、五年前には存在しなかった新たな仕組みが、この日、国の制度として動き始めた。
「エリアス様、アリオン……ありがとうございました」
会議が終わり、関係者たちが席を立ち始めるなか、アフルは二人のもとへ歩み寄ると、深々と頭を下げた。
エリアスは穏やかな笑みを浮かべ、静かに頷く。隣では、アリオンが照れくさそうに頭をかいていた。
「アフル。気にする必要ないって」
不意に声をかけたのは、少し離れた場所でそのやり取りを見ていたレオンだった。
「レオンさん……」
「最初はアフルの願いだったのかもしれない。でもな、これで呪歌うたいは自由になれる」
アフルは、その言葉の意味をすぐには理解できず、小さく首を傾げる。
「自由……?」
レオンは小さく笑って頷いた。
「そう。俺みたいにギルドに縛られなくてもいい。自分のやりたいことをできる。呪歌が歌えることを隠さなくてもいい。それが一番大きいことなんだよ」
レオンの言葉に、アフルはまだ少し首を傾げていた。それでも、その表情は今までにないほど晴れやかなものになっているのだった。
◇◇◇
翌日の朝早く、アフルはフィレスのいる修道院へと馬車を走らせていた。一緒にいるのは、ここまで助けてくれたアリオンとレオン。女伯爵となったアフルをそれだけの人数で移動させるのは無理がある。しかし、アフルはあえて、この三人で向かうことに意味があるのだと感じていた。
「でも、ホントによかったのか、アフル?」
「はい、レオンさん。ローラン様にも納得していただきました」
「納得……というか、事後承諾じゃね?」
「かもしれませんね。昨日の夕方、お邪魔して、今日行ってまいりますとお伝えしましたから」
そう告げるアフルの顔は明るいもの。そこには、アルディア女伯爵ではなく、修道女見習いだったアフルとして赴くのだ、という表情も浮かんでいる。それを見たレオンは仕方がないな、という表情になっていた。
「おい、アリオン。お前はいいと思ってるのか?」
「いいんじゃない? アフルがやりたいようにするのが一番だと思うし」
「そうだった。お前ってそういうやつだった……」
初冬の澄んだ空気の中を馬車は軽快に走っている。修道院までは約一日の距離。けれど、その馬車の中に流れる空気は、どこまでも穏やかだった。
◇◇◇
朝から走り続けた馬車が修道院に到着したのは、午後も遅い時間だった。
初冬を迎えた修道院では、保存食づくりに追われる修道女たちが慌ただしく行き交っている。そんな中、一台の小さな馬車がゆっくりと門をくぐった。
「誰かしら……?」
見慣れない馬車に、修道女たちは手を止めて視線を向ける。
扉が開き、最初に姿を現したのは、顔なじみのアリオンとレオンだった。
「あら、アリオンさん?」
「レオンさんまで……?」
修道院に男性が訪れることは珍しい。それだけに修道女たちはざわめき、「院長様をお呼びして」と互いに声を掛け合う。
その時だった。
二人に続いて、もう一人の人影がゆっくりと馬車から降り立つ。
「……!」
誰なのかは、すぐにわかった。
けれど、その姿を目にした誰もが、言葉を失っていた。
そんな静寂を破ったのは、修道院の中から駆け出してきた子どもたちだった。
「アフルお姉ちゃんだ!」
「お姉ちゃん、お帰り!」
「待ってたよー。帰ってきたんだよね?」
その声に、アフルの表情が一気に明るくなる。
彼女は子どもたちの視線に合わせるように身をかがめ、両手を広げた。その腕の中へ、子どもたちは無邪気に飛び込んでいく。
「ああっ、お召し物が……」
その様子を見ていた修道女は、小さな悲鳴を上げることしかできなかった。
そこへ、修道院の奥からフィレスがゆっくりと姿を現す。
「アフル、お帰りなさい」
「院長様、ただいま戻りました」
子どもたちにもみくちゃにされながら答えるアフル。その姿を見たフィレスは、心から嬉しそうに微笑んだ。
その時、一人の子どもが待ちきれないように声を上げる。
「ねぇ、お姉ちゃん。歌って!」
その一言に、アフルは大きく頷いていた。
修道院では、子どもたちと一緒にいつも歌っていた。
けれど、心のどこかにはいつも不安もあった。
また呪歌が暴走したらどうしよう。
大切な人を傷つけてしまったらどうしよう。
そんな恐れだけが、最後まで消えずにいた。
隣にいたフィレスが優しく微笑み、少し離れた場所ではアリオンとレオンが静かに頷いていた。
そして、目の前には期待に満ちた子どもたちの笑顔がある。
アフルは小さく息を吸い込むと、子どもたちの顔を一人ひとり見つめた。
「……はい」
その返事だけで、子どもたちは歓声を上げる。
「やったー!」
「アフルお姉ちゃんの歌だ!」
無邪気な笑い声が修道院の庭いっぱいに広がっていく。
アフルはゆっくりと目を閉じた。
もう、自分の歌を恐れる必要はない。
歌は誰かを傷つけるためのものではない。
誰かの心へ寄り添い、笑顔を届けるためにある。
そう教えてくれた人たちがいる。
支えてくれた人たちがいる。
そして、今、自分を待ってくれる人たちがいる。
そのすべてへの感謝を胸に、アフルは静かに歌い始めた。
ファクリエル讃歌ではない、彼女自身が届けたい歌。
透き通るような歌声は、初冬の澄んだ空へと優しく溶け込んでいく。
やがて、小鳥たちが枝から枝へと舞い降りる。
木々の間では小さなリスが足を止め、修道院の庭には柔らかな風が吹き抜けた。
けれど、それを見て驚く者はもう誰もいない。
修道女たちは穏やかに微笑み、子どもたちは楽しそうに歌へ耳を傾けている。
その光景を見つめながら、フィレスは静かにつぶやいた。
「本当に、よかったわね」
誰に聞かせるでもない、その言葉にアリオンは小さく頷く。
レオンも照れくさそうに笑いながら、空を見上げていた。
歌は、もう誰も縛らない。
その日、修道院には子どもたちの笑顔と、一人の少女の歌声がいつまでも響いていた。




