第5話
アフルが王家の召喚状を受け入れると返事をした翌日。フィレスは実家であるジェミニ伯爵家へと連絡を入れていた。
本来であれば、修道院に入った時点で家との関係は断たれている。だが、今回の召喚状には『ジェミニ伯爵令嬢フィレス』と『アルディア伯爵令嬢アフル』と書かれていた。つまり、修道女の姿で王宮に入ることはできない。そのことを知っているフィレスは、実家に助けを求めるしかないと理解していた。
もっとも、その手紙を書きながら、彼女は一つだけ心配事を抱えていた。
(お母様が自重なさってくださればいいのだけれど……)
そんな願いを胸の内でつぶやく。しかし、その期待は、あまりにも早く打ち砕かれることになった。
修道院の廊下を、誰かが慌ただしく駆けてくる音が響く。バタバタと足音が近づき、執務室の扉が勢いよく叩かれた。
「院長様。失礼いたします!」
返事を待つ間も惜しかったのだろう。扉を開けたエリザは、申し訳なさそうに頭を下げていた。
「お返事を待たず、失礼いたしました」
「構わないわ。そんなに慌てて、どうしたの?」
「はい……ジェミニ伯爵家から荷物が届いております」
「寄進なら、いつもの場所へお願いすれば――」
フィレスは穏やかに答える。だが、エリザは何度も首を横へ振った。
「ち、違うのです! いつもの量ではありません!」
「そうなの?」
「荷車が……何台も来ております!」
その言葉に、フィレスは一瞬だけ目を閉じ、小さく息をついた。
(……やっぱり)
「院長様、どうか一度ご覧ください!」
エリザに促されるまま、フィレスは静かに立ち上がる。
その頃、アリオンとレオンは修道院の中庭で子どもたちと遊んでいた。王都へ向かう日程が決まるまでは、修道院へ滞在することをフィレスから許されている。召喚状を受けた以上、いつ動いても不思議ではない。二人もその時に備えて残ることを選んでいたのだった。
「アリオンさん! 院長様がお呼びです!」
修道女の声に、二人は顔を見合わせる。
「なんだ?」
「また何かあったのかな」
首をかしげながら執務棟へ向かう途中、妙な違和感を覚えた。
「……なぁ、レオン」
「うん」
「今日はやけに馬のいななきが聞こえないか?」
「俺も思ってた」
そのまま正門へ近づいた二人は、思わず足を止める。
「…………」
「…………」
そこには、修道院の門から外へ続く道いっぱいに荷車が並んでいた。
一台。
二台。
三台。
いや、それどころではない。何台もの荷車が列をなし、御者や使用人たちが忙しく木箱を運び出している。積み上げられた箱には、美しい銀色の紋章。双子星をかたどったジェミニ伯爵家の家紋が刻まれていた。
修道女たちは口を開けたまま立ち尽くし、子どもたちは目を輝かせて荷車を見上げている。
「すごーい!」
「お祭り?」
「違うよ! お姫様が来たんだ!」
そんな歓声があちこちから聞こえる。その横で、アリオンはぽつりとつぶやいた。
「……寄進って、こんな量だったか?」
レオンはしばらく荷車の列を眺めたあと、乾いた笑みを浮かべる。
「いや、国が引っ越してきたようにしか見えねぇ……」
そこへゆっくりと歩いてきたフィレスはその光景を一目見ると、小さく肩を落とした。そして、安堵したように小さくつぶやく。
「お母様……まだ自重してくださっているようね」
その一言を聞いたアリオンとレオンは、同時に振り向く。
「……これで?」
「これで、ですか?」
フィレスは何事もなかったように微笑んだ。
「ええ。きっと最低限しか送っていらっしゃらないわ」
その場にいた全員が、言葉を失った。
その時だった。
荷車の列の奥から、一人の老人がゆっくりと歩み出てくる。
背筋は年齢を感じさせないほどまっすぐに伸び、落ち着いた燕尾服姿には一分の隙もない。その佇まいだけで、この人物が長年ジェミニ伯爵家を支えてきた者なのだと誰もが理解できた。
「お久しゅうございます、フィレスお嬢様。」
「爺。あなたまで来たの?」
「当然でございます。」
老人は深々と一礼する。
「旦那様も奥様も、そして若奥様も、お嬢様からのお手紙を受け、大変お喜びでございました。」
「……ここまでしなくてもよかったのに。」
「何をおっしゃいます。」
老人は穏やかに微笑んだ。
「これでも奥様は、『修道院にご迷惑をお掛けしてはいけません』と、ずいぶん数を減らされたのでございます。」
「……お母様らしいわ。」
フィレスは小さく額へ手を当てる。そのやり取りを聞いていたアリオンとレオンは、同時に固まっていた。
「……なぁ。」
「なんだ。」
「フィレス様って……『お嬢様』って呼ばれる年か?」
「やめろ、レオン。」
アリオンは小さく首を振る。
「思っても口にしちゃいけないことってある。」
「だよな。」
二人は神妙な顔でうなずき合う。だが、その直後――
「こちらは旅装一式でございます」
「こちらは普段着」
「こちらは礼装」
「こちらは夜会用」
「こちらは装身具」
「こちらは靴」
「こちらは帽子」
「こちらは日用品でございます」
次々と運び込まれる木箱によって、中庭はみるみる埋め尽くされていく。アリオンとレオンは、その瞬間、何も考えることをやめていた。
◇◇◇
修道院の中が一気に華やかになっている。運び込まれた木箱が開けられるたびに、子供たちの歓声が響く。修道女の中には、ここに入る前は裕福な暮らしをしていた者もいる。だが、そんな彼女たちでさえ、荷物の中身には目を見張っていた。
「今の最新流行よ!」
「ほんと……それにあのレース、ものすごく丁寧よね」
「うん。それに、全部、とっても品がいいわ」
彼女たちの中には商家の出の者もいる。当然、量もだが、品物自体への目利きもしてしまう。流行の中にも上品さを忘れていないことに、すっかり目を奪われているのだった。
そこに、届けられたドレスを身に着けたアフルとフィレスが入ってくる。修道女の姿しか目にしたことのない二人のドレス姿に、誰もが息をのんでいた。
「アフルって……可愛らしいとは思っていたけど……」
「うん。それ以上よね」
修道女たちはお互いに袖を引きあいながら囁きあう。子供たちは二人の姿にウキウキしたような声をあげる。
「お姉ちゃん、お姫様みたい―!」
「院長様が院長様じゃない!」
「きれい! きれい!」
口々に叫びながら、二人のそばに近寄ってくる子供たち。彼らがドレスを傷めてしまわないか、エリザはあたふたしているようだった。
そんな彼女も、フィレスの姿には目を見張っている。そこにいたのは、穏やかな修道院長ではない。ジェミニ伯爵令嬢フィレス、その人だった。
「修道服以外に手を通すことがあるなんて、考えてもいなかったんですけどね」
その呟きに、エリザはハッとしたようになる。この方はそれだけ長い間、ここにいらしたのだ。そのことだけが彼女の胸の中に迫ってくる。
そして、レオンと並んでいたアリオンも何も言うことができない。目の前にいるのは、四年という歳月を経て、自ら歩き出そうとしているアフルの姿だった。
そして、翌日――
アフルとフィレスは王都へと旅立っていた。同行するのはアリオンとレオン。4人は馬車に乗り込むと、修道院の人々に別れを告げる。
「エリザ、頼んだわよ」
「……はい、院長様」
穏やかな声で交わされる、フィレスとエリザの声。その後ろから、子供たちの明るい声が響いていた。
「お姉ちゃん、行ってらっしゃーい!」
子どもたちの元気な声に送られ、馬車はゆっくりと動き始める。アフルは窓から身を乗り出すようにして、何度も何度も手を振っていた。
修道院の屋根が小さくなっていく。四年間暮らした、大切な場所。ぎゅっと手を握りしめたその手に、アリオンが「大丈夫」というように肩を軽く叩く。
アフルは小さくうなずき、もう一度だけ修道院を振り返った。馬車は春風の吹く街道を、王都へ向かって静かに走り出していくのだった。




