第一話 ドブネズミ
「金がねぇなら、今日も働け」
大柄な男が、少年の腹を蹴り飛ばした。
「ぐっ……!」
石畳に転がる。
胃液が込み上げた。
だが黒川――いや、“レイン”は歯を食いしばった。
脳に流れ込んだ記憶によれば、この世界の自分は十歳前後の孤児。
スラム街でゴミ拾いや荷運びをしながら生きている。
そして目の前の男は、この地区を仕切るチンピラ崩れ。
毎日、子供から金を巻き上げていた。
「次までに払えねぇなら、メシ抜きだからな」
男は唾を吐き、去っていく。
周囲の子供達は、目を逸らした。
助ける者はいない。
助ける余裕もない。
「……クソみてぇな世界だな」
レインは小さく呟く。
だが、不思議と絶望はなかった。
前世の方が、よほど息苦しかった。
夜勤。借金。責任。
壊れても働き続ける日々。
それに比べれば――。
「まだ、こっちは終わってねぇ」
立ち上がる。
膝は震えていたが、心は折れていなかった。
その時だった。
視界の端に、奇妙な文字が浮かぶ。
【個体確認】
【適合完了】
【スキル《現場作業員》を獲得しました】
「……は?」
空中に青白い文字。
ゲームのステータス画面みたいだった。
そして次々と表示される。
《現場作業員》
・工具適性上昇
・危険察知能力微上昇
・疲労耐性微上昇
《夜勤適応》
・暗所視認補正
・睡眠不足耐性上昇
《継続精神》
・精神耐久補正(大)
「……なんだよ、それ」
レインは乾いた笑いを漏らした。
剣聖でもない。
伝説の勇者でもない。
与えられたのは、“工場勤務”のスキルだった。
「普通、もっとこう……あるだろ」
炎魔法とか。
最強能力とか。
だが次の瞬間。
路地裏の奥から悲鳴が聞こえた。
「や、やめて……!」
少女の声。
男が二人、痩せた少女を囲んでいた。
「今日の稼ぎ、全部出しな」
「持ってないなら身体で払え」
レインの目が細くなる。
前世でも見た。
弱い奴を食い潰す人間。
見て見ぬ振りをする空気。
そして――。
(……また黙ってるのか?)
脳裏に浮かぶ。
助けられなかった過去。
耐えるだけだった人生。
レインは、ゆっくり息を吐いた。
「おい」
男達が振り返る。
「あ?」
「その子、離せ」
一瞬の沈黙。
そして、男達は笑い出した。
「なんだこのガキ」
「死にてぇのか?」
怖い。
身体は小さい。
力もない。
だがレインは知っている。
本当に怖いのは、“何もしないまま終わる人生”だ。
「……来いよ」
男の一人が殴りかかってくる。
だが、その瞬間。
レインの視界が妙に鮮明になった。
足運び。
重心。
拳の軌道。
全部見える。
(遅い)
工場で危険機械を避け続けた感覚。
事故寸前を何度も見てきた経験。
身体が自然に動いた。
ヒュッ――!
「がっ!?」
男の足を払う。
そのままレンガ壁へ叩きつけた。
「なっ!?」
もう一人が怯む。
レインは落ちていた鉄パイプを拾った。
工具。
重量。
握り。
妙に手に馴染む。
《現場作業員》スキル。
その効果を、本能で理解した。
「次、来るか?」
低い声。
男達は顔を見合わせ――逃げた。
「……ちっ」
レインは鉄パイプを下ろす。
すると少女が震えながら見上げていた。
「た、助けてくれて……ありがとう」
ボロボロの金髪。
痩せた身体。
それでも瞳だけは、まだ死んでいなかった。
「名前は?」
「……リナ」
「そうか」
レインは空を見上げた。
灰色の空。
腐った街。
最悪の世界。
でも。
(ここからだ)
前世では、何者にもなれなかった。
だったら今度こそ。
この世界で。
底辺から――這い上がる。




