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泥人形と呼ばれた令嬢、隣国の冷徹皇帝に「世界の至宝」として攫われる ~「無能」と捨てられた私が、実は世界を守る唯一の浄化術師だった件。~  作者: 西園寺ミオ


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第40話:記憶の墓標、あるいは魂の共有財産

銀色の膜に包まれた聖域の、さらに深淵。

 母アリアが遺した「記録庫」の扉は、ことわりを殺した二人の寝室の影の中に、ひっそりと口を開けていた。


「……ここですね。お母様」


 エルセは、眠っているレオンハルトの腕をそっと解き、その扉の前に立った。

 扉は実体を持たず、ただ「虚無」が渦巻いている。だが、今のエルセにはわかる。これが、陛下が世界に支払った「代償」の行き着く先、情報の吹き溜まりなのだと。


 彼女が虚無に手を伸ばそうとしたその瞬間、背後から猛烈な漆黒の波動が押し寄せ、彼女の腰を背後から力任せに抱き止めた。


「……どこへ行く、エルセ。お前を逃がす扉など、この城に作らせた覚えはないぞ」


 レオンハルトだった。

 眠っていたはずの彼は、本能的な恐怖に突き動かされたのか、薄衣一枚のエルセを自身の漆黒のマントの中へ強引に引き摺り込む。その右腕の黒い鱗が、彼女を離すまいと鋭く脈打っている。


「陛下、起きてしまわれたのですか」


「当たり前だ。お前の体温が数寸離れただけで、私の魂は凍りつく。……エルセ、その『穴』は何だ。不気味な気配がする。……よせ、触れるな!」


「いいえ、陛下。……これは、貴方が捨てた『私との日々』です。……私が、拾い集めて差し上げますわ」


 エルセは哀しく微笑み、レオンハルトの拘束を、今の彼女が持つ人外の力で優しく、だが拒絶を許さぬ強さで解いた。

 彼女は翻り、レオンハルトの手を取って、共にその虚無の渦へと突き立てた。


「――っ、が、ぁあああッ!?」


 レオンハルトの脳内に、凄まじい衝撃が走る。

 

 それは、失われた記憶の濁流。

 昨日のティータイム。初めて贈ったペンダント。エルセが笑った瞬間。彼女が泣いた理由。

 世界へ支払われ、灰になったはずの「情報の断片」が、エルセという媒体を通して、再び形を持って溢れ出してきたのだ。


『愛している、エルセ。お前は私の光だ』


 レオンハルト自身の声が、無数に響く。

 

「……ああ……、なんだ、これは……。私は……こんなにも、お前を……」


 レオンハルトは頭を抱え、その場に膝をついた。

 記憶が戻ったのではない。彼は依然として「思い出せない」ままだ。だが、エルセの魂というフィルターを通すことで、彼は「自分がエルセをどう愛していたか」という過去の事実を、客観的な知識として強制的に叩き込まれていた。


「陛下……。忘れても、よろしいのです。……貴方の記憶は、すべて私の『無色』の中に保存いたします。……貴方が空っぽになるたび、私が何度でも、貴方の愛を教えて差し上げますから」


 エルセが、膝をつくレオンハルトの頭を、母のように、あるいは崇拝者のように抱きしめる。

 

 彼女の胸元にある『原初のプリズム』が、ドクンと不吉な音を立てた。

 虚無の扉から溢れ出す「記憶の残滓」を、彼女の魔力核が、凄まじい負荷と共に飲み込んでいく。


「……やめろ、エルセ……! 苦しそうだ……。そんな、ゴミのような過去など、もういらん! 私が、今のお前を愛している、それだけで十分だ!」


「いいえ。……貴方の欠片が、世界に消えていくのを、私は許せません。……貴方のすべてを、私が独占したいのです。……貴方の記憶さえも、私の肉体の一部にしてしまいたい」


 エルセの虹色の鱗が、烈火のような輝きを放つ。

 

 その瞬間、寝室を包んでいた銀色の聖域が、さらに一回り濃くなり、外部との時間を完全に遮断した。

 

 レオンハルトは、自分を「保存」しようとするエルセの狂おしいまでの執着に、戦慄し、そしてそれ以上の恍惚を覚えた。

 

「……フッ……ハハハ……! そうか。……お前も、私と同じなのだな、エルセ。……愛する者のすべてを食らい尽くし、魂の最奥に閉じ込めねば気が済まぬ……救いようのない怪物だ」


 レオンハルトは、自身の記憶を吸い込み続けるエルセの喉元に、誓いの接吻を落とした。

 

 記憶が失われるたびに、エルセの中に蓄積される。

 陛下が空洞になるたびに、エルセが満たされていく。

 

 二人は今、別々の個体であることを辞め、一つの「記録」を共有する、不可分な生命体となったのだ。

 

「……あ……陛下……」


 儀式が終わる頃、エルセの身体に異変が起きていた。

 彼女の左手。指先から肘にかけて、柔らかな肌が、透明な「虹色の結晶」へと変質していた。

 

 それは、陛下の膨大な記憶と、神の権能を無理やり維持するための、魂の「硬化」。

 

「エルセ、その腕は……!」


「……平気ですわ。……少しだけ、重いだけです。……陛下、これを見てくださいな」


 エルセが、結晶化した重い左手で、床に落ちていたあの真珠のペンダントを拾い上げた。

 

「……これは、貴方が私を、死の淵から救ってくださった時の……私の、命の重さですわ」


 レオンハルトは、そのペンダントを、今度は「ゴミ」とは呼ばなかった。

 記憶はない。だが、それを愛おしそうに持つエルセの「結晶の腕」が、何よりも重い愛の証拠として、彼の本能に刻まれたからだ。


「……ああ。……私が選んだのだな。お前のための、唯一の輝きを」


 レオンハルトは、彼女の結晶化した冷たい指に、自身の熱い唇を押し当てた。

 

 聖域の外。

 帝都を包む「白き死」は、二人の合一によって一時的にその歩みを止めた。

 

 だが、その代償。

 

 聖域の窓に、黄金の瞳が一つ、音もなく浮かび上がった。

 

『――おめでとう。記憶のアーカイブ。……でも、身体が全部石になった時、君はレオンハルトに、何て呼ばれるのかな? ……ただの『美しい置物』になっちゃうんじゃない?』

 

 嘲笑と共に、世界の崩壊は、さらに「物理的」な破滅へとフェーズを移そうとしていた。

第40話をお読みいただき、ありがとうございます!

第4章の折り返し、いかがでしたでしょうか。

陛下が忘れてしまう記憶を、エルセ様が自分の身体を「結晶」に変えてまで保存するという、究極の献身……。

「二人で一つの人格」になっていくお二人の姿に、執筆しながら私の心も震えました。


記憶を失う陛下と、記憶を背負って石になっていくエルセ様。

このままでは、愛し合うたびにエルセ様は「動かぬ像」になってしまいます。

そして、ついにその矛盾を突きに現れる「黄金の瞳」の本体。


「エルセ様、そこまでして陛下を……っ!」「陛下、早く気づいて、彼女を止めて!」

そんな風に手に汗握っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と【ポイント評価(★★★★★)】をお願いいたします!

皆様の応援が、エルセ様の硬化を食い止める「温もり」となります。


次回、第41話。

『虹色に凍る女神』。

全身が結晶化し始めたエルセを見て、陛下がついに「世界そのものを生贄にする」真の禁忌を発動させます。

どうぞ、お楽しみに!

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