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第4話:目覚めれば、帝国の最奥

まどろみの中で、エルセは柔らかな雲の上に漂っているような感覚を覚えていた。

 肌に触れるのは、カシミアよりも滑らかで、真珠の光沢を織り込んだかのような最高級のシルク。鼻腔をくすぐるのは、冷たい雨の匂いではなく、深みのある白檀サンダルウッドと、どこか異国の甘い花の香り。


(……温かい。私、本当はあの森で、もう……)


 ゆっくりと、重い瞼を押し上げる。

 視界に飛び込んできたのは、見たこともないほど高い天井だった。

 緻密な金細工のレリーフが施され、窓からは色鮮やかなステンドグラスを透過した光が、宝石を砕いたような色彩となって床に散らばっている。


 そこは、王宮の賓客の間ですら霞んでしまうほど、贅の限りを尽くした空間だった。


「――気がついたか。我が帝国の、小さな宝石」


 耳元で響いた低く甘い声に、エルセの心臓が大きく跳ねた。

 弾かれたように視線を向けると、すぐ傍の椅子に、あの漆黒の外套を脱ぎ捨てた男――レオンハルトが座っていた。


 軍服を思わせる漆黒の衣を纏った彼は、組んだ足の上に頬杖をつき、一睡もしていないかのような鋭い眼差しでエルセを見つめていた。その紫水晶アメジストの瞳には、狂おしいほどの独占欲が揺らめいている。


「あ、あ……あ……」

「無理に喋らなくていい。お前の喉は、まだ雨に焼かれている」


 エルセが身を起こそうとすると、レオンハルトが吸い寄せられるようにベッドへ近づき、彼女の背にそっと手を添えた。

 大きな、熱い掌。

 泥にまみれていた自分を抱き上げた、あの時の熱だ。


「……ここは……?」

「アイゼンシュタット帝国、皇城の最深部。私の寝所のすぐ隣だ」


 帝国。ソラリア王国の人間が「魔王の国」と恐れる、北の軍事大国。

 エルセは震える手で、自身の身なりを確認した。

 泥だらけだったドレスは脱がされ、今は雪のように白い、極薄の寝衣を纏わされている。肌は驚くほど滑らかに整えられ、爪の先に至るまで磨き上げられていた。


「汚れはすべて落とさせた。お前の髪も、肌も、本来の輝きを取り戻したな。……美しいぞ、エルセ。あのような泥の中に隠しておくには、あまりに惜しい輝きだ」


 レオンハルトの指先が、エルセの白銀の髪を掬い上げる。

 愛おしくてたまらないというように、彼はその一房を唇に寄せた。

 エルセは顔を赤らめ、思わず視線を泳がせる。


「あ、あの……! 私は、そんな風に言っていただけるような者では……。色のない、役立たずの娘だと、ずっと……」

「役立たず、か」


 レオンハルトの瞳に、一瞬だけ苛烈な殺意が宿った。

 それはエルセに向けられたものではなく、彼女をそのように追い込んだ者たちへの、剥き出しの憎悪。


「お前を『無価値』と切り捨てたあの国は、目だけでなく、魂まで腐っていたようだな。……いいか、エルセ。お前のその『無色』こそが、私の荒ぶる漆黒を鎮める唯一の鍵なのだ。お前がそばにいるだけで、私は初めて『自分』でいられる」


 彼はベッドの脇に置かれた銀のトレイから、透き通った琥珀色のスープが入ったボウルを取り上げた。


「さあ、食べなさい。三日間、眠り続けていたのだ。まずは温まらなければ」

「陛下、ご自分で……!? 私のような者に、そのようなことは……!」


 慌てて辞退しようとするエルセを、レオンハルトは動じることなく制した。

 彼は銀のスプーンでスープを掬うと、丁寧に息を吹きかけ、エルセの唇へと運ぶ。


「拒むな。これは皇帝の命だ。……それとも、私の手が気に入らないか?」

「そ、そんなことは……」


 抗いきれず、エルセは小さな口を開けた。

 口内に広がったのは、何十種類もの滋養を煮詰めた、濃厚でいて滋味深い味わい。

 喉を通るたびに、凍りついていた細胞のひとつひとつが、息を吹き返していくのがわかる。


 一口、また一口と、レオンハルトは甲斐甲斐しくエルセに食事を運んだ。

 帝国を統べる冷徹な支配者が、一人の少女を、壊れ物を扱うように甘やかしている。

 その光景に、部屋の隅で控えていた侍従たちは、戦慄と驚愕に目を見開いていた。


「……ふふ、お前は食事をする姿も小鳥のようで愛らしいな。これからは、私が望むすべての贅沢をお前に与えよう。お前がかつて望んで手に入らなかったもの、夢にさえ見なかったもの……そのすべてを、私の愛と共に叩き込んでやる」


 レオンハルトは空になったボウルを置くと、エルセの頬を両手で包み込んだ。

 逃げられないように、逃がさないように。


「お前を捨てた者たちは、今頃、自分たちの足元が崩れ始めていることに気づき、怯えているはずだ。……だが、もう遅い。お前を二度と、あのような薄汚い場所には返さない。お前の居場所は、私の腕の中だけだ」


 低く、地響きのように響く独占の宣言。

 エルセの瞳から、再び涙がこぼれ落ちた。

 今度は悲しみではなく、あまりに強すぎる「光」に当てられた、戸惑いと安堵の涙。


「……いいのですか? 私、本当に、ここにいても……」

「ここにいても、ではない。ここにいなければならないのだ。お前は私の光であり、私の影なのだから」


 レオンハルトはエルセの涙をその唇で吸い取ると、満足げに微笑んだ。

 

 その頃、ソラリア王国では。

 エルセを追放してからわずか数日。

 王城の庭園に咲き誇っていたはずの「虹の花」が、一晩ですべて黒く枯れ果て、第一王子の金髪が、嫌な濁りを帯びて変色し始めていた――。

いかがでしたか? 第4話。

皇帝レオンハルトの、過保護を通り越した「執着」の深さ……!

冷徹な男が、自分の手でヒロインに食事をさせるシーンは、読者の皆様への最大級のご褒美です。


そして最後に、王国側の「没落の予兆」を少しだけ。

エルセがどれほど重要な存在だったかを、あいつらはこれから嫌というほど思い知るのです。


「陛下、あーんをもっと続けて!」「王子の髪が腐り始めてスカッとした!」

そんな感想を抱いていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】をお願いいたします!


次回は、いよいよレオンハルトがエルセを「自分のもの」として公表する準備を始めます。

そして、あの賑やかな「義姉上」も……?

どうぞ、楽しみにお待ちください!

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