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泥人形と呼ばれた令嬢、隣国の冷徹皇帝に「世界の至宝」として攫われる ~「無能」と捨てられた私が、実は世界を守る唯一の浄化術師だった件。~  作者: 西園寺ミオ


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第36話:白き廃都の残響

一歩、聖域の境界を跨いだ瞬間。

 鼻腔を突いたのは、春の蜜のような甘い香気ではなく、喉を焼くような「乾燥した無」の気配だった。


「……あ」


 エルセは思わず口元を押さえた。

 レオンハルトの漆黒の翼が作り出す影から外へ出た瞬間、彼女を襲ったのは、あまりにも平坦な、あまりにも静止した「世界」の成れの果てだ。


「……見ての通りよ。貴方たちの『愛』という名の熱量が、この周囲の時間の流れさえも歪めてしまったの」


 隣を歩くシルヴィア皇女の声も、どこか遠く響く。

 かつて帝都の喧騒があった場所には、いまや色彩のかけらもない。家々も、露店も、道端に咲いていたはずの草花も、すべてが漆喰で塗り固められたような、のっぺりとした「白」に変わっている。


 そして、それ以上に恐ろしいのは、道端で静止している「人々」だった。


「この方たちは……生きていらっしゃるのですか?」


 エルセが指差したのは、パンを差し出した格好のまま白く固まった老人だ。肌の質感も、服の皺も、そこにあるのは精巧に作られた「石像」そのもの。だが、エルセの虹色の鱗が輝く瞳は、その内側で魔力が完全に吸い尽くされ、空っぽになった「魂の抜け殻」を感じ取っていた。


「死んではいないわ。ただ、貴方という『神』を維持するための演算資源として、人生のすべてを差し押さえられただけ。……今の貴方は、立っているだけで世界というバッテリーから電気を奪い続ける、巨大な穴なのよ」


 シルヴィアの言葉は刃のようにエルセの胸を抉る。

 自分がレオンハルトに抱かれ、蕩けるような幸福を感じるたびに、名もなき民衆の時間がこうして「白」に凍りついていく。


「……陛下は、これを知っていて、私をあのお部屋に?」


「彼は、世界が灰になっても、その灰の中で貴方を抱ければ満足な男だもの。……エルセ、貴方が望まない限り、この侵食は止まらないわ」


 二人は、白く変質した街を抜け、かつて王国の残党が収容されていた地下監獄へと向かった。

 地上はあんなに眩い白に満ちているのに、地下へ続く階段は、光さえも吸い取られたような絶望的な暗闇が広がっている。


 その最深部。

 鉄格子の奥に、それはいた。


「……ぇ……る……せ……」


 掠れた、乾いた紙が擦れるような音。

 そこにいたのは、かつてエルセを「無能の泥人形」と嘲笑った男――ジュリアン王子だった。


 だが、その姿はもはや人間とは呼べなかった。

 身体の半分以上が白く石化し、欠け落ちた腕からは、肉ではなく「砂」が溢れ出している。

 かつての傲慢な瞳は白濁し、焦点も合わないまま、ただ虚空を彷徨っている。


「……ジュリアン様」


 エルセが名を呼んでも、彼の中に「憎しみ」さえ残っていないようだった。

 彼はエルセの虹色の鱗の輝きを見ると、眩しさに耐えかねるように顔を歪め、ボロボロと頭部から白い破片を零した。


「ああ……ああ……美しい……光だ……。……僕の……色を……返して……くれ……」


 彼が手を伸ばす。だがその指先は、エルセの魔力に触れるよりも先に、自らの重みに耐えきれず根元からパキリと折れて床に転がった。

 

「……見ていられませんわ」


「彼が、この『白化現象』の最初の起点だったのよ。王国の王族たちは、貴方への執着と後悔という強い感情を持っていた。だからこそ、貴方の魔力を吸い上げるのに最適な『導火線』にされてしまった」


 シルヴィアが冷淡に言い放つ。

 ジュリアンは、床に落ちた自分の指に気づくこともなく、ただ狂ったようにエルセという「光」を求めて這いずり回る。かつての格差は、いまや「神」と「塵」という、絶望的なまでの断絶に変わっていた。


 その時。

 

 ジュリアンの、空っぽだったはずの喉が、不自然に鳴った。


『――ねえ、エルセ。その身体、使い心地はどうかしら?』


「……ッ!? お母様……?」


 ジュリアンの口から発せられたのは、彼の声ではない。

 優しく、そしてこの世の何よりも冷酷な、母アリアの旋律。


 ジュリアンの瞳が、一瞬だけ黄金色に輝く。

 

『世界が白くなっていくのは、君が悪いんじゃないわ。……神様が、君という器を「満タン」にしようと急いでいるだけ。……ほら、レオンハルト陛下がやってくる。彼が君を愛すれば愛するほど、この男のように、世界は美しく砕けていくのよ』


「やめて……! ジュリアン様を……世界を、これ以上……!」


 エルセが叫んだ瞬間、背後の暗闇から、巨大な漆黒の波動が押し寄せた。

 

「――私の許可なく、エルセを外へ連れ出した罪。どう贖うつもりだ、姉上」


 レオンハルトだった。

 彼は漆黒の翼を広げ、監獄の天井を物理的に破壊しながら降り立った。

 

 彼の右腕の黒い鱗が、怒りで真っ赤に脈打っている。

 彼は震えるエルセを強引に抱き寄せ、冷酷な瞳をジュリアンへと向けた。


「……汚らわしい。亡霊が、いつまで彼女の耳を汚している」


 レオンハルトが指を鳴らす。

 次の瞬間、ジュリアンの身体は「爆発」したのではない。

 ただ、そこにあった存在が「最初からなかったこと」として消去され、一掴みの白い塵へと還った。


「陛下! いけません、今の声は……!」


「構わん。何が聞こえていようと、お前を不安にさせるものは塵に等しい」


 レオンハルトは、エルセを深い闇のマントで包み込み、外界を拒絶するように抱きしめた。

 

 だが、ジュリアンが消え去った後に残されたのは、塵だけではなかった。

 

 壁に残された、一文字のヒビ。

 そこから、見たこともない「真っ黒な白い羽」が、しんしんと溢れ出していた。

 神殺しの魔王さえも気づかない速度で、世界の崩壊は、すでに二人の「愛の領域」を侵食し始めていたのだ。

第36話をお読みいただき、ありがとうございます!

聖域の外に出たエルセ様が目にしたのは、色が剥ぎ取られた「紙細工」の世界……。

そして、かつての仇敵ジュリアンが、母アリアの「拡声器」として無惨に利用されている姿。

「ざまぁ」のその先にある、取り返しのつかない虚無を描かせていただきましたわ。


陛下は「エルセさえいればいい」と変わらぬ狂愛を貫きますが、

世界を喰らい尽くすカウントダウンは確実に早まっています。


「ジュリアン、もはや同情する気も起きないほどボロボロ……w」「陛下の独占欲が世界を滅ぼす速度に追いつかれてる!?」

そんな風にゾクゾクしていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と【ポイント評価(★★★★★)】をお願いいたします!

皆様の応援が、白き虚無に染まりゆく物語に「新たな色」を灯しますわ。


次回、第37話。

ついに現れる「黒い白い羽」の主。

それは、母アリアが想定していなかった、世界の「防衛本能」の化身でした。

どうぞ、お楽しみに!

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