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泥人形と呼ばれた令嬢、隣国の冷徹皇帝に「世界の至宝」として攫われる ~「無能」と捨てられた私が、実は世界を守る唯一の浄化術師だった件。~  作者: 西園寺ミオ


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第33話:神婚の聖域、あるいは壊れない抱擁

パチッ、と。

 指先が触れる寸前、青白い静電気が空気を焼き、エルセの柔らかな指を弾いた。


「……また、ですわ」


 エルセが悲しげに眉をひそめる。

 彼女の目尻に浮かぶ虹色の鱗が、その感情に呼応して、寂しげな真珠色に明滅した。

 

 目の前には、世界を、そして神を討ち果たしたばかりの夫、レオンハルト。

 彼は黒い鱗に覆われた右腕を伸ばしたまま、固まっていた。彼の指先からは漆黒の魔力が滲み出し、触れようとした空間そのものを歪ませ、焦がしている。


「……私の魔力が、お前の光を拒んでいるわけではない。……ただ、あまりにも濃密になりすぎたのだ。お前へのこの執着が、世界という器に収まりきらなくなっている」


 レオンハルトの声は低く、苛立ちに満ちていた。

 彼は強引に距離を詰めようとしたが、彼が一歩踏み出すたびに、足元の大理石が砂へと崩れ、豪華な寝室のカーテンが自然発火する。

 

 二人は、存在そのものが「災害」となっていた。

 

 愛し合えばし合うほど、魂を融合させればさせるほど、この脆弱な現世の物理法則が、二人のエネルギーの重圧に耐えきれず悲鳴を上げているのだ。


「陛下、お下がりください。これ以上は、お城が……」


「城など、また作ればいい。お前に触れられぬ玉座に、何の価値があるというのだ!」


 レオンハルトが咆哮した瞬間、衝撃波で窓ガラスがすべて粉砕された。

 あまりの勢いにエルセがたじろぐと、レオンハルトは、自身の右腕を忌々しげに睨みつけた。


「神など殺してしまえば、あとはお前を抱くだけだと思っていたが。……まさか、世界そのものが私たちの邪魔をしようとはな」


「――そこまでになさい、このバカ兄貴」


 不意に、部屋の扉が乱暴に開け放たれた。

 呆れ果てた顔で立っていたのは、シルヴィア皇女だった。彼女の背後では、魔法騎士たちが「これ以上、城を壊さないでくれ」と祈るような顔で震えている。


「シルヴィア様……。お見苦しいところを」


「いいのよエルセ。それよりもレオン、貴方ね……。貴方の魔力が暴走するせいで、帝都の北側では一晩中、雷が鳴り止まないのよ? 民衆は『陛下が夫婦喧嘩をしている』って怯えているわ」


「喧嘩などしていない。触れられないだけだ。……それが何よりも重大な問題だということが、姉上にはわからんのか?」


「わかっているわよ、暑苦しいわね! だから、これを持ってきたのよ」


 シルヴィアが投げ渡したのは、古びた、しかし重厚な輝きを放つ「水晶の石板」だった。

 それは帝国の始祖が、かつて神と契約を結んだ際に用いたとされる『次元固定の聖具』。


「これに貴方たちの魔力を注ぎなさい。城全体を、この世界から『少しだけずらした』隔離領域にするのよ。貴方たちがどれだけ激しく愛し合おうが、世界に干渉しない『神婚の聖域』をね」


 レオンハルトの瞳に、鋭い光が宿った。

 

「……ほう。隔離領域、か」


「ええ。そこでは貴方たちの『愛』が物理法則になる。貴方たちが『壊れない』と願えば、そこにあるものは、神の雷に打たれても壊れないわ。……その代わり、一度そこに入れば、貴方たちはますます『人間』には戻れなくなるけれど」


「そんなもの、とっくに辞めている」


 レオンハルトは迷わず石板を手に取った。

 

 彼はエルセを自身の腕の中へ引き寄せる。火花が飛び、彼の頬に小さな裂傷が走ったが、彼は微塵も怯まなかった。

 

「エルセ。……我々のための、誰にも邪魔されぬ揺り籠を作ろう」


「……はい、陛下。どこまでも、お供いたしますわ」


 二人が同時に石板へと魔力を注ぎ込んだ。

 漆黒の闇と、虹色の光。

 二つの強大すぎる力が渦を巻き、寝室を中心に、銀色の膜が波紋のように広がっていく。

 

 キィィィィィィィンッ!

 

 耳を劈くような高周波の音が響き、次の瞬間――。

 

 すべてが、静止した。

 

 壊れかけていた床、燃えていたカーテン、飛び散ったガラスの破片。それらが、まるで時間が止まったかのように元の場所へと収まり、見たこともないほど頑丈な、そして神秘的な輝きを帯びた物質へと上書きされていく。

 

 空気は甘く、重厚な蜜のような魔力で満たされた。

 

 レオンハルトが、おそるおそるエルセの頬に手を伸ばす。

 

 ――。

 

 今度は、火花は散らなかった。

 

 黒い鱗の指先が、虹色の鱗の頬を、しっとりとした確かな感触で撫で上げた。

 二人の魔力が、反発し合うのではなく、聖域というフィルターを通して完璧に調和している。


「……触れられた」


 レオンハルトの声が、歓喜に震えた。

 彼はそのままエルセの腰を抱き上げ、押し潰さんばかりの強さで抱きしめた。

 どれほど力を込めても、エルセが消えることも、床が抜けることもない。この空間では、レオンハルトの「お前を離したくない」という意志こそが、絶対の重力なのだ。


「陛下……っ。温かいですわ……。本当に、温かい……」


 エルセは陛下の胸に顔を埋め、再会を噛みしめるように涙をこぼした。

 

「ああ。……ここなら、誰にも、世界にさえもお前を邪魔させん。……一晩中、いや、永遠に、お前を愛で尽くしてやろう」


 レオンハルトは、エルセの唇を深く、深く奪った。

 その接吻によって溢れ出した魔力の余波が、聖域の壁を虹色に染め上げる。

 

   ◆


 一方、テラスに締め出されたシルヴィアは、大きな溜息をついて夜空を仰いでいた。

 

「……やれやれ。あんなに当て付けがましい聖域、後始末するこっちの身にもなってほしいわ。……でも、これでようやく静かになるかしらね」

 

 だが、その時。

 シルヴィアの背後、暗い中庭の茂みから、不気味な「白い羽」が風に乗って舞い落ちてきた。

 それは天使のものでも、神の使いのものでもない。

 

 どこか「古びた紙」のような質感の、死んだ色彩の羽。

 

「……? 雪……? いいえ、これは……」

 

 シルヴィアがその羽に触れようとした瞬間、羽は灰となって消え、地面に一文字の「ヒビ」を残した。

 

 二人の聖域が完成したことで、世界の重しが外れた。

 それは、世界を維持していた最後の「壁」が、内側から崩れ始めた合図でもあった。

第33話をお読みいただき、ありがとうございます!

ようやく……ようやく、火花を気にせずに陛下がエルセ様を抱きしめられるようになりましたわね!

「聖域(隔離領域)」という、まさに二人の愛のためだけに存在する空間。

これから始まる新婚生活、どれほど甘く、そしてやりたい放題なものになるのか……想像しただけで目眩がいたします。


ですが、幸せの裏側で不気味に舞い落ちる「白い羽」。

世界を「ずらした」ことで生まれた歪みが、新たな災厄を招こうとしています。


「陛下、よかったね!」「シルヴィア様、今回も苦労人すぎる……w」

そんな風に思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と【ポイント評価(★★★★★)】をお願いいたします!

皆様の応援が、二人の聖域をより強固にする力となりますわ。


次回、第34話。

聖域の中での、初めての「神としての甘い朝」。

そして、帝都の外で起きている「色彩の消失」の報告が届きます。

どうぞ、お楽しみに!

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