第30話:神域への反逆、あるいは魔王の翼
空が、裂けていた。
帝都の全域を覆い尽くすほどの、巨大な金色の亀裂。そこから溢れ出す光は、街の石畳を黄金に染め、家臣たちの顔を恐怖で青白く照らし出している。
だが、その喧騒から最も遠い場所にいるはずの皇帝の寝所では、恐ろしいほどの静寂が支配していた。
「……陛下。行かれるのですか。その、お姿で」
テラスに膝をついたのは、第一皇女シルヴィアだった。彼女は、目の前に立つ兄夫婦の姿を直視できず、震えていた。
レオンハルトは、漆黒の戦装束を纏い、その右腕――黒い宝石のような鱗に覆われた異形の腕で、エルセの腰を抱き寄せていた。
対するエルセもまた、その目尻から耳にかけて虹色の鱗を輝かせ、瞳はもはや人間には持ち得ない深淵の色彩を湛えている。
それは、世界を救う聖女と皇帝の姿ではなかった。
互いの魂を喰らい合い、神の領域へと踏み込んだ「美しき怪異」。
「案ずるな、姉上。……私は最初から、この世界に従うつもりなどない。神がエルセを『部品』として回収に来たのなら、私はその喉笛を食い破り、天の玉座を彼女の椅子の足置きに変えてやるだけだ」
レオンハルトの声が響く。
その背中から、漆黒の魔力が具現化した「禍々しい翼」が噴き出した。
「エルセ、怖いか?」
「いいえ、陛下。……あなたの腕の中にいられるなら、そこが天獄であろうと、私には楽園ですわ」
エルセは、陛下の黒い鱗の右腕に、自分の虹色の鱗が浮かぶ頬を寄せた。
レオンハルトは満足げに、彼女を横抱きに抱え上げる。
そのまま、テラスから夜空へと力強く跳躍した。
「全軍に告ぐ! 皇帝レオンハルト・アイゼンシュタットは、これより神を討つ! 凱旋の鐘を用意して待っていろ!」
漆黒の翼が羽ばたき、衝撃波が帝都を揺らす。
二人は流星のような速度で、黄金の亀裂――『神への道』へと昇っていく。
下方では、民衆たちがこの光景を見上げていた。
ある者は祈り、ある者は腰を抜かした。
人々に愛された「泥人形の聖女」と、恐怖で統治した「漆黒の皇帝」。
その二人が、今や一つの巨大な「光と闇の渦」となって、神話の世界へと突き進んでいるのだ。
◆
雲を突き抜け、次元の壁を越えた先。
そこは、重力さえもが希薄な、果てしない「光の海」だった。
見渡す限り透明な回廊が続き、その中央には、すべてを拒絶するようにそびえ立つ巨大な『黄金の門』が鎮座している。
レオンハルトが門の前へと降り立つと、そこには一人の男が立っていた。
「……やあ。思ったより早い到着だね。それとも、愛の熱量が予定より過剰だったのかな?」
金の鍵を首から下げた、例の男だ。
彼は門の前に浮かび、まるで親しい友人を出迎えるように、歪な微笑を浮かべている。
「どけ、亡霊。その鍵で、この扉を開けろ。……さもなくば、その首ごと門を粉砕する」
「おっと、怖いね。……でも残念。この鍵は、門を開けるためのものじゃない。……『エルセの中に眠る神』を、完全に引き摺り出すための起動スイッチなんだよ」
男が金の鍵を高く掲げる。
「陛下……っ! 心臓が、熱い……!」
エルセが苦悶の声を上げ、レオンハルトの胸の中で身をよじった。
彼女の全身の鱗が、激しく脈打ち始める。
「エルセ! ……きさまぁッ!!」
レオンハルトが右腕を振り上げ、漆黒の魔力を爆発させようとした瞬間。
黄金の門が、音もなく開いた。
門の向こう側にいたのは。
白い玉座に座る、巨大な「眼球」の集合体。
色彩を持たず、ただ冷酷な「効率」だけを司る、この世界の設計者。
『――戻れ、心臓。お前の逃避行は終わった。……その男の魂ごと、私の中に溶け込み、世界を再起動せよ』
神の言葉が、脳内へ直接叩きつけられる。
エルセの身体が、レオンハルトの腕をすり抜け、宙へと浮かび上がった。
「させるか……ッ! エルセ、私を離すな!!」
レオンハルトは、人外となった自身の右腕をさらに変異させた。
黒い鱗が棘のように伸び、逃げようとするエルセの「存在」そのものを物理的に繋ぎ止めようと、彼女の光の輪郭を掴み取る。
愛と、神の引力。
その狭間で、エルセの『原初のプリズム』が、これまでにないほど残酷な音を立てて「真っ二つ」に割れ始めた。
神はエルセを、レオンハルトは「エルセという女」を欲している。
物語は、世界を救うか、愛する女を救うかという――究極の二択を、魔王に突きつけた。
第30話をお読みいただき、ありがとうございます!
ついに「神」との直接対面。そして、エルセ様を巡る「神の引力」と「陛下の執着」の正面衝突!
二人が人外の翼を広げて空へ昇るシーンは、書いていて自分でも鳥肌が立つほどドラマチックでしたわ。
ですが、神の提示する「世界の再起動」……。
それはエルセ様という個人が消え、陛下との思い出さえも「無」に帰ることを意味します。
愛する人を繋ぎ止めるために、陛下はついに「世界そのもの」を壊す決断を下すのでしょうか?
「陛下、神様相手でも絶対勝って!」「エルセ様、割れないで……っ!」
そんな風に手に汗握っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と【ポイント評価(★★★★★)】をお願いいたします!
皆様の応援が、引き裂かれそうな二人の魂を繋ぐ「最後の糸」となりますわ。
次回、第31話。
第3章、正真正銘の最終決戦。
レオンハルトの漆黒が、神の玉座を焼き尽くす……!
どうぞ、お見逃しなく!




