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第29話:真珠の涙、あるいは神を喰らう再生

嵐の去った寝室には、鉄錆の匂いと、焼け焦げた魔力の残滓だけが漂っていた。


「……は、はぁ……っ、エルセ……」


 レオンハルトは、寝台に背を預けたまま、掠れた声で愛しい者の名を呼んだ。

 彼の右腕は、肩口から先が「存在しないもの」として削り取られ、断面からは漆黒の魔力が火花のように散っている。普通の人間であればショック死していてもおかしくない重傷だ。だが、彼は残された左腕で、狂ったようにエルセの腰を引き寄せ、自身の胸に押し当てていた。


「陛下、動かないでくださいませ! ……ああ、どうして。どうしてこんな……っ」


 エルセは、震える手でレオンハルトの傷口を覆おうとした。

 だが、彼女の指が触れた瞬間、パチリと不吉な音を立てて、レオンハルトの肉体が僅かに砂となって崩れ落ちる。

 彼女の中に宿る「虚無」が、無意識のうちに彼の存在を消去しようとしているのだ。


「触れては……っ、駄目ですわ。私、また陛下を、壊してしまいます……!」


「……構わん。お前に消されるなら、本望だ。……それよりも、お前の顔を見せろ。……瞳に、まだ光はあるか? ……私を、認識しているか?」


 レオンハルトの紫水晶の瞳は、激痛と疲労で濁りながらも、執念深くエルセを捉えて離さない。

 彼は自分が消滅することよりも、エルセが「神」という名の無機質な概念に戻ってしまうことを何よりも恐れていた。


 エルセは、溢れ出す涙を拭うこともせず、自身の胸元を強く握りしめた。

 

(お母様……お父様……。もし私が、世界を消すための『穴』だというなら。……そのすべてを、今この瞬間に使い果たさせてください)


 エルセの瞳に、絶望を通り越した「覚悟」が宿る。

 

 彼女は、逃げようとする自分の手を、レオンハルトの無惨な断面へと力強く押し当てた。

 

「エルセ、よせ! お前の力が暴走すれば、お前自身が――」


「陛下。……私を信じて。……私は、あなたを愛するためだけに、この力を『上書き』しますわ!」


 その瞬間、エルセの身体から真珠色の極光が爆発した。

 それはかつての「浄化」の光ではない。

 周囲の光を喰らい、次元を歪ませ、あり得ない現実を強引に形作る――「神」そのものの権能。


『――愛を知るほど、器は完成する。愛を知るほど、神は地に堕ちる』


 かつて母アリアが遺した言葉が、脳裏で反響する。

 エルセは、自分の中に渦巻く巨大な「虚無」の中に手を突っ込み、そこから「レオンハルトの右腕」という概念を力技で引き摺り出した。

 

 本来、消えたものは戻らない。

 だが、今のエルセは、世界を再定義するキャンバスそのものだ。


「……あ、あ、ああああああッ!!」


 レオンハルトが、天を仰いで絶叫した。

 彼の肩口から、漆黒の魔力と虹色の光が混じり合い、新たな肉体が「編み上げられて」いく。

 それは人間としての再生ではない。

 エルセの神性と、レオンハルトの漆黒が不可逆的に融合した、人外のパーツ。


 やがて光が収まった時、そこには――。

 以前よりも一回り逞しく、しかしその表面を「黒い宝石のような鱗」に覆われた、美しくも禍々しい右腕が再生していた。


「……あ……」


 エルセは、精根尽き果てたようにレオンハルトの胸に崩れ落ちた。

 

 レオンハルトは、新しく得た右腕を驚愕の表情で見つめ、それからゆっくりと、エルセの背中を抱きしめた。

 感覚はある。いや、以前よりも敏感だ。エルセの鼓動、彼女の魔力の流れ、その魂の震えが、右腕を通じてダイレクトに自分の脳へと流れ込んでくる。


「……お前、何を……。こんな力を使えば、代償が……」


「陛下……。よかった……。ちゃんと、触れられますわ……」


 エルセが、弱々しく微笑む。

 だが、その微笑みを見たレオンハルトの顔が、恐怖に凍りついた。


「エルセ……。その、目元……」


「え……?」


 エルセが、自身の頬に触れる。

 指先に当たったのは、柔らかい肌の感触ではなかった。

 

 鏡を見ずともわかる。

 彼女の目尻から耳にかけて、虹色に輝く「硬い鱗」が、薄く、だが確実に浮かび上がっていた。

 それは彼女が人間であることをやめ、真の『神』へと変質し始めた動かぬ証拠。


「……嘘だ。これでは、これではあの男の言う通りではないか……!」


 レオンハルトが、狂ったようにエルセの鱗を自分の指で削り取ろうとする。

 だが、鱗は剥がれるどころか、彼の指の体温を吸って、より一層美しく輝きを増していく。

 

 愛せば愛するほど、彼女は神に近づく。

 彼女を救おうと足掻けば足掻くほど、彼女は「人間としてのエルセ」から遠ざかっていく。


 その時。

 帝都の遥か彼方、聖教国の方向から、空を裂くような巨大な「金色の音」が響き渡った。


『――時は、満ちた。色彩の娘よ、その魔王と共に、天の玉座へ昇るが良い』


 世界中の人々が、その声を聞いた。

 それは、数千年の眠りから覚めた「真の神」の初声。

 

 レオンハルトは、鱗の生え始めたエルセをマントの中に隠し、空を睨みつけた。

 その瞳には、もはや人間としての理欲を超えた、宇宙的な規模の「狂愛」が宿っていた。


「……天の玉座だと? ……ふん、いいだろう。……エルセ、私を離すな。お前が神になるというなら、私はその神を抱き潰し、天ごと心中してやる」


 皇帝の右腕の黒い鱗が、エルセの虹色の光に呼応するように、激しく脈打ち始めた。

第29話をお読みいただき、ありがとうございます!

エルセ様の献身的な再生……ですが、その代償は「人間としての姿」を失い始めるというあまりにも残酷なものでしたわ。

陛下の右腕とエルセ様の鱗。二人が物理的にも「人外のつがい」となっていく描写、書いていて溜息が出るほど切なく、そして甘美でした。


ついに目覚めた「真の神」。

神はエルセ様を迎えに来ようとしています。

ですが、我らが陛下がそれを「はいそうですか」と見逃すはずがありません!


「陛下、人外になってもイケメン!」「エルセ様、消えないで、でも鱗姿も美しい……!」

そんな風に思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と【ポイント評価(★★★★★)】をお願いいたします。

皆様の応援が、二人の「最後の人間らしさ」を繋ぎ止める楔となりますわ。


次回、第30話。

第3章、クライマックス。

帝都の上空に現れた「神の道」。

レオンハルトは、エルセを抱いたまま、その最上階へと殴り込みをかけます。

どうぞ、お楽しみに!

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