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泥人形と呼ばれた令嬢、隣国の冷徹皇帝に「世界の至宝」として攫われる ~「無能」と捨てられた私が、実は世界を守る唯一の浄化術師だった件。~  作者: 西園寺ミオ


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第14話:漆黒の揺り籠、真珠の目覚め

 アイゼンシュタット帝国の朝は、鳥のさえずりよりも先に、愛する男の熱い体温で始まる。


「……んっ……」


 エルセがゆっくりと瞼を持ち上げると、そこには至近距離で自分を見つめる、紫水晶(アメジスト)の瞳があった。

 レオンハルトは、エルセが目覚めるずっと前からこうして彼女を眺めていたのだろう。彼の逞しい腕は、エルセの腰を逃がさないようにしっかりと、だが壊れ物を扱うような繊細さで抱きしめている。


「おはよう、私の真珠。……まだ眠いか?」


 低く、甘く掠れた声。レオンハルトは、エルセの額にそっと唇を寄せ、そのまま彼女の鼻先、そして頬へと、愛を刻むように接吻を落としていく。


「陛下……あの、もう起きなくては。今日はお姉様――シルヴィア様とお茶の約束が……」


「……行かせたくないな。今日は一日、このベッドの中で私だけを見ていろと言ったら、お前は困るだろうか?」


 冗談には聞こえない真剣な眼差し。レオンハルトは、エルセの白銀の髪を指に絡め、うっとりとした表情でその香りを吸い込んだ。


「お前が目覚めるたびに、この部屋が光で満たされる。……お前を外に出せば、世界中がその輝きに気づいてしまう。やはり、誰の目にも触れぬ地下の奥深くに、私だけの小鳥として閉じ込めておくべきだったか」


「陛下ったら……。そんなことをしたら、私が悲しむとお分かりのはずですわ」


 エルセが困ったように微笑むと、レオンハルトは降参したように溜息をついた。

 彼はベッドサイドのベルを鳴らすこともなく、自らエルセを抱き上げ、ふかふかの絨毯の上に降ろした。いいえ、降ろしたのではない。彼女の足が冷えないよう、自分の足の上に彼女を立たせたのだ。


「着替えも、食事も、すべて私がやる。お前はただ、私に身を委ねていればいい」


 帝国を統べる皇帝が、一人の少女のために膝をつき、最高級の絹で作られた靴下を丁寧に履かせていく。

 朝食には、南方から魔法の速報便で届いたばかりの、朝露に濡れた宝石のような果実が並んだ。レオンハルトはそれを自ら剥き、エルセの口元へと運ぶ。


「美味しいか?」


「……はい、とっても。陛下も、召し上がってくださいませ」


 エルセが小さく切った果実を差し出すと、レオンハルトは彼女の指先ごと、愛おしそうにそれを口に含んだ。


   ◆


 午後のティータイム。

 離宮の庭園では、エルセの魔力によって再生した白バラが咲き誇り、シルヴィア皇女が上機嫌で紅茶を啜っていた。


「あら、エルセ! 今日も一段と発光しているわね。レオンの執着が肌に艶を与えているのかしら? ふふ、あの子ったら、貴女が私と会うのさえ、さっきまで凄まじい顔で睨んでいたのよ」


「お姉様……陛下は、少し心配性が過ぎるのですわ」


「いいえ、あれは心配じゃないわ。『独占欲』よ。でも無理もないわね。今の貴女は、世界中のどんな宝石よりも価値がある。……それを聞きつけて、面倒な連中が動き出したみたいだけど」


 シルヴィアの瞳に、一瞬だけ鋭い「戦士」の光が宿った。


「面倒な連中……ですか?」


「ええ。西の『聖教国』よ。あそこの法王が、『皇帝が聖女を独り占めするのは許さない、あの娘は我らの教国に返すべきだ』なんて言い出してね。……結局のところ、貴女を"自分たちの宝物"として連れ去りたいだけ。エルセ、貴女を道具みたいに扱いたがる連中は、生まれた国だけじゃなかったってことよ」


 エルセは胸元にある『原初のプリズム』にそっと手を触れた。

 ……また、誰かが私を「人」ではなく「物」として欲しがっている。捨てられたあの日と、同じように。


「……ところでエルセ。昨夜、レオンが宮廷魔術師長を寝所から叩き起こしたのは、聞いている?」


「え……?」


「顔色が死人みたいだったそうよ。あの子が誰かに助けを乞うなんて、何年ぶりかしらね」


 シルヴィアはカップを置き、まっすぐにエルセを見た。


「魔術師長が出した答えを、そのまま伝えるわ。……貴女の『無色』は、この世の濁りを引き受けて、無に還す力。引き受けたぶんだけ、貴女自身が"無"の側へ寄っていく。……つまり、貴女が誰かを救うたびに、貴女はほんの少しずつ、こちらの世界から遠ざかるのよ」


 紅茶の湯気が、風もないのに揺れた。


「十年かけて王国じゅうの毒を飲み続けても、貴女はまだここにいる。それだけ進みは遅いわ。……でもね。帝国に来てから貴女が使った力は、王国の十年ぶんを、ひと月で超えているの」


「……お姉様。それでは、私は、いつか」


「わからない。魔術師長にもわからないと言われたわ」


 シルヴィアは、めずらしく言葉を選ぶように間を置いた。


「ただ、あの子は理解した。理解したうえで、貴女には何も言わないことを選んだ。……だからこれは、私からの、余計なお節介よ」


 エルセは、自分の指先を見た。

 白い。いつもどおりの、何の色もない、白い指。


 その時だった。


「――報告いたします!」


 一人の衛兵が、血相を変えて庭園に駆け込んできた。


「聖教国からの使節団が、城門に到着いたしました! 『エルセ・フォン・アラバスターは我らの聖女、直ちに教国へ引き渡せ』と要求しております!」


 エルセの体が、微かに震えた。

 だが、その震えを止めるように、背後から圧倒的な「漆黒」の魔力が渦巻いた。


「……引き渡す、だと?」


 いつの間にか現れたレオンハルトが、エルセの肩を抱き寄せ、冷徹な殺意を込めて空を見上げた。


「またこの娘を"道具"として連れ去ろうという者がいるなら――相手が法王だろうと、その後ろの神だろうと、同じことだ。エルセに手を伸ばす指は、私がこの手で一本残らず焼き落とす。……エルセ、案ずるな。お前の髪一筋さえ、奴らには触れさせん」


 レオンハルトの瞳に、禍々しいまでの狂愛が燃え上がる。


   ◆


 その夜。

 エルセは、離宮の自室の扉が、外から施錠される音を聞いた。


 鍵をかけたのは、衛兵ではない。

 扉の向こうに立っているのが誰なのか、エルセにはわかっていた。


「陛下……。どうして」


「……使節が去るまでだ」


 扉越しの声は、低く、掠れていた。


「使節が去るまで、お前は誰も救わなくていい。誰も浄めなくていい。……何もしなくていい。ただ、そこにいろ」


 守っているのか、閉じ込めているのか。

 エルセにも、たぶん彼自身にも、もう区別はついていなかった。


 ――だが、鍵は夜明け前に開いた。

 開けたのは、扉の外に立ち続けていた男自身だった。


「……駄目だ。見えぬところに置いておけん」


 彼はエルセを抱き上げ、謁見の間の、自分の玉座の隣へ運ばせた椅子に降ろした。

 守るために遠ざけたい。失うのが怖くて、離せない。

 この夜、皇帝は生まれて初めて、自分の愛が自分の手に負えなくなっていることを知った。

陛下の甘すぎる朝のルーティンを書いたその同じ回で、扉に鍵をかけさせることになるとは思いませんでした。


この物語の陛下は、これまで一度も迷ったことがありません。

その男が初めて、自分のやっていることの名前を言えなくなりました。


「陛下、もっと過激に守って!」「……でも、それは守ることになるの?」

どちらでも構いません。心が動きましたら、ぜひ【ブックマーク】と【ポイント評価(★★★★★)】を。


次回、エルセ様は使節の前に立ちます。

彼女が力を使えば、たぶん誰も傷つきません。

――そのぶん、彼女は少しだけ遠くなります。

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