第13話:泥の中に堕ちた、かつての王子
アイゼンシュタット帝国の国境ゲートを叩き出された時、ジュリアンとミエルを待っていたのは、かつての華やかな凱旋などではなかった。
そこにあったのは、鼻を突くような「腐敗」の臭いと、重苦しい灰色の空だった。
「……ハァ、ハァ……。なんだ、この空気は。息が、詰まる……」
ソラリア王国の領土へ一歩足を踏み入れた瞬間、ジュリアンは激しく咳き込み、地面に膝をついた。
魔力とは、本来その土地の生命力そのもの。エルセという『原初のプリズム』が二十四時間絶え間なく浄化し続けていたソラリア王国は、彼女がいなくなったその瞬間から、これまで蓄積されてきた「人の業」と「魔力の澱み」が爆発的に逆流し始めていたのだ。
王都へ向かう街道沿いの村々は、かつての喉かな面影を失っていた。
井戸水はどす黒く濁り、畑の作物は収穫を待たずして墨のように真っ黒に腐り果てている。
「おのれ……帝国め、我が国に呪いでもかけたというのか!」
ジュリアンが呪詛を吐くたび、彼の喉からは嫌な音と共に濁った痰が溢れる。
隣でボロ布を纏い、顔を隠して震えるミエルを振り返る余裕さえない。彼女の「虹色の魔法」は、今や見る影もなく、彼女の肌を焼き、醜い痣となって浮き出ていた。
やがて、王都の城門に辿り着いた時。
彼らを迎えたのは、血走った目をした民衆たちの怒号だった。
「――王子だ! 王子が帰ってきたぞ!」
「エルセ様はどうした! 聖女様を連れ戻したんだろうな!?」
罵声と共に、泥や石が投げ込まれる。
かつてエルセを「色のない欠陥品」と石を投げて追い出したのは、他ならぬこの民衆たちだ。だが、彼女がいなくなったことで土地が枯れ、疫病が流行りだすと、彼らは手のひらを返して彼女を求めた。
「黙れ! エルセは帝国に寝返った裏切り者だ! 私とミエルがいれば、この国はすぐに……!」
「嘘をつくな! ミエル様が魔法を使うたび、川の魚が死ぬじゃないか!」
「エルセ様がいた頃は、こんなに空が重くなかった! 彼女を返せ! 私たちの平穏を返せ!」
民衆の投石がジュリアンの額に当たり、濁った血が流れる。
逃げるように王宮へ駆け込んだ彼を待っていたのは、さらに凄惨な光景だった。
王宮のシンボルであった『極彩色の薔薇園』は、今や見る影もなく、どろどろの腐土へと変わり果てている。
玉座に座る国王もまた、かつての威厳を失い、死人のような顔で震えていた。
「ジュリアン……遅かったな。もう、この国の魔力貯蔵庫は空だ。……あの娘が、一族の血筋に眠る毒をすべて引き受けていたことに、なぜ気づかなかった……」
「父上、何を……! あの女はただの……!」
「ただの道具ではなかったのだ! 彼女は、我が王家を『呪い』から守るための生贄だった! 彼女を捨てた瞬間、我々の命脈は断たれたのだ……っ!」
国王が激しく吐血し、崩れ落ちる。
その血は、赤ではなく、ドブ川のような暗褐色をしていた。
絶望に打ちひしがれたジュリアンは、ふと、北の空を見上げた。
そこには、遠く離れた帝国の方角に、天まで届くような一筋の「銀色の光」が輝いていた。
それは、エルセがレオンハルトの腕の中で微笑み、愛を囁くたびに溢れ出す、至高の浄化の光。
自分たちが泥の中に叩き落とした少女が、今は手の届かない神の如き場所で、世界を潤している。
「あ……ああ……。エルセ、エルセ……! 戻ってきてくれ! 私が悪かった、お前を愛してやるから、だから……!」
闇に染まった王宮に、王子の虚しい絶叫が響き渡る。
だが、その声が帝国に届くことはない。
一方その頃。
アイゼンシュタット帝国のテラスでは。
「――んっ、陛下……。まだ、お昼間ですわ……」
「お前の唇が、あまりに甘いのが悪い。……お前の色は、一滴たりともあのゴミ共には分けてやらん。お前が放つ光は、私の暗闇を照らすためだけのものだ」
レオンハルトは、潤んだ瞳で自分を見上げるエルセを、これでもかと強く抱きしめていた。
地獄と、極楽。
色彩のバランスは、今、完全に入れ替わったのだ。
第2章、開幕早々、王国側を地獄に突き落とさせていただきました!
自業自得という言葉を、彼らには一生噛み締めていただきましょう。
エルセ様がいなければ、彼らは自分たちの「毒」で溶けていくしかないのです。
そして、帝国側の甘い、あまりにも甘い日常……。
レオンハルト陛下の独占欲、第2章ではさらに「狂気」に近いレベルまで加速させる予定です。
「王子たちの末路、もっと酷くてもいい!」「陛下、もっとエルセ様を可愛がって!」
そんな風に思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と【ポイント評価(★★★★★)】をお願いいたします!
皆様の応援が、王国の凋落をさらに早めますわ。
次回、第14話。
平和なはずの帝国に、不穏な影――『聖教国』の使いが訪れます。
「エルセは神の所有物」と抜かす連中に、陛下がどんな鉄槌を下すのか?
どうぞ、お楽しみに!




