生える。(前半)
現代において神社とは、霊気溢れる神域と核となる御神体の管理施設として設けられるもの。古来の用途と異なり神の御座す社ではないが、同じ様に大いなる力が宿る場所として、敬意を持って大切に扱われている。
神域や御神体が齎す効能はその土地ごとに性質が異なり、心身を健全に保つもの、生物を活性化させるものと様々だ。
性質の差が出るのは、植生や地形など土地自体の特徴もあれば、長い歴史や起こった事件などによって付けられた、霊的な傷痕が術式の代わりとなっているなど、外来的な理由の場合もある。
自分が管理する咲零神社においては後者にあたり、以前この地域に有ったものの影響が強いそうで、霊獣と一緒に邪なものを撥ね除け、打ち滅ぼす破邪の力は良いのだが、もう一つの効果となる精神の鼓舞は、ご利益とするには若干迷惑な副作用がある。
拝殿へ詣で霊気を浴びれば胸の中に熱いものが生じ、チームワークと努力をもって何かを成し遂げんとの覇気に満ちる。
それだけであればよかったが、同時に営業系の何かが刺激され、さもなくば立ち行かなくなるような焦燥も少なからず齎すのだ。
自分もうっかり油断すると、参拝客を如何に呼び込むかを熟考してしまい、時間を無駄に費やしてしまうことがあり、正直、あまり良い効果と思えない。
そこで差し支えない範囲で霊気の流れを調整し、焦らず落ち着いて物事に取り組める程度に抑えるよう注力している。
結果、効果が薄まり、眷属の獅子たちや破邪の力と違ってあまり周知されていない。
そもそも参拝者が少ないのは隣接する村の協力により、獅子たちへの安全管理の徹底によるものの筈だ。
破邪の方さえしっかりしてれば普段は問題ないのだが、年末年始は流石に異なる。
初詣の習慣は神仏へ一年間の感謝と祈願から、神域の霊気を浴びることへ変化しつつも滞り無く続いており、大晦日から三が日まではひっきりなしに参拝客が来る。
新年早々からやたら焦らせるのも申し訳ないので、この時期は特に気を使う。
また、厄除けの御札や霊水もお分けするし、去年の札も回収しなければならない。
自分一人では到底手が足りないので役場へ応援を呼び、朔日は内陣に籠り、御神体の側で休む獅子たちも、この時ばかりは巣籠りを延期して参拝客へ対応する。
大きいのも小さいのも協力して、邪気が寄り付かぬよう破邪の咆哮で参拝者を一人ひとり祓い、赤ん坊が健康で勇敢に育つよう祈りを込めて尻尾で撫で、用意したステージの上をチョロチョロ動き回ってファンサービスに勤しむ。
三が日が過ぎれば、7日まで境内への立ち入りが公的に禁止となり、ゆっくり休むことが出来るが、それまでは邪鬼怨霊が湯水のように湧き出す夏場の討伐全盛期より、ある意味忙しい。
特に今年は例年の3倍ほどの大賑わいであった。
関東の中心、水都で行われた御前試合に去年参加したのが、参拝者増加の大まかな理由であろうが、他にも秋から村内パトロールを兼ねて小学校や保育園などの施設を周り、子供達の好感度を上げられたのも大きいようだ。
此処ぞとばかりに目立とうとお立ち台の上で跳ねたり尻尾を揺らしたり、偉そうにミャアミャア鳴いている子獅子を指差して燥ぐ子供達は勿論だが、付添のお母さん方の好感度もこの機会にガッチリ稼げたと良いのだが。
うちの子獅子は可愛いし、大人の獅子も怖くないです。
吠えるのはサービスだから。噛まないから。何かの弾みに距離を縮めすぎても、ダッシュで逃げなくて大丈夫だから。
また、自分たちが設えたものではないが、境内に設置された大きな獅子の雪像も人気を博した。
発見当初は困惑したものの、獅子を模っているだけに壊すには忍びなく、気に入った子獅子達もそのままにして欲しいと騒いだ。
かと言って、倒壊事故などに繋がってはいけないので、ちょっと大袈裟だが周囲に結界をしっかり張ることにした。
安全面が問題なければ、雪像の精巧さや大きさに目を見張るだけでよく、写真を取るのに丁度よい人気スポットとなってくれた。
何処からか、「千客万来、商売繁盛。」「もふもふは雪でも尊し、尊し。」と聞こえたような気がしたのには、取り敢えず耳を塞いでおいた。
あまりに参拝者が多かったため、配布用に用意しておいた札が全く足らず、2日以降は対応と監督の殆どを村の役員さんに任せ、社務所で延々と追加作成する羽目になった。
ただ、慣れない接客をせずに済んだという点では、楽をしてしまったかもしれない。
忙しいだけであればまだしも、仕事の8割が女性客による「三峰神社から来たという霊獣は何処に?」との問い合わせ対応であったと、応援に来てくれた役員さんが大層ご立腹であった。
確かに今年から三峰の神狼、ヒサ君が応援に来てくれることになっているが、年末年始が過ぎて落ち着く15日以降の予定となっている。
広報の不足を感じる余裕があったのは最初だけ。途中で嫌になり、張り紙で不在を知らしめたらしい。
麗しい神狼が見たければ、直接三峰へ行け。参道口の鳥居にでかでかと貼り付けた後は楽であったと満足げであったので、そういうのってどうかなあと思ったけど、言えなかった。
自分が対応した限りでは質問者の殆どは男性で、純粋に戦力として期待しているようであったのだが。
あと、仕事の8割はない。精々2割がいいところであろう。
精神的ダメージで体感が増幅されただけな予感がひしひしとする。
それでも何とか今年の三が日も無事に終わり、思わぬ賑わいで疲れた獅子達は4日5日の巣籠りを終えて尚、殆どの時間を本殿でひっくり返っている。
自分も一先ず、腱鞘炎にならなくてよかったものの、少し疲れてしまい、ぼんやりしている。
札を求められるのはこの時期だけで、年に一度のことであれば良いものをと一枚一枚手書きで作成してきたが、いい加減、スタンプによる複写式に切り替え、手順の簡略化を検討すべきであろうか。
しかし、同じ顔料と書式を使っても量産型は質が落ちる。
年間を通して準備すれば、何とかなると思いたいがどうだろう。
年が明けてまだ6日目だと言うのに、来年のことを考えるのは鬼に笑われてしまうか等と思いながら、札に使う墨の在庫を確認していると、ジャリジャリと砂利を踏む複数の音がした。
顔を出したのは子獅子の中で最年少組にあたる5匹。
新年を迎えて、また少し大きくなった彼らは何を企んでいるのか、尻尾をブンブン振り回し、鼻息荒く近寄ってくる。
出迎えに縁側まで赴けば、一列に並んで行儀良く座り一斉にガウと吠えた。
『じいちゃん、お年玉をください!』
また、変なことを覚えてきたなと思う。
当社の獅子は付喪神系の霊獣であり、潤沢な霊気さえあれば肉や魚も不要である。
野山を巡って獲物を追う必要もなく、まして金銭など使いみちがなかろうに。
「あげてもいいけど、何に使うんだ?」
興味本位で聞いてみれば、何時も通り元気よく天祥が吠えた。
『食べるよ! テンちゃん、カリカリを食べるよ!』
『ボクも、カリカリ食べたいー!
でも、できれば飴ちゃんが良い!』
『じいちゃん、加賀見の兄ちゃんがくれた飴、まだ残ってないの?』
続いて豊一と巳壱がミャウミャウ鳴き、燦馳が叱るようにシッと短く鳴く。
『飴はもうないよ。それにあれは元々、お薬だもん。我慢しなよ。』
『ムイも飴ちゃん、もっと食べたいなあ。』
騒ぐ兄弟たちを眺め、無比刀が何時もののんびりマイペースでミャアーと鳴いた。
どうやらお年玉と言うより、おやつが欲しいようだ。
昨年、郵便屋の魔物から貰った蜂蜜飴は材料が特殊であったらしく、本来甘味を食さない獅子達にも大好評であった。
あの蕩けるような味わいを思い出したのか、子獅子達は揃って口の周りを舐めながら意味もなくお互いの顔を見合わせ、ミャウミャウと鳴いた。
「残念だか、あの飴はもうないなあ。」
『そっかー』
期待のこもった視線に応えられないのは心苦しいが、ない袖は振れないと断る。
おやつ用としてもらった飴は、その日のうちに公平に分配してしまった。
他には兄獅子の逸信が本来の用途、薬用として貰ったのをもっているが、これは勘定に入れられない。逸信は気が優しくて、弟に強請られれば譲ってしまいかねない所があるから尚更だ。
もうないと聞いて、子獅子たちはがっかりした様子で来た道を戻り始めたが、途中で目的が違うと口喧嘩を初めた。
『違うよ! 飴ちゃんじゃないよ! お年玉だよ!
ミイちゃんが余計なこと言うから、テンちゃんまで間違ったよ!』
『えー ミイチのせいじゃないよ。最初に言い出したのはトヨチーだよ。』
『だって、どうせ食べるならあっちがいいもん。
それに栄養たっぷりだから、カリカリより効き目があるよ。』
ぎゃうぎゃうと騒がしい天祥たちの争いから一歩離れ、燦馳が呆れ顔で頭を低くし、無比刀は我関せずと言った体で黙って尻尾を揺らす。
『つまんない喧嘩、やめなよ。それにカリカリでも、飴ちゃんでも駄目だと思うよ。』
『そんなの、やってみないとわかんないじゃん!』
燦馳がひげをピクピクさせながら止めるのに、天祥は毛を逆立てギャウと言い返し、くるりと此方に向き直ると、子獅子と思えぬほど太く低い声でガオウと吠えた。
『じいちゃん! テンちゃん、飴ちゃん食べたい!
でも、取り敢えずはカリカリでいい!
出来れば、こないだのケーキみたいに美味しいの!』
「何時もと同じのしかない。何より元々魔石は携帯用でおやつじゃないぞ。」
カリカリこと魔石は本来遠征時の大事な携帯食料であり、他所の神社から計画的に譲ってもらわねばならない貴重品なのだが。
此処数年、訪問頻度が右肩上がりな郵便屋のせいで扱いがぞんざいだ。
クリスマスに美味しいのを貰ったことも加わって、もらえて当然とばかりに吠える子獅子の勘違いを修正すれば、更に煩く吠え立てた。
『だから、お年玉だよ!
お正月だから、特別に貰えてもいいはずだよ!』
何方にしろ、寄越せと要求するものではないのだが。
どう頑張っても勘違いしているなと言わざるを得ない。




