第六話 史上最強の魔神、起きた瞬間に謝る
第六話 史上最強の魔神、起きた瞬間に謝る
世界最強決定戦が終わってから三日後、勇者ユートたちは王都を離れ、次の目的地も特に決めないまま南へ向かっていた。
魔王を倒した以上、かつてのように「魔王城へ向かう」という明確な目的はなくなっており、最近では困っている村や町があれば立ち寄り、何もなければそのまま旅を続けるという、勇者というより少し強すぎる旅人のような生活になっている。
もっとも、本人たちはそれで満足していた。
「それにしても、世界最強か」
街道を歩きながらユートが呟くと、少し前を歩いていたガイラスが振り返った。
「まだ気にしているのか?」
「だって、俺、魔王にも負けなかったんだぞ。それなのに最後は豆で負けた」
「豆に負けたのではない。俺に負けたんだ」
「一個差だったじゃん」
「一個でも勝ちは勝ちだ」
「もう一回やろう」
「構わん」
二人が真剣な顔で話している横で、セレスは深いため息をついた。
世界最強を決める大会の決勝戦が豆つかみになったこと自体がおかしいのだが、この二人はそれを全く気にしていない。それどころか、あの試合以降、宿屋で食事をするたびに豆が出てくると勝手に練習を始めるようになってしまった。
「お願いですから、今度は普通に食べてくださいね。昨日も宿屋の豆を全部別の皿へ移したでしょう」
「練習だよ」
「食べ物です」
「最後は食べた」
「そういう問題ではありません」
少し後ろを歩いていたゼルディアが、その会話を聞きながら首を傾げた。
魔王グラディオスの一人息子である彼は、父の仇を討つためにユートへ挑み、まるで相手にならないほど完敗した結果、なぜか現在はユートの弟子になっている。
「師匠、一つ聞いていいか」
「何?」
「人間というのは、世界最強を豆で決める種族なのか?」
「違うと思う」
「では、なぜあの大会では豆で決めた?」
「俺たちが普通に戦うと危ないからだって」
「その説明を聞けば聞くほど、我には人間という種族が分からなくなる」
セレスが小さく頷いた。
「安心してください。私にも最近、この方々が分からなくなってきました」
「セレスまで?」
「勇者様は特にです」
「ひどいな」
そんな会話をしながら一行が街道を進んでいると、前方から一騎の騎士が猛烈な勢いで駆けてきた。
騎士はユートたちの姿を確認すると馬を止め、転げ落ちるように地面へ降りる。
「勇者ユート様でいらっしゃいますか!」
「そうだけど」
「どうか、お力をお貸しください!」
ユートたちは顔を見合わせた。
この展開には、最近かなり慣れてきている。
「今度は何?」
ユートが尋ねると、騎士は息を整えることさえ忘れたように答えた。
「魔神です」
その一言で、セレスの表情が変わった。
「魔神?」
「はい。南方のラグナ山脈に封印されている、古代魔神アグナディスの封印が崩れ始めています」
ガイラスが足を止め、バルガも珍しく真面目な顔になる。
魔神。
それは魔族とは異なる存在であり、人間の歴史が始まるより遥か以前から存在したとされる、神に近い力を持つ怪物の総称だった。
「強いの?」
ユートが尋ねると、騎士は大きく頷いた。
「伝承が正しければ、レベル93です」
ユートは少しだけ目を見開いた。
「九十三?」
その反応を見て、騎士は期待した。
さすがの勇者も驚いたのだろう。魔王グラディオスがレベル87だったことを考えれば、レベル93の魔神がどれほど恐ろしい存在なのかは説明するまでもない。
しかし。
「結構強いじゃん」
騎士の表情が止まった。
「……結構?」
「最近、八十前後ばっかりだったから」
「勇者様」
セレスが静かに割り込む。
「普通の人間にとって、レベル93は『結構強い』ではありません」
「じゃあ何?」
「世界滅亡の危機です」
「そんなに?」
「そんなにです」
ゼルディアも珍しくセレスに同意した。
「師匠、アグナディスの名は我も知っている。父上でさえ、奴の封印には近づくなと言っていたほどだ」
「魔王が?」
「ああ。古い記録では、一万年前に人間、魔族、竜族が連合してようやく封印したらしい」
バルガの顔に笑みが浮かんだ。
「面白そうじゃねえか」
「バルガ様、なぜ嬉しそうなのですか」
「久しぶりに強そうな奴なんだぞ。レベル93だろ?」
「あなたは115です」
「あ」
バルガは少し考え、それでも笑った。
「まあ、今までよりは強いだろ」
騎士はその会話を聞きながら、自分が助けを求める相手を間違えたのではないかと思い始めていた。
◇
ラグナ山脈。
そこには既に王国軍三万、神殿騎士団五千、高位魔術師三百人が集結していた。
山脈の中央には巨大な黒い神殿があり、その地下深くに古代魔神アグナディスが封印されているという。
神殿の周囲には何重もの結界が張られていたが、その全てに亀裂が入り、地下から漏れ出す魔力だけで空は黒く染まり、周囲の山々では動物たちが一匹残らず逃げ出していた。
ユートたちが到着すると、総司令官が駆け寄ってきた。
「勇者様! お待ちしておりました!」
「状況は?」
「最悪です。封印はあと一時間も持ちません」
「封印し直せないの?」
「試みました。しかし、魔神の力が強すぎます。現在の魔術では抑えきれません」
リリシアが神殿を見る。
「確かに強い魔力ね」
「リリシアでも?」
「封印された状態でこれなら、完全に目覚めたらかなり強いと思う」
その言葉を聞いた周囲の兵士たちがざわめいた。
レベル123の大魔法使いが「かなり強い」と言ったのである。
しかし、セレスは別の意味で不安になった。
「リリシア」
「何?」
「念のため確認しますが、本気の魔法は使わないでください」
「どうして?」
「山脈がなくなります」
「加減するわよ」
「前回も同じことを言って森を二百メートルほど消しました」
「あれはガイラスよ」
「リリシア様はその後、川を一本増やしました」
「結果的に便利になったでしょう?」
「結果の問題ではありません」
総司令官は二人の会話を聞きながら、何とも言えない顔をしていた。
世界滅亡の危機を前にしているはずなのに、勇者一行だけがあまりにも普段通りなのである。
その時だった。
山全体が揺れた。
ズズズズズズズズ……。
兵士たちが一斉に神殿を見る。
巨大な石柱に亀裂が走り、黒い光が地下から噴き上がる。
「封印が!」
誰かが叫んだ。
総司令官が剣を抜く。
「全軍、戦闘準備!」
三万の兵士が武器を構え、五千の神殿騎士が祈りを捧げ、三百人の魔術師が一斉に詠唱を始める。
そして。
神殿が。
内側から吹き飛んだ。
ドォォォォォォォン!
巨大な爆発。
黒煙が空へ昇る。
地面が揺れ、山肌が崩れ、兵士たちから悲鳴が上がった。
煙の中から。
巨大な影が現れる。
身長十メートル。
六本の腕。
黒い身体。
額には巨大な第三の眼。
背中からは無数の黒い炎が立ち上っている。
古代魔神アグナディス。
レベル93。
一万年の眠りから。
ついに。
目覚めた。
「ククク……」
低い笑い声が山脈へ響く。
兵士たちが震える。
「一万年……長かった」
アグナディスがゆっくり身体を起こす。
「我を封じた愚かな人間どもは、とうに滅びたか」
誰も答えない。
「ならば、新たなる時代の人間どもよ。喜ぶがよい」
六本の腕が広がる。
「今日より、この世界は再び我が――」
言葉が止まった。
アグナディスの第三の眼が。
ユートを見る。
レベル128。
「…………」
次に。
リリシア。
レベル123。
「…………」
ガイラス。
レベル119。
バルガ。
レベル115。
セレス。
レベル107。
そして。
少し離れた場所にいるゼルディア。
レベル82。
アグナディスは黙った。
長い。
長い沈黙。
ユートが手を上げた。
「こんにちは」
アグナディスは答えない。
「聞こえてる?」
まだ答えない。
「一万年寝てたから耳悪くなった?」
セレスが小声で言う。
「勇者様、挑発しないでください」
「してないよ」
アグナディスは混乱していた。
一万年前。
自分は世界最強だった。
人間。
魔族。
竜族。
全てを敵に回しても、負けることなど考えたことすらなかった。
数万人の軍勢を一人で滅ぼし、三十人の英雄と戦い、その半数以上を殺した。
最後は三種族の総力を結集した封印術によって閉じ込められたが、それでも自分が敗北したとは思っていなかった。
だから。
目覚めれば。
再び世界を支配するつもりだった。
なのに。
目の前にいる。
レベル128。
その横。
123。
119。
115。
107。
アグナディスは自分のレベルを確認した。
93。
もう一度。
ユートを見る。
128。
自分。
93。
リリシア。
123。
自分。
93。
ガイラス。
119。
自分。
93。
アグナディスは一万年ぶりに。
恐怖という感情を思い出した。
「……あの」
魔神が言った。
総司令官が剣を握り直す。
「来るぞ!」
アグナディスは六本の腕を。
ゆっくり。
下ろした。
「一つ、確認してよいだろうか」
ユートが答える。
「何?」
「今は」
魔神は慎重に言葉を選んだ。
「人間という種族は、平均してその程度の強さなのか?」
ユートが首を傾げた。
「その程度?」
「お前たちのことだ」
ユートは仲間を見る。
「どうなの?」
セレスが即答した。
「違います」
「違うって」
アグナディスは少し安心した。
「そうか」
「この方々が異常なのです」
アグナディスの安心が消えた。
「では、なぜ異常な者が五人も同じ場所にいる」
セレスは少し考えた。
「仲間ですので」
「なぜだ!」
魔神の叫びが山脈に響いた。
一万年前、自分を封印するためには三種族が国家の垣根を越え、数十年かけて準備し、何万人もの犠牲を出した。
それなのに。
今。
自分より遥かに強い者たちが。
仲良く。
五人で旅をしている。
おかしい。
一万年の間に。
世界はおかしくなった。
ユートがアグナディスへ近づいた。
「とりあえず」
魔神が一歩下がる。
「待て」
ユートがもう一歩進む。
アグナディスがもう一歩下がる。
「何だよ」
「そこで話そう」
「遠いじゃん」
「十分聞こえる」
「でも首疲れる」
「我は疲れぬ」
「俺が疲れる」
アグナディスは困った。
世界を支配するつもりで復活した魔神が、今は勇者の首の疲れを心配して距離を調整している。
ユートが尋ねた。
「お前、これから何するつもり?」
「…………」
「世界征服?」
アグナディスは答えようとした。
本来なら。
そうだ。
一万年間。
そのためだけに封印を破ろうとしてきた。
しかし。
目の前。
レベル128。
横。
123。
119。
115。
107。
アグナディスは千分の一秒ほど考えた。
「観光」
全員が黙った。
ユートが聞き返す。
「何?」
「観光だ」
「さっき世界がどうとか言ってなかった?」
「聞き間違いだ」
「でも」
「一万年ぶりだからな」
アグナディスは胸を張った。
「世界がどのように変わったのか見て回ろうと思っていた」
セレスが小声で言う。
「絶対に嘘ですね」
ガイラスが頷く。
「嘘だな」
バルガも頷く。
「完全に嘘だ」
リリシアまで頷く。
「世界征服するつもりだった顔よね」
「顔で分かるの?」
「分かるわ」
アグナディスの額に汗が流れた。
魔神に汗というものがあるのか。
本人も初めて知った。
ユートはしばらく魔神を見上げていたが、やがて笑った。
「じゃあいいんじゃない?」
総司令官が叫ぶ。
「勇者様!」
「何?」
「信じるのですか!」
「だって観光したいって」
「魔神ですぞ!」
「でも今は何もしてない」
「一万年前に世界を滅ぼしかけた存在です!」
ユートはアグナディスを見る。
「本当?」
アグナディスは一瞬迷った。
「若気の至りだ」
「一万年前なのに?」
「我にも若い頃はあった」
「反省してる?」
アグナディスは再びユートたちのレベルを確認した。
そして。
深々と。
頭を下げた。
「大変申し訳ございませんでした」
山脈が静まり返った。
王国軍三万人。
神殿騎士五千人。
魔術師三百人。
全員。
言葉を失った。
一万年前に世界を滅亡寸前まで追い込んだ史上最強の魔神が。
謝った。
しかも。
ものすごく丁寧に。
ユートがセレスを見る。
「反省してるって」
「恐怖しているだけだと思います」
「似たようなものじゃない?」
「全く違います」
アグナディスは頭を下げたまま言った。
「今後、世界征服などという愚かなことは二度と考えぬ」
「本当に?」
「誓おう」
「人間襲わない?」
「襲わぬ」
「魔族も?」
「襲わぬ」
「ドラゴンも?」
「襲わぬ」
「村壊さない?」
「壊さぬ」
「畑も?」
「なぜ畑だけ具体的なのだ」
「前にゴブリンの畑作ったから」
「よく分からぬが、畑も壊さぬ」
ユートが笑った。
「じゃあ解決だな」
総司令官が叫ぶ。
「解決しておりません!」
「何で?」
「魔神が復活したのですぞ!」
「でも悪いことしないって」
「その言葉を信用できる保証がありません!」
アグナディスが総司令官を見る。
「人間よ」
「な、何だ!」
「心配するな」
魔神は真剣だった。
「あの五人が生きている間、我は絶対に悪いことをせぬ」
「理由が正直すぎます!」
セレスが思わず叫んだ。
◇
結局。
三日間にわたる協議が行われた。
その結果。
古代魔神アグナディスは、王国、神殿、魔族領の三者による監視下で自由行動を許可されることになった。
ただし。
人間への攻撃禁止。
魔族への攻撃禁止。
竜族への攻撃禁止。
国家転覆禁止。
世界征服禁止。
巨大化して都市へ入ることも禁止。
その他。
細かい規則。
合計百二十七項目。
アグナディスは契約書を見ながら言った。
「多くないか?」
セレスが答える。
「一万年前の実績がありますので」
「反省しておる」
「本当に?」
アグナディスはユートを見る。
レベル128。
「心の底から」
「なら署名してください」
魔神は署名した。
こうして。
一万年ぶりに復活した史上最強の魔神は。
世界征服することも。
人類と戦争することもなく。
観光客になった。
◇
一週間後。
ユートたちは、とある町を歩いていた。
「師匠」
ゼルディアが言う。
「何?」
「あれ」
道の向こう。
巨大な男。
身長二メートルほど。
六本あった腕は魔法で二本に見せている。
角も隠している。
古代魔神アグナディス。
土産物屋の前にいる。
「何してるんだ?」
ユートたちが近づく。
アグナディスは真剣な顔で商品を見ていた。
「何してるの?」
「勇者か」
「観光?」
「そうだ」
アグナディスが手に持っていたものを見せる。
木彫りの熊。
「これを買おうと思う」
「気に入ったの?」
「ああ」
「買えば?」
「問題がある」
「何?」
「金がない」
沈黙。
一万年前。
世界を滅亡寸前まで追い込んだ魔神。
現在。
無職。
所持金。
ゼロ。
バルガが大笑いした。
「お前、世界征服する前に働け!」
アグナディスが真顔で答える。
「働く?」
「金欲しいんだろ?」
「そうだ」
「じゃあ仕事しろ」
アグナディスは考え込んだ。
「我に何ができる」
ユートが答えた。
「力仕事」
「世界を滅ぼすほどの力を、荷物運びに使えと?」
「駄目?」
アグナディスは木彫りの熊を見る。
値段。
銀貨二枚。
長い沈黙。
「……やる」
セレスは額を押さえた。
「また就職支援が始まりましたね」
◇
その日の午後。
古代魔神アグナディス。
人生初の仕事。
建設現場。
「そこの石を運んでくれ!」
現場監督が叫ぶ。
アグナディスが巨大な岩を見る。
普通なら二十人必要。
片手で持つ。
「どこへ置く」
現場監督が固まる。
「……あっち」
「分かった」
運ぶ。
十秒。
「次は?」
「え?」
「仕事だ」
その日。
三か月かかる予定だった城壁修復工事が。
一日で終わった。
現場監督は泣いていた。
「仕事がなくなった……」
アグナディスが困った。
「我は何か間違えたか?」
ユートが肩を叩く。
「働きすぎ」
「加減とは難しいものだな」
「分かる」
セレスが言った。
「勇者様が言うと説得力がありますね」
その日の夕方。
アグナディスは初めての給金を受け取った。
銀貨十枚。
そして。
木彫りの熊を買った。
魔神はそれを大切そうに持っていた。
「嬉しい?」
ユートが聞く。
「不思議だ」
「何が?」
「一万年前、我は国を滅ぼせば宝物など好きなだけ手に入った」
アグナディスは木彫りの熊を見る。
「だが」
少し笑った。
「自分で働いて買った銀貨二枚の木彫りの方が、なぜか嬉しい」
ユートも笑った。
「そっか」
「勇者よ」
「何?」
「世界征服は」
アグナディスは木彫りの熊を眺めながら言った。
「もういい」
その言葉には。
恐怖だけではないものが。
少しだけ。
混じっていた。
◇
その夜。
宿屋。
ユートはベッドへ入った。
そして。
眠った。
◇
「佐伯さん」
勇人は目を開けた。
スマイルマートの休憩室。
「……また?」
目の前には美咲がいる。
「またって何ですか?」
「寝てた?」
「今日は寝てません」
「じゃあ何?」
「休憩終わりです」
勇人は時計を見る。
午後五時。
「分かった」
立ち上がろうとした時。
美咲が言った。
「そういえば、新しい人来ますよ」
「新人?」
「違います」
「じゃあ何?」
「夜勤の応援です。別店舗から一週間だけ」
「へえ」
「店長が、人手足りないから頼んだみたいです」
その時。
バックヤードの扉が開いた。
大柄な男が入ってきた。
四十代くらい。
身長百九十センチ以上。
筋肉質。
少し怖い顔。
「失礼します」
男は丁寧に頭を下げた。
「今日から一週間、応援に入りました安久那大輔です」
勇人の身体が止まった。
「……名前、もう一回いいですか?」
男が不思議そうな顔をする。
「安久那です。安いに久しいの久、那覇の那で安久那」
「あぐな……」
勇人の口から。
無意識に。
その音が出た。
アグナディス。
男が首を傾げる。
「何か?」
「いや」
勇人は頭を振った。
まただ。
似ているだけ。
偶然。
それ以外に説明できない。
美咲が横から言う。
「佐伯さん、安久那さんに仕事教えてあげたらどうです?」
「俺が?」
「先輩でしょう」
「この人、別店舗からの応援だろ。絶対俺より仕事できるよ」
安久那が笑った。
「いやいや、店が変われば勝手も違いますから」
「じゃあ……まあ」
勇人は売り場へ案内した。
「ここが飲料で、こっちがお菓子。あとバックヤードの商品は――」
安久那が巨大な段ボール箱を持ち上げる。
片手で。
勇人が止まる。
「それ重くないですか?」
「そうですか?」
「飲料四ケース入ってますよ」
「軽いですよ」
美咲が笑う。
「力持ちですね」
安久那は照れたように笑った。
「昔から力だけはあるんです」
勇人はその姿を見る。
夢の中。
巨大な岩を片手で持つ魔神。
「まさかな……」
「佐伯さん?」
「何でもない」
その日の夜。
勤務終了。
安久那がレジ横の商品を見ていた。
「どうしました?」
勇人が聞く。
安久那が指差す。
小さな熊のキーホルダー。
「これ、可愛いですね」
勇人の表情が消えた。
「……熊?」
「はい」
安久那は値札を見る。
「二百円か」
財布を出す。
「買おうかな」
勇人の背中に。
冷たいものが走った。
木彫りの熊。
銀貨二枚。
魔神。
アグナディス。
そして。
現実。
安久那。
熊。
「安久那さん」
「はい?」
「変なこと聞いていいですか?」
「どうぞ」
「夢って」
勇人は言葉を選ぶ。
「よく見ます?」
安久那は少し考えた。
「最近は見ますね」
「どんな?」
「変な夢ですよ」
「例えば?」
安久那は笑った。
「自分がものすごく強い怪物になって、世界征服しようとする夢です」
勇人の呼吸が止まった。
「でも」
安久那は熊のキーホルダーを手に取る。
「毎回、途中でやめるんですよ」
「何で?」
「分かりません」
少し考えてから。
「怖い奴らがいるからかな」
勇人は何も言えなかった。
その時。
レジの向こう。
美咲と目が合った。
美咲は。
笑っていなかった。
勇人は美咲のところへ行く。
「小川さん」
「何ですか?」
「六回目だ」
美咲の目が僅かに動いた。
「何の話ですか?」
「今まで小川さんが言ってた」
勇人は一つずつ思い出す。
銀貨。
ヴァルのたまご。
ベルン農園。
ゼルダイ。
四十七個の豆。
そして。
安久那。
「俺の夢と現実が繋がってる」
「佐伯さん」
「偶然じゃない」
美咲は黙っている。
「お前、知ってるだろ」
「何をですか?」
「俺の夢が何なのか」
勇人は真剣だった。
美咲はしばらく勇人を見ていたが、やがていつもの笑顔に戻った。
「佐伯さん」
「何?」
「考えすぎですよ」
「またそれ?」
「はい」
「じゃあ何で」
勇人が続けようとする。
しかし。
店長の声。
「佐伯君!」
「……はい!」
「レジ二番!」
勇人は美咲を見る。
「この話、あとで聞くから」
「仕事してください」
「逃げるなよ」
「逃げませんよ」
勇人がレジへ向かう。
美咲は。
その背中を見送った。
そして。
小さく呟いた。
「六回目」
表情から。
笑顔が消える。
「そろそろ気づき始めますよね」
美咲は自分の手を見る。
そして。
誰にも聞こえない声で続けた。
「でも、まだ駄目です」
その瞬間。
美咲の手の中で。
ほんの一瞬だけ。
淡い光が灯った。
それは。
夢の中で。
僧侶セレスが使う。
回復魔法と。
よく似た光だった。
第六話 史上最強の魔神、起きた瞬間に謝る 了




