第四話 魔王の息子、勇者に弟子入り
第四話 魔王の息子、勇者に弟子入りする
「勇者ユートォォォォォ!」
朝。
まだ太陽が昇りきっていない時間。
王都近郊の宿屋に、男の絶叫が響き渡った。
窓ガラスが震え、屋根の上に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立つほどの大声だった。
しかし。
その声を聞いても、ユートは起きなかった。
「勇者ユート! 出てこい!」
二度目。
宿屋の主人が飛び起きる。
宿泊客たちも何事かと部屋から飛び出してきた。
だが。
ユートの部屋だけは静かだった。
「勇者ユートォォォォォ!」
三度目。
ようやく。
「……うるさいな」
ユートが布団から顔を出した。
隣の部屋からセレスが入ってくる。
「勇者様」
「何?」
「お客様です」
「こんな朝早く?」
「お客様というより、決闘の申し込みだと思います」
「誰?」
「魔族です」
「強い?」
「そこを最初に聞くのですか?」
「だって最近、戦ってないし」
セレスはため息をついた。
「レベル82です」
ユートの顔から期待が消えた。
「……八十二?」
「勇者様」
「何?」
「今、露骨にがっかりしましたね」
「してない」
「しました」
「ちょっとだけ」
「レベル82は普通なら国家存亡級です」
「でも魔王より弱いじゃん」
「魔王グラディオスはレベル87でした」
「そうだった」
「そして、その魔王を五分程度で倒した方が何をおっしゃっているのですか」
そこへガイラスが入ってきた。
すでに完全装備だった。
「ユート、起きろ」
「起きてる」
「外に魔族がいる」
「聞いた」
「魔王の息子らしい」
ユートが止まった。
「魔王の?」
「ああ」
「息子いたの?」
「いたらしい」
バルガも顔を出した。
「面白そうじゃねえか」
その後ろからリリシア。
「私は眠い」
「俺も」
「では二人とも寝ていてください」
セレスが冷たく言った。
「いや、行く」
ユートは布団から出た。
「父親のことで来たなら、俺が会わないと駄目だろ」
セレスは少しだけ表情を変えた。
こういうところだけは。
勇者らしい。
普段は信じられないほど無自覚で、強さの基準も常識もずれている。
しかし。
自分が向き合わなければならないことからは逃げない。
それが。
勇者ユートだった。
◇
宿屋の外。
広場の中央に、一人の青年が立っていた。
黒い鎧。
腰まで伸びた銀髪。
額には二本の角。
背中には黒い翼。
年齢は人間なら二十代前半程度に見える。
そして。
凄まじい魔力。
周囲には王国兵が数十人集まっていたが、誰一人近づけない。
青年の名は。
魔王子ゼルディア。
レベル82。
死んだ魔王グラディオスの一人息子である。
「貴様が勇者ユートか」
「そうだけど」
「我が名はゼルディア」
「うん」
「魔王グラディオスの息子だ」
「聞いた」
「父の仇!」
「うん」
「今日こそ、その命をもらう!」
ゼルディアが剣を抜いた。
周囲の兵士たちが一斉に後退する。
黒い魔力が爆発的に広がった。
地面に亀裂が走る。
建物が震える。
空が一瞬暗くなる。
王国兵の一人が叫んだ。
「レベル82!」
「魔王級だ!」
「総員退避!」
「勇者様を援護しろ!」
ユートが振り返る。
「危ないから下がってて」
兵士たちが止まる。
「しかし!」
「大丈夫」
「相手は魔王子です!」
「知ってる」
「レベル82です!」
「それも聞いた」
「ではなぜそんなに落ち着いておられるのです!」
ユートは少し考えた。
「俺、128だから?」
兵士たちは黙った。
ゼルディアも一瞬黙った。
しかし。
すぐに剣を構える。
「レベルなど!」
黒い魔力が剣へ集まる。
「戦いの結果を決めるものではない!」
ユートの表情が変わった。
「それはそうだな」
セレスが後ろから言った。
「勇者様」
「何?」
「真に受けないでください」
「でも正しいだろ」
「限度があります」
ゼルディアが叫ぶ。
「覚悟!」
地面を蹴った。
消えた。
王国兵たちには、そう見えた。
レベル82。
人間の目では追えない速度。
次の瞬間。
ゼルディアはユートの目の前にいた。
「死ね!」
剣が振り下ろされる。
ユートは動かなかった。
ガキィィィン!
凄まじい音。
衝撃波。
周囲の砂埃が吹き飛ぶ。
兵士たちが目を閉じる。
そして。
砂埃が消える。
「…………」
ゼルディアが固まっていた。
剣。
止まっている。
ユートの頭。
ではない。
ユートが。
右手の人差し指と親指。
二本。
それだけで。
剣を挟んでいた。
「な……」
ゼルディアの声が震える。
ユートが剣を見る。
「結構速かった」
「な……何を……」
「剣」
「分かっている!」
ゼルディアが剣を引こうとする。
動かない。
「離せ!」
「いいよ」
ユートが指を離した。
「うわっ!」
ゼルディアが勢い余って後ろへ転がった。
バルガが笑い出す。
「おいユート! 遊ぶな!」
「遊んでない」
「完全に遊んでるだろ!」
ゼルディアが立ち上がった。
顔が真っ赤になっている。
「貴様!」
「何?」
「我を愚弄するか!」
「してない」
「なら剣を抜け!」
ユートは腰の聖剣を見る。
「これ?」
「そうだ!」
「嫌だ」
「なぜ!」
「危ないから」
「我を馬鹿にしているのか!」
「違う」
ユートは真面目だった。
「多分、本気で振ったら死ぬ」
ゼルディアの顔が引きつった。
「貴様ぁぁぁぁぁ!」
魔力がさらに膨れ上がる。
「魔王奥義!」
セレスの顔が変わった。
「皆さん、結界を!」
リリシアが杖を振る。
「面倒ね」
透明な障壁が周囲を包む。
ゼルディアの両手に巨大な黒い球体が形成される。
「滅界黒炎弾!」
王国兵が叫ぶ。
「逃げろ!」
「街が消えるぞ!」
「全員伏せろ!」
巨大な黒炎がユートへ向かって飛ぶ。
ユートはそれを見る。
「大きいな」
セレスが叫ぶ。
「感想は後です!」
ユートが右手を出した。
「えい」
軽く。
払った。
黒炎弾が。
曲がった。
「…………え?」
ゼルディアが間の抜けた声を出す。
巨大な黒炎弾は空へ飛んでいき。
遥か上空で爆発した。
ドォォォォォォン!
雲が消えた。
空に巨大な穴が開いたように青空が見える。
ユートが見上げる。
「危なかった」
セレスが言った。
「あなたが言わないでください」
ゼルディアは動かなかった。
剣を持ったまま。
呆然。
「嘘だ……」
ユートが近づく。
「もう終わり?」
ゼルディアが後退する。
「来るな!」
「いや」
「来るな!」
「まだ戦う?」
「…………」
「戦うなら付き合うけど」
ゼルディアの手から剣が落ちた。
「勝てない」
ユートは何も言わない。
「父上も」
ゼルディアは俯いた。
「こんな化け物と戦ったのか」
「化け物って」
「レベル128など反則だろう!」
「俺に言われても」
「なぜ人間がそんなレベルになる!」
「頑張ったから?」
「頑張ってなるレベルではない!」
セレスが小さく頷いた。
「そこだけは同意します」
ゼルディアは膝をついた。
「終わりだ」
「何が?」
「父の仇すら討てない」
「うん」
「我には何も残っていない」
ユートは少し黙った。
「父親のこと、好きだった?」
ゼルディアが顔を上げる。
「当然だ」
「俺が殺したこと、恨んでる?」
「当然だ!」
「そっか」
ユートはそれ以上、何も言わなかった。
謝らない。
魔王を倒したことを後悔していないから。
魔王は多くの人間を殺した。
止めなければ、さらに多くの人が死んだ。
だから戦った。
でも。
ゼルディアにとっては父親だった。
その悲しみまで否定するつもりはなかった。
「俺を恨むのはいいよ」
ゼルディアがユートを見る。
「何?」
「でも」
ユートは続けた。
「俺を殺すためだけに生きるの、もったいなくない?」
「貴様に何が分かる!」
「分からない」
即答だった。
ゼルディアが止まる。
「俺、お前じゃないから」
ユートは言った。
「だから分からない。でも、お前まだ生きてるだろ」
「…………」
「だったら」
ユートは笑った。
「別のことやればいいじゃん」
ゼルディアはしばらくユートを見ていた。
そして。
「別のこととは何だ」
ユートが考える。
「分からない」
ゼルディアが転びそうになった。
「何も考えていないのか!」
「お前の人生だろ?」
「そうだが!」
「俺が決めるのおかしくない?」
「それは……」
「やりたいことないの?」
ゼルディアは黙った。
魔王の息子。
生まれた時から。
次の魔王になる。
そう決められていた。
剣。
魔法。
統治。
戦争。
人間を憎め。
強くなれ。
父を超えろ。
それしか教えられていない。
「……ない」
「じゃあ探せば?」
「どうやって」
「旅するとか」
ゼルディアはユートを見る。
「旅」
「うん」
「誰と」
「一人でもいいし」
ユートは仲間を見る。
そして。
何気なく言った。
「俺たちと来てもいいし」
全員が止まった。
セレスが最初に反応した。
「勇者様?」
「何?」
「今、何と?」
「一緒に来てもいいって」
「誰がです?」
「ゼルディア」
「魔王の息子ですよ?」
「知ってる」
「つい先ほどあなたを殺そうとしていました」
「失敗したし」
「成功していたら大変です!」
「でも成功しなかった」
「そういう問題ではありません!」
ゼルディア本人も混乱している。
「待て」
「何?」
「我を仲間にするつもりか?」
「仲間というか」
ユートが少し考えた。
「弟子?」
「なぜ弟子になる!」
「俺を倒したいんだろ?」
「そうだ!」
「じゃあ強くならないと」
ゼルディアが黙る。
ユートは続ける。
「俺より強くなったら、もう一回戦えばいい」
セレスが頭を抱えた。
「敵を育ててどうするのですか」
「でも今のままだと無理だろ」
「それはそうですが!」
ゼルディアが震えている。
怒っているのか。
悔しいのか。
本人にも分からない。
「我に」
「うん」
「貴様から学べと?」
「嫌ならいいけど」
「…………」
長い沈黙。
そして。
ゼルディアは地面に片膝をついた。
「勇者ユート」
「何?」
「我を」
一拍。
「弟子にしてくれ」
ユートは笑った。
「いいよ」
セレスが叫んだ。
「決めるのが早すぎます!」
◇
こうして。
魔王の息子が。
勇者の弟子になった。
翌朝。
修行が始まった。
「師匠!」
「何?」
「今日は何をする!」
「走る」
「どこまで!」
ユートが遠くの山を指差した。
「あそこ」
ゼルディアが見る。
「近いな」
「往復十回」
「…………何?」
「ガイラスは二十回やる」
ガイラスが首を振る。
「今日は三十回だ」
ゼルディアが固まる。
バルガが笑う。
「俺は山まで行ったら山登るぞ」
「なぜだ!」
「修行だから」
リリシアが杖を持つ。
「私は飛んで行くわ」
ゼルディアが叫ぶ。
「それはずるいだろう!」
「魔法使いだもの」
セレスは朝食を食べている。
ゼルディアが聞く。
「僧侶は?」
「私は行きません」
「なぜ!」
「回復役です」
「それでよいのか!」
「よいのです」
ユートが走り出す。
「行くぞ!」
「待て師匠!」
その日の夕方。
ゼルディアは地面に倒れていた。
「死ぬ……」
セレスが回復魔法をかける。
「大丈夫です」
「足が動かん」
「治しました」
「……動く」
「では、あと五往復です」
ゼルディアが絶望した。
「鬼か!」
セレスはユートを見る。
「勇者様」
「何?」
「弟子が何か言っています」
ユートが振り返る。
「頑張れ!」
「それだけか!」
こうして。
魔王子ゼルディアの。
地獄の修行生活が始まった。
◇
一か月後。
ゼルディア。
レベル82。
変わらない。
「師匠!」
「何?」
「一か月も修行したのにレベルが上がらん!」
「そうなの?」
「そうなの、ではない!」
ユートは考えた。
「俺も最近上がらない」
「師匠は128だろう!」
「ガイラスは?」
「119のままだ」
「バルガ」
「115」
「リリシア」
「123よ」
「セレス」
「107です」
全員。
変わっていない。
ゼルディアが叫んだ。
「このパーティ、もう成長限界なのではないか!」
セレスが頷く。
「私もそう思います」
ユートは少し困った。
「じゃあ修行意味ない?」
ゼルディアが膝から崩れ落ちた。
「我の一か月を返せ……」
バルガが肩を叩く。
「体力はついただろ」
「魔王子に必要なのは体力ではなく魔力だ!」
「でも前より走れるぞ」
「嬉しくない!」
ガイラスが言った。
「剣も上達した」
ゼルディアが止まる。
「本当か?」
「ああ」
「どの程度」
「一か月前なら俺の攻撃を一秒も受けられなかった」
「今は?」
「三秒」
ゼルディアの顔が引きつった。
「三倍だ」
ガイラスは本気で褒めていた。
「…………」
ゼルディアは。
少しだけ。
笑った。
「三秒か」
「十分だ」
「いつか十秒」
「できる」
「百秒」
「できる」
ゼルディアがユートを見る。
「師匠」
「何?」
「いつか」
剣を握る。
「必ず貴様を倒す」
ユートが笑った。
「待ってる」
それを見ながら。
セレスは思った。
多分。
この二人。
もう。
敵ではない。
◇
その夜。
ユートは宿屋で眠った。
◇
「佐伯さん」
「…………」
「佐伯さん」
「…………」
「勇者様」
「はい!」
勇人が飛び起きた。
コンビニの休憩室。
目の前。
小川美咲。
美咲が笑っている。
「何ですか、その反応」
「今、何て言った?」
「佐伯さん」
「その前」
「知りません」
「勇者様って」
「言ってませんよ」
「絶対言った」
「夢でも見てたんじゃないですか?」
勇人は周囲を見る。
スマイルマート。
バックヤード。
制服。
時給1300円。
現実。
「……また寝てた?」
「五分だけ」
「店長は?」
「まだ気づいてません」
勇人は胸を撫で下ろした。
「助かった」
「貸し一つですね」
「何で?」
「起こしてあげたから」
「ありがとう」
「じゃあ今度ジュース奢ってください」
「百五十円くらい?」
「ケチですね」
「時給1300円なんだぞ」
「私も同じです」
「高校生なのに?」
「今さらですか?」
勇人は立ち上がった。
「戻るか」
「はい」
売り場へ出る。
黒田店長が待っていた。
「佐伯君」
「はい」
「これ」
店長が一枚の紙を渡す。
「何です?」
「新人」
「新人?」
「来週から入る子」
勇人は紙を見る。
十九歳。
大学生。
男性。
名前。
「瀬留……大?」
「ゼルダイ君」
店長が言った。
勇人の手が止まる。
「何て?」
「ゼルダイ。珍しい名前だよね」
「下の名前は?」
「玲央」
「ゼルダイ……レオ」
「知り合い?」
「いや……」
夢の中。
魔王子。
ゼルディア。
偶然。
似ているだけ。
ベルン農園。
ヴァルのたまご。
そして。
ゼルダイ。
三回。
勇人の胸に。
小さな違和感が積み重なる。
「佐伯君」
「はい?」
「来週から仕事教えてあげて」
勇人が固まる。
「俺が?」
「そう」
「無理じゃないですか?」
「自分で言うなよ」
美咲が笑う。
「大丈夫ですよ」
「小川さん」
「はい?」
「俺より小川さんが教えた方がよくない?」
「駄目です」
「なんで?」
美咲は少しだけ楽しそうに言った。
「佐伯さんの後輩なんですから、佐伯さんが育ててください」
「俺、人を育てたことないんだけど」
「ありますよ」
勇人が止まる。
「え?」
美咲も止まった。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
表情が消えた。
「今、何て?」
「私、何か言いました?」
「ありますよって」
「コンビニの話ですよ」
「俺、後輩いないぞ」
「これからできるじゃないですか」
「いや、そうじゃなくて」
「佐伯君!」
店長の声。
「はい!」
「レジ!」
「今行きます!」
勇人は慌ててレジへ向かった。
美咲はその背中を見送った。
そして。
勇人に聞こえない声で呟いた。
「四回目……」
その日の深夜。
勇人は自宅へ帰った。
風呂に入り。
ベッドへ横になる。
眠るのが。
少し怖くなっていた。
夢。
ただの夢。
そう思っていた。
でも。
夢の中で出会ったものが。
少しずつ。
現実へ現れている。
銀貨。
ヴァル。
ベルン。
ゼルディア。
そして。
小川美咲。
「……何なんだよ」
勇人は目を閉じた。
眠らないようにしよう。
そう思った。
だが。
アルバイトで疲れた身体は。
数分も持たなかった。
意識が落ちる。
◇
「師匠!」
目を開ける。
ゼルディアがいる。
「起きろ!」
ユートは身体を起こした。
「今度は何?」
「王都から使者だ!」
「何の?」
ゼルディアが答える。
「世界最強決定戦」
ユートはしばらく黙った。
そして。
「面白そう」
笑った。
その後ろで。
セレスだけが。
嫌そうな顔をした。
「絶対に出ないでください」
「何で?」
「大会が壊れます」
「壊さないよ」
「物理的な意味だけではありません」
しかし。
セレスの願いが叶わないことは。
このパーティの全員が知っていた。
第四話 魔王の息子、勇者に弟子入りする 了




