第二話 勇者、ドラゴンをペットだと思う
第二話 勇者、ドラゴンをペットだと思う
魔王を倒した勇者ユートには、一つだけ大きな問題があった。
自分がどれほど強いのか、まったく理解していないことである。
もちろん、自分が弱いと思っているわけではない。勇者なのだから、それなりには強いと思っているし、仲間たちについても「かなり頼りになる」と評価している。
ただ、その「かなり」が世間一般と大きくずれていた。
勇者ユート、レベル128。
魔法使いリリシア、レベル123。
剣闘士ガイラス、レベル119。
拳闘士バルガ、レベル115。
僧侶セレス、レベル107。
この世界では、レベル30を超えれば一人前の冒険者、50なら王国騎士団でも上位、70を超える者は歴史に名を残す英雄として扱われる。そして、レベル80前後に達する魔族は、一国の軍隊を投入しなければ討伐できないほどの脅威だった。
ところがユートたちは、その基準を誰もまともに気にしていなかった。
なぜなら、彼らは長い旅の中で、ほとんど自分たち同士しか比較してこなかったからである。
そんな五人が、ゴブリン三匹を討伐するはずの依頼で巨大な用水路を造ってしまった翌朝――。
「勇者様!」
村長が血相を変えて宿へ飛び込んできた。
朝食を食べていたユートが振り返る。
「どうした?」
「ド、ドラゴンでございます!」
その瞬間、宿屋の食堂が静まり返った。
村人たちが震え、持っていた皿を落とす者までいる。
しかし、勇者一行の反応は違った。
「どれくらいの大きさだ?」
バルガは肉を食べながら聞いた。
「翼を広げれば、おそらく三十メートルは……」
「小さいな」
村長が固まった。
ガイラスも真面目な顔で頷く。
「若い個体かもしれん」
「い、いえ! 古龍です! 王都から来られた魔術師様によれば、少なくとも千年以上生きた古龍だと!」
リリシアがパンをちぎりながら尋ねた。
「レベルは?」
「七十八です!」
今度こそ食堂中から悲鳴が上がった。
レベル78。
魔王級に限りなく近い。
一頭で小国を滅ぼす可能性すらある怪物であり、討伐するなら王国騎士団を総動員し、高位冒険者を数百人集めても犠牲を覚悟しなければならない。
ところがユートはパンを食べながら首を傾げた。
「七十八?」
「はい!」
「それって強いのか?」
セレスがゆっくりユートを見た。
「勇者様」
「何だ?」
「お願いですから、その発言を一般の方々の前でなさらないでください」
「なんで?」
「嫌われます」
「俺、何か悪いこと言った?」
「言っております」
リリシアが少し考える。
「七十八なら、私よりかなり下よね?」
「その認識自体は正しいですが、それを基準にしないでください」
バルガが立ち上がった。
「とりあえず見に行こうぜ」
ガイラスも剣を持つ。
「そうだな。暴れているなら止める必要がある」
ユートも立ち上がった。
「よし」
セレスは嫌な予感がした。
前回も、この「よし」から森に全長一・八キロメートルの用水路ができたのである。
◇
古龍ヴァルガディオス。
レベル78。
千二百年以上を生きる炎竜族の長老だった。
かつて三つの王国を滅ぼしたという伝説を持ち、その名を知る魔族は決して彼の縄張りへ近づかない。
そして本人も、自分が強者であることを理解していた。
山頂の巨大な岩の上から人間の村を見下ろし、ヴァルガディオスは低く唸った。
「愚かな人間どもよ。我が眠りを妨げた罪、その身をもって――」
そこで言葉が止まった。
山道から五人の人間が歩いてくる。
最初、古龍は気にも留めなかった。
人間など何人来ても同じである。
だが、魔力を感じ取った瞬間、ヴァルガディオスの表情が変わった。
一人目。
レベル119。
古龍の目が細くなる。
二人目。
レベル115。
古龍が身体を起こす。
三人目。
レベル107。
翼が僅かに震える。
四人目。
レベル123。
古龍の口が閉じる。
そして、中央を歩いてくる男。
レベル128。
ヴァルガディオスは、ゆっくり岩から降りた。
千二百年生きてきた。
数え切れないほど戦った。
英雄も殺した。
王国も滅ぼした。
魔王とも戦ったことがある。
だからこそ分かった。
あれは戦ってはいけない。
古龍としての本能が、全力でそう告げていた。
◇
「いた」
ユートが指を差した。
巨大な赤いドラゴンが山頂にいる。
全長二十五メートルを超える巨体。巨大な翼、鋭い牙、頭部から伸びる角。普通の冒険者なら、その姿を見ただけで逃げ出すだろう。
ところがユートは少し嬉しそうだった。
「格好いいな」
セレスが嫌そうな顔をする。
「勇者様」
「何?」
「近づかないでください」
「大丈夫だろ」
「何を根拠におっしゃっているのですか」
「おとなしいじゃん」
確かにドラゴンは、ものすごくおとなしかった。
というより、動けなかった。
ユートが一歩近づく。
古龍が一歩下がる。
ユートがさらに一歩近づく。
古龍もさらに一歩下がる。
「ほら」
ユートが笑った。
「怖がってる」
「あなたをです」
「俺?」
「はい」
「なんで?」
セレスは答えなかった。
説明することに疲れたのである。
ユートは古龍へ近づいた。
「おいで」
ヴァルガディオスは混乱した。
「……何?」
「おっ、喋った」
「人間よ」
「うん」
「一つ聞いてよいか」
「いいよ」
「何をしに来た」
ユートは答えた。
「お前を見に来た」
「……討伐ではないのか?」
「村長からは頼まれたけど」
ヴァルガディオスの身体が硬直する。
ユートは続けた。
「お前、何か悪いことした?」
「しておらぬ」
「人間食べた?」
「食べておらぬ」
「村を焼いた?」
「焼いておらぬ」
「じゃあ何でここにいる?」
古龍はしばらく黙ってから、巨大な頭を山の奥へ向けた。
「我が子がおる」
「子供?」
五人が古龍の後ろへ回る。
巨大な岩場の奥に巣があった。
そこには三つの大きな卵が並んでいる。
「卵だ」
「卵ですね」
「でかいな」
「食えるかな」
「バルガ様」
セレスが拳闘士を見る。
「冗談だ」
古龍がバルガだけを睨んでいた。
ユートは卵の前へしゃがんだ。
「お前、これ守ってたの?」
「そうだ」
「じゃあ村を襲いに来たわけじゃない?」
「我はこの山で千二百年暮らしておる。後から村を作ったのは人間の方だ」
ユートたちは黙った。
やがてガイラスが言った。
「それは人間側が悪くないか?」
「私もそう思います」
セレスも頷く。
リリシアが古龍を見る。
「でも、人間が近づいたら殺すんでしょう?」
「殺さぬ」
「本当に?」
「追い返すだけだ」
「どうやって?」
「吠える」
「それだけ?」
「大抵逃げる」
ユートは少し考えた。
そして古龍の鼻先を撫でた。
「じゃあ悪くないな」
ヴァルガディオスが硬直した。
千二百年の生涯で、自分の鼻を撫でた人間は初めてだった。
「な、何をする!」
「嫌だった?」
「そういう問題ではない!」
「じゃあもう一回」
「やめろ!」
「結構かわいいな」
「我は炎竜族最古の――」
「名前は?」
「ヴァルガディオス」
「長い」
「何だと?」
ユートは少し考えた。
「ヴァルでいいか」
「なぜ我が名を勝手に縮める!」
「ヴァル」
「呼ぶな!」
「ヴァル」
「呼ぶなと言っておる!」
ユートは仲間たちを振り返った。
「懐いた」
セレスが即座に否定した。
「懐いていません」
「でも会話してる」
「会話できればペットなのですか?」
「違うの?」
「違います」
ヴァルガディオスが怒鳴った。
「そもそも我はペットではない!」
ユートは古龍を見る。
「餌は?」
「話を聞け!」
「子供が生まれたら餌いるだろ」
ヴァルガディオスが黙った。
「あるの?」
「……少ない」
ユートは仲間を見る。
「助けるか」
セレスが頭を抱えた。
「何をです?」
「子育て」
「私たちは勇者パーティです」
「知ってる」
「ドラゴンの育児支援をする勇者パーティなど聞いたことがありません」
ユートは笑った。
「じゃあ俺たちが最初だな」
◇
三日後。
王国軍が山へ到着した。
将軍は山頂の光景を見て言葉を失った。
勇者ユートが巨大な古龍の頭に乗っていたからである。
「勇者殿!」
「おーい」
「何をなさっているのですか!」
「ヴァルと遊んでる」
「ヴァル?」
将軍が震える指で古龍を指した。
「まさか……その古龍のことでございますか?」
「そう」
「討伐は?」
「しない」
「なぜ!」
「悪いことしてないから」
「しかし古龍ですぞ!」
「知ってる」
「レベル78です!」
「それも聞いた」
「一国を滅ぼせる怪物です!」
ユートはヴァルガディオスを見る。
「お前、国滅ぼしたことあるの?」
「昔の話だ」
「あるんだ」
「千年ほど前だ」
「もうしない?」
「面倒だ」
「だって」
将軍は頭を抱えた。
「勇者殿……」
「何?」
「では、この古龍をどうされるおつもりですか?」
ユートは少し考えた。
「このまま住ませる」
「ここに?」
「元々こいつの山だし」
ヴァルガディオスが大きく頷く。
「人間が近づかなければ問題ない」
「しかし!」
「代わりにヴァル」
「何だ」
「村を守ってやって」
古龍が固まった。
「なぜ我が」
「卵が孵るまで餌を村から持ってきてもらう」
「……何?」
「村人は山に入らない。お前は村を守る。村から余った家畜とか食料を分けてもらう」
ヴァルガディオスは考え込んだ。
将軍も黙った。
セレスが小さく呟く。
「また始まりましたね」
ガイラスが頷く。
「ゴブリンの時と同じだな」
バルガが笑う。
「今度はドラゴンか」
リリシアが言った。
「次は何を飼うのかしら」
「飼ってない!」
ヴァルガディオスが怒鳴った。
ユートは笑った。
「元気だな」
「お前のせいだ!」
こうして、人類史上初となる古龍との相互不可侵協定が結ばれた。
後にこの村は「竜守りの村」と呼ばれ、ヴァルガディオスとその三頭の子供たちは、数百年にわたり村を守り続けることになる。
もっとも。
そんな歴史的な出来事を成し遂げた本人は。
その日の夜。
宿屋のベッドで眠った。
◇
ピピピピピピ――。
「うるさい……」
勇人は目を開けた。
スマートフォンのアラーム。
午前六時十分。
見慣れた天井。
狭い部屋。
ドラゴンはいない。
聖剣もない。
「……またか」
勇人はベッドから起き上がった。
妙に長い夢だった。
巨大なドラゴン。
三つの卵。
ヴァルガディオス。
「ヴァルか……」
少しだけ笑った。
その日の午前七時。
スマイルマート。
「佐伯君」
「はい」
黒田店長がレジの前に立っていた。
嫌な予感がする。
「昨日言ったこと覚えてる?」
「分からないことは勝手に判断しない」
「そう」
「覚えてます」
「じゃあこれは?」
店長が指差す。
宅配便の荷物。
勇人が見る。
「荷物です」
「それは分かる」
横で美咲が笑い始めた。
「佐伯さん、それ冷蔵便ですよ」
勇人の顔が固まった。
「……あ」
「『あ』じゃない!」
「すみません!」
美咲が笑う。
「夢の中ならもっと仕事できるんでしょうね」
勇人の手が止まった。
「小川さん」
「はい?」
「昨日も似たようなこと言ったよな」
「言いましたっけ?」
「夢の中では勇者とか」
美咲は少し考えてから笑った。
「覚えてません」
「そっか」
「でも」
「何?」
美咲が勇人の顔を見る。
「佐伯さん、勇者っていうより村人っぽいですよね」
「せめて戦士にしてくれ」
「レベル三くらいの」
「弱すぎるだろ」
「スライムには勝てそう」
「ギリギリじゃん」
美咲は笑いながら品出しへ戻っていった。
勇人もレジへ戻ろうとして、ふと足を止めた。
店の入口。
一人の小さな男の子が、母親の手を引いている。
「ママ、見て!」
「どうしたの?」
「ドラゴン!」
男の子が指差した先。
菓子売り場に、新商品のチョコレートが並んでいた。
パッケージには赤いドラゴンが描かれている。
勇人は何となくそれを見た。
赤い身体。
大きな角。
巨大な翼。
その下に商品名が書かれている。
『ヴァルのたまご』
勇人の笑顔が消えた。
「……え?」
背後から美咲の声がした。
「佐伯さん?」
勇人は振り返る。
「小川さん」
「何ですか?」
「このお菓子、前からあった?」
「今日からですよ」
「商品名は?」
美咲が不思議そうにパッケージを見る。
「ヴァルのたまご」
勇人は黙った。
夢。
そう。
ただの夢。
そのはずだった。
「佐伯さん?」
「いや……何でもない」
勇人は商品を棚へ戻した。
そして気づかなかった。
その時。
美咲が。
ほんの一瞬だけ。
勇人ではなく。
『ヴァルのたまご』を見ていたことに。
第二話 勇者、ドラゴンをペットだと思う 了




