五十六話
足は結構速い方だ。
・・・と言っても、凄い速い訳じゃない。
子供の頃からかけっこではあまり一位にはなれなかった。
『万年二位』と言ったところだ。
でも成長期を迎えた頃、女子には負けなくなったし、女子にかけっこで勝ってもあんまり誇れなくなった。
この身体の持ち主がどの程度、かけっこが速かったのかは知らない。
そして『素早さ』のパラメーターがどの程度50メートル走に影響を与えるのかもわからない。
そもそも『素早さ:37564』が速いのか遅いのかもわからない。
モンスターよりはかなり素早い。
でも生身の人間、しかも日本の人間と比べてどうだろう?
異世界へ飛ばしたヤクザ達はトロ臭かった。
あれは特別トロ臭かったんだろうか?
確かめてみる良い機会だ。
全力で走ってみよう。
「位置について!」優奈ちゃんがスタートのピストルを構える。
大きな音にビビってるんだろうか?
ちょっとわたわたしている。
小動物チックで可愛い。
生徒達から『優奈ちゃん』と可愛いがられるはずだ。
スタートの姿勢は人それぞれだ。
クラウチングスタートの姿勢をする人もいれば、
普通に立っている人もいる。
スターティングブロックに足をかけている一人もいれば、かけない人もいる。
さて、俺はどうしよう?
取り敢えずクラウチングスタートの姿勢を・・・アレ?『クラウチングスタート』ってどうやるんだっけ?
そうだ、ケツを突き出すんだ。
腕はどうするんだっけ?
・・・思い出せない。
「ちょっとアレ見て」
「アレって何よ?」
「9月入学の、確か・・・岡田さんよ。
第5コースの」
「・・・三角形ね」
「お尻を頂点とした見事な三角形よね」
「何で顔が地面スレスレなのかしら?」
「獲物に飛びかかる前のネコみたいなポーズね」
「何て言うか・・・野生ね」
「野生動物ね」
「速いのかしら?」
「わからないわ」
この時、クラスの注目を一身に集めていた事を俺は知らなかった。
実は俺のポーズは理にかなっていた。
ただし、腕を前に足として使えるのなら、の話だ。
猫科の動物が獲物に飛びかかる時と似たようなポーズだ。
スタートのピストルがなる。
前足、じゃなくて腕で地面を蹴り俺はコースに飛び出す。
ロケットスタートなんてもんじゃない。
素人の女子校生のスタートダッシュなんてたかが知れている。
俺はただ一人異次元のスピードでスタートダッシュした。
そして更に加速して一番にゴールする。
「ご、5秒42!」俺のタイムを計測していた子が驚きながら叫ぶ。
「そんな訳ないでしょう?
ウサイン・ボルトの世界記録が5秒47よ?
ましてや女子の日本記録は6秒台・・・。
単なる測り間違いよ。
岡田さん、申し訳ないけどもう一度走ってもらえないかしら?」と体育教師。
「断る。
面倒臭い」
「じゃあ二位の子と同じタイムになっちゃうけど良いの?」
「別に構わない。
どの程度自分が出来るか知りたかっただけだ。
特にタイムを誇りたい訳じゃない」
「わかったわ。
タイムの測り直しはしない。
岡田さん、今度はストップウォッチを受け取ってタイム計測係になってね」と体育教師が言う。
「わかった」
俺はストップウォッチを受け取る。
アレ?このストップウォッチ壊れてるぞ?
納得だ、だから変なタイムが出たのか。
実際のタイムは4秒フラット、女子どころか人類の世界記録だ。
「はい12秒69。
人間失格ね・・・」と俺。
「し、辛辣ね・・・」
「まぁこんなものなのか。
オリンピック目指す訳じゃないもんな」
「キャー!
早く保健室へ!」
遠くから悲鳴が聞こえる。
別のクラスが体育の授業をしている。
他のクラスでも今日が初めての体育の授業で、体力測定をやっているらしい。
「何だ、何だ?」
「体育科の授業ね」
「体育科?」
「あぁ、岡田さんは9月入学だから知らないのよね。
聖華には『普通科』『芸能科』『体育科』って三つの『科』があるのよ。
私達は『普通科』ね。
で彼女達は全国から集められた『体育科』の生徒って訳。
・・・あれ、今倒れてるのって山神有末さんじゃない?」
「知ってるの?」
「そりゃ知ってるわよ!
日本体操界の新星じゃないの!
大丈夫なのかしら?」
イヤ、見るからに大丈夫じゃない。
女の子は膝を抱えてうずくまっている。
気の迷いかも知れない。
俺は何気なく倒れている女の子のステータスを見てみる。
全てのステータスを瞬間的に見る事は出来ない。
見る項目は『身体状況』だ。
『身体状況』は・・・。
「『靭帯断裂』『体操選手生命絶望』」
良い人ぶる気はない。
でも、目の前の人が不幸になると飯が不味くなる。
「この学校で競技生命が絶たれた体育科の生徒はどうなるんだ?」と俺は体育教師に聞く。
「そうね。
制度としては『転科希望』は出せるわ。
でも、ウチの学校、凄い進学高だから。
『体育科』から『普通科』に『転科』するのは現実的じゃないわ。
退学、もしくは転校する生徒が多いのが現実かしら?」
なるほど、山神有末の聖華での輝かしい未来は今まさに閉ざされたのか。
「先生、頭が痛いです。
保健室へ行かせて下さい。
ついでに山神さんを保健室へおぶって行きます」と俺。
「頭痛いのに人をおぶって行けるの!?」
「大丈夫、早く行かないとウンコ漏れちゃう」
「頭痛いんじゃないの!?
お腹が痛いの!?」
「細かい事は良いじゃねーか」
俺は山神さんをおぶると校舎に戻って行った。
行ったは良いが、保健室の場所知らないぞ?
聖華って無駄に広いんだよね。
ウロウロしても保健室が見つかる気がしない。
それ以上に背中に痛みに耐えて歯を食い縛っている山神さんを背負っている。
しゃーない。
「悪いけど、急いでるんだ。
説明してる時間はない。
目をしっかり閉じていてくれないか?」と俺は背中の山神さんに語りかける。
コクリ、と背中の山神さんが頷いた、気がした。
背中に目、ついてないんだから確認は出来ないが。
俺は校舎に入ったタイミングで誰もいないのを確認して、異世界へワープした。
ワープした先はベガの部屋だった。
「うわあ!
突然ワープして来ないでよ!
ビックリした!」とベガ。
「何?この外人さん。
・・・て言うか、ここどこ?」と背中の山神さんが言う。
痛みでそれどころじゃないんだろう。
正気だったらパニックだ。
当然、異世界人であるベガの話す言葉は山神さんには理解出来ない。
「ここは第二保健室だよ。
彼女は保険医、マッドサイエンティストなんだ」
俺は口から出任せを言う。
「ふーん、そうなんだ・・・」痛みでそれどころじゃない山神さんは俺の口から出任せを聞き流す。
「何でそんな薄着なの?」とベガ。
「日本は今、夏だからね」
「夏でも日本の女性はそんな薄着するんだ」
「この格好は特別だよ。
学校で動きやすい格好をしているんだ」
「貴女、今、日本で学校に通っているの?
こちらじゃ学校なんて貴族の限られた一部の人間しか通えないモノなのに」
「日本じゃ学校は比較的ポピュラーなモノで、庶民でも通えているよ。
でも今、俺が通っている学校はこちらの上流階級の子供だけが通えている学校に近いかな?
・・・そんな事はどうでも良いんだよ。
この娘の膝の痛みをなんとか和らげる薬ないかな?」
「ちょっと彼女のステータスを見せてもらえるかしら?
ちょっとその娘をベッドに横たわらせて」
「わかった」俺は普段、ベガが寝ているだろうベッドに山神さんをそっと下ろす。
そっと下ろしたが、山神さんは「うっ!」と顔をしかめて痛さに耐える。
どうやら少しの衝撃すらも膝の患部に響いて激痛が走るらしい。
「ふーん。
治せるわよ」ベガはあっさりと言う。
「治るの?」
「薬を飲めばね。
切断されてたりしたら治る確率は低くなるけど皮膚の下の断裂なら大丈夫よ。
それに断裂してさほど時間が経ってないみたい。
これなら跡形もなく治るわ」
「治す時の痛みは?」
「どうやっても神経が繋がる瞬間の痛みは避けられないわね。
でもそれは『切れてた神経が繋がる』って事だから。
そこは我慢してもらうしかないわね」
俺が山神さんに説明する。
「薬を飲んだら一瞬は痛みがあるみたい。
でもその後は楽になるみたいだよ?」
「もう二回『靭帯損傷』をやってるのよ。
『後一回やったら覚悟しておいた方が良い』って。
ましてや今回は完全に靭帯が断裂してしまった。
『パンッ』って何かが弾けるような、断裂する音が確かに聞こえたもの。
どうせ競技生命が絶たれたんだから、禁止薬物とか気にする必要はないわ。
どんな薬でも使って下さい」山神さんは少しヤケクソになっているようだ。
『どうにでもなーれ』と。
まぁ、薬を飲まさせるのに全く抵抗を示さないのは好都合だ。
普通、紫色のポーションを『飲め』って言われたら『いやいや、怪しすぎるだろう!?』って拒絶するよね。
山神さんはシリンダーに入ったポーションを飲み干す。
「うっ!」一瞬、山神さんの顔が痛みに歪む。
しかしそれも一瞬の出来事だった。
痛みに耐えていた山神さんの表情が晴れやかになっていく。
「嘘・・・痛みが引いていく。
左膝だけじゃない。
左膝を庇って痛んでいた右膝の痛みも消えている!
今の薬は強い鎮痛剤か何かなの!?」
「『今の薬は鎮痛剤か?』だってさ」と俺が翻訳する。
「私、鎮痛剤ってあんまり好きじゃないのよ。
『問題の先送り』って気がして。
鎮痛剤じゃなきゃおさまらない痛みもあるのは理解してるけどね。
でもそれを使うのは私の役割じゃない。
わたしは薬で怪我人や病人を治したい。
だから、鎮痛剤は使ってないわ。
使ってたら彼女が感じただろう、一瞬の激しい痛みも感じてなかったでしょうね」
「鎮痛剤は使ってないらしいよ。
だからこの先、山神さんが痛みに悩まされる事はないんじゃないかな?」
「良かった。
・・・でも二回目の『靭帯損傷』の時、既に日本代表チームから外されているのよ。
今さら痛みがなくなっても私は体操選手として『終わっている』と烙印を捺されているわ」
「やれる事を競技で見せつければ?」
「代表チームって『先行投資』なのよ。
"未来のメダリストを育てる"ってね。
いくら『今の成績』が良くても、膝に爆弾を抱えている選手を育成はしない」
山神さんの膝は完治している。
でも選手を育成する側はそうは考えないだろう。
「山神さん、転科しよう!」
「『体育科』から『普通科』に移るってこと?
冗談言わないでよ。
『普通科』の転科試験に受かるだけの頭脳があるわけないでしょう?」
「『普通科』に入るんじゃないよ。
入るのは『芸能科』だよ」
「無茶を言わないでよ。
『芸能科』に入るには芸能事務所に入らないとダメなのよ?」
「だったら芸能事務所に入れば良いよ」
「簡単に言わないでよ。
私なんかを入れてくれる芸能事務所があるわけないじゃない」
「じゃあまず俺と一緒に芸能事務所に入ってタレント登録しよう!」
「ど、どうやって?」
「俺、芸能事務所『ラグナログ』のガールズユニットのマネージャーなんだよね」
「にわかには信じられない話ね。
でも貴女、マネージャーなんでしょ?
タレントじゃないんでしょ?
何でタレントになるのよ?」
「うーん、何か普通科で『凄い勉強が出来る人』って思われちゃってるんだよね。
これで『実はミジンコ並の知能しかない』って言い出し辛くなっちゃった。
退学する事ばっかり考えて、休み時間に退学届を出すつもりだったけど、俺も『芸能科』に転科してみようかと」
「つまり?」
「俺も事務所でタレント登録するよ」




