【閑話】葉月さんとホッキョクギツネ
【動物園】と書いて【楽園】と読む。
私の辞書にはそう書かれているし、自分の中では常識だと思っている。
そして楽園というからには、いくら滞在しても飽きない自信があった。
何時間、いや何十時間でも居られる気がする。
……ただし、時間の許す限りではあるが。
【小動物ふれあい広場】の看板を未練がましく目で追いながら、足だけは無理やり動かす。
小さく呻いた私に、隣を歩いていた葉月さんが申し訳なさそうに眉を下げた。
「姉がご迷惑をおかけしてすみません」
「葉月さんが謝る必要はないですよ。それに、小春さんも悪気があった訳ではないですし。タイミングが……タイミングが悪かっただけで……うぅっ……」
ファンタジーな原因ゆえに迷子になった私は、これまたファンタジーな展開を経て意識を失い、気がつけば園内の救護室にいた。
とにかくファンタジーの大渋滞が起こり、私のモフモフ堪能計画が頓挫してしまったのだ。
(小春さん、どうして今日だったんですか。昨日でも良かったのに。というか、昨日にしてほしかった。……でも、何か事情があったのかもしれないし、小春さんを責めるのは違うよね)
もっふもふなアルパカたちの横を通りすぎながら、私は自分に言い聞かせた。
「あっ」
ふと、上から小さな声が降ってきた。
何事かと見上げて、葉月さんの視線を辿る。
「あっ、キツネ! 」
思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を押さえた私に、葉月さんが笑いをこらえるような顔をした。
「少しだけ見て行きますか? 関谷さん達との合流地点はすぐそこですし」
葉月さんの誘いに、私は何度も強く頷いた。
「麗たち、到着に時間がかかるって言っていましたもんね! 」
言い訳に聞こえなくもないが、この場にそれを指摘するような人物はいない。
居るのは、気遣いの塊とモフモフ中毒者だけ。
二人はニコニコと笑みを浮かべて、キツネの居る柵に近づいた。
網状の柵で囲まれたそこは、草木が生え、ゴツゴツした岩が置かれた、自然溢れる場所だった。
岩の上でお昼寝をしていたり元気に飛び石を跳ねていたり、原っぱで他のキツネとじゃれ合っていたりと、のびのびとしたキツネワールドが広がっている。
癒し以外のなにものでもない。
「わー! 可愛い!! 」
気持ちよさそうに眠っているキツネちゃんに遠慮して、小さめの声ではしゃぐ私の横で、葉月さんが説明看板を覗き込んでいた。
「ホッキョクギツネと書いてありますね。ふむふむ、他のキツネより耳が小さいのは、寒さに耐えるため。冬は白い毛になる。……季節によって毛色が変わるなんて、興味深いですね」
そんな呟きを耳にして、私はじっと葉月さんの髪を見つめる。
「葉月さんは黒くなっていませんね。なぜでしょう」
真剣な面持ちで首を傾げる私に、葉月さんは声に出して笑った。
「霊狐はホッキョクギツネの妖ではないということでしょうね。ううん、アカギツネかな? 母の毛色に近い気がします」
比較として載せられていたアカギツネの写真を指さして、葉月さんは懐かしそうに目を細める。
(そっか、霊狐一族って白狐より茶色い毛並みの狐の方が多いんだよね。あとは黒とか)
以前見せてもらった葉月さんの記憶を思い起こし、私は納得したとばかりに頷いた。
「すげー! あっちいっぱい居る!! 」
突然、柵の反対側から男の子の元気な声が聞こえた。
興奮したような上ずった声に、私と葉月さんは看板から顔を上げる。
そして、二人揃ってギョッとした。
いつの間にか、私たちの前にキツネたちがワラワラと集まってきていたのだ。
灰褐色の夏毛をまとったキツネたちが、大きな瞳をこちらに向けている。
「えっ、可愛いけど怖い! なに!? 」
ひいっと一歩後退する私とは逆に、葉月さんが一歩前へ出る。
そのまましゃがみ込んだ彼は、じっとキツネたちと見つめあった。
その姿にピンと来て、私は「まさか! 」と息を呑む。
「葉月さん、この子たちと会話できたりするんですか!? 」
ファンタジーに慣れすぎたせいか、自分の思考回路もファンタジー化してきているようだ。
本当に葉月さんがキツネ語を理解していても、今の私は驚かないと思う。
けれど葉月さんは首を横に振った。
「いえ、さすがに言葉は交わせません」
「そ、そうですよねぇ」
安堵と残念な気持ちの混じった声が出た。
「ところで、彼らから『パイセン』という言葉が伝わってくるのですが、どういった意味なのでしょう」
「………………パイセン!! 」
頭を抱えた私は悪くないと思う。
というか、一体どこから突っ込めばいいのだろう。
そう真剣に悩んだ結果、先輩の類語だということだけは伝えておいた。
(あの可愛い顔で『パイセン』かぁ。どこで覚えたのよ、そんな言葉。……ていうか、葉月さんは彼らの先輩なのか。うん、意味わかんない! )
まぁ、先輩と呼ばれた本人が嬉しそうなので、良しとしよう。
そう無理やり納得しようとして、しかし「これでいいの? 」感が拭えなかった。
そんな私の思いなど露知らず、葉月さんはスっと立ち上がって、私に笑いかける。
「そろそろ行きましょうか」
その言葉を受けた私は、モヤモヤしながら了解した。
麗たちを待たせては悪い。
私たちはゆっくりと合流場所である出入口へ向かって歩き出した。
少しして、葉月さんがおもむろに口を開いた。
「そういえば、ホッキョクギツネたちはこうも言っていました。ええと……たしか『カレカノ? 』だったかな。どういう意味なのですか? 」
「えっ! 」
「ん? 」
──ちょっと嬉しかった。




