【閑話】小さな幸せ
「………………」
じーっと目の前に置いてあった紙を眺める。
テストで出るところを暗記するかの如く、それはもう真剣な面持ちで。
「………………」
充分に眺めたのち、裏面をひっくり返して、またじーっと裏側を見る。
「……あの、結奈さん? なにを見ていらっしゃるのですか? 」
私があまりにも熱心な表情でその紙を見ているので、話しかけるべきか悩んでいたらしい。
恐る恐るといった感じで声をかけられて、私はハッと顔を上げた。
「え? ……あっ、チラシです。ペットショップの」
「ペットショップですか、なるほど」
ふんふんと頷いて、葉月さんも隣から覗き込んでくる。
「可愛いですね」
ふっと微笑んだ彼に、私は「ですよね! 」と元気よく返事した。
「ぬいぐるみみたいな見た目で、温かくてモフモフ動くんです。一緒に遊んだり、夜は同じベッドで寝たりして。こんな可愛い子たちが家族になってくれたら、毎日幸せですよね」
頭の中で広がる妄想に、幸せなため息をつく。
そんな私を見て、葉月さんは不思議そうな顔をした。
「以前聞いた話では、結奈さんは一度も犬を飼ったことがないようですけど、何故ですか? 結奈さんのお父様も確か動物好きでしたよね? 」
嫌なことを思い出したのか、葉月さんが一瞬身を震わせた。
(あぁ、お父さんにモフモフされまくったんだね)
お父さんは私と同じくモフモフ中毒だった。
葉月さんのモフモフな狐耳を存分に堪能するお父さんの姿が、容易に思い描ける。
私は苦笑しつつ、「そうなんですけどねぇ」と言った。
「お母さんが犬アレルギーだったんです。猫もダメだったらしくて」
「アレルギーですか。それなら仕方ないですね」
納得したように頷いてから、葉月さんは「ふむ」と思案顔をする。
そして、いいことを思いついたとばかりに笑顔をうかべた。
「結奈さん、犬はさすがに無理ですが、狐なら出せますよ。触ってみますか? 」
「えっ! いいんですか!? ぜひお願いします!! 」
ぐっと前のめりになる私に、葉月さんは大きく頷く。
「もちろん、お易い御用です! 」
一度拳を握った葉月さんは、下からすくい上げるように腕を動かし、そっと空中に術玉を放った。
ちょうど野球の下手投げのようなイメージだ。
開いた手のひらから、神力の塊が宙を舞う。
そして、すぐにそれは可愛らしい狐へと変化した。
半透明の緑色ではなく、純白のもふもふした毛並みのそれに、私は一瞬呼吸が止まった。
(ふ……ふ……ふつくしいぃぃ!! )
平伏しそうになるのを寸でのところで止めて、なんとか冷静な自分を取り繕う。
そんな私の横で、葉月さんはひょいと狐を持ち上げた。
「どうぞ。まあ、意思はありませんが、姿形は犬と似ているので、代わりにはなるでしょう。……意思はありませんが」
なぜか二度同じことを繰り返しながら、私の腕に乗せてくれた。
「わぁ、ふわふわ!! あったかい!! 幸せ!! 」
術玉なのに、まるで本物の生きた狐のように温もりがある。
「では、ごゆっくり」
「ありがとうございます! 」
自室に戻る葉月さんの背中に、私はお礼を言った。
本当はカッキリ九十度に腰を曲げて、深々と頭を下げたかったのだが、それは流石に重いだろうと自重した。
さて、と狐に視線を戻す。
毛並みは撫でるとシルクのように滑らかで、指先を差し込めばモフモフと弾力があって気持ちいい。
「はぁ、幸せ……」
ギュッと加減しつつ抱きしめ、顔をやわらかな被毛にうずめると、微かに檜の香りがした。
ふと、腕の中にいた白狐が身を捩る。
意思はないと葉月さんは言うが、見たところ少しはありそう、というのが私の見解だ。
今だって葉月さんとおそろいの金の瞳が、訴えかけるようにこちらを見上げている。
ウワメヅカイ、カワイイ。
視線だけでこの破壊力。卒倒しそうだ。
「んー? 下に降りたいのかな? 」
猫なで声で尋ねると、狐は目を細めながら私の腕に顔をこすりつけてきた。
小さく「きゅうん」と鳴くので、撫でて欲しいのだろうと見当つける。
「喜んで撫でますとも! 」
私は嬉々としてソファーに移動し、膝の上に狐を乗せる。
そのまま丁寧に撫でてあげると、狐は気持ちよさそうに目を瞑った。
「はぁ……」
本日二度目の幸せなため息が零れた。
膝が温い。毛が滑らかで気持ちいい。幸せ。
二度、三度と撫でていると、狐の体温が私まで移ったのか、段々と体がポカポカしてきた。
温かくて、なんだか眠くなってくる。
「ふぁ……ちょっとだけ……」
ソファーの背もたれに沈みこんだ私は、次の瞬間には夢の中だった。
──ジュージュー、カチャン、コトコトコト
ふと意識が浮上して、色々な音が耳に届いた。
次いで美味しそうな出汁の香りが鼻腔をくすぐる。
「んんっ」
なかなか目が開けられなくて、寝返りを打つと、聞こえていた音が止まった。
けれど、またすぐに何事もなかったかのように再開する。
少しだけ音が小さくなったので、おそらく気を遣わせてしまったのだろう。
覚醒した頭でそう思いつつ、私はようやく目を開けた。
座った状態のまま寝ていたらしく、肩に引っかけるようにしてグレーのブランケットが乗っかっている。
どうやら葉月さんが寝ている私に掛けてくれたようだ。
薄暗い部屋の中、右側のキッチンから明るい光が溶けだしていた。
キッチンライトの青白い光が、足元でチラチラと人型にうごめいていて、私は首を右に向けた。
眩しさに目が一瞬白んだ。
パチパチと目を瞬かせ、しっかりと見開く。
すると、予想していた通り、青のエプロンを着けた長身の背中が見えた。
時計は五時を指しているので、夕飯の支度をしているのだろう。
トントントンと包丁で食材をカットする音と、それに連動して動く葉月さんの腕を見つつ、私はふふっと笑声を零した。
「幸せだなぁ」
私の小さな呟きを拾った葉月さんが、可笑しそうに笑いながら振り返る。
「もう術玉は仕舞っちゃいましたよ? 」
寝ぼけていると思われたのだろうか。
からかう様な口調で言われ、私は仕返しとばかり首を横に振った。
「そうじゃなくて、今が幸せなんです」
葉月さんは一瞬驚いた顔をして、それからまた笑った。
「これは一本取られました」
そして一度言葉を切ってから、噛み締めるように一つ頷く。
「私も、今幸せです」
それだけ言って、葉月さんは夕食の準備に戻っていく。
私はソファーから抜け出すと、手伝うためにキッチンへ向かった。
黄泉比良坂に向かう前夜のことだった。




