第三幕
そしてその翌日、さらに大きな問題が発覚した。聖女と呼ばれたリリアには、治癒の力がなかったのだ。
教会が聖女候補として保護して以降、正式な聖女認定はまだ行われていなかった。この事件をきっかけに早急に調査した結果、彼女が使えるのは「発光魔法」だけだった。極めて初歩的な生活魔法。掌に光を生み出す、ただ、それだけの魔法。
これまでリリアが治療したとされる患者たちも調査された。ほとんどが軽傷か、自然回復する病気。教会の治療師が事前に処置していた事例まで、いつの間にか「聖女リリアの奇跡」として広まっていた。
「違うんです!」
尋問の席でリリアは泣いた。
「私は騙すつもりなんて!」
「では、なぜ治癒できると名乗った」
「みんなが勝手に聖女だって!」
それ自体は、完全な嘘ではなかった。
最初に奇跡だと騒いだのは周囲だった。熱に浮かされた子供へリリアが水を与え、手を握って祈った。翌朝、熱が下がった。転んで膝を擦りむいた老人へ光をかざした。数日後、傷が治った。
そんな小さな偶然が積み重なり、教会へ連れて行かれた。聖女かもしれないと言われた。立派な服を与えられた。人々が頭を下げた。王太子まで会いに来た。だから、言えなくなった。自分には何もできないと。
「エレオノーラ嬢が負傷した際、『治した』と言ったそうだな」
「だって……!」
リリアは泣き崩れた。
「言えなかったんです!」
「何を」
「治せないなんて言ったら、アルフレッド様に嫌われると思って!」
「アルフレッド様、私が聖女だから好きになってくれたんでしょう!?」
「最初に会ったときだって、『君の力は素晴らしい』『民を救える人だ』って! 私が治癒魔法を使えると思ってたから!」
初めてリリアが怒鳴った。
「本当のことを言ったら、全部なくなると思ったの!」
その証言は、後日アルフレッドにも伝えられた。アルフレッドの顔が歪んだ。
「リリア……違うんだ……」
アルフレッドは言葉を失った。
リリアは浅はかで愚かだった。だが、人を殺そうとしたわけではない。治せないのに、治せると言った。その嘘によってエレオノーラが死にかけた。その罪は重い。しかし悪意をもって刃を向けたわけではない。
――はずだった。
事件から一週間後。
医師や治癒師たちの努力と、家族や侍女たちの献身的な看病により、エレオノーラはようやくまともに言葉を話せるまで回復した。ただし。
「……アルフレッド様は?」
目覚めた彼女が最初に尋ねたのは、それだった。母である公爵夫人が泣いた。父は拳を握った。医師は慎重に答えた。
「今は、ご自分のお身体のことだけをお考えください」
「アルフレッド様……」
エレオノーラは虚ろな目で天井を見た。それから、ぽろぽろと涙を流した。
「私が……悪いのですね」
「違う!」
父が即座に否定した。
「お前は何も悪くない!」
「でも……殿下は、私を嫌いに……」
「もういい。もうあの男のことを考えるな」
「十一年……」
「エレオノーラ」
「十一年、頑張ったのです」
その声があまりに弱々しく、公爵は言葉を失った。
「ちゃんと、王妃になれるように……頑張ったのに……」
以後、エレオノーラは心を壊した。大きな音を聞けば震え、男性の声が廊下から聞こえれば、顔色を変えた。王家から使者が来れば吐いた。青い服を見れば泣いた。薔薇を見れば部屋へ閉じこもった。アルフレッドの名前を聞けば、呼吸すら乱れた。
王家は頭を抱えた。エレオノーラはあまりにも優秀だった。十一年もの王妃教育を受けている。諸外国の王族と面識があり、外交にも明るい。国内の有力貴族との繋がりも深い。王妃となれなくても、王家としては何らかの形で縁を残したかった。
第二王子との婚姻。
王女付きの女官長。
王族に準じる新たな爵位。
いくつもの案が水面下で出た。そのたびに、エレオノーラは倒れた。
「王宮……?」
そう聞いただけで、彼女の手は震えた。
「いや……」
「エレオノーラ、大丈夫だ」
「いや……いやです……」
公爵が娘を抱き締める。
「もう誰もお前を王宮になど行かせん!」
「お父様……」
「療養しよう。王都を離れよう。何年かかってもいい」
エレオノーラは父の胸へ顔を埋めた。
更に一週間後。エレオノーラは殺人未遂事件の事情聴取を受けた。
その頃には、事件の当事者たちの身柄も完全に分けられていた。聖女の力を偽ったリリアは、平民の容疑者として一般の牢へ収監されている。王族である王太子アルフレッドや貴族である側近のユリウスは、投獄こそされていなかったものの、それぞれの私室へ隔離されていた。外出は許されず、面会も国王の許可がある者に限られている。
事情聴取に対して家族が反対した。医師も止めた。しかし彼女は、震えながら言った。
「覚えていることを……お話ししなければ……」
調査官は慎重に尋ねた。
「無理をなさらず」
「はい……」
エレオノーラは両手を握った。
「殿下から婚約解消を告げられて……」
「はい」
「リリア様と結婚すると……」
声が震える。
「それから?」
「よく……覚えていないのです」
「覚えていない?」
「頭が……ぼんやりして……」
調査官が眉を寄せる。
「何か飲まれましたか?」
エレオノーラは考えるような顔をした。
「お茶を……」
「誰が用意しました」
「分かりません……でも」
そこで言葉を止めた。
「どうされました?」
「リリア様が……」
目を伏せる。
「私のカップに触れていたような……」
室内の空気が変わった。
「確かですか?」
「分かりません!」
エレオノーラは怯えたように首を振った。
「覚えていないのです! 私、どうして自分を刺したのかも……!」
「ナイフも……私が……持っていったの?……アルフレッド様と会うのに……!ごめんなさい!ごめんなさい!!!」
父が即座に娘の肩を抱いた。
「もういい!」
「お父様……」
「これ以上は聞かせん!」
事情聴取はそこで中断された。そして公爵家の薬師が、エレオノーラの症状が、ある種の鎮静薬を過剰摂取した際の症状と一致すると証言した。
「適切に処方されれば問題ありませんが、分量を間違えれば、意識混濁、記憶の欠落が起こる可能性があります」
だが事件直後は救命処置が最優先され、薬物摂取を疑う理由もなかったため、その種の検査は行われていなかった。今となっては、証明する術はない。
さらに、以前から確認されていた一つの物証が、ここで改めて注目された。エレオノーラの腹に刺さっていた小刀から、リリアの指紋に相当する魔力痕が検出されていたのだ。
小刀から検出されたリリアの魔力痕は当初、それほど重要な証拠とは見なされていなかった。リリア自身が治癒を試みた際に小刀へ触れたことを認めており、アルフレッドとユリウスもそれを証言していたからだ。
しかし、エレオノーラの証言によって薬物使用の疑いが浮上したことで、その意味は変わった。意識を混濁させられた可能性のある被害者。彼女の茶に触れていたリリア。そして、実際に腹部へ刺さっていた小刀に残されたリリアの魔力痕。
それまで個別に見れば説明のついた事実が、被害者の証言を裏付ける状況証拠として扱われ始めた。その事実に、リリアは絶叫した。
「違う!」
エレオノーラを治療しようとしたとき、確かに彼女は小刀に触れていた。動くはずのない刃物が僅かに揺れ、恐怖から払い除けた。それだけだった。
「私じゃない!」
泣きながら訴えた。
「エレオノーラ様が自分で刺したんです!」
だがそれを証言するアルフレッドの立場は、既に著しく弱くなっていた。なぜならもう一つの証拠が見つかったからである。アルフレッドのクローゼットの奥から、リリアが書いたとされる未開封の手紙が発見された。
――エレオノーラ様さえいなくなれば、私たちは一緒になれるのでしょうか。
――殿下は優しすぎます。
――私が何とかいたしますから、殿下は何も知らなかったことにしてください。
アルフレッドは青ざめた。
「私はこんな手紙を受け取っていない」
だが筆跡はリリアのものだと判断された。
「私も書いてません!」
リリアは泣き叫んだ。
「そんなもの知らない!」
しかし、聖女の力を偽っていた女。
公爵令嬢の婚約者を奪った女。
殺人未遂現場にいた女。
被害者の茶へ薬物を混入した疑いがある女。
凶器へ触れた痕跡が残る女。
そして。
王太子へ犯行を示唆する手紙を送った女。
評議会の結論は早かった。
「違う……」
判決の日、リリアは震えていた。
「本当に……違うの……」
彼女は悪辣な女ではなかった。ただ浅はかだった。聖女だと言われ、王太子から愛され、夢のような生活を失いたくなくて嘘を重ねた。
その結果彼女は、公爵令嬢を殺そうとした、王太子妃の座を奪おうとした稀代の悪女として、死罪を言い渡された。




