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君が遺した世界で、あの日と同じ月を見る。  作者: ぽてと


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第2話 魔法が消えた街

投光器の眩しい光から逃れるように、湊は現場の資材置き場の影へと彼女を引きずり込んだ。

 監督の怒声が遠くから聞こえてくる。

「おい湊! 何やってんだ! 異常はあったのか!」

「あ、いえ! ただの古いガラスの塊でした! 砕けちゃいましたけど、地盤には影響ないです!」

 湊は声を張り上げて誤魔化した。心臓が早鐘のように鳴っている。

「チッ、紛らわしい! お前、ちょっと顔色悪いぞ。粉塵でも吸ったか?」

「すみません、少し気分が……」

「使えねえな! 今日はもう上がれ! 明日遅刻したらクビだからな!」


監督の怒鳴り声に何度も頭を下げながら、湊は暗がりで震える少女――リィエルを自分の薄汚れたドカジャンで包み込んだ。

「……勇者様?」

「しっ。声を出さないで。いいかい、絶対に出ちゃ駄目だ」

 湊が人差し指を唇に当てると、彼女はコクンと素直に頷いた。


どうしてこんなことになってしまったのか。

 幻覚ではない。腕の中にある温もりも、鼻をくすぐる花のような香りも、現実だ。

 とりあえず、こんな深夜の工事現場に、裸足でコスプレのような薄着の少女を放置するわけにはいかなかった。警察に突き出すにしても、事情をどう説明すればいいのか分からない。

「……行くよ。俺の家、ここから歩いてすぐだから」

 湊は彼女の手を引いた。その手は、冷え切った湊の指先とは対照的に、酷く温かく、そして柔らかかった。



深夜の湾岸エリアから、湊の住むボロアパートまでは徒歩で十五分ほどの距離だった。

 しかし、その道のりは想像以上に困難を極めた。


「ひっ……!」

 大通りに出た瞬間、けたたましいスキール音を立てて大型トラックが通り過ぎた。その瞬間、リィエルは悲鳴を上げて湊の背中にしがみついた。

「ど、どうした!?」

「あ、あの巨大な鉄の魔獣は……!? 恐ろしい速度です、それにあの轟音……! 勇者様、結界を張らなければ喰われてしまいます!」

「魔獣って……トラックだよ。ただの車。それに結界なんて張れないから」

「と、とらっく……?」

 リィエルは怯えた小動物のように湊のジャンパーの裾をぎゅっと握りしめ、トラックが走り去った方向を信じられないものを見るような目で見つめていた。


彼女の驚きはそれだけではなかった。

 等間隔に並ぶ街灯を見上げては「こんなにも強大な光の精霊を、無数に封印して使役しているなんて……」と息を呑み、深夜営業のコンビニの看板を見ては「あそこだけ昼間のように明るい……まさか、強力な幻惑魔法陣ですか?」と警戒心を露わにした。


その反応は、演技には到底見えなかった。

(本当に……エルフ、なのか? 2000年前から来た?)

 湊の常識が軋みを上げて崩れそうになる。だが、彼女の尖った耳や、月光を編み込んだような銀糸の髪を見れば、それを否定する材料も見当たらなかった。


「……着いた。ここだ」

 ようやく辿り着いたのは、築四十年の木造アパート『コーポ・ひまわり』。

 錆びた鉄階段を上り、203号室のドアを開ける。

「狭いし汚いけど、とりあえず入って」


湊が壁のスイッチを押すと、天井のLEDシーリングライトがパッと部屋を照らし出した。

「――ッ!」

 リィエルがまたしても息を呑み、その場にへたり込みそうになった。

「ちょ、どうしたの?」

「無詠唱で、これほどの規模の光魔法を……! やはりあなたは、私の勇者様なのですね! 前世の力は失われていない!」

「いや、これは電気っていうインフラで……スイッチ押せば誰でも点くんだって」

「でんき……? インフラ……? 古代の神々の名でしょうか」

 きょとんとするリィエルを促し、湊はとりあえず彼女を部屋の中に入れた。


六畳一間のワンルーム。万年床の布団に、脱ぎ散らかされた服。シンクには洗っていない食器が山積みになっている。

 絵に描いたような独身男の荒んだ部屋だ。

 だがリィエルは、そんな惨状など全く気にする様子もなく、部屋の隅にある小さな冷蔵庫や、薄型テレビを畏敬の念を持って見つめていた。


「あの箱からは、微かに氷の精霊の気配がします。そしてあの黒い板は……まるで虚空を切り取ったかのよう。湊様、この部屋は恐るべき魔力の宝庫ですね」

「……もう好きにしてくれ」

 湊はどっと押し寄せてきた疲労感に耐えきれず、フローリングの床に座り込んだ。


改めて、明るい部屋で彼女を見る。

 泥だらけのジャンパーを羽織っているとはいえ、その下は薄い布一枚だ。透き通るような白い肌が露わになっており、目のやり場に困る。


「ええと……リィエル、だっけ」

「はい! リィエル・フォン・アステリア。あなたの剣となり、盾となる者です」

 リィエルは背筋をピンと伸ばし、胸に手を当てて優雅に一礼した。その所作だけで、彼女が高貴な身分であることが嫌でも伝わってくる。


「俺は湊。ただの湊だ。……悪いけど、君が探してる『勇者様』じゃないと思う」

 湊は深くため息をつきながら言った。

「俺には2000年前の記憶なんてない。魔法も使えないし、剣だって振ったことがない。毎日泥水すすって、怒鳴られて、安い給料でこき使われてるだけの……ただの底辺の人間だ」


自嘲気味に笑う湊。それは、彼がずっと目を背けてきた現実の吐露でもあった。

 自分には何の価値もない。誰かを救うどころか、自分の生活すらままならない。そんな人間に、こんな美しく純粋な少女が縋り付いてくるなんて、何かの悪い冗談だ。


しかし、リィエルは一切動じなかった。

 彼女はゆっくりと湊に近づくと、膝を折って彼と同じ目線になり、その両手をそっと握った。


「湊様」

 翠緑の瞳が、湊を真っ直ぐに射抜く。

「記憶がないのは当然です。魂の形が少し変わってしまったのも、無理はありません。でも……私は間違えません。あなたの魂の輝きは、あの頃と全く同じです」

「魂の、輝き……」

「ええ。不器用で、傷つきやすくて、それでも……誰よりも優しい。私の大好きな、あの温かい輝きです」


リィエルの言葉に、湊の胸の奥がチクリと痛んだ。

 優しい? 俺が?

 すり減って、他人のことなど考える余裕もないこの俺が。


「……今日はもう遅い。お風呂、お湯出るから入ってきなよ。服は……俺のスウェットで悪いけど、貸すから」

 湊は誤魔化すように立ち上がり、押し入れから比較的綺麗なスウェットの上下を引っ張り出した。

「おふろ、ですか? 水浴びではなく?」

「蛇口をひねれば、熱いお湯が出るんだよ。……これも魔法じゃないからな」


リィエルを狭いユニットバスに押し込み、お湯の出し方を教える。シャワーから降り注ぐお湯に「ああ、なんと心地よい炎と水の調和魔法……!」と感動する声がドア越しに聞こえてきて、湊は思わず苦笑した。

 笑ったのは、いつぶりだろうか。


やがて、だぼだぼのスウェット姿で出てきたリィエルは、少し恥ずかしそうに頬を染めていた。濡れた銀髪から水滴が滴り、石鹸の香りがふわりと漂う。

「あの、湊様。この衣、ひどく大きくて……それに、とても柔らかくて不思議な肌触りです」

「綿っていう素材だよ。まあ、とりあえず寒くはないだろ。俺のベッド使っていいから、今日はもう寝な」

「湊様はどうされるのですか?」

「俺は床で寝る。慣れてるから」


湊は押入れから古い毛布を引っ張り出し、床にごろりと横になった。

 ベッドの上では、リィエルが申し訳なさそうにモジモジしていたが、やがて疲労に勝てなかったのか、コトリと横になった。


「……湊様」

 部屋の電気を消した暗闇の中、彼女の小さな声が響いた。

「なんだよ」

「助けていただいて、ありがとうございます。……またあなたにお会いできて、私、本当に幸せです」


その言葉の響きがあまりにも純粋で、湊は返す言葉を見つけられなかった。

 彼女が見ているのは、俺じゃない。2000年前に死んだという、どこかの立派な英雄だ。俺はただの身代わりで、その幻影を被せられているだけだ。

 そう頭では理解しているのに。


「……おやすみ、リィエル」

「はい。おやすみなさいませ、私の勇者様」


窓の外から差し込む街灯の光が、彼女の寝顔を薄っすらと照らしていた。

 明日になれば、現実が押し寄せてくる。仕事はどうするのか、彼女の戸籍はどうなっているのか、どうやって食わせていくのか。問題は山積みだ。

 だが、冷たく乾ききっていた湊の心に、小さな、本当に小さな温かい火が灯ったことだけは間違いなかった。


魔法なんてない、この退屈で残酷な世界で。

 湊は目を閉じ、泥のように深い眠りへと落ちていった。

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