設定を考えるのは楽しい。でも、読者は設定を見せられたいわけじゃない
異世界ファンタジーを書いている。
そして異世界ファンタジーにつきものなのが設定。
これを考えるのは大変だ。
でも。
**楽しい。**
ものすごく楽しい。
むしろ私は、物語を書くことより設定を考えている時間のほうが好きなんじゃないか。
そんなことを思うことすらある。
この世界には、どんな国があるのか。
王国と帝国は、どういう関係なのか。
魔法には、どんな種類があるのか。
魔力はどこから生まれるのか。
魔物は、なぜ存在するのか。
主人公が暮らしている町には、どんな産業があるのか。
どんな食べ物があって、どんな貨幣が使われているのか。
どんな宗教が信じられているのか。
考え始めると止まらない。
「この国には、こういう歴史があって……」
「だったら隣国とは、こういう関係にしたほうがいいな」
「いや、それなら昔に戦争があったことにしたほうが面白いか」
そんなことを考えているうちに、設定がどんどん増えていく。
そして、ふと我に返る。
――あれ?
俺、小説を書いていたんじゃなかったっけ?
気がつけば、
**「これ、小説を書くための設定なのか? 設定を書くための小説なのか?」**
という状態になっている。
作者としては、ものすごく楽しい。
何もなかったところに、国ができる。
街ができる。
文化ができる。
歴史ができる。
そこに人が住み始める。
自分の頭の中にしか存在しなかった世界が、少しずつ形になっていく。
これが異世界ファンタジーを書く醍醐味だと思う。
……ただ。
ここには、一つ大きな問題がある。
**読者は、作者ほど設定に興味があるわけではない。**
これを忘れてはいけない。
作者は、その世界を作った人間だ。
だから知っている。
この国が建国された理由も。
王家の血筋も。
隣国との因縁も。
五百年前に起きた戦争の原因も。
魔法体系の細かいルールも。
全部知っている。
だから、
「この設定、面白い!」
と思ってしまう。
そして、
「せっかく考えたんだから、読者にも知ってもらいたい」
となる。
――ここからが危ない。
ついつい説明してしまう。
主人公が町に入っただけなのに、
「この町は三百年前に建設され――」
と始めてしまう。
魔法を使っただけなのに、
「この世界における魔法とは、そもそも――」
と説明してしまう。
王様が登場しただけなのに、
「この王家は初代国王が――」
と歴史の授業が始まる。
作者としては、
「いや、ここは重要な設定なんです!」
と思っている。
でも読者からすれば、
「……それより主人公はどうなるの?」
となる。
これが難しい。
設定そのものが悪いわけではない。
むしろ異世界ファンタジーには、設定が必要だ。
世界観がしっかりしているからこそ、物語に厚みが出る。
問題なのは、
**「設定を読ませること」と「設定を使って物語を読ませること」は違う。**
ということなのだと思う。
銀河英雄伝説など冒頭に長々と設定を書いているけど、今の時代だったら許されてないと思う。
読者が知りたいのは、
「この世界には、こういう制度があります」
ではない。
「その制度によって、主人公に何が起こるの?」
なのだ。
魔法の仕組みそのものより、
「その魔法で主人公は敵を倒せるのか?」
のほうが気になる。
国の歴史そのものより、
「その歴史が原因で、主人公たちはどう巻き込まれるのか?」
のほうが気になる。
つまり。
**設定は、物語の中で使ったときに一番面白くなる。**
そういうことなのだと思う。
そして、そう考えると。
ある意味では、**現代を舞台にした作品は楽なのかもしれない。**
例えば、現代ダンジョンもの。
もちろんダンジョンの設定は必要だ。
なぜダンジョンが発生したのか。
魔物はどこから来るのか。
魔石にはどんな価値があるのか。
冒険者制度はどうなっているのか。
考え始めれば、いくらでも設定は作れる。
でも。
舞台そのものについては、かなりの部分を読者と共有できる。
日本が舞台なら、コンビニがある。
電車がある。
スマートフォンがある。
学校がある。
会社がある。
読者が知っている世界を、そのまま使える。
だから、
「この街はどういう構造になっているのか」
なんて、一から説明する必要がない。
そこに、
**「ダンジョンが出現した」**
という非日常を追加すればいい。
これはかなり大きい。
現代ラブコメなら、さらに分かりやすい。
学校がある。
教室がある。
文化祭がある。
体育祭がある。
夏休みがある。
クリスマスがある。
バレンタインがある。
主人公とヒロインが一緒に帰る。
それだけで、読者はだいたい状況を理解できる。
だから作者は、
「この世界では学校制度が成立したのは二百年前で――」
なんて説明しなくていい。
そんなことを書いている暇があったら、
「ヒロインと二人きりになった」
を書いたほうがいい。
読者が知りたいのは、学校制度の歴史ではなく、
**「この二人、これからどうなるの?」**
なのだから。
そして、歴史小説もまた面白い。
もちろん歴史小説にも調査は必要だ。
官位だとか、当時の制度だとか。
名前にフリガナを振らないと読めないような人物もいる。
下手なことを書けば、史実と矛盾する。
年代が合わない。
そもそも、その人物はその時代には生きていない。
そんな問題も出てくる。
だから大変だ。
でも、その一方で。
**ゼロから世界を作る必要はない。**
すでに存在した時代を借りることができる。
江戸時代なら江戸時代。
戦国時代なら戦国時代。
誰が権力を持っていたのか。
どんな制度があったのか。
どんな町があったのか。
どんな人物が存在したのか。
調べれば、その土台が出てくる。
つまり。
作者が全部を発明しなくてもいい。
読者も、全部を覚えなくていい。
これは異世界ファンタジーとは大きく違うところだと思う。
異世界ファンタジーの場合、
「この国の税制は?」
「貨幣は?」
「農業は?」
「識字率は?」
「軍隊は?」
「宗教は?」
「隣国との関係は?」
「そもそも、この国はなぜ存在するの?」
……と、考え始めれば、いくらでも考えられる。
しかも。
作者は、それを考えるのが楽しい。
だから困る。
楽しいから、どんどん考えてしまう。
小説を書くために設定を作っていたはずなのに。
いつの間にか、
**設定を作るために小説を書いている。**
そんな逆転現象が起きる。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。
設定を考えることが好きなら、それも立派な創作の楽しみだ。
ただ。
**作者が楽しいことと、読者が楽しいことは同じではない。**
ここは、しっかり意識しておきたい。
作者が一週間かけて作った王国の歴史より。
主人公とヒロインが初めて二人きりになった一場面のほうが、読者には重要かもしれない。
作者が徹夜して考えた魔法体系より。
主人公がその魔法を使って何をするのかのほうが大事かもしれない。
だから、
**設定を作ることと、設定を見せることは分けて考えたほうがいい。**
作者は、設定を知っていればいい。
全部を読者に説明する必要はない。
むしろ、
「作者は裏でここまで考えている。でも、読者には必要なところだけ見せる」
くらいが、ちょうどいいのかもしれない。
設定は、物語を支える土台だ。
土台そのものを見せたいのではない。
その土台の上で、主人公たちが何をするのか。
何に悩むのか。
何を失うのか。
何を手に入れるのか。
そこを読者に楽しんでもらう。
そのための設定なのだろう。
……とはいえ。
それでも私は、設定を考えるのが好きだ。
今日も、
「この国の隣には、どんな国を置こうかな」
なんて考えている。
人口はどのくらいにしよう。
主要産業は何にしよう。
どこに街を作ろう。
どんな歴史を持たせよう。
宗教は――。
……。
……一時間経過。
主人公は一歩も動いていない。
そろそろ本編を書こう。
読者が読みたいのは、
**私の設定資料集ではないのだから。**




