異世界ファンタジーの戦闘描写は、細かければいいってものじゃない
そもそも、小説自体がそうなのだが。
異世界ファンタジーは、**多人数による戦闘や、戦闘の細かい描写をすることに、あまり向いていない。**
もちろん、書こうと思えば書ける。
十人対十人。
百人対百人。
あるいは、数千人規模の軍勢同士がぶつかり合う戦争だって描くことはできる。
でも。
これが、ものすごく大変なのだ。
たとえば十人の冒険者が魔物の群れと戦っているとする。
「Aが右から斬りかかった」
「Bが後ろから援護した」
「Cが魔法を放った」
「Dが負傷した」
「Eが別の魔物を倒した」
……と、一人ずつ書いていく。
最初のうちはいい。
しかし人数が増えるほど、
「誰がどこにいるのか」
「誰が何をしているのか」
「誰が負傷しているのか」
「敵は何体残っているのか」
「今、どの方向から攻撃されているのか」
という情報を、作者だけではなく読者にも管理してもらわなければならなくなる。
これが非常に難しい。
現実の戦場なら、視界の中に大量の人間がいて、怒号が飛び交い、武器がぶつかり、誰かが倒れ、別の場所では魔法が炸裂している。
それを全部同時に体験できる。
しかし小説では、基本的に文章を一行ずつ読んでいく。
つまり作者が、
「Aが敵を斬った」
と書いた瞬間、読者の意識はAに向く。
その直後に、
「Bが別の敵を倒した」
と書けば、今度はBへ意識が移る。
さらに、
「Cは魔法を唱えながら後退した」
となれば、Cへ移る。
人数が増えれば増えるほど、読者の頭の中でカメラを切り替え続ける必要がある。
これが、かなりの負担になる。
しかも異世界ファンタジーの場合、さらに厄介なことがある。
魔法がある。
剣技がある。
特殊能力がある。
モンスターがいる。
種族によって身体能力が違う。
場合によっては、飛行する敵や巨大な魔物まで出てくる。
そして剣技や魔法について細かくしても読者にはわからない。
まあ現代で銃を使ったりする場合、銃の名前を書かれてもわからないとかはあるが。
ロボットバトル物が小説に向かないのは武器の形状やそれがどういうふうに使われてるかを説明するのが難しいからだとも思う。
話をもどすが異世界ファンタジーは現代の人間同士の戦闘以上に、**戦場で何が起きているのかを説明しなければならない情報量が多い。**
百人の兵士が剣を振っているだけなら、まだいい。
そこに、
「魔法使いが後方から火球を撃ち」
「弓兵が高所から援護し」
「騎兵が側面から突撃し」
「敵の巨人が前衛を薙ぎ払い」
「主人公がその巨人に向かって走り」
……なんてことを始めると、もう大変である。
作者としては、
「すごい戦闘を書いているぞ!」
と思っていても。
読者からすると、
「えーっと……今、誰がどこにいるんだ?」
となる可能性がある。
だから、異世界ファンタジーの戦闘では、**必ずしも細かく書けば書くほど面白くなるわけではない。**
むしろ逆の場合すらある。
主人公と敵の一対一なら、かなり細かく描写できる。
相手の剣が右から来た。
主人公はそれを受ける。
足を踏み込む。
相手が体勢を崩す。
主人公が反撃する。
こういう描写なら、読者も追いやすい。
視点となる人物が明確だからだ。
ところが、十人、二十人と増えてくると話が変わる。
全員を平等に描写しようとすると、戦闘そのものが説明文のようになってしまう。
逆に、一人の視点に絞れば、今度は他の場所で何が起きているのかを書くことが難しくなる。
そして。
これ、漫画なら少し事情が違う。
たとえば『キングダム』を読んでいると、数千、数万という規模の軍勢が戦っている。
それでも、
「今、戦場のどこで何が起きているのか」
を、比較的直感的に理解できる。
なぜなら、漫画には絵があるからだ。
大軍がぶつかっている全体像を一枚の絵で見せることもできる。
その次のコマでは、特定の武将に寄る。
さらに次のコマでは、別の場所で起きている出来事を描く。
読者は、絵によって位置関係や人数、戦況をある程度まとめて把握できる。
小説には、それがない。
文章で、
「右手には五百の兵がいて、その奥に騎兵がいて、左手では敵の部隊が崩れ始めていて――」
と説明しなければならない。
もちろん、これを上手く書くこともできる。
できるのだが。
やはり難しい。
だから私は、異世界ファンタジーの大規模戦闘を書くときほど、
**全部を書く必要はない。**
と思っている。
むしろ、
「戦場全体ではこういうことが起きている」
という大きな流れを示して。
その中から、
「主人公の周囲では何が起きているのか」
を切り取る。
漫画でいうなら、戦場全体を見せる引きのコマから、主人公のいる場所へカメラを寄せていくような感覚だ。
そして重要な場面だけを細かく描写する。
そのほうが、読者にとっても分かりやすい。
たとえば、
――左翼が崩れた。
という一文があるだけでもいい。
その一文によって、
「戦況が悪化した」
ということは伝わる。
そして主人公の目の前では、
仲間が一人倒れる。
主人公が敵を一体倒す。
その直後、後方から援軍が到着する。
そういう**重要な瞬間だけを拡大して描く。**
全部を描写するのではなく、戦場の中から「物語として必要な部分」を選ぶわけだ。
これは、異世界ファンタジーを書くうえではかなり重要なのではないかと思う。
設定を考えるのは楽しい。
世界を作るのも楽しい。
国を作る。
軍隊を作る。
魔法体系を作る。
種族を作る。
武器を作る。
そして、
「この国とあの国が戦争になったら、こんな軍隊同士がぶつかるんだ!」
と考える。
めちゃくちゃ楽しい。
しかし。
**それを全部、小説本文に書く必要があるのか?**
と考えると、また別の問題になる。
設定として存在することと、本文で描写することは違う。
むしろ、設定を細かく作ったからこそ、
「ここは書かなくても読者には伝わるな」
と判断できることもある。
だから異世界ファンタジーでは、
**世界を細かく作ることと、世界を細かく説明することは別物。**
この二つを混同しないことが、案外大事なのかもしれない。
そしてこれは、戦闘だけの話ではない。
登場人物が多い会議。
複数の国が絡む外交。
大勢が参加する祭り。
軍隊の移動。
都市の描写。
政治情勢。
全部を細かく描こうとすると、あっという間に文章量が増えていく。
設定好きな作者ほど、ここには注意が必要なのだと思う。
なにしろ作者は、その世界のことを知っている。
だから書きたくなる。
「この国の軍隊はこういう編成で」
「この部隊はこう動いて」
「この魔法はこういう原理で」
「この将軍はこういう意図があって」
……と、どんどん書きたくなる。
でも読者が知りたいのは、
**今、物語として何が起きているのか。**
だったりする。
だからこそ。
設定は思い切り細かく作っていい。
むしろ作者の頭の中では、細かすぎるくらい作っていい。
ただし。
本文に出すときには、その中から必要なものだけを選ぶ。
この「削る作業」こそが、異世界ファンタジーを書くうえで、意外と重要なのではないだろうか。




