最強主人公なのに、なぜ面白い?――主人公を「強くする」のではなく「面白くする」
いきなりですが、ちょっと想像してほしい。
世界最強の冒険者がいる。
魔王でも一撃。
ドラゴンでも瞬殺。
どんな敵が出てきても、
「まあ、こいつなら勝つだろう」
と思えるほど強い。
ところが、その男が今、ものすごく困っている。
「どうしよう……絶対おかんに怒られる」
理由は、さっき街中でやりすぎたからだ。
魔王を倒せるほど強いのに、母親には頭が上がらず、しかられたくない。
――こういう主人公なら、私はかなり見てみたいと思う。
なぜか。
**強いからではない。面白いからだ。**
異世界ファンタジーを書いていると、主人公を周囲から評価させるために、どう強くするかという問題に、どうしても目が向いてしまう。
最強の剣士。
全属性魔法を使える万能魔法使い。
鑑定したら、とんでもない能力値だった。
現代知識を持っている。
ゲームの知識を持っている。
こうした「主人公を強くする設定」は、異世界ファンタジーでは非常に使いやすい。
何しろ読者にとっても分かりやすい。
「この主人公は強い」
それだけで爽快感を作ることができるからだ。
しかし、ここには一つ落とし穴がある。
**主人公が強いことと、主人公が強いことで作品が面白いことは、必ずしも同じではない。**
例えば、
「剣聖なので魔王を倒せます」
という主人公を考えてみる。
敵が出てきた。
剣を抜いた。
斬った。
敵が死んだ。
――これで終わってしまう。
もちろん、最初の一回なら気持ちいい。
だが、それが十回、二十回と続けばどうだろう。
「どうせ主人公が勝つんでしょ」
と読者に思われてしまう。
これが主人公最強系、例えば『魔法科高校の劣等生』のような作品で、一部の読者が途中で離れてしまった理由の一つなのではないかと思う。
もちろん、『魔法科高校の劣等生』には独自の世界観や設定、キャラクターの魅力がある。
実際、読者レビューを見ても、二年生以降の展開や物語の方向性について意見が分かれている。
二年目から政治的な方面へシフトしたことを指摘するレビューもある。
もちろん、これは個々の読者の感想であり、これだけで「途中離脱した読者が多かった」と断定することはできない。
ただ、こうした感想を見ると、
**「主人公が勝てるかどうか」以外にも、読者を引っ張るものが必要なのではないか。**
と考えさせられる。
物語に必要なのは、単純な勝敗だけではない。
**「次はどうなるんだ?」と思わせることである。**
では、どうすればいいのか。
一つは、
**「能力そのもの」ではなく、「能力の使い方」に面白さを作ること。**
例えば、主人公の戦闘能力そのものは普通。
ところが、なぜか敵の魔法陣の構造を理解できる。
ならば、敵を力任せに倒すのではなく、
「この魔法は発動直前に、ここへ魔力が集中する」
「だったら、そこを邪魔すればいい」
と考えて戦うことができる。
つまり、同じ能力でも、
**「何ができるか」より「この主人公がどう使うか」**
で物語は変わる。
そして、その差を生み出すのが主人公の性格だ。
慎重な主人公なら、徹底的に準備してから行動するかもしれない。
短気な主人公なら、知識を武器にして正面から突っ込むかもしれない。
商人気質なら、
「これを利用すれば、敵を倒すより儲かるんじゃないか?」
と考えるかもしれない。
善人なら、
「自分だけ助かればいい」
という選択を拒否するかもしれない。
同じ能力を持っていても、主人公の性格によって物語はまったく変わる。
さらに、
「知識はあるけど、人を説得するのが苦手」
「戦闘は強いけど、政治には弱い」
「未来の知識はあるけど、この世界の常識を知らない」
といった「できないこと」があれば、主人公だけでは解決できない問題が生まれる。
仲間が必要になる。
敵も工夫する。
主人公自身も成長する。
だから弱点は、主人公を単純に弱くするためのものではない。
**物語を動かすための装置として使える。**
ただし、ここで面白い例外がある。
主人公自身に、ほとんど弱点がなくても面白い作品だ。
例えば、『極悪貴族、謙虚堅実に無双する~原作知識と固有魔法<虚空>を駆使して、破滅エンドを回避します~』である。
この作品の主人公ホロウは、剣術・魔法・学問に恵まれた、作中でも最強クラスの人物だ。
しかも固有魔法〈虚空〉によって、圧倒的な戦闘力まで持っている。
それでも物語が成立するのは、**主人公の強さとは別のところに「勝負」があるからだ。**
ホロウは原作知識によって、自分が破滅する未来を知っている。
つまり、
「敵に勝てるか?」
だけが問題ではない。
**「どれだけ強くても、予定された破滅エンドから逃げ切れるのか?」**
という問題が残る。
本人がどれだけ強くても、原作シナリオそのものは殴って倒せない。
だから油断できない。
ここから分かるのは、
**主人公を弱くしなくても、主人公の力だけでは簡単に解決できない問題を置けばいい**
ということだと思う。
さらに、別の方向からそれを実践しているのが、『お嬢様バズ』だ。
こちらの主人公も、間違いなく最強クラスだ。
ところが面白いのは、戦闘では無双しているのに、日常では妙に小市民なところだ。
警察に捕まるのは困る。
学校の成績が悪いから、先生には頭が上がらない。
ダンジョンでは化け物を相手に暴れ回るのに、学校では普通の生徒として怒られる。
**世界最強なのに、先生には逆らえない。**
この落差が、そのままキャラクターの面白さになる。
しかも、それだけではない。
「これはさすがに勝てないんじゃないか?」
と思わせる能力を持った敵もいる。
だから、
「どうせ主人公が全部ぶっ飛ばして終わり」
とはならない。
「今回はさすがにヤバいんじゃないか?」
という空気が生まれる。
つまり、『お嬢様バズ』では、
**「最強なのに小市民」というキャラクター性と、「最強でも勝てるか分からない敵」を組み合わせている。**
主人公の強さが、むしろ笑いと緊張感の両方を生み出しているわけだ。
ここで大事なのは、
**最強主人公だから緊張感がなくなるわけではない**
ということだ。
緊張感がなくなるのは、
**「主人公の力ですべての問題が簡単に解決できる」**
状態なのだと思う。
逆に言えば、主人公が最強でも、
「主人公の力ではどうにもならない」
「勝っても別の問題が発生する」
「日常では強さが役に立たない」
といったものがあれば、物語は動く。
それは敵の強さでもいい。
運命でもいい。
政治でもいい。
社会でもいい。
日常生活でもいい。
あるいは、自分自身の性格や選択でもいい。
『極悪貴族』なら「破滅する運命」。
『お嬢様バズ』なら「最強なのに小市民」というギャップと、強敵の存在。
どちらも、主人公の戦闘力そのものを下げることなく、物語上の問題を作っている。
だから、
**「最強主人公だから物語が作れない」のではない。**
最強だからこそ、
**「何を相手に物語を動かすのか」**
を考えればいい。
そして、主人公の能力や性格を考えるときも、
「何ができるか」
だけではなく、
「何ができないのか」
「どういう場面なら、その力が役に立たないのか」
「その能力を、この主人公ならどう使うのか」
まで考えておく。
そうすれば、単なる「最強キャラ」ではなく、
**「次はこの主人公が何をするのか見たい」**
と思わせる主人公に変わっていく。
結局のところ、読者が読みたいのは主人公のステータス画面ではない。
主人公が、その力を使って**何をするのか**なのだと思う。
だから異世界ファンタジーの主人公を作るとき、私はこう考えるようにしている。
**主人公を「強くする」のではなく、「面白くする」。**
この二つは似ているようで、実はかなり違うのである。
それを考えて読まれる作品にするのが難しいんですけどね。




