2.鳥籠
朝起きると、そこにはやはり見慣れない天井があった。
どれほどの日数を過ごしても、一向に慣れそうもない。
しばらくすると、扉を軽く叩く音が響いた。
「お食事をお持ちしました、カナリア様」
ここの使用人たちは、決して彼女の名前を呼ばない。
リーナは何度か「自分の名前で呼んでほしい」と頼んでみたのだが、困ったように微笑まれるだけで、聞き入れられることはなかった。
運ばれてくる食事は、故郷の村にいた頃とは比べものにならないほど豪華で、最初のうちは食べるのに戸惑うばかりだった。
服もそうだった。
洗練されたそれは、属州である田舎ではとてもではないが縁のないものだった。
食事を終えるとリーナはそれに袖を通す。
そして一日がはじまる。
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リーナの仕事は《カナリア》だ。
レグルスのために歌い、癒す。
彼女の歌の力によって、レグルスの症状は緩和される。
治る事はないが、それでも雲泥の差だ。
レグルスは毎日、彼女に「すまない」という。
それが自分のせいという意味なのか、未だ帰すという約束を果たせていないからなのか…リーナにはわからない。
ただ信じるしかなかった。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
「庭に、行かないか?」
その日、リーナが歌い終わるとレグルスが声をかけた。
リーナは館内での自由は許されているが、外出は許されてない。
逃走の恐れがあるからだ。
実際この帝都で着の身着のまま飛び出したところで、故郷に帰るどころか数日で命を落とすだろう。
わかっているから彼女は逃げないが、周りからは信用されてないらしい。
「良いのでしょうか?」
尋ねれば、レグルスは「俺と一緒なら文句は言わせない」と言い、彼女に静かに手を差し出した。
エスコートするつもりらしい。
リーナはしばらく迷い、その手を取った。
とはいえ、レグルス自身も病状が悪化して以来、庭どころか部屋からも出ることが稀だった。
二人手を取り進むと、一人のメイドが案内役を買って出た。
「今は薔薇が見頃ですよ」とメイドがにこやかに言う。
「薔薇か…」
「私、見たことないです!」
レグルスが呟き、リーナは少し興奮した様子で返す。
「そうでございますか、きっとご満足いただけると思いますよ」
どこか誇らしげに言いながら彼女が扉を開けると、そこにはリーナの見たことのない美しい景色が広がっていた。
眼前を埋め尽くす色とりどりの薔薇、噴水、奥に見える白いガゼボ。
「では、私はお二人のためにお茶を用意して参りますので」と、メイドはにこやかに席を外した。
二人で庭園を歩く。
「素敵ですね!故郷ではこんなお花、見たことないです!」
興奮気味にリーナ。
おそらくこの屋敷に来て以来一番だろう。
年相応の笑顔だ。
これが本来の彼女なのか…とレグルスは複雑な気持ちになった。
「お前の故郷にはどんな花が咲いていたんだ?」
尋ねる彼にリーナは少しと考え答えた。
「同じ良い香りなら金木犀とか?」
「ああ、本で見たことがあるよ」
「華やかさなら…芍薬でしょうか?」
「今度調べてみよう」
驚くほど自然にレグルスは話していた。
今度なんていつぶりに使った言葉だろうか?
今度、次なんて諦めていたのだから。
しばらく散策し、ガゼボでメイドが用意したお茶をいただく。
久しぶりの太陽にレグルスの額には汗が滲んでいたが、悪い気はしなかった。
「久しぶりに笑った気がします」
「俺もだ」
そんな二人にメイドも思わず笑顔になる。
唐突にティーカップを置き、リーナが言った。
「歌ってもいいですか?」
気持ちよさそうにリーナは歌った。
いつもの《歌わされている》歌ではない。
自らの意思で、いきいきと伸びやかに歌っている。
レグルスだけでなく、給仕をしていたメイドも、遠くから様子を見守っていた庭師も、開いた窓の先のレオナールさえ、動きを止め、聞き入った。
自然と疲労が消えていき、草木もより元気に色づく。
レグルス自身も久しぶりに体を動かしたというのに、いつもより調子が良いくらいだ。
彼女が笑顔で歌っている姿に、そして彼女の起こす奇跡に、レグルスは胸が締め付けられる思いだった。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
その夜、昼間の興奮のせいかリーナは眠れなかった。
久しぶりに外の空気を吸った。
風を感じ、楽しく歌った。
また外に行きたいな…と、彼女は部屋を後にし、館内を散歩する。
大きな窓から、大きな月が見える。
ーーー明日も晴れるかな
そんな気持ちで歩いていると、唸り声が聞こえた。
とても苦しそうな声が気になり、リーナは近くにあったその部屋に入って行った。
「………っ!!」
リーナは思わず息を呑んだ。
月明かりに照らされたベッドで、レグルスがうなされてる。
その体を這うように魔蝕紋が蠢いていた。
あきらかに暴走しているのが、リーナの目でもわかった。
レグルスは胸をかきむしり、何かに縋るように手を天に伸ばす。
「レグルス様っ!」
と、リーナは無意識に手を取っていた。
手を取ったものの、どうしたらいいかわからない。
彼女にわかるのは、自分の歌で病状をほんの少し和らげることができるということだけ。
「大丈夫です、私がそばにいます」
彼女は膝をつき、昔祖母が歌ってくれた子守唄を歌った。
昼の明るく伸びやかなのとは違う、優しく包み込むような声。
うなされていたレグルスは、次第に落ち着きを取り戻し、寝息が穏やかなものに変わった。
ーーー良かった
リーナは息をつき…繋いだ手の拘束が思ったより強いことに気がついた。
離そうとしても離れない。
無理に離そうとすれば起きるかもしれない。
仕方なく、リーナはその場で眠ることにした。
繋いだその手は、朝、メイドが起こしに来るまで離れなかった。




